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『永劫の戦い』第一編
sudo著
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【大陸北部境界 標準歴五〇〇八年四月六二日】


 冷たく、重く、いまいましい雨。風はなく、大きな雨粒が際限なく空から垂れ落ちてくる。そんな感じだった。
 ぐっしょりと濡れそぼったポンチョの下に手を突っ込み、サザールはたばこを探した。戦闘服の胸ポケット――ここもひどく湿気ている――にくしゃくしゃのパッケージを探り当て、一本抜き取る。オイルライターも一緒につかみ取って、喉元へとひっぱり上げた。
 貴重なたばこを濡らさないよう、ヘルメットをかぶった頭とポンチョの前えりでおおって、慎重に口にくわえた。火をつけながら、すばやく深々と煙を吸いこむ。いつなんどき、このくそったれ雨粒がたばこを台無しにしてしまうかわかったものではない。
 ふた吸いでほとんど半分までを灰に変え、サザールは満足して顔を上げた。あとはヘルメットのひさしが雨から守ってくれる。
 戦車砲塔の上で吸うたばこの味は格別だった。この九九式戦車は一〇年近くも前に設計された旧型のばかでかいやつで、全高が高く前面面積が大きいのでまとになりやすいと不評だが、サザールはこの砲塔の上に腰掛けて高見から眺める景色が好きだった。ゴキブリみたいに平べったい〇六式乗りになったことを自慢している連中も、ここにきてみれば考えが変わるだろう。
 もっとも――とサザールは目の前の雨に霞む風景を暗然と眺めながら思う――このろくでもない森がなければの話だが。
 戦車隊の前方五キロで広がる森林は、これまでただの一度もひとの――『人類』の手が入ったことのないまるきりの原生林で、鬱蒼と生い茂る巨木には幾重にも蔓が絡みつき、そのほとんどが樹高一〇〇メートルを遙かに越えている。その樹齢は一〇〇〇年のオーダーだという。
 『人類』にとっては危険極まりない、奥深い緑の闇だ。
「おい、誰だ、たばこなんか吸ってやがるのは!?」
 突然、サザールの足元から怒鳴り声が聞こえてきた。見ると、操縦室ハッチからダーク・グリーンのポンチョが飛び出し、続いてギルビィの丸い体がよじ登ってきた。ギルビィはサザールより一〇センチも背が低いくせに、筋肉の量は五倍くらいあり、そのためボールのようにまん丸に見える。にきび面の若い顔に鍛えすぎの体が不釣り合いで、おかしかった。
「サラ、たばこの火で敵に見つかったらどうするんだ」
 ポンチョをひっかぶりながらまたギルビィが怒鳴った。たばこを深く吸い込み、紫煙とともにサザールは答えた。
「ばかいうな。連中には目も鼻もないだろうが……吸うか?」
「くれ」
 となりに座りこんだギルビィに吸いかけのたばこを差し出すと、雨に濡らさないように手でおおってくわえ、すばやく煙を吸い込んだ。サザールと同じ吸い方だった。
「くそ頭にくる雨だぜ……やつらには恵みの雨なんだろうけどよ」
「二ヶ月ぶりの雨だ。いまごろご満悦で踊り狂ってるかもしれないな」
「ロックも知らねえつんぼどもめ、どいつもこいつも水分の取りすぎで根腐れてくたばっちまえばいいんだ」
 戦車の中でも『スピンドル』をかけっぱなしのギルビィがいまいましそうにうめき、砲身を蹴とばした。砲身と平行に取り付けられた火炎放射器の留め具がびりびりと振動する。
「ばか、やめろ。そいつは調整したばかりなんだぞ」
「気にするな、どうせ敵なんぞ来やしない」
 そう言いつつ、ギルビィは心配そうに留め具のほうへ目をやっていた。本質的には気が小さい若者なのだ。
「なあサラ、敵さんがこんなとこまで出ばってくるはずないよな?」
 声を低めて言うギルビィに、サザールは肩をすくめた。
「さあな、部隊長は敵襲があると言ってるが。このあたりでは過去五〇〇年、戦闘が行われたこともないんだ。わからないな」
 サザールたちの第七機械化大隊が布陣しているのは、グスタ平原の東側境線ぎりぎりの位置で、もっとも近い人類の街――というより集落までの距離は一二〇〇キロ。記録に残る限り、人間がこの地に足を踏み入れるのはサザールたちが初めてのはずだった。
 戦車隊が砲身を向けている森林に名前はない。少なくとも、人類が名付けたものは。地図上では大陸の大半を占める『緑』で塗られている場所で、測量さえできないのでろくに地勢も書き込まれておらず、奥部にいたっては等高線もなにもないのっぺりとした緑色に塗りつぶされているだけだった。
 兵士たちはその名もない大森林を単に『グリーンゾーン』と呼ぶ。海兵が彼らの戦場である広大な海を『ディープブルー』というのと同じだった。
「やつらの考えなんぞわかるわけないか……おいホーヴ、酸素濃度計の具合はどんなだ?」
 またしてもギルビィが戦車を、ハッチ近くの上部装甲板を蹴りつけると、戦車の中でがたごという物音とくぐもった声が聞こえてきた。ホーヴィングのやつ、副操縦席で居眠りでもしていたのか。新米のくせに、肝の太いことだ。
「おい、ホーヴ!」
「……あ、はい。ええ、大気中酸素濃度は平均値からコンマ〇二ポイントの増加……誤差許容範囲内です」
 わざわざ付け足すのが新米くさかった。サザールはハッチのほうへ身を乗り出して訊ねた。
「ホーヴィング、それはほかの連中のデータも入れてるんだろうな?」
「はっ……いえその……すみません、他車の観測値を含むと、総合で……コンマ〇八の増加で……」
「なんだと!?」
 ギルビィが飛び上がり、たばこを投げ捨ててハッチに頭を突っ込んだ。
「それじゃ警戒警報ぎりぎりじゃねえか……サラ?」
 サザールも立ち上がり、ポンチョを脱ぎ捨てた。
「ギルビィ、操縦席に戻れ。ホーヴィングはすぐ指揮車に連絡を取ってみろ。コンマ〇八じゃ、他車で警報が鳴ってるはずだ」
「り、了解!」
 砲塔によじ登るサザールの背に、ギルビィの神経質な声が投げつけられた。
「サラ……やつら、来たのか?」
「そうらしい」
 サザールが砲塔上の砲手室ハッチに飛び込むのと同時に、車内でけたたましい警報音が鳴り響いた。無線機ががなりだし、指揮車通信士の叫ぶ声が聞こえてきた。
『酸素濃度レッドライン、敵接近中! 全車戦闘配備!』
 いきなり赤警報とはどういうことだ――サザールはいぶかしみつつベルトを締めた。兵装をチェックしながら再度ホーヴィングに確認する。
「数値は?」
 息を飲んでから返答するホーヴィングの声は、甲高く跳ね上がり、震えていた。
「プラスコンマ二四ポイント……すごい勢いで上がっています! 今までこんなの見たことがない!」
「当たり前だ、てめえ、この夏の始めからやっと戦車に乗ってるくせに!」
 操縦席のギルビィの怒声もうわずっている。二四ポイントだって――そんな数値はティラダンの戦闘以来聞いたことがなかった。サザールは背筋を冷たい戦慄が走り抜けるのを感じた。そんな大部隊の敵がいるというのか?
「おい、サラ、これじゃあのくそったれ高原のときの――」
「ギルビィ、よせ。思い出させるなよ。エンジンを安定させておいてくれ――砲塔の旋回動力に影響がでてる」
「ああ――わかった」
 うわの空のギルビィの声を聞き流し、サザールは火炎放射器の点火スイッチをひねった。火がつかない。落ち着け、と胸の中で念じ、再度着火を試みる。点火確認ランプが点灯し、サザールは小さな窓から砲身の先をのぞき見た。戦車砲のわきに取り付けられた火炎放射器の先端に、雨の中でかろうじて揺れている小さな炎を確認した。
「分あたりコンマ一二ポイントの増加――」
「信じられねえ……」
 ギルビィの顔は見えないが、声まで蒼白になっているように感じられる。それは、サザールも同様だった。大部隊なんてものじゃない――いったい『なに』が近づいてきているのだ?
 落ち着け、落ち着け――繰り返し念じているうちに、サザールは思わず声に出してつぶやいてしまった。はっとして口を閉じ、兵装制御盤の上で震える指先に気がついて、ぎゅっと拳を握りしめる。くそ、止まってくれ――手袋に穴があくほど強く握り、また開く。もういちど震えだす前に、サザールは制御板のスイッチをすばやく操作していった。
「一二〇ミリ砲、初弾装填確認……自動装填装置に異常なし」
 九九式の砲弾装填器は自動式としては最初期に開発されたもので、ギルビィが娼館通い断ちを誓ってみせるのと同じ程度の信頼性しかない。だが、これが、彼ら戦車兵の命綱だった。
「さ、酸素濃度は……」
「もういい、ホーヴィング。酸素計は忘れろ。貴様の役目は射撃管制だ。砲撃データをよこせばいい――すばやく、正確に」
「来た! きやがった!」
 ギルビィの絶叫、そして、サザールも見た――森が、動いていた。正確には、その一部が。
 森林の巨木をかき分けて――むろん、枝や幹をへし折って同族を傷つけるようなことはせず、そいつは姿を現した。
 節くれ立った堅い幹は下方で二股に分かれ、地面を踏みしめている。上部の枝は左右で二束に寄り合わされ、なにかをつかもうとするかのように動き、ねじくれた指先に当たる部分がざわざわと揺れていた。人間でいえば目鼻のある顔に当たる部分はないが、頭上――樹上というべきか――では緑の葉が生い茂っていた。
 森林地帯を支配する知性ある植物類――緑の『敵』の姿だった。
 だが、その大きさは、サザールの見慣れた『敵』のものではなかった。樹皮を持つものも蔓が寄り集まったようなやつも、でかい花のようなやつもいろいろと見てきたが、そのほとんどが人間とたいして変わらない大きさと格好をしていた。
 しかし、いま、戦車隊の前方にそびえ立つのは、原生林の千年樹に匹敵するほどの樹高と、三〇メートルを超える幹周りをもつ、恐ろしく巨大な怪物だった。
「ちくしょう、『惑星樹』だ!」
 ギルビィの声は伝説をまのあたりにした畏怖に震えていた。
 植物類の一部には、生活環境、つまり気候条件さえ満足していればほとんど無限といっていい寿命を持つものがいる。そいつらは大森林地帯の奥深く、居心地よい太陽と風雨のもと、永遠に成長を続け、知性を深めていくという。そのため自らの生活圏から移動することはまれで、滅多に人類や他の種族の目に触れることはない。
 人類戦史上で『惑星樹』クラスの植物類との戦闘が記録されているのは、もっとも新しいもので二〇〇年前にさかのぼる。標準歴四八〇二年、『第一次マゼアム大森林戦』の戦闘で人類は七万人を越える将兵を失った。文字通りの全滅で、戦闘記録も死に瀕したわずかな兵士の証言を寄せ集めたものにすぎない。陸軍にとっては、まさに悪夢の伝説だった。
「サラ、撃て、撃て!」
「この距離じゃ無駄だ……部隊長の指示を待て」
 ギルビィの恐慌を落ち着かせようとして、なんとか冷静な声を出すことはできたが、心臓に冷たいナイフの切っ先を押し当てられるような胸の苦しさはまったく消えなかった。
 いま、第七機械化大隊は森林の境に対して帯状に布陣している。五〇〇台の戦車と七〇〇〇人の歩兵が幅五キロにわたる横列に展開していて、戦列の層が薄い。両翼の部隊が集結するまでには時間がかかり、巨大な『惑星樹』の突撃を持ちこたえることなどできない。それに『惑星樹』の足元でひしめく並の大きさの植物類もこちらをはるかに上回る数であり、両翼の中隊にも同時に攻撃を掛けてくるとしたら、とうていサザールたちの部隊の救援に向かうことなどできないだろう。
『全車は戦車砲の狙点を『惑星樹』に固定せよ。砲撃は距離三〇〇〇まで待て』
 中隊長からの指示を伝える通信士の声は、きっちりと抑制された訓練と自制心のたまものだったが、アドレナリンの過剰分泌でせわしない息づかいまでは隠せなかった。
「三〇〇〇だって、ちくしょう、とっとと逃げださねえとおれたちみんな――」
「ギルビィ、黙ってろ」
 サザールは照準器をのぞき込んで怒鳴った。これは死ぬかもしれない、という思いはなにもギルビィだけのものではなかった。
 『惑星樹』が動き出す。それ自体がとてつもない大きさの足を振り上げ、下ろす。発声器官がないので雄叫びを上げるようなことはなかったが、一歩を踏み出すごとに五キロ先の戦車隊にまで地面の震動が伝わってきた。
 照準器の中で『惑星樹』の姿が見る間に大きくなってくる。その巨体にふさわしからぬ、とんでもない速度だった。サザールは照準を巨木の中央、ど真ん中に据えて引鉄を握りしめた。手袋の中で、手のひらがじっとりと汗にまみれていた。
「敵接近、距離四五〇〇……四三〇〇……」
 ホーヴィングが必死になって数値を読み上げる。怯えの色は隠せないにしても、悲鳴を上げたりはしなかった。ひょっとしたらギルビィよりよほど頼りになるんじゃないかという気がした。
「三六〇〇……三四〇〇……」
 ささくれだった幹に刻み込まれた節の一つ一つまでが見て取れる。サザールはすぐさま引鉄を引き絞りたい衝動に歯を食いしばって耐えた。
「三一〇〇……三〇〇〇、二九五〇、四〇、三〇!」
「くそったれ、砲撃指示はまだかよ!」
『撃て!』
 ギルビィの絶叫に中隊長の声が重なった。一瞬の照準確認の後、サザールは引鉄を引いた。
 数百の戦車砲が一斉に火を噴き、一つに重なった砲声は『惑星樹』の地鳴りのような足音をも凌駕した。
「命中! 射角修正の必要なし!」
 ホーヴィングの弾道視認報告を聞くまでもなく、直撃したことはわかっていた。他車の砲弾も八割方は命中している。移動していても、これほど大きな標的をそうそうはずすものではなかった。
 しかし、一二〇ミリ砲弾の集中砲火は、『惑星樹』に対して目に見えるような効果を与えることはできなかった。堅牢な樹皮に阻まれて砲弾は弾かれ、深く食い込むことができず、炸裂する火薬も幹の表面をわずかになでた程度のことでしかなかった。
 さらに接近した『惑星樹』に第二射、第三射を浴びせるが、ほとんど突進の勢いを減ずることもできない。〇六式戦車はより多くの砲弾を叩きこんでいたが、それも無駄だった。
 怒号と絶望の悲鳴が交錯する無線から、攻撃方法の転換を指示する声が聞こえてきた。敵が接近しすぎて戦車砲が使えず、火炎放射器に切り替えるのだ。同時に戦線後退の指示が飛ぶ。金切り声を上げたギルビィが戦車を後進させるが、間に合うはずもないことはわかっていた。
 サザールは火炎放射器のスロットルを引き絞る。太い炎が『惑星樹』の足をなめていくが、燃え上がるのは追いついてきた人並みの植物類だけだった。
「くそっ、だめだ!」
 わずかに炎をまといつかせた巨大な足が照準器の視界を完全にふさいだとき、サザールは叫んだ。
 ギルビィの甲高い女のような悲鳴、ついですさまじい衝撃がサザールを襲った。ベルトで固定した体から手足が引きちぎられるような感覚は、一瞬意識が遠のくのと同時に消え去り、今度は天地が逆さまになったような異様な浮遊感に包まれた。
 もういちど地と天が入れ替わりに落ちてきて、脳みそが『スピンドル』のギターソロみたいにとんでもない音を立ててどこかへ吹っ飛んでいった。

 気がつくと、サザールは砲手席にベルトで宙づりになっていた。戦車が横倒しになっているのだ。
 ひどい痛みに頭へ手をやると、ヘルメットはまだそこにあったが、ひさしが砕けてゆがんでいた。どうやら額に破片が食い込んでいるようだが、それより先に座席から抜け出ないことには身動きがとれない。
「ギルビィ……ホーヴィング……大丈夫か」
 体を締め付けるベルトを外そうとしながら、操縦席に呼びかける。返答はなかった。
「おい、ギルビィ、生きているか」
 ベルトのロックが外れ、サザールは本来右側面の火器操作盤に転げ落ちた。狭い砲手室でなんとか体を入れ替え、座席の背もたれを探る。そこにくくりつけておいた連射式突撃銃はどこかへとんでいっていた。
 突撃銃を探して砲手室を見回すと、ふいに視界の半分が朱に染まった。サザールは右目をこすって血をぬぐい、ひしゃげたヘルメットを脱ぎ捨てた。額に手をやると、右目のすぐ上に砕けたヘルメットの金属片が刺さっていた。かなり大きく鋭利な破片で、額を割られなかったのは幸運だった。
 破片を引き抜くと、さらに多くの血が流れ落ちてきた。視界を奪われてはなにもできないので血止めをしたかったが、備え付けの救急医療具も見当たらない。サザールは突撃銃とともにそれをあきらめ、腰から拳銃を引き抜いた。
 砲手室ハッチに手をかけ、ゆっくりと押し開いた。すばやく拳銃を突きだし、外の様子を見た。
 敵の姿はない。戦闘の音も聞こえなかった。どのくらい気を失っていたのか、とサザールは自問した。それとも耳がいかれたのかもしれない。とにかく操縦席の様子を見なければならなかった。
 ハッチから抜けだし、地面に飛び降りた。雨に濡れた地面で足が滑り、膝がくだけてよろめいたが、なんとか踏みとどまって拳銃を構え、周囲を見回した。血が右目に流れ込み、あわててぬぐい去って目を見開くと、そこでサザールは茫然として動けなくなった。
 戦車隊は全滅だった。そう……文字通りの、全滅だ。
 そこかしこで戦車の残骸が燃え上がり、黒煙を噴き上げていた。どれもがすさまじい打撃を受けてひしゃげ、真上から踏み潰された戦車など、もとが九九式か〇六式かなどわかりはしなかった。
 炎と煙の間に、無数の死体がころがっていた。戦車兵も、歩兵も、おびただしい数の死者が自らの作り出した血だまりに身を沈めていた。血は雨とともに地面を流れ、いくつもの小さな赤い川を作って森林のほうへ流れていった。
 人間の数に比べればはるかに少ないが、焼け焦げあるいは幹を砕かれた植物類の死骸もあった。植物類の死は再生を伴う。ふたたび知性を取り戻すことはないが、やがてその朽ちた幹からは新たな芽が伸び、長い年月をかけて樹木を、そして森を形作っていく。いつかはこの凄惨な戦場跡も、緑の闇に包まれ、人類の手の届かない領域となるだろう。
 人間は、ただ、やつらの肥やしになるだけか――そこでサザールは我に返り、あらためて戦場に視線を走らせた。見渡す限り、生あるものの動きはなかった。
 横倒しになった戦車の前部へ行き、操縦室ハッチにとりついた。円形の扉はロックが外れ、すき間が空いていたが、どうにも開かない。見れば、戦車の前部はめちゃくちゃに潰れ、車体そのものが歪んでいた。
 『惑星樹』に蹴り上げられたのだ――ラグ・ボールのボールのように、高々と。
 大丈夫だ、操縦室までは潰れていないはずだ、とサザールは信じた。そう思わなければ気が萎えて、自分一人だけで逃げ出してしまいそうだった。戦友をおいていくわけにはいかない――いつ、サザール自身の番が回ってくるかわからないのだから。
 サザールは車体とハッチのすき間に指先をねじこみ、体を引っ張り上げた。
 じゃまな拳銃をホルスターへ戻す。上部装甲板――いまや側面だが――の上で足を踏ん張り、全体重をかけてハッチをこじあけにかかる。
 渾身の力を振り絞るが、ハッチはびくともしない。砕けるかと思うほど歯を食いしばり、体中の骨まできしんできたとき、ハッチの蝶番も鈍いきしみを発した。
 いきなりはじけるような勢いでハッチが開き、サザールは地面まで転がり落ちた。ぬかるみに突っ伏して全身が泥まみれになったが、気にもかけずにもう一度開いたハッチに飛びついた。
「おい、ギルビィ――」
 操縦室に首を突っ込んだとたんにギルビィとまともに顔をつきあわせて、サザールは絶句した。
 ギルビィの視線は、まっすぐにサザールに向けられていた。かっと見開かれた目、食いしばった歯をむき出しにした口、そして分厚い筋肉に覆われた首はとんでもない方向にねじ曲がっていた。
 ギルビィは死んでいた。へし折れた首を見るまでもなく、サザールにはわかっていた。その目を見た瞬間に悟っていた――見せかけだけの強気さも、その奥に隠そうとしていた生来の臆病さもなにもかも、そこからは消え失せていた。
 死人の目。何度見ても慣れることのできないその恐ろしいまでの虚無に、サザールは慄然とした。
 ギルビィの体は座席の上ではなく、床に転がっていた。『惑星樹』に蹴り上げられた衝撃でベルトのロックが外れたのか、それとも引きちぎれたのか――あるいはギルビィ自身が外したのかもしれない。目前の死の恐怖に狂ったとき、人間なんてものはなにをするかわかったものではない。
「ホーヴィング! ホーヴ!」
 ギルビィの凍りついた視線から目をそらし、サザールは副操縦席に向かって怒鳴った。せめてギルビィの目を閉ざしてやりたかったが、闇雲な恐怖に駆られてとても見ていられなかった。
「ホーヴィング、返事をしろ、生きているか」
 返答はなく、副操縦席は暗がりの中で状況がわからない。
 やむをえず操縦室に入ろうとしたとき、サザールは物音を聞いて振り返った。
 植物類がいた。堅い樹皮と幹を持つ『惑星樹』と違って、太いワイヤーのような濃緑の蔓が絡まりあって人型をなしている種類だった。一〇メートルほど先で、まだわずかに炎がくすぶっている〇六式戦車のかげで立ち上がろうとしている。半身を銃弾で砕かれていて、さっきまで死骸だと思っていたやつだ。
「くそっ」
 サザールはあわてて地面に飛び降りたとき、蔓の化け物はこちらに向かって突進してきていた。
 拳銃を引き抜くと、またしても額の傷が出血して視界の半分を真紅に染めた。
 銃口を上げたときには、もう半分が濃緑に包まれた。
 サザールは喚きながら、赤と緑のろくでもないダブルトーンと化した世界に向かって引鉄を引き絞った。
 鈍い衝撃を受けてサザールは戦車の装甲板に叩きつけられた。激しく後頭部を打ち、気が遠くなる。
 ぎりぎりと胴を締めつけ、地面に引き倒そうとする緑の塊に銃弾を撃ち込むが、サザールにできたのはそこまでだった。
 視界が暗転し、サザールは真っ黒なモノトーンの世界に落ちていった。


<サザール・クレスト陸軍曹長−第一八四戦車小隊所属>



第一編 了

第二編