【標準歴五〇〇八年四月六五日−北部方面隊第八機甲師団基地〜大陸北部上空】
煤だらけの点火プラグを燃料で洗い、再びエンジンブロックにねじ込む。ティラナは額に張りついた長い黒髪をかき上げて息をついた。
顔を上げて汗を拭っていると、飛行場の向こうにある師団本部からオートバイが走ってくるのが見えた。無骨な軍用バイクがまるで子供用自転車のようだった――乗り手の身長があまりに高いので、そんな風に感じられるのだ。
近づいてくるのを待つまでもなく、それが第三航空中隊長であるのはすぐにわかった。針金のように細くのびたのっぽの姿は見まちがいようがない。
「始動確認をしておいて」
ティラナは一緒にエンジンをいじくり回していた整備兵に声をかけると、バスチス三型の下翼から油まみれの滑走路へと飛び降りた。
オートバイで近づいてくる中隊長は、肌着の上に黒革のフライトジャケットをはおっただけといういつもの格好だった。よほど急いでいるらしく、重いジャケットのすそが激しくはためいている。
こんな好天にいったいなにごとかな、とティラナは不審に思った。またしても航空中隊に突然の転属命令でも言い渡されたのだろうか?
「カザウェル少尉!」
中隊長の細身に合わない野太い声で呼ばれて、ティラナは相手を見上げるようにして敬礼した。ティラナも女性としては長身のほうだが、中隊長は単車にまたがっていてさえさらに頭ひとつ分はゆうに高かった。
「どうだ、飛べるか」
中隊長は答礼もせず、ティラナの頭越しに複葉複座型機へと視線を送りながらいった。ちょうどそのときバスチスのエンジンが爆発音とともにうなりをあげはじめ、けたたましく咆哮しながらもなめらかに回転をあげていくその音が、ティラナの返事がわりとなった。
「エンジンの具合はよさそうだな」
視線を下ろした中隊長に向かって、エンジンの爆音とプロペラの風切り音に負けないように怒鳴りかえした。
「各機関とも問題ありません! あとはエンジン・カバーを組み付ければ完了です。飛行命令ですか?」
中隊長はうなずき、オートバイから降り立った。ティラナは二歩下がり、命令を待った。間近に立って巨人のごとき上官の顔を見上げているには、ティラナの首は華奢すぎる。
「第七機械化大隊の件は聞いているだろう。通信が途絶してもう丸三日だ」
いつもは快活な細面をかげらせて、中隊長は低い声でいった。
もちろん、グスタ平原で消息不明となった戦車隊のことは知っていた。本来、ティラナが戦況確認報告のため同行する予定になっていたのだが、悪天候のため飛行が中止されたのだった。
「直近の無線中継部隊が現地へ向かったが、これも連絡がつかなくなった。師団司令部でも事態を重くみている」
中隊長の苦い表情は理解できた。第七機械化大隊の出動を決定することとなった先行偵察には、中隊長自身が飛んだのだから。
それにしても、五〇〇台の戦車で編成される大隊が突然に消息を絶つというのはただごとではない。戦場でなにかが起きているのは間違いない……最悪の事態すら含めて。
「それで、グスタへ飛べと?」
「ああ……サナスは着陸をしくじって病院送りだし、ほかの連中の機体はみんな整備中ですぐには飛べない。おれの機もエンジンを分解しているところだ。師団で飛行可能なのはきみのバスチスだけなんだ、カザウェル少尉」
燃料補給終了後ただちに飛び立ちますと答え、頭のなかで飛行計画を組み立てながら立ち去ろうとしたティラナを、中隊長が呼び止めた。
「少尉、どんなに急いでも一五〇〇キロ先のグリーンゾーン境線に着くのは日没ごろだ。夜間に戦場を飛び回っても意味がない。今夜はグスタ平原の補給部隊拠点までいって、明朝に報告を頼む」
そこまでいうと、中隊長はふだんの闊達さを取り戻すかのようににやりと笑ってみせた。
「だからな、カザウェル、あわてないでひと風呂浴びて汚れを落としていけ。オイルと煤で顔まで真っ黒、補給部隊の連中が腰を抜かすぞ。美人が台無しだ」
ティラナはあわてて頬に手をやったが、かえって汚れをこねくりまわしただけだった。中隊長が笑い声をあげて、ティラナはわずかに赤面した。
「そういうのは、男女差別発言だと思いませんか?」
「そうか? ほめてるだけだぞ。ああ、最新の気象情報はおれがもらってきておいた。これだ」
気をつけてな、と言い残して中隊長は師団本部へ戻っていった。
無線受信可能高度を維持して、ティラナは飛び続けた。風はやや強かったが、風向も風速もほぼ一定していたので、楽な飛行だった。
地上部隊から定期的に発信される無電で方位を確認しながら、スロットルを全開にしてエンジンに鞭を入れる。とはいえ、ティラナの乗るバスチス三型はくたびれかけた古い機体で、最高速度は当初性能の一割減、エンジンの爆音だけは三割増といったところだが。
飛行中はときおり計器をチェックする以外にほとんどなにもすることがない。人類の街は遥か後方の彼方で、眼下の広大な荒野にみるべきものなどなにもない。草木もまばらで――だからこそ敵である植物類の支配圏となっていないわけだが――無機質な感じのする荒涼たる原野が地平線まで続いているだけだった。
しかし、それでも、ティラナは飛ぶことが好きだった。空の高みから眺める地上の景観が好きだった。それがたとえ緑の闇に覆われた『グリーンゾーン』の上空であっても……もっともあまりに危険なため、緑の空域を飛ぶことはまれにしかなかったけれど。
陽光の名残が荒野の地平線を赤く、次いで黒く染め上げるころになって、ティラナは大陸最北端にある人類の拠点に到着した。
拠点といっても第七機械化大隊進出のために設けられた仮のもので、実際には補給部隊が野営陣地を築き上げているだけに過ぎない。
簡易滑走路は荒れ地を重機でならしただけの広場だが、どのみち失速限界の高い、いうなればごく低速着陸の可能な飛行機であるバスチス三型にはあまり関係がなかった。ここへ来るまでにも、平らな土地を見つけて休息のために何度か着陸をしていた。
バスチスを滑走路端に――つまりでこぼこした荒れ地との境界に停止させると、補給部隊の責任者がすっ飛んできた。
階級はティラナと同じ少尉。とはいえティラナよりもかなり年上で、いかにも叩き上げの陸軍士官という感じだった。
ふつうの陸軍と航空隊の階級では扱いが異なる。航空機のパイロットは飛行訓練学校を卒業した時点で准尉の階級が与えられ、愛機を得ると少尉に昇格する。専用機を持てるのは士官に限るというので。実際には指揮する兵などもたないのだけれど。
うら若い女性パイロットが形式上は同格であることに内心複雑だったとしても、補給部隊の陸軍士官はおくびにもださず、ティラナにきっちりと敬礼した。
「ご苦労様です、カザウェル少尉。師団から命令は受けています。整備が必要なら、すぐにとりかからせます。もっとも、ここに飛行機の専門家はおりませんが……」
ティラナも飛行帽を脱ぎ、敬礼を返した。
「いえ、とくに問題はありません。夜間にタンク内が結露しないように、燃料の補給だけお願いします」
「了解しました。宿舎を用意しておりますので、お休みください。野営天幕に簡易ベッド、ですが」
丁寧な対応に、ティラナは礼をいって頭を下げた。少尉は部下を集めてバスチスの燃料補給と繋留を指示し、宿舎まで案内してくれた。
「状況に変化はありませんか?」
ティラナの問いに、少尉は重々しく首を振った。
「いまのところなにも。我々より先行していた無線中継部隊も、戦場に向かったきりいっさい連絡がありません。いったいなにが起こっているのか……カザウェル少尉もじゅうぶんに注意なさってください」
「ありがとうございます。明日、現地へ飛んだらすぐに報告を入れます」
「お願いします。では、私はこれで」
天幕は個人用で、驚いたことに簡易シャワーまで付いていた。もしかしたら指揮官である少尉のものかもしれない。
ありがたく使わせてもらい、長時間飛行のためにばさばさになった長い黒髪を念入りに洗った。ベッドに腰掛けて髪を乾かしながら、パイロットが女でなかったらどうだったのかな、とふと思った。
【標準歴五〇〇八年四月六六日−大陸北部境線上空】
早朝、地上監視に支障がないほどの明るさになるのを見計らって、ティラナは飛び立った。
補給拠点から先は、第七機械化大隊が進行したルートを正確にたどっていく。なにがあったにせよ、もしも帰還途中のものがあれば、同じ道筋を戻ってくる可能性が高いからだ。
高度を下げているので、すぐに無線は使えなくなった。あとは風を頼りに飛行ルートを定めていくことになるが、五〇〇台の戦車が通過したキャタピラ跡を追っていくのは、さほど難しいことではなかった。
補給拠点を飛び立ってからほどなくして、地平線上に土煙があがっているのが見えた。友軍の車両に違いなかった――第七機械化大隊か、あとから現地確認に向かった無線中継部隊かはわからないが。
無線連絡がないのは、機器が破損しているせいだろうか。ともかく、ティラナは機首を土煙に向けてバスチスのスロットルを全開にした。
近づいてみると、走ってくる車両は兵員輸送用の幌付きトラックが一台きりだった。他にはなにひとつ見えない。
トラックの乗員も航空機に気づいたらしく、車を止めて数人が降りてきた。ティラナは右翼を下げて彼らの頭上を旋回した。背の高い兵士が一人、ティラナに向かって大きく両手を振っている。
どうやら第七機械化大隊の兵士のようだった。長身の兵士が着ているのは、わずかに赤みがかった黒色の、汚れたオイルのような色をした戦車兵の軍服だった。
――九九式はエンジンどころか砲手室までオイル漏れするしよく故障もする。戦車乗りがオイルまみれになって修理するなんてこともざらだし、だからおれたちの軍服はこんな色をしているんだ――
昔そんな台詞を冗談交じりに聞かされたことを思い出す。そのころのティラナはまだ軍に入隊しておらず、彼女自身が航空機のエンジンブロックを分解整備するようになるとは思ってもいなかったのだけれど。
ティラナは右翼を戻して高度を取り、後方の補給部隊に友軍発見の第一報を入れた。再び高度を下げると、トラックから離れて大きく旋回しながら着陸可能な場所を探した。第七機械化大隊が踏み固めていった道がもっとも適当なように見えた。
ティラナは元来た方角へぐるりと戻り、停車しているトラックへ向ける形で機首を下げていった。車輪が接地するとキャタピラの食い込んだ跡で機体が振動したが、とくに車輪を取られることもなく、バスチスをトラックのすぐ手前で停止させた。
エンジンを停止させて操縦席から抜け出ると、さきほど上空から見た背の高い兵士が駆け寄ってきた。差しのべられた手をつかむと、すごい勢いで翼上から地表へと引きずり下ろされた。
同じ地面に立つと、その若い戦車兵は第三航空中隊長に勝るとも劣らない背高のっぽだった。
「助かりました! 救援を待ってたんです。無線はないし、途中の中継部隊もいなくて――ああ、この飛行機、もう一人乗れますね。ちょうどいい、曹長を乗せていってください、額をやられて出血が――」
敬礼もそこそこに言いつのる上等兵をなだめて状況を聞こうとしたとき、トラックのほうから別の声がかかった。
「ホーヴィング、下がっていろ。おれが話す」
見ると、泥と血に汚れた軍服の戦車兵が、弱々しい足取りでやってきた。階級は曹長だが、このトラックの一団ではもっとも階級が上らしい。
「曹長、駄目ですよ、また傷が開きます」
ホーヴィングがあわてて上官に近づき、よろめく身体を支えて肩を貸した。
「いいんだ。おれが報告するしかないだろう」
ゆっくりとティラナに近づいてくる直毛ぎみの黒っぽい金髪をした男は、額だけでなくほとんど顔の右半分を不器用に巻き付けられた包帯で覆われていた。激しく出血したらしく、かなり大きく血がにじんで固まっている。
血の気を失って青ざめた顔を正面から見つめたとき、ティラナは思わず声を上げていた。
「サラ!?」
いきなり愛称で呼ばれたことにとまどった様子で、サラ――サザールは左目でティラナを見つめ返してきた。
ホーヴィングや周りに集まっていた兵士たちも驚いて、サザールを愛称で呼ぶ女性パイロットが何者かと視線をかわしていた。兵士たちに見つめられ、ティラナは赤面し、取り乱した自分を恥じた。
サザールもすぐにティラナのことに気がついたようだったが、肩を借りていたホーヴィングを押しのけて直立し、何事もなかったように敬礼してきた。
「サザール・クレスト陸軍曹長です。第七機械化大隊、第一八四戦車小隊所属」
抑制されたサザールの声にはっとして、ティラナも敬礼を返した。
「第三航空中隊のカザウェル少尉です。いったい……なにが起こっているのです? 本隊はどこに?」
ティラナはなんとか平静を保とうとしたが、頬の熱さは容易におさまらなかった。
――なんてことなの、まだ胸が動悸してる!
だが、サザールの次の言葉を聞いてすぐに背筋が冷たくなった。
「大隊は全滅です……ほとんど、一瞬にして。我々も戦場全域を探し回る余裕はありませんでしたが、おそらくほかに生存者はいないでしょう。戦場を抜け出してから、ほかには誰とも会わなかった――我々より先に救助されたものは?」
ティラナが首を振ると、サザールは小さく息を吐いて目を伏せた。
全滅……五〇〇台の戦車と七〇〇〇人の歩兵が、一瞬にして?
「『惑星樹』です。それも、おそらく三樹か四樹が一斉に……」
あとを続けようとしたところでサザールは急によろめき、膝がくずれた。
前のめりに倒れかかるサザールにあわてて手を伸ばし、抱きすくめるような形で力を失った身体を支えた。ぐったりとして肩にもたれてくる顔を見ると、閉ざされたまぶたがわずかに震えていていた。
すぐにサザールは意識を取り戻し、ティラナに抱きとめられていることにぎょっとした様子で顔を起こした。
「し……失礼。おれ――自分は、その……」
サザールはすぐに身を引こうとしたが、脚がもつれていうことをきかず、ティラナの肩をつかんでいなければ立っていられない状態だった。
ティラナは体を離そうとするサザールに手をかけて引き戻し、肩を貸して支えた。
「ともかく貴官には治療が必要です。まずはバスチス――飛行機の後部座席に乗って。報告は師団本部に戻ってからでもできます」
弱々しく首を振るサザールを無視して、ティラナはさきほどの若い上等兵、ホーヴィングに手伝うよう声をかけた。
ホーヴィングは最初のときと同じようにすっ飛んできて、ほか数名の兵士とともにサザールの体を飛行機の操縦室へと押し上げた。
サザールは、狭い複座式の操縦室後席に座らせられたときにはほとんど意識がなく、ティラナがベルトを締めてやってもまるで反応がなかった。サザールの顔色は悪く、汗にまみれた頬に触ってみると、ひどい高熱を発しているのがわかった。
「曹長は毒にやられてるんです。蔓状の植物類と格闘になったときに。致死量とは思えませんが、なにしろ出血で体が弱っているから……」
心配そうな表情をしたホーヴィングの言葉にうなずき、ティラナはほかの兵士たちの負傷の程度をきいた。それからティラナも操縦席に座り、バスチスの向きを変えるのを手伝ってくれるよう頼んだ。
「ここからなら車でも一時間ほどで補給拠点に着きます。飛び立ったら無線連絡して迎えを出させますから、この先は無理をしないように」
「了解。曹長を、お願いします」
ホーヴィングが敬礼するのに答礼し、ティラナはバスチスのエンジンを再始動させた。
プロペラに注意するよう怒鳴って、ティラナはブレーキを弱めた。動き始めたバスチスの右下翼をホーヴィングたちが押して、機首を着陸してきた方へと向ける。
地上の兵士たちが飛行機から離れるのを確認して、ティラナはスロットルを開放した。
バスチスを離陸させて高度をとり、生存者発見の一報を入れたとき、後席のサザールが身じろぎするのが背中越しに感じられた。
「……空、か」
ティラナが振り返ると、ややぼんやりとした様子のサザールが操縦室の外を眺めていた。
「そう……これが、何者にも邪魔されることのない空からの景色ってわけ。サラ、あなた大丈夫なの?」
「ああ。それより、この飛行機はどこへ向かって飛んでるんだ?」
「とりあえず補給拠点であなたの手当をして――」
ティラナはいきなり肩を引かれて、あわてて操縦桿を握り直した。バスチスの挙動を落ち着かせながら、けが人とは思えないほどの強い力で肩をつかんでくるサザールの手を払いのける。
「危ないっ……ちょっと、サラ!?」
「戦場跡に戻ってくれ。あそこの様子が見たいんだ……見なきゃならない」
「でもそのけがじゃ……」
「おれは大丈夫だ。それに、おまえも戦場の状況を確認するために飛んできたんだろ? 軍人になったって言うんなら、任務を果たせよ」
サザールの最後の台詞に、ティラナは言い返しかけた言葉を飲み込んだ。それは、否応なく二年前の出来事を思い起こさせたから。
ティラナは軽く唇をかみしめ、それから平静をよそおった声で答えた。
「わかったわ。でも、あなたの状態が悪化するようならすぐに引き返すから。……これは、上官としての判断です」
「ああ……いや、それで結構ですよ、少尉」
皮肉めいた返答を無視して、ティラナはバスチスの機体を翻した。
グスタ平原東側境線の戦場跡に着くまで、サザールはまったく口を開かなかった。
気を失ったのかと思ってときおり後席を振り向くと、そのたびに左目でじろりとにらみつけられた。
サザールの顔色の悪さはどう見ても隠しようがなかったが、その目を見るとティラナはまたしてもなにも言えなくなった。
――二年前とちっとも変わらないのね……こうと決めたらてこでも動かない頑固者だったもの。
小さくため息をつくと、ティラナはあきらめて操縦に集中した。
そしてその光景は、いきなりティラナの視界に飛び込んできた。
凄まじい眺めに、ティラナは息を飲んだ。
「これは……」
見渡す限り、『死』が広がっていた。
徹底的に破壊された戦車。
潰れた車両。
ボロ切れのように転がる死体。
それらが帯状の列をなして、見渡す限りに続いていた。
「……やはり、『惑星樹』の姿はないな」
サザールの低い声にはっとして、ティラナは後席に振り向いた。
「これだけの数が……一瞬にして……?」
サザールは重々しくうなずき、再び視線を地上へと戻した。
「全滅さ。あっという間のことだった。……戦列は両翼五キロに展開していた。燃料があるならそっちも見て回ろう……生存者がいるとも思えないが」
右翼に旋回しつつ、ティラナは戦場の状況を眺めた。焼け焦げたあとの残る平原に、妙に鮮やかな緑が点在しているのが見てとれた。
「サラ、あの植物類の死骸……あれは?」
サザールも地上の様子に目を凝らし、同じものに気がつくと忌々しげにため息をついた。
「もう芽吹いているのか。やつらの生命力の強さは手に負えないな」
「芽吹く?」
「倒れた植物類の体から、新しい芽が生えだしているんだ。いずれはここも深い森になってしまう。やつらの領域、『グリーンゾーン』に……」
そして境線は人類側へと食い込んでくる。これまでもそうだったように、徐々に人類の居住圏は減少していく。
植物を根絶することなどできはしない。それは人類の生存に必要な酸素の供給を停止させることになるから。
大規模な戦闘を覚悟で『グリーンゾーン』に侵攻し、多少の森林を焼き払ってもすぐに植物は新たな芽を伸ばしだす。このグスタ平原と同じように……あるいは、もっと早く。
「みんな、死んだ。植物類の肥やしになりにきたようなものだ――」
その声ににじむ深い悲しみにはっとして、ティラナはようやく思い出した。
二人の共通の友人で、サザールの相棒であり、いつだって強気に振る舞っていた若い戦車兵のことを。
「サラ、あの……ギルビィは……一緒じゃなかったの……?」
サザールは、すぐには返事をしなかった。それだけで、ギルビィがどうなったのか、最悪の想像はついたけれど。
しばらくして、サザールがティラナの肩越しに右前方を指し示した。
「あそこだ。あいつは、ギルビィはまだあそこにいる……おれたちの九九式のなかに」
そこには、遠目にもわかるほどひどい損傷を受けた九九式戦車が横倒しになって立っていた――まるで、ギルビィの墓標のように。
「おれは、あいつの認識票を取ってきてやることさえできなかった。あいつの……死に顔を、まともに見ることができなくて――」
サザールの語尾が急に弱々しく震え、サラは思わず振り返ってその青ざめた顔を見つめた。
「戦友を……おれは……いつだって一緒に戦ってきたあいつを、あんなところへ……置き去りに――」
「サラ!?」
ティラナが驚いて声を上げたとき、サザールの首はがくりとうなだれ、完全に意識を失ってしまっていた。サザールはもはやどう見ても危険な状態だった。
サザールの勢いに押されて戦場へ連れ戻してしまったことを激しく後悔しながら、ティラナは機首を返して戦場をあとにした。
【標準歴五〇〇八年四月七五日−北部方面隊第八機甲師団基地】
九日間に渡る入院を経て、ようやくサザールが病院を出たことを聞いた日の夕刻、ティラナはもういちど彼に会っておこうと思い飛行場をあとにした。
特別、会わなければいけない理由があるわけではなかった。公的には、戦場跡から救助してきた一兵士の病状が回復して退院したというだけのことにすぎないのだから。
私的にいっても、サザールとの関係は二年も前に終わったことだった。今さら会って、なにを話すことがあるというわけでもない。
それでも、ティラナはサザールを捜しに出た。生死の境をさまよった知人が無事に退院したのだから、ひとこと祝いを言っておくくらいのことはしようと。そうしないと、ティラナのほうが過去のことにこだわっているように思われそうで、それが嫌だったから。
サザールの居場所を捜すのに、わざわざひとに訊ねて回るようなことをするまでもなかった。病院を出て、宿舎でおとなしく寝ているような男ではない。
植物毒のために高熱を発し、最初の三日間は意識不明の危篤状態だったが、ひとたび体が良くなったとなれば男の行く先なんてひとつしかなかった。
師団本部基地内の酒場に足を踏み入れると、すぐに露骨な好奇の視線で迎えられた。
まだ数の少ない航空隊の軍服を着た若い女、しかも士官……物珍しげな、あるいは反感をともなった目で見られることに、いいかげんティラナも慣れていた。そうした視線をことごとく無視して、酒場のなかをぐるりと見渡す。
――いた。奥よりにある小さな丸テーブルで、サザールは若い戦車兵とふたりで飲んでいた。
そちらへ向かって一歩を踏み出したとき、入り口近くで飲んでいた男がひとり近づいてきた。
「誰かお目当てがおありで、少尉?」
ティラナは足を止めて、その大柄な陸軍伍長をできるだけ無表情ににらみ返した。
「もう見つけたわ。お気遣いはありがたいけど」
「……そうですか。じゃあまあ、小汚いとこですけどお楽しみになっていってください、航空少尉……殿」
わざとらしく敬礼をしてみせるのにはもはや目もくれず、ティラナはまっすぐに酒場の奥へと歩いていった。
いまのでサザールも気がついたらしく、一緒に飲んでいたホーヴィングとともにじっとティラナのほうを見ていた。
右目のすぐ上から額にかけてはまだ大きな絆創膏が貼り付けられていたが、サザールの顔色はすっかり良くなっていた。額の傷も右目の視力には悪影響を及ぼさなかったらしく、もはや弱々しさなど微塵もない目でティラナを見返してきていた。
「もうずいぶん良くなったようね、クレスト曹長。……安心したわ」
「ええ、おかげさまでね。どうぞお掛けになってください、少尉」
ティラナが席に着くと、どうしたらよいのかと困った顔をしているホーヴィングにサザールが声をかけた。
「ホーヴ、ちょっとジュークボックスを見てきてくれないか。スピンドルならなんでもいい」
「ああ、はい、わかりました」
席を立つことにほっとしたような残念がっているような微妙な顔をして、背高のっぽの若い上等兵は歩き去っていった。ホーヴィングが席を離れていくと、サザールはテーブルの上から新しいビールの瓶を取り、栓を抜いてティラナに渡してよこした。
「さっき絡まれてたな。ここは士官様の来るところじゃないぜ……専用のバーがあるだろ」
「あなたまでそういう言い方はやめてよ」
「……すまない」
サザールは目を逸らし、テーブルの上の煙草に手を伸ばしかけたが、途中で気が変わったらしくライターだけを取って手のなかでもてあそんでいた。
気まずい沈黙が続きそうだったので、ティラナは小さく咳払いして話しかけた。
「……具合はどうなの?」
「なんてことない。額の傷は残るだろうが、目が潰れなかっただけ幸運だった。……ホーヴが言ってたが、おれが寝ているあいだ見舞いに来てくれてたらしいな。ありがとう」
「……べつに、ちょっと気になっただけよ」
「わかってる」
そう言うと、サザールは手のなかで回していたライターに初めて気づいたような顔をして、それをテーブルの上に戻した。
あまり話すことも見つからず、まだ口を付けていないビールに視線を落としたとき、ジュークボックスからスピンドルの曲のイントロが流れ始めた。スピンドル初期の頃の、荒削りだが力強いギターの旋律。
「これ、彼が好きだった曲ね」
「ギルビィの葬送曲ってところかな……」
おそらくそのとき、サザールも昔のことを思い出していたのだろう。三人でつるんで過ごした、あの頃のことを。
サザールがビール瓶をかかげあげたので、ティラナも手を伸ばして瓶をあわせた。
「ギルビィに」
ティラナもその声に和してビール瓶をかたむけた。サザールは一息に飲み干すと、また新たな瓶を手に取っていた。
「三年前のティラダンを生き延びたとき……おれもギルビィも、これからはそう簡単にくたばるはずがないと言ってたんだ。あれ以上にひどい負け戦はないだろうと思ってたからな」
「そうね……」
ティラダン高原戦のときは、サザールが七カ所も骨折をした重傷で、逆にギルビィがぴんぴんしていたものだった。
そのころティラナはまだ軍人ではなく、サザールの話してくれた戦闘の様子を聞いて怖がっていたものだった……いまでは現実の戦場の凄惨さを、身をもって知るようになっていた。
今になってみれば、二年前にティラナが軍に入隊しようとしたのをサザールがやめさせようとした気持ちもわからないではなかった。そのときの口論がもとでサザールと別れたのだから、今さら言えるようなことではなかったけれど。
「……で、こんどは東に飛ばされることになったんだ」
「え?」
物思いから引き戻され、ティラナはあわてて聞き返した。
「だから……明日五月一日付けで、おれやさっきのホーヴといった第七機械化大隊生き残り組は、第四師団に転属というわけさ」
「第四って……東部方面隊でしょう? どうしてそんなことが?」
配置替えの多い航空隊ならともかく、数名の陸軍兵士が別師団どころか他の方面隊に異動になるなどというのは、あまり聞いたことのない話だった。
「どうも、おれのせいらしいな……ティラダン、グスタの敗戦で、北部方面隊にとっておれは縁起が悪いのさ」
「そんな……」
「上官はみんな戦死して、現場指揮官じゃ誰も責任を取れるのがいなくなった。生き残りで最上位はおれだけど、士官でもない戦車乗りにおっかぶせるわけにもいかないだろう。だから、せめてもの腹いせさ」
皮肉に笑ってみせるサザールに、ティラナは絶句した。本当に、軍がそんなことをするものだろうか?
「おれのことはもういい。それで、航空隊のほうはどうなんだ?」
「わたし……そう、わたしも転属なの。これから四発機の訓練を受けることになってる」
「四発機?」
「エンジンを四機搭載した大型のプロペラ飛行機よ。まだあまり飛んでいないけど……いまわたしの乗っている単発や双発の航空機とはだいぶ扱い方が違うらしくて、再訓練が必要なわけ。これから機体もパイロットも増やしていくみたいね」
「大型の飛行機か……」
サザールは急に難しい顔をして考え込んだ。ビール瓶を置くと、まっすぐにティラナを見つめてきた。
「ティー……もう軍を辞めたほうがいいんじゃないのか?」
「……なんですって?」
再会してから初めて名前を呼ばれて、ほんの一瞬だけティラナは言葉に詰まった。だが、聞き捨てならない台詞に、ティラナはきつい声で問い返した。
「病院に話を聞きに来た将校が言ってたよ。『惑星樹』みたいな化け物が相手じゃ、地上からの攻撃だけでは対処できないだろうと。大型の飛行機を増やすというのは、そのためじゃないのか?」
「なにが言いたいの。それでどうしてわたしが軍を辞めなきゃならないのよ?」
サザールはふっと小さく息を吐くと、ひどく真剣な顔つきであとを続けた。
「これからは偵察だけでなく、戦闘そのものにも飛行機が使われることになるんじゃないかということさ。ついに空も戦場になってしまうんだ……おまえは別に殺し合いがしたくて飛行機乗りになったわけじゃないだろう」
そのさとすような言いかたにかっとなって、ティラナは席を立ち上がってサザールをにらみつけた。まわりの兵士たちが唖然として見ていたが、そんなことを気にしておさまるようなものではなかった。
「だけど、わたしも軍人なのよ。前にも話したけど――」
「ティー、おれは――いや、もういい。すまなかった……忘れてくれ」
表情を消して目を逸らすサザールにさらに言いつのろうとする自分を懸命におさえ、ティラナは彼に背を向けた。
いまや酒場じゅうの兵士が、なにごとかとおもしろがってふたりを眺めていた。その視線に耐えられず、ティラナは走ってその場を去った……そのせいでよけいに痴話喧嘩のように見られることはわかっていても、もう気持ちをおさえることができなかった
――あのときと、ぜんぜん変わりがないじゃない――
二年ぶりに会った恋人との話は同じことの蒸し返しであり、別れ方までが同じだった。
サザールは再び戦場へ……そしてティラナは飛行訓練へと。
<ティラナ・カザウェル陸軍航空隊少尉−第三航空中隊所属>
第三編 了