| 記念作品目次 |
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『時速60キロの関係』 sudo著 |
「今日はバイクで出かけようよ」
最近では、彼女も自分からタンデムシートに乗りたいと言ってくれるようになった。初めて乗せたときは、怖い怖いと言ってるだけだったんだが。
「いいよ。どこに行きたい?」
「えっとねー……いつものバイク屋さん」
「え? なんで? なんか欲しいものでもあるのか?」
「んー。ちょっとねー」
オレがバイクを買ったとき、後に乗せてやれるように彼女にもヘルメットを買ってやった。フルフェイスはいやだというので、シンプルなデザインのジェットタイプにしたが……そういえば、やたらかわいい柄のついた限定品を欲しがってたよな。
「……いっとくけど、オレは金ないからな」
あの限定生産とかいうヘルメット、なみのフルフェイスくらいの値段がしたよな。
「誰もなにか買ってくれなんていってないでしょ。早くいこ、ほらほら!」
「はいはい」
ま、いいか。なじみのバイク屋までは片道1時間の距離だが、今日は風もなくてあったかいしいいバイク日和だ。オレはジャケットを手にとると、彼女と一緒に部屋を出た。
ジャスト60km/h。それがオレのタンデム・クルージング・スピードだ。
ひとりのときはもう少し出すこともあるが、それでもたいしたことはない。単車がアメリカン・タイプだし、肩肘張ってぶっ飛ばす必要はない。
ときたまえらく速いスクーターに抜かれることさえあるが、気にはならない。車の脇をすり抜けてまで前に出たりしなくても、ゆったりと走っているだけでじゅうぶんに楽しめる。それがアメリカンのいいところだ。
おかげでバイクを買うと言ったときにはひどく心配して怒っていた彼女も、だんだんとこのバイクが気に入ってきたようだ。とろっと流しているだけでも気持ちいい、そんな乗り方もあるとわかってくれた。まあオレ自身、アメリカンに乗ってみて初めて気づいたことだけど。
バイク屋につくと、店のオヤジが気づいて手を振ってきた。そういや久しく顔出してなかったなと思って挨拶しようとすると、向こうから店を出てきて近づいてきた。
「やあ、早かったね」
早い? なにが?
なんのことかと思ったが、どうやらオレの方を向いて話しているのではない。さっさとバイクを降りた彼女に向けての言葉だった。
「すぐ乗れます、よね?」
「ほら、そこにちゃんとあるよ。あとはちょっと書類を書いてもらえればね」
乗る? 乗るってなにに? 誰が!?
「おい、なんなんだ、これ!?」
オレは二人の前に鎮座ましますオレンジ色の物体を仰天して眺めた。こいつは……
「ふふん。いーでしょ。これが今日からあたしの愛車、ベスパちゃんよ」
「……って、買ったのか、これ!?」
「かわいいでしょ。あたしが書類書いてるあいだにゆっくり見ててよ。……いっとくけどあたしより先に触ったり乗ったりしたら殺すわよ」
ベスパ50S。レトロなデザインが特徴的な……というかずっと形を変えずに生産され続けていたんだから当たり前だが……イタリア製原付スクーター。
たしかヘルメットを選ぶために買った雑誌にも載っていて、例の限定ヘルメットより興味をひかれていたような覚えはあるが……まさか本当に買うとは。
「これ……新車か?」
「そう。いまは違う形のが売り始めてて、このかわいい形のが新車で買えるのはこれが最後。無理して探してきてもらったの」
……たしかこれ、中古で買ったオレのバイクより高かったよな。
「なんか言いたそうな顔してるけど?」
「いや……よくそんな金があったな」
「前のボーナスで買うつもりだったエルメスのケリーアドをやめてね、これにしたの。オレンジベスパちゃんの方が断然かわいいもんね」
はあ……なるほど、ブランド・バッグならぬブランド・スクーターってわけね。
「ちゃんと待っててよ! 一緒に走りに行くんだからね!」
「……はいはい」
ひらひらと手を振ってやると、彼女は店に駆け込んでいった。さっさと書類を書き終えてバイクに……ベスパに乗りたい一心に違いない。納車手続きももどかしいくらいだろう。気持ちは分かる。バイクに乗るってのはそういうもんだ。
ま、喜ぶべきことなんだろうな。彼女がここまでバイクのことを好きになってくれたのは。
それがたとえブランド志向やかわいいもの欲しさであっても……バイクに乗る動機なんてなんでもいい。どういう乗り方をして楽しんでもいい。オレもそれをいまのバイクに気づかされた。
スピードも何も重要なものなんてない、乗ってる本人が楽しければそれでいいんだ。
ただ、しかし、そうはいっても、だ。
このバイク、イタリア製だろ?
……オレのバイクより速いってことは――ないだろうな?