当サイトもおかげさまで300000アクセスを数えるまでになった。これもひとえに皆様のおかげである。そこで、良い機会なので自分のサイトを振り返って、今とりとめも無く考えていることを述べていこうと思う。このサイトがどう立ち上がり、そしてどこへ行こうとするのかを自分で再確認する意味でも。
1.原点
烏鵲(うじゃく)の娯楽室は綿密に計算されてできたものではなかった。焼いた餅が膨れ上がるようにしてできたものだ。
おおもとのきっかけはNHKFMで日曜午前に放送されていた"音楽図書館"という番組からである。当時高校生だった私はショスタコーヴィチの洗礼を受けていた。新しい録音は無いかとラジオ雑誌(今は見かけないか…)を読み漁り、録音することを日課としていた。ある日の放送で、ショスタコーヴィチのオペラ"鼻"の一部分を放送するという。小躍りしてステレオの前に座った。
それはカザンスキイ大寺院のシーン。コヴァリョーフの鼻が人間化して、しかも自分の上官の格好をして祈祷をしている。顔から鼻が消えたコヴァリョーフは恐る恐る言葉を選びながら自分の鼻に迫る。あなたは自分の戻るべき場所があるだろうが。しかし鼻は私は私であって何も拘束されるものではないと拒絶する。その時女性が祈祷に現れ、コヴァリョーフは性懲りも無く気を引こうとする。その間鼻は行方をくらます…実に滑稽だが、幻想的なシーンだ。私はそれを何度も聴いた。
その録音の中に紛れていたのが、ロディオン・シチェドリンのオペラ"死せる魂"のエンディングであった。奇しくもショスタコーヴィチと同じ原作の小説を書いたのはゴーゴリであった。シチェドリンの音楽は悲劇的で母性に訴えかけるような響きがあり、忘れえぬ作曲家になった。ゴーゴリに引き寄せられてロシア語の学校に入り、卒業後就職して出先の渋谷のタワーでぶらついていた時、ついに出会った。現代音楽のコーナーに"死せる魂"があったのだ。長年捜し求めていたものが見つかった感動も手伝ってか、聴いてて涙が止まらなかった。この人についていこう、そう思った。
それからまもなく、シュニトケのオペラ"痴呆との生活"が売られているのを発見し、購入した。高校生の頃にテレビでバシュメットの奏でるシュニトケのヴィオラ協奏曲と"モノローグ"という曲に惹かれながらも、ヴァイオリン協奏曲の難解さに挫折した過去があったが、こんな人が書くオペラはどんなものだろうか、興味がわいた。原作を知っていたシチェドリンの時とは異なり、中身はチンプンカンプンだったが(ロシア語のオペラだが、自分の語学力の無さを痛感した)、バシュメットの演奏に魅了されたときの心のときめきを取り戻した気がした。こうして、シチェドリンとシュニトケのCD収集が本格化した。
1997年頃だったと思う。町田に行く用事があって、ついでにタワーに寄った。例のごとく現代音楽コーナーを漁っていると、不気味なCDが目に付いた。ジョン・ゾーンのNONESUCHレーベルから出ていた"NAKED CITY"である。射殺体が転がっている写真だ。これも高校時代、クロノスクァルテットのライヴで"ザ・デッド・マン"という、弓をピュンピュン鳴らす変な曲に出会って以来その名前が頭の隅にこびり付いていた。後に深夜番組"タモリ倶楽部"の1コーナー、"空耳アワー"で"住民票誰んだぁ〜 俺だぁ"("LOCUS SOLUS"の"Too Me")とか"田中がカタカナださぁ〜"("PAINKILLER"の"GUTS OF A VIRGIN")を聴いて影響を受けていたこともあり、思わず買ってしまった。中身を見てもっとびっくり、丸尾末広による蛇女のイラストが。"バットマン"が流れて、ああこの人は本来はジャズなんだな、と思ったのもつかの間、1分にも満たない曲が次々に流れ("TORTURE GARDEN"収録曲)、変てこな叫び声が脳内を駆け巡り(ヤマンタカ・アイですね)、私は混乱すると同時にこれは面白いぞと思った。どれから収集しようか初めのうちは迷ったが、手探りながらもゾーンのCDは次第に増えていった。
2.草創期
パソコンを扱う仕事をしていたこともあり、今度はインターネットの洗礼を受けることとなった。目の前に広がる様々な情報源に釘付けになる毎日だった。自分の集めに集めたCD群についても何らかの情報があると思って調べた。シュニトケについてや声楽作品はどんなことを歌っているのかなど。しかし結果は役に立たない断片的な情報でしかなかった。時には科学用語すら拾ってきた。当時のサーチエンジン(●●●OO!だった)は本当に役に立たなかった。その時であった。ずーずーしくも自分が情報を提供する側なんじゃないかと思ったのは。サイトを開設する5ヶ月くらい前の話である。
そうは思い立ったものの、自分には文章を作成する知識が無い。知識無しに手軽にサイトを立ち上げる方法が無いかと考えた。支援ソフトを使えば良い。しかし市販品(ホームページビルダー)は値が張る。失敗するかもしれないのにこんなには出せない。そこでVECTORというサイトを覗くことにした。VECTORは有料・無料のソフトを気軽にダウンロードできるサイトである。ここでいくつか試し、現在は"Easy Home"を使っている。
最初はドアの絵をトップに置こうと思っていた。しかし、そんなものは画材集サイトにも無いし、自分で書くだけの力も無かったのであきらめた。
何を扱うかでも迷った。音楽はシュニトケ・シチェドリン・ゾーンしか無い。ショスタコーヴィチもあるにはあったが、先駆者が多すぎる。そこで、無理を承知で当時よく読んでいたバロウズとブルガーコフを題材に選んだ。こうして、「現代音楽・文芸趣味室」の枠組みが定まった。
サイトのタイトルは最初"烏鵲の部屋"だったが、FTPする直前に直感で「烏鵲の娯楽室」に変えた。"烏鵲(うじゃく)"はジョン・ゾーンの"TORTURE GARDEN"の中の最も好きな曲(本当は"雨雀")から、"娯楽室"はバロウズの"裸のランチ"の中の"ハッサンの娯楽室"から頂戴した。音楽と文芸を扱うサイトとしては実にしっくりきたタイトルだと今でも思っている。
3.鉄道に手を染める
インターネットで自分の意見が言えるようになって、不覚にも自分の文章を人に見てもらいたいと言う欲求に駆られた。その手助けをしたのが鉄道である。幼少の折、市ヶ谷の外堀に見える黄色やオレンジ色の電車を見て、なんて素敵なんだろうと思った。自分の知っている世界の電車はみんなこんな色に塗られているんだろうかと思いわくわくした。
その後転勤などで日本各地を転々としていくうち、興味は電車から駅へと変わった。高知に住んでいた時は郷里の岡山に帰る際は高知から南風号に乗り高松で宇高連絡船に乗り換えて岡山に入った。父から買ってもらった"全線全駅"という本を見ながらここにはこういう駅があるんだということを認識しながら乗っていた。その中でも"新改"と言う駅名にあこがれた。どう改めるんだ、と思い南風号に乗車した際には駅の姿を見ようとしたが、なにぶん列車は速いし新改駅はちっぽけな無人駅だ。あっという間に行ってしまう。スイッチバックで本線から外れる位置にある新改駅は私にとって聖地になった。いつか写真に撮ろうと誓った。
ロシア語を学んでいた時分、ふらりと北海道をワイド周遊券(現在は存在せず)で旅した。目的は深名線乗車・撮影と極力全北海道を各駅で走破することであった。しかし深名線はその年(1995)の9月に廃止が決まっていた。普段乗りもしないくせによそ者である鉄道ファンはここぞとばかりに押し寄せ、私の目的はほぼ絶望視された。カメラの扱いにもなれてなかったため、貴重な写真(北母子里駅)を無駄にしたこともあった。もう少し早く鉄道の血が騒いでいれば…と悔やむばかりであった(もっとも、金銭的な問題もあったが)。
だが、一方で別の貴重な写真が手元に残った。石北本線・一日一往復区間の駅の数々である。この区間に停車する唯一の便に乗った私は、誰に邪魔されることも無く余裕で撮り終えた。これは世間に知ってもらわねば。そのときの感動を文章化して世に送り出した。「不定期・不安定連載「あてもなく」」の誕生である。
今では超有名サイトとなった"秘境駅へ行こう!"、私も陰ながら情報を提供させていただいた。北海道を旅した経験から古瀬駅や川上駅などの存在を管理人であるうっしーさんに教えた(もちろんそれを実際の訪問と言う形で我々の期待にこたえてくれたうっしーさんの実行力の方が数倍も上だが)。リンクを貼らせていただけないかと問うと、うっしーさんは相互リンクと言う最高の形でこたえていただいた。今のこのサイトがあるのはうっしーさんのおかげだと思っている。
訪問するのは無理があるが列車で通り過ぎて撮影するのは可能だろう、そう思って今でもデジカメを持って撮影旅行をしている。駅を撮るのは楽しい。周りからたとえ変な目で見られても。日本全国のローカル鉄道の駅を撮影するのが私の夢である。
4.ボツにしたもの
ブログが出回る以前、私も日記のようなことをやっていた。ごく初期から見ていた方でもほとんど記憶には無いと思うが、タイトルは"我思う、故に我在り"。身の回りの出来事よりも世の中のテレビなどで得られやすい情報を元にあーだこーだと言っていたコーナーである。2年くらいは順調だったが、その後さすがに書くことが無くなった。野球・芸能・政治みたいな(政治は無かったかもしれない)笑点の題材っぽい話題に収斂されていき、陳腐だな、と思ったのでやめにした。今でもファイルは残っているが、復活はしないつもりだ。ブログ全盛の今日でも多分やらないだろう。
5.限界
「現代音楽・文芸趣味室」と銘打ったからには少しでもその方面を充実しなければならない。当初はそう考えていた。バロウズも良く買ったし、ブルガーコフも長編に挑戦した。しかし、鉄道に気を取られるうちにそちら方面はどうでもよくなってしまった。バロウズのカットアップは未だに読みづらくてさっぱりだし、後期の"シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト"は時々出てくる描写がどうも性に合わない。だったらバロウズなんか読むなと言われそうだが、今の自分としてはこれ以上のバロウズのコーナーの拡張と言うか充実させるようなことは今後やらないと断言する。山形浩生さんのような先駆者がいたら自分などは模倣者のうちの一人みたいなものだから。バロウズを知りたければ彼が書いた"たかがバロウズ本"(大村書店)でも読むことをお奨めしたい。
その他に挫折した例は、カレル・チャペックと夢野久作である。チャペックの"R.U.R"と夢野の"いなか、の、じけん"に惹かれてコーナーを作ろうと意気込んだ。しかしチャペックは手元に本が無いこと(図書館で借りて読んだ)、夢野は"ドグラ・マグラ"の途方も無さに挫折した。そして今、ゴーゴリも挫折しかかっている。紹介した頃には本が売られてなかった、なんてことになっているかもしれない。
音楽の分野では、ギヤ・カンチェリとウォルフガング・リームが挫折した。カンチェリは面白そうだったので聴いてみたが、性に合わず、リームは情報が無くCDすら買えなかった。ツィンマーマンもちょっと失速気味…。紹介した頃にはCDが売られてなかった、なんてことになってるかもしれない。
6.どこへ行くのか
文学方面がこの有様なので、音楽と鉄道の方面に重点を置くことになる。音楽はジョン・ゾーンがまだまだがんばってくれているので、当面は心配はしていない。また、最近は彼のレーベル・TZADIKのCDを集め始めている。それで食いつないでいこうと思っている。
だが、鉄道はそろそろ限界点が見えてきたようである。あと撮っていない所(すなわち行ってない所)といえば近畿と九州北部である。強いて言えば宗谷本線などもあるが。だが、金銭・日程などクリアすべき問題もあり簡単にはいかない。これには本人のやる気の有無とも関係が深い。
鉄道ネタはあくまで現役路線にこだわりたいと思う。廃止されたあとに行くのは体力的にも技能的にもきつい。廃止前に駆け込みで行くような真似は避けたいが、廃線跡をとぼとぼ歩く真似はやるつもりはない。手宮線で懲りた。また、JRの全線乗車は目指しているものの、全線撮影はやるつもりはない。都心の駅を車内から撮るのは苦しい。これは八高線で悟った。
鉄道ネタが尽きたら、本格的に音楽志向になるかもしれない。更新頻度は遅くなるのは間違いない。もっとも、鉄道ネタは撮りなおしに行くことはあると思う。よりましなものを撮りたいと思う、向上心は持っているつもりなので。文章の方は旅が続けば自ずと生まれ出るものだと考えている。
7.リンクについて
しばしばこのサイトに"2ちゃんねる"から来ましたという訪問者が現れる。個人的には"2ちゃんねる"は好きではない。googleで自分のサイトのアドレスを入力すると、大抵"NAKED CITY"の"レンツェ"のグロいジャケットがリンクを貼られている。だが、最近はこれもしょうがないと思うようになった。扱っている題材がこういうものを求めているので、逆らったり隠蔽しても意味が無いだけである。大きな心で迎えることにしよう。もっとも、2ちゃんねるからの訪問者全てがこの画像から来ているとは限らないが。
リンクと言えばこのサイトもいろんなところから貼られている。自分としては事後報告してくださいと前書きで言っているのだが、定着してしまっているのだからしょうがない。むしろ歓迎すべきことかもしれない。但し、画像などの無断転用は禁止する。
8.新しいこと
ブログに手を出した。当面はこれを強化していきたいと思う。
写真は好きだが、それはあくまでも鉄道の駅に限ったことであって、鉄道風景(絶景をバックに走る列車とか)や人物(アイドルなども含む)写真はまず間違いなくやらないつもりである。人寄せのために自分の分野を超えたことをやるのは意味が無いと思うので。
コミックが好きでいろいろ買い揃えたりもしたが(お前歳いくつだ…)、これも将来扱う予定はない。あとNIN(ナイン・インチ・ネイルズ)のCDが随分たまったが、ハマるほど好きだというのとサイトで扱いたいというのは少し違うかなと思うのでこれも却下。
9.終わりに
最後の方で夢の無い話ばかりになってしまったが、人間あとでどう転ぶかわからない。年をとるにつれ自分の能力に疑問を抱くようになっていたが、こんなサイトを築き上げた自分をちょっと信じれば何か見えてくるのかもしれない。少し期待してみよう。
最後に、こんな独り言に付き合ってくださった皆様に、感謝感謝。
(2005.3.28)