小説目次


『〜幻獣辞典〜』
こあとる著
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■『黄泉還り』の巻■



 

「……誰かー。電気つけてくれー」

 目が覚めると、真っ暗だった。
 さしずめ、また酔っぱらって眠ってしまったんだろう。硬い木の床の感触が背中にあって、頭はぼんやりしたまま、節々が痛い。
「……どこだっけな、ここは」
 奇妙なほどの静寂の中で、身体を起こして時計を捜す――。
 のっけから失敗した。
 起きあがろうとして持ち上げた頭が、異様に低い天井にぶつかった。ごっ、という鈍い音が響いて暗がりの中に星が飛ぶ。オリオン座だって作れそうなくらいだった。
「くおおおおおっ」
 悶絶して転がる――これも失敗。一回転もさせてもらえず、壁にゴスゴス身体がぶつかった。
 どうやらえらく狭い部屋らしい。幸いさっきの激突で頭だけは(まことに結構なことに)そこそこさえ渡ってくれたので、カプセルホテルにでも泊まったかと記憶をひっくり返してみたが、それもない。
 最後の記憶は?
 なんか頭に靄でもかかってるみたいで、思い出すのに時間がかかった。酒か。酒のせいか。
 …………。
 ああ、そうそう思い出した。

「撃たれたんだったなあ俺」

 そうそう撃たれた。オートマチックでドカドカ。
 ったくあの野郎心臓やら頭やらに遠慮なく撃ち込んでくれやがって――。

 …………。
 ……。


 何をうッ!?


〜『黄泉還り』の巻〜


「おっかしいなー。確かに死んだと思ったんだが」
 バッチリ思い出して、その事実から推測できた。
 俺は死んでる。完璧に、これ以上ないくらい。
 自分で言うのも何だが、殺された。
 すなわち、今の俺は死体。――という扱い。
 死体が世間一般でどう扱われるかっていうと、燃やすか埋められるか、まあそんな所だろう。
 俺の故郷は土葬。やったあ。ラッキーだな俺。万が一甦ってもアフターケア万全。
 つまるとこ。
 ここは棺桶。
「…………………」
 ポジティブシンキング終了。これ以上の続行は不可能。
 空元気すら出てこない。脳内麻薬はどーした。セロトニンでも出してるのか。
 天井――ようするに「蓋」だ――を試しに押してみた。
 動かない。当然のように動かない。
「なんだかなー」
 映画とかだとよく土の中から手がぼこっと。ありゃ嘘か。嘘です。あんなに浅く埋められてるわけがない。
 記憶を辿ると、世話になった叔父貴の葬式を思い出した。
「……死ぬほど深かった。あれは」
 絶望的だ。
 俺の葬式を誰が出してくれたか知らないが、あれより浅いってことはまずないだろう。きっとたっぷり五、六フィート、ガシガシ埋められたに違いなかった。
 ごそごそと腕だけ動かして、周囲を探ってみた。
 お、なにかある。
 枯れた花。
 たぶん酒瓶。
 タバコとジッポライター。
「……で、これでどうしろと言うのだ」
 あの世でなら花に囲まれ、酒と煙草でも楽しめたかもしれないが。
 残念、ここは棺桶の中でした。酒はこぼれるだろうし花はとっくにかさかさだし、煙草なんか吸ったら絶対燻される。
 俺は腕組みしながら、暗闇の中でううむと唸った。これからどうしたものかと考える。
 いっそ大声でも張り上げてみようか?
 駄目。墓場の中から恐ろしげな叫び声が、なんて俺でも近づきたくない。ここはたぶん俺の住んでた街外れの閑静な共同墓地なんだろうが、にわかに心霊スポットになっちまうこと間違いなしだ。掘り出された俺がその後どうなるか、なんて考えたくもない。
 同様の理由から、ささやかに蓋をノックしてみるとかも却下。『十三日の金曜日』が『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』になるくらいの差しかない。絶対。
「……まてよ。恐くない呼び方ならどうだろう」
 ひらめいた。我ながらいいアイデア。逆転の発想だ。
 たとえばアレだ。賛美歌とか童謡とか。カトゥーンアニメのテーマソングなんてどーだ。ウッディ・ウッドペッカーの高笑い付きで。いける。スラッシュメタルとかブリティッシュロックとか大声で歌う幽霊なんかもいないだろきっと。
 いや待てっ。いっそ笑える方向性で、猥歌なんかでもいーか?
「…………」
 いいわけありません。
 腐ってんじゃねえだろうな、俺脳。腐っててもいーからまずは落ち着け。
 結局誘惑に負けて、煙草を一服だけつけてみる。
 ぱっと一瞬だけ照らされた棺桶の中は、ただひたすらに狭い。ライターの火はすぐ小さな煙草の火にとって代わって、すぐ目の前にある棺桶の蓋をぼんやりと浮かび上がらせた。
 ――本当に狭いな。
 クフ王のピラミッドなんて贅沢は言わん。せめてトイレの個室くらいの広さはくれ。俺が閉所恐怖症だったらどうしてくれるか。
 煙はすぐに棺桶いっぱいに広がった。煙い。危なっかしくもみ消す。
 甦って最初の煙草の味は――。
「誰が入れたか知らんが、メンソールはやめろ」
 インポになるぞ?(※作者注:なりません)

           ☆           ☆

 何とも不思議なことだが、あまり息苦しくはなかった。
 呼吸はしている。しかしもう相当な時間が経っているのだから、狭い棺桶の中の酸素なんかとっくになくなっているはずなのだ。
 深呼吸。しめっぽく濁った空気はお世辞にもうまいとは言えない。でもそれほど苦しくはない。
 まったく感じないわけではないが、どちらかというと狭い棺桶の閉塞感が生んだ幻覚のような気もする。――それくらいのものでしかない。
 もうひとつ不思議なことというと、記憶が所々抜けている。
 俺は二十四歳だ。少なくとも殺される直前までは二十四歳だった。
 その二十四年間の人生の、比較的最近に位置する記憶が歯抜けているのだ。どんな知り合いがいたのかは覚えていてもそいつの顔を思い出せなかったり、四六時中会っていたのだろう、はっきりと顔は覚えている奴がいるのに、そいつの名前がどうしても浮かばなかったり。
「頭ぁ、撃たれたしなあ。やっぱ脳ミソか?」
 何度も記憶を繋いでみようとしたが、結局無理だとわかって諦めた。まあ不思議不思議と言っても、そもそも俺がここでこうしていること自体がヤケクソみたいに「不思議なこと」なのでいちいち気にすることでもないのかもしれないが。
 真っ暗な棺桶の中は、音もない。俺の呼吸音だけが響いている。
 静かな場所は、それほど嫌いではなかった――と思う。それが幸いしているのか、どれくらい時間が経っても俺の精神はいたって平常なままだ。
 いや。それはどうだろう。
 「平常」ではあっても「正常」ではないのかもしれん。普通ならたちまちパニックになって、暴れまくった挙げ句に酸欠あたりで今度こそ本当に死んでいるところだろう。
 なんでこんなに、俺は落ち着いているのだろうか。涸れてると言ってもいいくらいだ。レナード・ハーレイが「Now!」なんて絶叫しても脱出不可能な状況に陥ってるのに自分の身体を自己診断なんて、俺はそんなに人生を悟りきってる人間だったのか。そんなはずがない。
「むしろ、その逆だったろう? 逆」
 どっちかと言うと、俺は短気な部類だったはずだし。すっかり調子に乗ってひどい目にあったり、いざ、というときに気がはやってとんでもない馬鹿をやらかしたり、という記憶もかなりあった。特にローティーンの頃、仲間たちと釣りに行く前の日に寝付けなくて、叔父貴の酒を――。
「……何でこういう記憶から消えてくれんのか」
 あの時、――――がかばってくれなかったら、俺の鼻は叔父貴のパンチで一センチはヘコんでいたに違いない。もっとも―――はけらけら笑って「おめでとう。これであんたも念願の大人の仲間入り?」とか抜かしながら背中をばんばん……あのアマっ。今思い出しても腹が立つわっ。
「……それより何より腹が立つのは、あのふたりの名前も関係も思い出せないことなんだけどな」
 独語して、苦笑する。やけに鮮明に脳裏に浮かぶふたりの顔と、不鮮明なふたりに関する記憶とのギャップにため息が出た。
 もっともどんな関係だったかなんて、あっさりと想像できる。
 子供の頃からつい最近まで、ほとんどありとあらゆる記憶の中にそのふたりは出てくる。
 でもって圧倒的に愉快な記憶が多いとなると、なかなか良好な関係だったみたいだ。兄妹か幼なじみか、きっとそんなところだろう。
 まだこの街にいるのだろうか。
 ふたりのことを思い出すと、無性に会いたくなった。記憶が多少欠けていてもびくともしないほど、俺はそのふたりのことが好きなようだ。
「まあ……嫌い、とはとても言えねえよなあ」
 殺されたけどな。

           ☆           ☆

 どのくらい時間が進んだのかわからない。半日くらいは経ったか。
 何を考えるでもなく、ぼんやりと時間が経つにまかせていた俺の耳に、ざ、ざ、と規則的な音がかすかに響いてきた。
 自分の立てたものを除けば、久しぶりに聞く「音」だった。それでも音の正体は簡単に予想が付く。
 音源は真上。規則的にゆっくりと、しかし着実に音は大きくなっている。
「どこの物好きが」
 共同墓地の墓暴きなんか。俺はまだ一度も地上に漏れるような音は立てていないというのに。
 音が止まった。しばらくしてまた再開。
 そりゃそうだ、深く埋まってるんだから疲れもするだろう。
「ご苦労なこって」
 ご苦労ついでにこいつは不幸だ。何の目的で墓を掘ってるのか知らないが、掘り出した棺桶から俺が「よう。助かったぜ」とか何とか陽気な挨拶とともに立ち上がったらどんな顔をすることか。
 幸いぺたぺた触って調べてみたところ、俺の身体は別段腐っているわけでも白骨化しているわけでも――奇妙なことには違いない――なかったが。
 インパクトだけで失禁ものの怖さに違いない。ショック死なんかしてもらいたくもないなあ。
 そんな心配をしている間に、だいぶ音が近くなった。
 ほとんど休んでいない。なかなかガッツのある奴だ。ざくりざくりと土を掻いていく音が、蓋のすぐ上まで響いてきている。
 ――さて、感動と涙と絶叫の対面か。
 驚く準備はできたかー。
 腰を抜かす準備はどーだー。
 換えのパンツはあるかー。
 思いっっ切り深呼吸しといた方が、恐怖の悲鳴は出しやすいと思うぞー。
 とりあえずそいつが驚いてるうちに、俺はダッシュでとんずらと行こう。街に出る前に、裏路地あたりで酔っぱらってるおっさんを捕まえ服をかっぱいでその足で誰かのサイフをかっぱいでついでに車もかっぱげると素晴らしく有り難い。
 がつん、と蓋に何かが当たった。スコップかツルハシか。上の土を手で払っているような音も聞こえてきて、それからすぐに棺桶の蓋を打ち付けている釘を引っこ抜く音。
 やはり第一声はフランクに? いや、定番通りしわがれた怨嗟の呻きか?
 決めかねてるうちに、あっさり蓋が外された。
 こうなりゃアドリブで行く。俺は蓋を内側からはねのけ、跳びかからんばかりの勢いで我が救い主さまに――。

「――おっ。ナイス活きの良さっ」

 フィンガースナップ付きで、そう言われた。
 …………はい?
「いや、よくぞ生き返ってくれた。さぞかし退屈だったろうね?」
 …………よくぞって。
「とりあえず、私のねぐらにでも来てじっくり話そうか? よっしゃっ、そうと決まればフルパワーでこの穴を埋めるから――おおっと待て待てキミはいかん。まだ病み上がり? つーか黄泉上がり? ヒュー! ナイス用法! 英語ってスゴイな!! てなワケだからいくら感謝の気持ちで溢れんばかりでも私の手伝いはノーサンキュー! 必要なものがあったら用意するから古いお宿の未練は捨てて広い世界へ再び飛び出そうっ。
 こーのーおーおーぞらーにー、つーばーさーをーひろーげー」
 飛んでーいきたーいーよー、と陽気な歌声を上げながら、その男――救い主どのだ――は俺を後目に、もの凄い勢いで掘った穴をスコップで埋め始めた。
「……なあ」
「――ドンストップマイフレンド! あと五分で終わるから!!」
 ……いやその……。

           ☆           ☆

 古いが頑丈そうなアパートの一室にまで連れてくるなり、男は自己紹介を始めた。
「私のことは、『メザ』と呼んでくれたまえよ。
 先日この街に来たばかりでなにぶん不慣れなのだが、なんならピザでも頼もうか?」
「今……夜中の四時なんだが……」
 ニューヨークかトーキョーにでもいるつもりなのかこいつは。ここはイタリアの片田舎だ。
 もしかしたらここに来る前、都会にいたのかも……そんなことを思いかけて途中でやめた。俺は確かに生まれてからこの方、この街から出たことは数えるほどしかないが。
「で。……今俺たちが乗ってきたアレは何だ」
「馬車だ。見たことなかったかね? ううむ文明の進歩は著しいなあ。最近の若い者は」
「知っとるわっ」
 俺は思わず声を荒げてツッコんだ。この街から出たことのない奴だって、天蓋付き四頭立ての黒馬車(御者はコイツ)がトーキョーを走ってないということだけはわかる。わかり安過ぎる。
「だいたいアンタ、俺とそう歳も変わらないじゃねえか。二十そこそこだろう?」
 地味なアイボリーのインバネスコートと対照的な、褐色の肌にドレッド・ヘア。くるくるとよく動く黒目がちな瞳は妙な愛嬌がある。
 アジア系だろうか? とにかくヨーロッパの人間じゃないことだけは確かだ。
「おうッ、フッフッ、そんなに若く見える? エキゾチックに魅力的に?
 誉めたってこれ以上何にも出ないぞう。ハハハハ」
 エキゾチックと言うよりは、エキセントリックな感じが圧倒的。
 歯に衣着せないところで言うなら、インチキ臭い。
 何にも出さなくていいから、まともに質問させてくれ。
「アンタ、俺が生きてたことを知ってたな? 驚いてなかったしな」
 単刀直入に、とりあえず一番気になることを聞いてみる。
 すると男――メザは得たりとばかりに背筋をしゃんとさせ、
「ああもちろん。知っていて掘り返させてもらった」
 そんなことを言った。
 「何?」と聞き返す――む、聞いてない。目が恍惚に輝いていた。
 立て板に水のトークが始まる予感に慌てて止めようとしたが、遅かった。
「君を生き返らせたのは私であるワケだからして、」「待て待てちょっと待て」「その結果を見たかったことだし」「今なんかスゲエこと言わなかったかさらっと」「いやまったくスバラシイこんなに完璧な形で成功するなんて」「成功ってオイ」「葬儀屋に袖の下を渡して最新の死体を見つくろっただけの甲斐があったというものだが」「そりゃ俺のことか。ええっ俺のことかっ?」「何しろ死んだばかりの素体でないと私も術に成功する自身がなかったし」「術って何だ術って」「第一『シュレディンガー』方式は初めての試みだったし元素触媒も足りなかったし」「わけわからんし」「しかしまったくあの葬儀屋五十ポンドもふんだくるとは」「何っ。ダンの野郎――じゃねえとにかく」「ああそうとにかく成功して何よりだがどーして私はさっきからがっくんがっくん揺すられているのか不思議なんで説明」してやるからそこに座って口を閉じろカマ野郎。
 くわんくわんと目を廻してるメザと、ぜーぜー息を荒げている俺。
 シュールの度が過ぎて鬼気迫る。
「おー、おー、なんか廻るね世界が。ところで君、なんで海がカキでいっぱいにならないのか知らないか? いやあ常々疑問に思ってたのだがでも平気。だって空がこんなに青いから」夜だ。
「……カキの話は今度にするとしてな?」
 いい加減回復してきたところで、俺はすすすとメザに詰め寄った。妙に優しく肩なんて叩いたりして、
「さ、メザさんだっけ? とりあえずはことの顛末を残らず俺にも解るようにじっくり説明してくれないと、俺もつい錯乱しちゃってそこのバーボンの瓶で頭カチ割った後コンクリのデッキシューズをはかせてアドリア海に投げ込んじまうよーなコトしちゃうかもしれないですよ? 俺が事の分別を覚えてる間にキリキリゲロしやがれってんだこのスカ。
 ――ああ忘れてた、プリーズ」
 にこやかな笑顔で丁重に頼んでみました。
 メザもいつの間にかきりっと知的に顔を引き締め、「承知した」と応える。
「承知した。ので、もうすでに瓶をつかんでギリギリ握りしめているその右手の力は緩めてくれませんものでありましょうか、サー?
 その笑顔もなんか恐いし。やめてお願い」
 俺はにっこり微笑んで、瓶をテーブルに戻した。何事も誠意が肝心だと改めて思う。
「じゃあ、まずは俺がなんで生き返ったかだが」
 メザは何処から話したものか、とでも言いたそうにして、視線をわずかに泳がせた。それから俺に椅子に座ることをすすめて、自分も簡素な樫材の椅子に深々と腰を下ろす。
 「そうだな」、と前置きしてから、
「単純に結論だけ言えば、私が生き返らせた。
 君は君自身御存知のとおり、一度完全に死亡している。それを私が蘇生させたのだよ、うむ」
 過程をはしょりまくって、本当に結論だけ言いやがった。
 納得いくか。
「いや無理だろそりゃ。だって俺、全身撃たれて死んだんだぞ? しかもその後棺桶に」
「――そう。だから正確に言うと君は生きているわけではない。君を蘇生させた方法ももちろん現代医学などではなくて、君がうろんに感じながらもひょっとしたら、と思っているものでおそらく間違っていないよ。
 君はいわば……そう、『生きているかもしれないと誤解されている』状態だね。君は今も確実に死んでいるが、ある方法によってその事実を『隠匿』されているので死んでいるのか生きているのか判断できず、結果生きているように見える。……そういう手を見つけたんで、使ってみたんだ」
「いやだから。わけわかんねーつーの」俺はずるずると背もたれから崩れる。「第一隠匿って、誰から隠してるんだ」
 メザは躊躇なく即答した。
「『世界』から。もしくは『世界の法則』から。
 私はまず、君の肉体が死んでいるという『あるべき事実』を定義、意義、法則性及び因果律レベルで厳重に隠蔽した。例えるなら君の死体を誰も中を覗けない段ボールに押し込んで、そのあとこう、びしっと箱を指さし『実は生きてるかもしれないんですよこの中の人は? いーや断定できないだってホラ中を開いてみないとわかんないしちょっと今は大変だから開けないし。生きてるかもしんないし死んでるかもしれないワケだからすなわち死んでるって決めつけはよくないよくない絶対よくない。ひょっとしたらアナタの言うとおり死んでるかもしれないけど私は断定しないよだって開けてみないとわかんないものとにかく死んでないかもしれないんだから死んだという事実はひとまず保留。保留。保留ったら保留だよこの頭デッカチの朴念仁野郎』と大声でがなって『世界』を言いくるめた。
 『世界』はすっかり騙されて『そーかコイツは生きてるかもしれないんだ。あれ? だとすると身体が腐ってぼろぼろなのはおかしくないですか? しかも全身に穴空いてるし? ううむそんな状態はマズイですね。ねーねー開けて見せてよ。え、駄目? 何か騙されてる気がするけどいいや難しいことは後で考えるとしてとにかく今はしょーがないからこのヒトが死んだって事実は保留。これでいいんでしょ? えい』と君の『死の事実』だけを取り消した――」
 締めのセリフは「わかったかい?」だった。ラテン系の笑顔付き。
「わかるかああああああああああああああああッ!!?」
 間髪入れずに俺が絶叫したのは、人として当然の権利だと思う。
「オッケードンマイ、フレンド! じゃあとりあえずこうしとこう!
 『君は生き返った! わあい不思議だけどラッキーだったネ☆ マーベラス!!』
 これでどう? 半分くらいは間違っていないからよさげかも。私的には超おっけー」
「…………」
 ああもういい。どうせ生き返ったことに――正確には何だって? ええいどうでもいいわっ――理由をつけようとしても俺はそれほど頭がよくないのだから、つじつまの合う理屈なんて並べ立てられるはずもないのだ。それに神の奇跡がどうとか言うほどにも信心深くないし、むしろ真っ平御免なクチなことだし。
 それでも一分ほど後、俺はなんとか一言だけをひねり出すことができた。
「そんなんアリか」
「アリなんですよコレが」ラテン系。
 好きにして。

           ☆           ☆

 明け方近い街は、人気もなく静かだった。
 メザのアパートから出てきて、石畳の街路をあてもなく歩いている。気分転換なんていいものではないにしろ、考える時間が欲しかったのは確かだったからだ。
 これからどうするか?
 俺は生前とあまり変わるところがない、とメザは言った。
 ――君は今現在、生きてもいないし死んでもいない。同時に死んでもいるし生きてもいる。素晴らしくバランスが取れた状態で生と死のど真ん中を綱渡りしている。ゆえに今の君は矛盾の塊で、解りやすく言うと不死身のようなものなんだ。
 ――ただ、君がその状態を保っていられるのは私の『誤魔化し』が効いている間だけ。『世界』だって馬鹿じゃない、いつかはこの矛盾に気付いて強引に箱の中を覗き込み、「ほらやっぱり死んでるじゃないか」と君をあるべき状態に戻してしまう。
 ――期間かい? 実は私もこの方法を試したのは初めてだからよくわからない。数日くらいしか保たないかもしれないし、ことによったら一年かそこらは保つのかもしれないし――。
 何なら試算してみるよ、なんて言ってたが。
 とにもかくにも、メザは別に俺に何をしろ、と命じるでも恩に着せるでもなく、ただ好きにやりたまえ、と告げただけだった。メザのアパートにいるもよし、家に帰ってみるもよし。術後の状態を見たいので何日かに一度顔を出してくれさえすれば、何処で何をしたって構わないということらしい。
「術を試してみたかっただけなんで、後は君の好きにしたまえ。目指せ明日のヒーロー。自分の未来は自分で切り開き、自分の足で進んでいこう。我関与せず。
 あーるーこー、あーるーこー。わたっしはーげーんきー」
 アパートを出る前に、とりあえず諸々の理由から叩きのめしておいた。ここはイタリアだ馬鹿野郎。
「まあ、つまりはそれほど大した変化もないってことなんだろうしな――」
 考えを巡らせつつ、俺はただ歩く。夜の街に、こつこつと靴音だけが響いていく。
 俺の葬儀を出した連中の中に洒落のわかる奴がいたらしく、俺はスーツにスラックス、愛用していたブルーのマフラーまで身につけて棺桶に入れられていた。尻ポケットを探ってみると、ありがたいことにサイフまで入っている。
 グレーのスーツはあちこち染みができていて汚れていたが、誰も見ていないなら気にする必要もない。
 ポケットに入れっぱなしだったメンソールタバコを一服。
 ハッカ味の煙を吸い込むと、さっきより少しはまともな味がした。空気の問題だろうか。
 ――と、いつの間にか大通りに来ていた。
 見慣れた光景に目を細める。二十三年間あまり変化の無かった通りは、やっぱりあまり変わっているようには見えなかった。
 アントニーの酒屋。ヒューバーのパン屋。クック婆さんの仕立屋――まだ生きてやがった――。エンリケの食堂。リフの肉屋。クロードの三階建ての借家も健在だ。
 二階に住み込んで絵を描いていたロッコは、ちょっとはマトモなものが描けたのだろうか。三階のトッド夫妻は今日も一戦やらかしたのだろうか。そういえば同じ階のバークレーの妹は、自分の旦那に嫌気が差してここに押し掛けてきていたはずだ。元の鞘におさまっているといいんだが。
 ……驚いた。けっこう覚えているもんだ。
 どいつがどんな奴だったかも、どんなトラブルを抱えていたかも。この辺りの記憶は全部ある。もっともそれもこの街が大した変化がなく、進歩もロクにありゃしないからなんだろう。
 記憶の惑乱は、半年ほど前から激しくなっている。それに引きずられるようにして、数人の――とりわけあのふたりの――記憶が恐ろしく曖昧だ。
「今でも気になることなら、まあ確かにないでもないな」
 やりたいことを好きに、なんて言われても浮かんでは来ない。ただ混乱する記憶の在処と、相談を受けたままそれっきりにしちまった連中のことは、ちょっとばかり気にはなっている。
 だがメザの言葉を信じるならば、俺は埋められてからまだ十日ほどしか経っていないのだ。
 今出ていったら? 松明と十字架とニンニクとマノフィキューで狩り出されること請け合いだ。気の弱いルース神父は目を回してぶっ倒れるだろうが、剛胆で敬虔なクリスチャンの連中はそうはいくまい。クック婆さんあたりはショールをなびかせ飛びかかって来そうだった。
「悪夢だ」
 言い得て妙だとは自分でも思う。悪夢でもなんでもない、れっきとした事実だが。
 ――事実が真実であるとは限らないって理屈が、この世の中にはあるんだ。そして真実はときに真実じゃなくなる。「人の数だけ」、って訳さ。わかるか?
 叔父貴が生前、そんなことを言っていた。もちろん当時はちんぷんかんぷんだ……ヘンな言い回しや暗喩の好きなおっさんだったな実際。
 まあ、今ならおおよそは理解できる。
 結局のところこういうことだ。事実俺はこうしてここにいる。しかし街の連中にとっちゃ、俺は「もういない」のだ。
 そして、「絶対に戻っては来ない」。それがくつがえることはない。
 万が一、億が一くつがえったとしても、それはシャレや涙のご対面じゃ済まなくなる。そういうことなのだろう。
 さあどうする。俺は考えた。
 結論は、馬鹿みたいにあっさりと出た。タバコ一本分くらいだ。
「……メザんところにでも、戻るか」
 口に出して言ってみる。悪くない提案だった。石畳の上でタバコをもみ消して、戻ろうとする。
 ――と。
 目の前にいきなり車のヘッドライトの光が、

 「がしゃっ」だか「ぐしゃっ」だか。
 まあそんな音だった。

「――何てこった!? ああ神様!」
 遠くからそんな声が聞こえた。
 なんだ。ロドリゴじゃねえか。牛乳屋の一人息子だ。
 さてはまたコイツ、裏道を使いやがったな。前もそれでヒューバーの飼ってるネコを轢いちまって、ヒューバーにナイフ片手に追い回されたってのにまだ懲りねえか。
 まあこんな静まりかえった真夜中で、エンジン音を聞き取れなかった俺も俺だが。俺の身体は派手に吹っ飛ばされて、道路の反対側の植え込みまで飛んでいっちまった。
 考え事の最中だったのだから仕方がない。ロドリゴの駆け寄ってくる足音を聞きながら、体を動かそうと試みる。
 おや。あっさり動くじゃないか。
 そう言えば当てられた瞬間ちっとも痛くなかった。衝撃があっただけだ。
 ――今の君は矛盾の塊で、解りやすく言うと不死身のようなもの――。
 オーケー、ラテン男。身をもって体験した。
 俺ががさがさ植え込みから起きあがると、ちょうどロドリゴが恐る恐るこちらにたどり着いたところだった。
 目があった。
「ようロドリゴ」
 心がけたのはナチュラルさとフレンドシップだ。
「………………」
 硬直してる。よくない状況だった。導火線に火がついたダイナマイトを連想させる。三秒後くらいには悲鳴が炸裂すること請け合い。
 俺は咄嗟に機転を効かせ、がばっと真横を向いて大声で、
「――ああっ!? ロージーがこんな夜中にロッコの部屋からネグリジェ姿でッ!?」
「ナニいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!?」
 光の速さでクロードのアパートへと向き直ったロドリゴに、俺は無言で渾身の右ストレートを放つ。ドリュッ、と音がしたかどうかはともかく、ロドリゴは見事にそれを喰らって昏倒した。
 ――許せロドリゴ。つーかそろそろロージーとは別れとけ。
 そこはかとない哀愁とハードボイルドを漂わせつつ、心の中でそう告げる。
 周りを見渡してみても、今の騒ぎで起きてきた連中はいないようだった。
 図太いテメエらに乾杯。
 サイフから紙幣を何枚か取りだしてロドリゴのポケットにねじ込み、俺はメザのアパートへと戻ることにする。
 何となく愉快で、笑っちまった――。
「何か面白いコトでもあったかね?」
 「だあッ!?」と叫んで俺はつんのめった。いつの間にか横にメザがいて、考え込むような表情で俺を見つめていたからだ。
「てめ、いつから。あんなにボコにしといたのに」
「ああつい今し方復活した。根性で。気力で。ヘッなかなかいいパンチしてたぜマイフレンド。最後の右なんてもー最高」
 もう一発ねじこんだろか。
「――それで、これからどうするか決めたかい?」
 しれっと話を逸らすメザに、まあ今回は乗ってやることにする。
「いやな、もうこの街には俺はいても意味がねえ。ロドリゴのツラを見てそう思ったよ」
「ふむ。恐がられたか?」
「いや、そっちじゃなくてな。
 ロドリゴの野郎、ロージーの浮気をちらつかせただけでビビってた事まで忘れちまった。死んだ俺が此処にいるなんて事実より、ロージーの浮気の方が気にかかるってことだろ」
 死んだ人間が目の前に出てくりゃ、誰だってビビるだろう。それはそれでショックには違いないが。
「多かれ少なかれ、そんなもんだ。今生きている連中にとっちゃ俺が死んだことなんて一番の気がかりじゃない。もう終わっちまったことでやり直しは効かない――街の連中にとっちゃそれが真実だし、それでいい。大して重要なことじゃない。
 俺にしたってそうだ。ここに戻ってきてから気になりだしたことならある。だがそりゃ、殺される前にはさして気にならなかったことだろ。気にならなかったから解決しようともしなくて、そのままにしておいた。結果として『そういえば』なんて思ってみても、それは単なる感慨さ」
 一息に喋ったあと、つまり、と締めくくる。
「切羽詰まった思い残しも、しなければならねえ大事なこともない。ひょっとしたら忘れてるだけかもしれないが、少なくとも今はない……」
 「では」、とメザは言った。その目がじっと俺を見つめていた。
 へえ。あんたでもそんな真面目なツラをするのか。
「ではどうするかね? お望みならば、君に施した術を解いてもいい」
 そう告げた口調は、ローマ法王も真っ青の威厳溢れるそれだ。
 俺は――。
 わざと相好を崩して、「はあ?」と聞き返してやった。
「待て待て。なんでそんなことしなくちゃいかんのだ。もったいねえ」
 メザが「むむっ?」と顔をしかめた。威厳消失だ。初めて一矢報いたぞ。
「『生きる目的』がねえヤツは、みんな死ねってことか? そりゃねえだろ。
 そうだな……まずはこの街を出て、それからゆっくりと考えようや」
「ほう……?」メザは誤魔化されたみたいに首をひねって、「まあ……君がそう言うならな」と肩をすくめた。
 そう、はじめから目的があって生まれてくるヤツなんざ、そうはいない。
 この街で俺がしなければならないことは、たぶんもうない。したいこともない。
 この街は、もう俺に何も求めない。
 でも、俺はまだ此処にいる。
 なら、この街じゃない何処かに行けばいい。ひょっとしたら何か見つかるかも知れない。
 そう。そんなものだ。
 なあ? とふたりに問いかける。記憶の中の、名前も思い出せないふたり。
 ふたりが愉快そうに頷いた気がした。
「では、早速街を出るとしよう」
 メザの声に振り向くと、先刻の四頭立てが鎮座ましましていた。どっから出しやがった。
 いやそんなことよりも。
「……お前。アパートの荷物とか家賃とか」
「ハッハッ。今旅立とうとする者にそんな野暮な質問はしちゃいけないぜ、ベイビー」
 止めはウィンクだ。踏み倒しやがる気だなこの野郎。
 後で書き留めでも送っとくか、と嘆息して馬車に乗り込む。
「何処へ行くかね。君に任せるよ」
 メザは御者台に昇ると、俺に向かってそう言った。
 これじゃ夜逃げ同然だ。しかも連れは色々問題のある野郎ときた。
 ひとしきりげんなりすると、自暴自棄気味な笑いが浮かんだ。

 声に出して笑ってみると、妙にすっきりするもんだ――。

「――おう。んじゃあまずは」
「まずは?」


 了


 ――「甦る」と区別するために、敢えて「黄泉返る」と表記する。

 自然の摂理に反する、もしくは超自然的な摂理の元に再び現世で動き回るようになった死者たちの逸話は世界中に存在する。一般にそういった話は「まだ生きている」人間たちが誤って埋葬されたことに端を発しているものと思われるが、ごく希少なケースにおいてどう考えてもあり得ない――半年以上の期間を経て復活したイギリスの青年や、刎ねられた首を持って宮殿に参じたトルコの兵士の話などに見られるように――例もいくつか存在し、すべてを前述の説明で片づけてしまうのは難しい。

 逸話に登場する「戻ってきた」死者たちは、おおよその場合に置いて獣のように振る舞ったり、邪悪な性格になってしまっていたりと生前とは明らかに別人として扱われており、結果として住民や神父たちの手によって再び殺され、埋葬されてしまう。
 迷信深い当時の世相からすれば、既にこの世を旅立ち、神の御許に赴いたからには戻ってくることは許されない(※キリスト教において『輪廻転生』は否定されている)。いかなる理由があろうとも、彼らがいるという事実が「違法行為」と見なされるのは当然であろう。

 だがもし黄泉返った者たちが、伝えられる物語に反して生前のままだったとしたら?
 「彼ら」はその事実を、どう受け止めるのだろうか?

 「黄泉返った」死者に触れると、ひんやりと冷たいという。この理由について十六世紀のイタリアの神学者カエタヌスが魔女に尋ねたところ、彼女はただこう言った。
 「そのことは、そうあらねばならぬのですよ」と。

【幻獣辞典】より

FIN.


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