小説目次


『薬草師』 回の二
こあとる著
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 序、

 吾輩は、待っている。
 待つものはふたつあるが、もうじきだと同胞たちが教えてくれた。ふたつの両方が、もうじきにかなうのだ。
 ひとつは、人がこの場所を通るのを。
 もうひとつは、月が雲間に入るのを。
 街の中でも、とくに人通りの少ない道だ。普段より気味が悪い薄暗がりがわだかまるばかりのこの道は、月明かりすらも届かぬような闇夜となれば、野盗や追いはぎの逃げ道にすら使われることはあるまいと思わせるほどに暗く寂しく、音もない。
 だがわかっている。今日も人は来る。どんな者かも、会う前にわかった。
 男だ。今日は三人の男。
 正確には、ふたりの男を従えたひとりの屈強な男だ。その男は傲慢にも、暗い夜道を恐れていないようだった。
 理由は明白だ。男が強いからだ。
 そのことを男は知っている。己が力を知り、だからこそ野党や追いはぎなど恐れるべくもないと思っている。
 そうはいかない。吾輩は、そこらの追いはぎなどとは比べるべくもない。
 いいや、今夜は吾輩こそが「追いはぎ」なのだ。
 残酷にして容赦なく、地の果てまでも犠牲者を追い詰め、命よりも大切なものを剥ぎ取らずにはおかぬ、夜がもたらした簒奪者――それこそが今の、吾輩なのである。
 待つのは生来苦手だったが、今の吾輩はひと味違う。
 目的を遂げるためならば、夜のひとつやふたつ。たとえ月のひと巡りふた巡り、いいやその更に倍の倍さえも喜び勇み、待ってみせよう。
 そしてそんな吾輩の前に、とうとうその男はやってきた。吾輩は興奮に瞳をきらめかせ、さっとその男の前に自らを顕した。
「誰だ!?」
 男に先んじて夜道を歩いていたふたりの従者が、吾輩を認めて声を荒げる。
「貴様、野盗の類か!! それとも――」
 その狼狽ぶりをとくと見て、吾輩は喉の奥で嘲笑した。
 それとも――何だというのか? なぜ続く言葉を口にしない? 野盗の類と最初に言っておきながら、すぐさま突きかかってこないそのわけは?
 これも明白だ。奴らが吾輩を恐れているからだ。
 「野盗の類か」と聞いているのは、その実「野盗であってくれ」と願う心があるからだ。
 「『野盗じゃないもの』であってくれるな」――つまりは「『わけのわからないもの』であってくれるな」、そう思っているのだ。
 『わけのわからぬ』ものを、人は恐れる。その恐れがありありと荒げた声に、顔に出る。
 ――何という愉快!
「ひとつ、ものを尋ねる」
 吾輩は男たちの質問には応えず、逆に問いを発した。
「『騎士見習いのルカ』を殺したのは、汝らか。疾く答えい」
「ひっ――」
 従者たちの表情が、明らかな怯えに取って代わる。吾輩の言葉を聞いたがゆえか。
 だがいくら怯えようとも、吾輩は追及の手をゆるめはしない。
「汝らでなくば、誰か。誰が罪を犯したか。疾く答えい」
「お、同じ質問だ。噂と同じだ」
「た、タガン卿っ……」
「静まれ」
 主人たる男が、従者たちを一喝する。
 吾輩にはわかる。あの男は従者たちのように噂に惑わされることなく、すなわち吾輩を恐れていない。
 すくなくともその恐れを、表に出してはいない。そのことは称賛に値する。
 しかし。
「貴様が噂の、幻の剣士とやらか」
 しかし男の目を見た瞬間、真実が見えた。
「どこぞ遊歴の騎士くずれか、噂を流布し何を狙っておる? ……さしずめ領主殿に取り入ろうという魂胆か、それとも商人どもの食客にでもなろうとでもしておるのか」
 男は吾輩を、『わけのわからないもの』として見てはいない。噂に惑わされてはいないが、さりとて真実を見極めようとしているのでもない。
 自分の狭量なる常識に吾輩を押し込め、格下として蔑み、そしてあろうことか――。
「町民ふぜいを何人か惑わした程度で、いい気になるなよ。儂が成敗してくれる――騎士長タガンの誇りにかけて」
「……誇りだと!?」
 その言葉に、吾輩は激昂した。
「誇りだと。誇りだと? 汝のようなものの誇りにかけてだと?」
 このような蒙昧な俗物がその言葉を口にするとは、それだけで罪に値する!
 おお、とくと照覧せよ、我が友! 我が祈りが通じたか、はたまた汝の無念のゆえか、煌々と輝く月は雲にてその身をおおった――あたかも、我がひとときの蛮行にまぶたを閉じる公正なる判官のごとくに!
 吾輩は刃をひとふりかかげ、我が怒りを男に伝えた。
「――汝の誇りは汚れた誇り。今すぐ泥地にまみれるか、それとも己が血にまみれるか?」
 従者どもがへっぴり腰で槍を構えるのが見えた。下賎な野党にならいざしらず、吾輩にとっては枯れ枝以下の代物である。
 いかにする? 決まっている。
 どうやらこの男も、吾輩が捜す者ではないらしかった。だがしかし、男の分不相応な言質とふるまいは吾輩の腹に据えかねた。
 かばいだてする従者たちも同罪――吾輩はもとより、容赦するつもりはない。
 その誇りをおとしめ、二度と立ち上がれぬほどに踏みつけ懲らしてくれよう。我が友が受けた屈辱をそそぐ糧として、その身を深く裂いてくれよう。
「せめてもの手向け。今すぐ選べ」
 吾輩は頭上にかかげた剣を、眼前に引き下げて構えた。
「ちょこざいな――かかれ!!」
 男が抜剣し、従者たちに命じたのを見届けて。
 吾輩は、軽やかに宙を舞った。

「誇りを汚すものは、誇りを奪われ朽ち果てよ!」


 一、

 穏やかな、春の日でございました。
 空は晴れ渡り、芽を出し始めたばかりの草花はあるやなしやの微風に揺れ。
 しゃらりしゃらりと舞う葉の動きも、喜びにあふれるがごとくにございます。
 冬の季節を過ぎてから一巡りほど。数日ぶりのよい天気です。
 なのに街の空気は、ひどく沈んでおりました。
 その街は、それは大きなものでした。
 貴族の膝元にある城下町で、たくさんの民が住んでおります。普段なら今の時間、市場が開かれて大通りはにぎわいを見せるはず。
 それがひっそりと静まりかえり、衛士以外の誰ひとりとして外に出ようとしないのです。たまに見かける人たちですら、通りをうかがい、辺りを見回し、そそくさと足早に用を足すのでございます。
 ええ。もちろんそれには理由が。
 しかしこの街に来たばかりでその理由を知らない者にとっては、さぞかしそれは奇妙に、そして不気味に映ることでありましょう。
 その青年にとっても、それは例外ではございません。
「つまり、こういうことですか? 僕の話を誰も聞こうとしないのは、ええと、その……」
 青年はカウンター越しに、薬問屋の主人に聞き返しました。
「……『幻の剣士』」
「あ、はい……その」
 そう応じた主人の顔は、口に飛び込んできた羽虫を噛みつぶしてしまったよう。
 口にするのもはばかられる、といった様子で声を潜めると、
「そいつのお陰で街の連中はもちろん、衛士たちまですっかり怯えちまってる。今この街じゃ、よそ者はどこに行っても歓迎されないだろうね」
 わざわざ「よそ者」という言葉を強調して、青年にそう告げました。
「ええっ? そんなぁ……一番近い町か村までは、三日はかかるのに……」
 かたや青年はといえば、情けなさそうにもごもごと呟くばかり。
 確かに青年は、「よそ者」でございます。
 頭にはつば無しの帽子、いくつものポケットがついたゆったりとしたコート、肩からさげた大きな布製の鞄。これで腰に剣でもさげていようものなら、傭兵かなにかと間違われても不思議ではないのでございますが――。
 青年の仕事は、むしろその逆でございました。
 旅の、薬草売り。
 様々な薬となる野草を採集し、必要なものは加工して、街から街へ、村から村へと売り歩く職業。
 医術がそれほど発達しておらず、医師の絶対数も不足しているこの時代、青年のような人間はまだまだ大勢いたのでございます。このような大きな城下町ですら、市井の民は滅多に医者にかかることはできないものだったのですから無理もありません。
 青年は旅の途中。いくばくかの路銀を手に入れるため、この街に薬草を売りに来たのです。
 そのはずが、この有様でございます。
 街はひっそりと静まりかえり、開かれているはずの市もなく、挙げ句衛士たちには不審な目つきで睨まれる始末――商売どころではなくなって、古なじみの薬問屋に逃げ込んだようなものでした。
「同情はするけど、どうしようもないな。昨日は近衛のタガン卿までやられた――去年の典礼試合で優勝した、近衛たちの中でも一番の強者だったお方だが」
 主人はひとつ、大きく嘆息します。どこか諦めたような、そんな大きなため息でありました。
「ふたりの従者ともども深い傷を体中に負わされて、卿本人は両腕の腱を切られた。今でもうわごとを呟きながら、大きな体をがたがた震えさせるばかりだとか」
「……」
 青年はそんな主人から視線をそらし、恐ろしそうに身をすくめていたのですが――。
「まあ、もっともそこがちと不思議なところでね。これでやられた人間は十二人になるけど、全員すぐにも死んでしまいそうな傷を負わされて、その実誰ひとりとして死んでいない」
 その言葉に、ひくりと顔を上げたのでございます。
 一瞬、主人は訝りました。
 青年の表情から、恐ろしげな様子がきれいになくなっていたからです。
「『不思議』……、ですか?」
 そう聞いた青年が先程とは別人のように思えて――実際には変化はわずかなものだったのですが――、主人は戸惑いながらも応じます。
「ああ。みな深く切られてるよう見えるのに、実際には骨や臓腑に達してる傷はひとつもないそうだ。ただタガン卿だけが、両手をほとんど使えないくらいにまで痛めつけられた。
 なぜ卿だけがそんな目に遭わされたのか、皆が不思議がっている。……もっとも当のタガン卿をはじめとして、やられた連中はみな怯えて話もろくにできなくなっているらしいが」
 ――なぜ、それほど怯えるんだろうな?
 主人の口調は、暗にそう言っておりました。
 はっきりと口にしなかったのは、やはり主人も恐ろしかったからなのでありましょう。
 くだんの『剣士』が、恐ろしいのではございません。
 いや、確かに恐ろしくはございます。斬られ傷つくのは誰でも恐ろしいでしょう。
 ですがそれならば、野盗や喧嘩好きな暴れん坊と同じでございます。明らかにそれらとは異なる恐ろしさが、主人に、街の人々の心に、住み着いているのです。
 「なぜ」。
 「よくわからない」こと。「不思議」なこと。それが恐ろしいのでございます。
 では、と主人は考えました。
 ではこの青年は、何故不意に怯えなくなったのだろう? と。
 ――これでは、まるで。
「少なくとも、夜には出歩かないことだ。そいつは神出鬼没なうえ、誰だろうと容赦しないらしい。その時死にはしなくとも、負った傷から破傷風にかかった者もいる……」
 ――まるで……傷つくことの方が恐ろしいとでも言うようだ。「傷つかないで済む方法」を、知っているかのようだ。
 主人はにわかに薄気味が悪くなり、言いました。
「いくらあんたでも、『刃から身を守る薬』はもってないだろう?」
 「そうであってほしい」と、言わんばかりの口調で。


 二、

 暮れかけた陽を背中に受けながら、僕は歩いている。
 街路はいよいよ寂しくなって、もう人の姿もない。衛士から隠れるようにこそこそと歩き回ったお陰で、ひどくくたびれた気がした。
 結局、宿は見つからなかった。裏路地の木賃宿ですら、すべて看板を下ろしていた。
「みんな恐いのかな……聞くぶんには、深夜以外には出ないっていう話なのに」
 だけどやっぱり、誰だって切り裂かれたくはないだろう。
 どうしても外せない用事で外出しなければならなかった七人と、夜番の衛士ふたり。そして退治に向かった騎士様一行を併せて十二人――それが全員、ことごとくやられたとあっちゃなおさらだ。
「そりゃあ僕だって、嫌だけど」
 今日くらいは、暖かい場所で眠りたかったのに。僕だって旅をしている以上は野宿が嫌なわけじゃないけど、まだ夜は冷え込むからつらいのに。
 正直なところ、失敗した……と思う。
 薬問屋のご主人の前で、つい『幻の剣士』について聞き入ってしまった。
 ひょっとすれば、あそこに泊めてもらえたかもしれなかった。もうすこし慎重にやっておけばよかったとも思ったけれど、今さらどうなるものでもない。
「どこか、泊めてくれないかな……」
 泊めてくれるなら、残りの銅貨をぜんぶあげたっていいけれど。
 僕はいま、街外れに向かって歩いている。このまま行けば貧民窟のほうに出るはずだった。
 街に住むことができなくて、街の廻りに集まって暮らしている人たちの集落、みたいなものだ。もっぱら物乞いと娼婦さん、あとは罪人の集まりだから、夜は行きたくはなかった。
 明日の昼にでも行こうと思っていたけど、街に泊まれないとなるとあっちを訪ねてみるしかない。夜露くらいはしのげるかもしれないし、不思議と――そこにだけは『剣士』は出ないらしかった。
 『幻の剣士』のことも、聞きたかった。あそこなら街からの噂も広がっているはずで、何より街より話を聞きやすいと思う。
 そう。僕は『幻の剣士』のことが気にかかっている。
 ご主人が話してくれた噂を聞いたかぎりでは、ただの辻斬りや凶状持ちではないような気がした。だれひとり逃さず、区別なく、でも死に至る傷は与えず……などという辻斬りは、僕だって聞いたことがなかった。
 それに、必ずその剣士が尋ねる問い。
 ――『騎士見習いのルカ』を殺したのは誰か?
 その問いそのものが、おかしいんだそうだ。
 この街ができてから今の領主様になるまで、実に二百年ちかく。当然その間にはたくさんの騎士が生まれて、叙勲を受けている。
 ところが記録に残っている限りでは、騎士目録に『ルカ』という人物はいない。もちろん今でもそんな名前の騎士や見習いはいない。
 騎士目録は騎士を輩出した家が必ずつけているもので、その騎士が何人のどんな従者――つまり騎士見習いのことだけど――を従えていたかも克明に記されているはずだった。平民出は兵士長なんかになることはあっても騎士になることは絶対あり得ないから、「騎士見習い」という以上はやんごとないお家の生まれということになるはず。
 でも、そんな人物はいなかった。今も昔も。
 いもしない人物の仇を求めて現れる、不思議な剣技を操る剣士。その正体について街の人たちも、色々噂しているみたいだ。
 『陰謀で殺された騎士の亡霊である』。
 『噂になるために幽霊のふりをしている修行者である。ほとぼりが醒めた頃に自分が退治したと言って現れ、仕官を狙っているのだろう』。
 『過去に騎士位を剥奪された者の子供が復讐している』。
 でも僕は、どれも違うと感じている。どの噂も、『剣士』がこの街でやっていることを説明しきるには不十分だから。
 まず本当に幽霊だというのなら、人を直接傷つけるなんて出来るのだろうか?
 体中を刀でめった切りにできる幽霊なんているのだろうか。おとぎ話や子供たちの怪談にだってそんな幽霊は出てこない。おおよそはひっそり現れて、恨み言をいうのがせいぜいだ。
 なら人間かというと、それこそ絶対に無理なことがひとつある。
 『剣士』が神出鬼没だということ。深夜に出かけた人間は、今まで例外なく『剣士』に襲われている。
 この広大な街をくまなく見張れるだけの人数がいなければそんなことは不可能なはずで、逆にそれが出来るくらいの人数を集めるなんてことこそ不可能に思えてしまう。大きな城下町であるここすべてを見張り続けるためには、何十人という程度じゃとてもきかない。
 ひとつだけ、それらをすべて説明できるものがある。
 そう。ひとつだけ。人にも幽霊にも不可能なことを出来る存在が、ひとつだけある。
「もし、そうだったら……」
 僕は、何とかしなければいけない――そう考えている。これだけ大きな街でも、たぶん僕しか何とか出来る人はいないと思うから……。
 そんなことを考えている間に、僕は街を抜けようとしていた。
 大きな丘陵の上にある街から続いているなだらかなスロープの先に、貧民窟の火が見えてくる。鎧戸を閉め切って灯りの漏れない街と比べると、まるでこっちが本物の街のように見えた――もっともあそこで揺らめいているのは灯りじゃなくて、まだ寒い春の夜に凍えないための焚きつけの火なのだけれど。
 ふと、その火が遮られた。
 道の影にいくつかの人影を見たような気がして、僕は立ち止まる。まだ、街を抜けていない――そのことに気付いた。
 十ヤードほど先の茂みが音をたてて、そこに注意深く目を向けた時、
「ひとつ、ものを尋ねる」
 声は、すぐ後ろからした!
「――っ!」
 喉の奥で悲鳴を上げて、あわてて振り返る。
 最初に見えたのは、瞳だった。
 昇りはじめた月の光を受けて、ぎらぎらと光る目。
 つばの長い帽子と立てたコートの襟、その隙間から覗く金緑色の双眸。刺繍の入ったコートとズボンはいかにも高級そうな紺のサテン地で、おとぎ話からそのまま出てきた剣士のようだったけれど。
 僕は確信した。――間違いなく、人じゃない。
「『騎士見習いのルカ』を殺したのは、汝か。疾く答えい」
 その問いは、ご主人に聞いた言葉とまったく同じだった。
「汝でなくば誰か。誰が罪を犯したか。疾く答えい」
「わ、わわっ……」
 ――でもまさか、本当に出るなんて!
 僕は足をもつれさせながら、咄嗟に数歩さがった。
 深夜に出るという噂が本当なら、まだ数時間は安心だと思っていたのに――。
「ま、『幻の剣士』……ですか? 本当に?」
「何を愚かな」間の抜けた質問だと言わんばかりの口調。「それは汝らが勝手に呼び慣わしたもの。吾輩をたとえるには足らぬ」
 声はいくぶんか高くて、少年を思わせる。
「吾輩は剣士。誇りを尊ぶ高潔なる剣士。しかし今は復讐者。復讐者にして簒奪者である」
 よどみないその言葉が、宣言通り誇りに満ちているように聞こえて、僕はさがりかけていた足を無理矢理に止めた。
「じ、じゃあっ……」
 ――ひょっとしたら、話し合える相手かも……。
「じゃあ貴方はっ……、何で街の人を襲うんですかっ? り、理由を聞かせてください」
「ほう?」
 『剣士』は感心したような、面白がっているような口調に変わって、僕をしげしげと見つめた。金緑色の瞳がくるくると、僕を値踏みしているかのように踊っている。
「そのようなことを聞いてきたのは、汝がはじめてだ。……さては汝、街のものではないな?」
「僕は……っ、……旅の、薬売りです……」
 震える声を抑えて言うと、『剣士』は「道理でな」とうなずいた。
「街の臆病者めらが、ここしばらくは夜になると門扉を閉ざし、吾輩を恐れて出歩こうとせぬ。真実を暴かれるのがよほど恐ろしいと見えるわ。
 吾輩が何故、このようなことをしているかと聞いたな」
 うなずく僕に、『剣士』はすっと右腕を地面と水平に伸ばした。
 伸ばした動きとまったく同じ早さとなめらかさで、その手から先に――しらり、と刃が顕れる。
 細く反った、片刃の剣に見えた。ただ柄の部分はなく、まるで『剣士』の揃えた指の先から直接伸びているようで、さらに珍しいことに、それは弓形に反った腹に当たる部分に刃がついていた。
 逆刃の、白い刀身が輝く。
「吾輩の望みは、復讐。誇りなく散った盟友の恨みを晴らすべく、仇を捜している。
 その憎き名を知る者には、いまだ巡り会えぬが……街の愚かものども、あばら屋の隅で震えておれば、吾輩の刃から逃れられるとでも思っているのか」
 僕はぞっとして、その言葉の意味を悟る。
 そうだ。皆は「深夜に外に出なければ安全」だと思っているんだ。
 でも『剣士』は、まだ更けきらない夜にこうして現れた。そして今の言葉。
 もし彼の目的がこのままずっと果たされなければ、もっと街の人を襲いはじめるかもしれない! 建物の中にいようが外に出ていようが関係なく、無差別に――次々に!
「……まっ、待ってくださいっ!」
 僕は勇気を振り絞って、『剣士』に向かって声を張り上げた。
 絶対に、それだけは止めなくちゃ……。
「ならん。この街の人間すべてを切り刻んででも、我が盟友の無念は晴らしてみせる。
 盟友を小賢しくも謀殺した輩はもちろん、それを知っていながら見逃した恥知らずも、いいや、知らずに安穏と過ごした街のネズミどもすら今は憎くてたまらぬぞ。吾輩の恐ろしさを肌身で感じ、どいつもこいつも夜ごと恐怖に震えるがいいわ」
 言葉を重ねるうちに、『剣士』の瞳にみるみる憎悪の光が宿っていくのがわかった。
「――誇りを尊ぶって、さっき言ったでしょう!?」僕はぎゅっと両目をつぶって、恐怖を押し殺す。「貴方の友達を殺した人を捜すなら、他にだって方法はあるはずです! 誰も彼も傷つけるなんてやり方、誇りある人のすることじゃない!」
 一瞬、『剣士』はひるんだように見えた。目の奥の憎悪がふっと遠ざかる。
 彼が「誇り」という言葉に執着していると思った僕は、とっさにそこを突いた。それは思った以上に効果があったけれど。
「……だ、黙れ黙れ、黙れ! 貴様に我が友の無念がわかるものか!」
 わずかな時間でも躊躇した自分を恥じるみたいに、『剣士』は激昂した。びゅっと振られた刃が僕の胸をかすめて、服の留め具だけをきれいにはじき飛ばす。
「あ……!」
 後ろに下がろうとした僕は体勢を崩して、道端の茂みに背中から飛び込むように転んでしまった。全身にちくりと痛みが走る。
 これじゃ逃げられない。何かないかとポケットを探っても、何も指先には当たらない。
 両手で顔をかばう。奥歯を噛みしめる。身を固くする――。
 どれだけ時間が経ったのか判らなかった。ひょっとするとほんの少しだったかもしれない。
「…………っ、く…………っ」
 何かを堪えているような、噛み合わせた歯の隙間からもらすような、そんな呻きが聞こえた。
 恐る恐る、目を開ける。
「くぬ、ぬうっ……こ、小癪な……っ」
 振り上げた刃をそのままに、『剣士』の動きが止まっていた。
 全身を小刻みに震わせながらこちらににじり寄ろうとして、何故か果たせずにいる。爛々と燃える金の瞳から、まだ怒りが解けたわけではないと判るのに。
「おのれ……おのれ……」
 まるで、金縛りにあっているかのよう。
 でもどうして? 僕は何もしていないし、他に何かがあるとでもいうのだろうか。
 僕はゆっくり身体の力を抜いて、茂みから身を起こそうとして。
 ちくり。
 首筋や手の甲に、いくつもの鋭い痛み。
 転んで、ここに倒れ込んだときにも、確か……。
 ――ひょっとしたら……。
 僕は背にした低木の茂みに手を回し、その枝を掴んだ。鋭い痛みが手の平に伝わるのを我慢して、思い切り上下に揺さぶる。
 ざやざやという、固い葉のこすれ合う音がした途端。
「――――――!!」
 形容も出来ない叫びを上げて、『剣士』は僕から跳びすさった。着地するが早いか踵を返し、ものすごい速さで夜の闇に消えていく。
 てらてらと光るサテン地が暗闇にとけ込む瞬間、僕の耳に届いてきた言葉があった。
「勝負は預けた! 貴様の顔と声、匂い――忘れぬぞ!!」
 僕はしばらくの間、馬鹿みたいに呆けて枝をつかんだままじっとしていた。ひょっとしたら息まで止まっていたかもしれない。
 ――逃げて……くれた……?
 そう思ったとき、どっと全身の力が抜けた。
 大きく息を吸って、吐く。冷たい夜気がひどく湿っていて、咳き込みそうになる。
「助かったんだ……」
 でもこれではっきりした。『幻の剣士』は人間でも幽霊でもない。もっとも、僕の予想していたものとも違っていたけれど。
 もちろんまだ疑問は残っている。正体はおぼろげながらわかったけれど、どちらかと言えば謎が深まった部分すらあるくらいだ。
 しばらく夜空を見上げながら息を整えたあと、僕はやおら上体を起こしてきょろきょろと辺りを見回した。
 声も出してみる。
「……『剣士』さんは行っちゃったから、もう平気だよ。出ておいで?」
 なるべく優しい声を出した……つもり。
 『剣士』と対する前に、僕が見た小柄な人影があった。でも僕が『剣士』と話し合っている間その人影は出てくることも、逃げ出したような気配もなかった。
 僕は夜目にはちょっと自信があった。僕の見間違いじゃなければ、あの人影は子供だ――普通の、人間の。
 ややあって、離れた場所にある茂みがかさりと音を立てた。ひょこりと出された顔はすこし煤けていて、けれども十代半ばくらいの年相応の、おっかなびっくりの好奇心に満ちてこちらに向けられていた。
「……すげえ、ベル見ろよ。『幻の剣士』を追っ払っちまったぞ!」
「しっ、アンディ! まだどこかに隠れてたらどうするの!?」
 茂みから出てこようとする男の子と、その裾をぐいぐいと引っ張る女の子。
「もういない。保証するよ。……だから、ちょっと手を貸してほしいな」
 不意に消え去った緊張感に気を失いそうになりながらも、僕はくすりと笑って提案した。


 三、

 アンディとベル。
 ふたりの子供たちは、貧民窟の生まれだった。
「しかしホントすげえよ、旦那。オレはよく見えなかったけど、どうやって追い払ったんだい? 旦那ひょっとして魔法使いか? そのおべべの下に魔法の粉かなにか――うへっ、薬臭えなあ」
「わっ、あ、アンディくん、懐に手を突っ込まないで……」
「やめなさいよアンディ。旦那様、困ってるじゃない」
 僕と『剣士』のやりとりを茂みの中からずっと見ていたらしく、男の子――アンディはさっきからずっとこの調子で僕に疑問をぶつけ、鞄やらポケットやらをあちこち触り、挙げ句の果てには僕を魔法使いと決めてかかる有様だった。ベルと名乗った女の子はまだいくぶんかは大人しかったけれど、それでも僕に向けられた瞳には媚びと興味がきっかり半分ずつ、たっぷりと詰まっているように見えて落ち着かない。
「でも、見つかったのが旦那様でよかった。衛士に見つかりでもしたら、鞭で打たれてしまいますもの」
 ふたりも『剣士』の噂を聞き、恐いもの見たさで街道に出てきたとのことだった──本当は、それだけではないのだろうけれど。
 それはふたりが、貧民窟の子供だから。あそこで生まれた子供たちは、例外なく街に憧れている。
 たとえば街の明かりのはなやかさとか、大きな暖炉の暖かさとか。
 スープ鍋の中に浮いた鳥肉の大きさとか、食欲をそそる香りとか。
 陶器の皿の白さとか、ライ麦パンの香ばしさとか。
 染みもほつれもない、シラミや南京虫もいないシーツのやわらかさとか。
 だけど、この子たちにそれを「夢見る」以上のことは許されていない。国法と為政者たちが、あるいは経済と貨幣が許さない。
 はじめに法や貨幣の束縛から背を向けてしまった、あるいは向けざるをえなかった人たちも、その子供たちにさえも、差別は等しく隔てない。この時代、この世界に圧倒的な強さを誇るものは、まだ「生まれ」や「血」なんだから。
 旅をしていて、社会とあまり接点をもたない僕でさえそれを知っているくらいだ。たぶん僕なんかよりも、もっとこのふたりはそれを知っているはずだ。
 こけた頬と、粗末な服から覗く細い細い手足。
 目を、背けたくなる。
「……ねえ……ふたりとも?」僕はそんなことを考えてしまった気まずさを少しでも軽くしようと、ふたりに尋ねてみることにした。「君たちは『剣士』について、どんなことを知ってるの?」
 まず答えてくれたのは、アンディ。
「街の衛士たちさえブルってるっていう、凄腕らしいじゃんか。月の出ている晩にかならず出て、誰も逃げられねえって聞いてたぜ」
 身振りをまじえてそう言った後に、「つまり、旦那がはじめてってワケさ」と僕に向かって片目をつぶって見せた。その様子がすこし滑稽で、苦笑を返す。
「あと、仇を捜しているって聞きました……。ええと、『騎士見習いの』……」
 ベルはちょっと慎重そうに考え込んでから、答えてくれた。でもそこで、
「『ルカ』、だろ? ――へへっ、おっかしいの」
 アンディがそんな茶々を入れた。ふと、それが引っかかった。
 「おかしい」? アンディは「おかしい」って言った。
 何が?
「あ、いえ、何でもないんです旦那様……」アンディに尋ね返そうとしたとき、ベルが手を振って割り込んできた。「……あとはわたしたちも知らなかったんです。そしたら今日アンディが、『本物を見に行こう』って言い出して……」
 自分の話を混ぜ返されたと思ったのか、アンディをじろりと睨む。
「さっきはほとんど見れなかったんだよ――ああ、もっと近くに行くんだったなあ。
 ベルのせいだぞ。この臆病モン」
「何言ってるのよ。アンディなんてあっという間に見つけられて、皮を剥がれちゃうんだから!」
 「うへっ、おっかねえ」とアンディが舌を出した。それきり話がそれて、僕が感じた疑問は聞けないままになってしまった。
 ――まあこの子たちが『剣士』について、街の噂以上のことを知っているなんて思っちゃいないけど……。
 もう間違いなく、あの『剣士』は僕がどうにかしなくてはならない。でもさっきのことから考えても、正体も完全にわからないうちにまともに戦うのは絶対に無理だってわかる。
 おおよそ見当がついているといっても、もし違っていたらどうしようもない。あの逆刃の剣の技は、剣術を知らない僕では対処できない。
 せめて『剣士』が捜している「仇」が誰だかわかれば。
「……旦那様、もうすぐですよ」
 そんな物思いにふけっていた僕の服の袖を、ベルがくいっと引っ張った。あわてて顔を上げると、道案内よろしく大股で歩くアンディの背中越しに貧民窟が開けていた。
「寝床なら、そこらへんにオレが話つけてやるよ。旦那はちょっとばかりぼーっとしてるから、オレにまかせときなって」
「うん、ありがとう……」
 その言葉は本当にありがたい。僕ひとりでは、ここで寝る場所を探すなんて不可能だ。
 貧民窟。どこに行っても、その眺めは変わらない。
 小屋とテント、そして棒きれと布を組み合わせただけの粗末な「屋根」――ここあるのはそんなものだけにもかかわらず、人の数は驚くほど多い。
 「家」を持たない人がびっしりと、路傍で起こした火に群れているのがあちこちで見られる。そんな人たちの目はどんよりと曇っていて、ときおり誰かのしわぶきとため息が聞こえるだけ。
 よそ者の僕に集まってくるのは、羨望と嫉妬、憎悪と悪意。自分に何かをもたらしてくれるのではという期待、媚び。
 屋外なのに、澱みきった空気。痩せた子供たち、もっと痩せた大人たち。
 鼻が詰まるような匂い。生活臭と腐臭、道端に散乱する糞尿の匂い。それと――。
「……?」
 かすかに残る匂いに、僕は顔をしかめた。不必要なくらいの小声で、隣を歩いているベルに話しかける。
「……最近ここで、流患が出たの?」
「ええ、旦那様。たいしたものではなかったですけれど」
 ベルの声には、何の変化もなかった。
 流行病は、とくに貧民窟で発生しやすい。ネズミや虫たちが運ぶ場合もあるし、新たに加わったよそ者が運んでくる場合だってある。
 肺炎、黄熱、風疹、麻疹、赤痢、百日咳、狂水、結核、水痘、黒死。種類はいろいろあるけど、どんな薬でも直せないってことだけは共通していた。
 誰かがかかれば、まわりにもそれは伝染する。ひどいときは、大きな街がひとつ全滅する。
 それを防ぐ方法は、街でもここでもただひとつ。
 焼かれた死体の匂いは、すえたような匂いの中でも嗅ぎ取ることができた。
「今年はそんなに死にませんでした。わたしたちみたいな子供と歳を取ったものくらいかしら?」
 ――それは「たいしたものではない」とは言えないよ、ベル。
 出かかった言葉を呑み込む。慰めようと伸ばしかけた手を引っ込める。
 僕のしようとしているのは、安易な同情だ。世ずれした旅の薬売りの、とても安易な。
 ベルもアンディも、悲しげな様子がない。
 それは強がっているのではなく、おそらく本当に悲しくないんだろう。そんな別れに慣れてしまううちに、悲しくなくなってしまったんだろう。
 ただ、寂しいだけで。
 仲間が何人かいなくなりましたけど、と続けたその一瞬だけ、ベルの眉根がわずかに寄る。思い出すように指をおって、仲がよかったのだろう子供たちの名前らしい単語を次々に挙げていく。
「リンダに、ライラに、エファ、コーギー、フォスに……」
「……マッジに、ロペ、カール、ウォルフ。……ハロードも死んだんだっけ?」
 後を引き継いで名前を挙げ始めたアンディにベルはうなずき、
「一昨日ね。あとノッツォ。それから……ルカ」
 たくさんの名前が挙げられるのを、憂鬱に聞いていた僕は。
「…………え!?」
 最後にそう呟かれた名前にぎょっとした。
「あの、ベル、『ルカ』って……」
「え? ――ああもう、違いますよ旦那様。わたしの言ったルカはここの子供で、半巡りほど前に流行病で――」
「へへへ、おっもしれえよな。『剣士』が言ってるヤツの名前と同じなんだから」
 さっきアンディが笑ったのは、このことだったらしい。今も人違いだと説明してくれるベルを遮って、アンディはけらけらと笑っていた。
 確かに人違いだ。『剣士』が盟友だと言ったのは『騎士見習いのルカ』で、ここで今言われたのは貧民窟のルカって子供で。
 人違いだと思う――誰だって。
 だって。でも。
「……アンディ、ベル」
 僕はまじめな顔で、ふたりに話しかける。
「その子のこと、聞かせてくれる?」


 四、

 吾輩は、待っている。
 待つものはたったひとつ。しかし月が中天に昇っても、それはいっかな吾輩の耳に届かない。
 ひとりの男が見つかったという、同胞からの報告だ。
 吾輩の刃を逃れたばかりか、小癪にも吾輩を一敗地にまみれさせたあの男。
 あの『まじない使い』。
 油断だった。「薬売り」などと吾輩をたばかり、草木のまじないを使ってきた。
 ただの「薬売り」が、どうして草木のまじないを知っているはずがあるか! 人間には秘中の秘、我らと妖精どもだけが知り、妖精どもだけが使うことを許されているはずの、草木の理を!
 あの男は『まじない使い』だというのは、もう疑う余地もない。妖精どもからどうやってかまじないの理を聞き出し、己のものとした特殊な人間に違いなかった。
 吾輩はまんまとあの男に騙され、まじないの与えた恐怖に震え――無様にも逃げ出したのだ!
 あの晩のことを思い出すだけで、吾輩の魂は屈辱に張り裂けんばかりになる。我が誇りは踏みにじられ、友の屈辱も晴らせずじまい。どころかその汚名をすすぐ機会すら未だ見つからぬとは!
 しかし、吾輩は思う。
 あの『まじない使い』、必ず何かを知っている。ただの偶然であの男がこの街に来たとは、どうしても考えにくい。
 吾輩の噂を聞きつけ戦いに来たか、それとも我が友の仇に呼ばれてきたか。いいやひょっとすると、あの男こそ吾輩が探し求めた仇ということも充分にあり得る。
 ただ怯えるだけの街の者どもを苛うより、あの男を捜し出し、もう一度戦う。そして今度こそ勝利し、何もかもを聞き出すのだ。
 吾輩は同胞たちにそのことを伝え、男を捜させた。
 街のすべてをくまなく見張ることができるほど、吾輩の同胞は多く、そして優秀だ。
 男ひとりを見つけだす程度、花を散らすよりたやすきこと。そう思ったのだが……。
 待ち望んだ、同胞からの遠き声。
 ところが同胞のひとりが告げたのは、またも先日来から変わらぬ内容だった。
 「そんな男はどこにもいない」、と。
 馬鹿な! 吾輩はさっと毛を逆立てる。男が貧民窟に入ったことも、まだ出ていってないこともわかっているのに。
 ――何処へ消えたのか。
 いやわかっている。まじないを使って姿を隠しているに違いない。我が同胞たちも、さすがに草木のまじないには力が及ぶまい。
 あの勝負から二回月が昇った。
 こうなれば根比べだ……。

『騎士様はさ』

 わずかに揺らぐ意識の中で、友の言葉を思い出す。

『騎士様はさ、とっても強いんだ』
『カッコイイ馬に乗って、どんな悪いヤツでも退治するんだ』
『悪魔にだって、負けないんだ。どんなヤツにだって』
『誇り高い騎士様は、絶対に負けないんだ』

 わかっている。我が友よ。
 夢半ばで死んだ友よ。きっと無念は晴らしてみせる。
「――――」
 そのとき遠き声が、またひとつ鳴った。
 声は伝えてきた。「見つけた」と、ただ一言。
「待ちかねたぞ!」
 吾輩は歓喜に叫ぶ。滑るように地を駆ける。
 男は二夜前、吾輩とまみえたあの道に佇んでいた。平静を装ったその表情が緊張にこわばっているのを認め、吾輩はにんまりと嗤う。
「逃げ切れぬと観念したか。それとも吾輩を破る準備でも整ったか?」
「僕が、身を隠していたのは」男が抑えた声で、吾輩に応じた。「知りたいことが……調べたいことがあったからです」
 男の手に、赤い紐が巻き付いている。紐の所々に木の枝がくくりつけられているのを見て、吾輩はそれの役目を知った。
「赤い紐とナナカマドの枝。――やはり先日の手は偶然ではないな?」
 紐で囲われたもののすべての気配を消し去る、高度なまじないだ。人間以外のすべてのものから、使用者の身を隠すことができる。
 妖精からも悪魔からも、そして当然我々からも。
「『ヒイラギの葉のまじない』ですか? ……ああなったのは偶然、ですけど」
「やはり汝は『まじない使い』か。だが何をしようと無駄。必ず汝をうち負かし、汝の知ることをあらいざらい喋ってもらう」
 吾輩は手中より刃をのぞかせ、真横に振った。
 たやすきことだ。まじないをかけて来る前に切り裂いてしまえばよい。ヒイラギの葉のまじないは恐ろしいが、この距離ならば男がそこに行き着くより、吾輩の刃の方が早いに決まっている。
 男の一挙手、一投足に神経を尖らせる。ちらとでも動いた時が、男の最後だ。
 どう出るか。じっと見つめる前で、男が動いた。
 吾輩は得たりとばかり飛びかかり――途中でその動きを止めずにはいられなかった。
 男は武器を抜くでも逃げ出すでも、ましてや不審な動きなどひとつ見せず。
「な、何のつもりだっ!」
 その場に、ぺたりと座り込んだ!
「立ち上がれっ! どういうつもりだ!? 吾輩と戦えっ!」
 声を限りに吠える。手強き敵と思えばこそ、武者震いすらも覚えてここに馳せ参じたというのに。
「さては怖じ気たか!? 誇りを知らぬまじない使いめ、ならば相応の仕打ちを――」
「……知っていることは!」
 突如吾輩を遮って、男が声を張り上げる。
「調べたことは、全部話します。聞いて……もらいたいんです」
「何だと?」
 男の目を、じっと見据える。
 こちらを見返してくるその目は真っ直ぐで、澱みがなかった。
「聞いてください。お願いします」
 頭を下げる。その行為の意味は、吾輩にもわかる。
 無防備に首を晒す意味。この瞬間、男は自らの命を吾輩の刃に乗せたのだ。
「よ…………よかろう。疾く話せ」
 吾輩は、折れないわけにはいかなかった。誇りは重んじられるべきである。
 ほっと息をついた男は思い出すように視線をさまよわせ、
「僕はあなたの友達……『騎士見習いのルカ』について、いろいろ調べました……」
 やおら、友について話し出した。
「我が友の仇が、見つかったというのかっ?」
 勢い込んで聞く吾輩に、男は「仇……ですか」と顔をしかめる。
「仇……命を落とした原因についてなら、わかりましたよ」
「それを言え。毒殺かっ? それとも……」
 ある日突然、ふいと姿を消して二度と戻ってこなかった、我が盟友。
 殺されたのだと、すぐにわかった。
 他にどんな理由がある? 友が吾輩を裏切るはずがない。吾輩を置いて行くはずもない。
 匂いすら追えず、持ち物ひとつ残さず消えた友。
 何者かに殺されたのだ。
 吾輩はその死に様さえ、看取ってやることができなかった。
「誰がやったのだ! 汝のことだ、それも調べたのだろうが!」
 こくりと頷いた男の顔は、しかめられたままだ。
 あれは何という表情だったか。人の表情はわかりにくい。友はあの表情をあまり浮かべていなかったから、思い出すのに時間がかかった。
「調べ……ましたよ。すぐに、わかりました……」
「ええい、焦らすな! 疾く話せ!」
 男をせかしつつ、吾輩はふと思い出す。男の表情を何というのかを。
 「辛そうな」顔だ。
 男は何かを今この瞬間、「辛い」と感じている。それは何なのだろう。
 傷でも負っているのか。それとも腹でも減っているのか?
 吾輩に傷つけられるのを、「辛い」と感じている?
 違う。それは「怖い」だ。傷つくかもしれないという未来に対して、「辛い」とは感じない。
 何故か気にかかる。男が「辛い」と感じる理由が、気にかかる。
 男はいくらか逡巡してから、ぼそりと呟いた。
 小声ではあったが、吾輩の耳はごまかせない――。

「……いないんですよ。仇なんて」

 ――。
 なに?
 何と言った。
 この男はいま、何と言ったのだ。
「いないんです。ルカを殺した人なんて、いないんです」
 何だと?
 意味がわからない。
 では何故死んだ。我が友は何故死んだのだ。
 「人間が殺したのではない」とでも言うつもりか。妖精か悪魔が憑き殺したとでも。
「ルカが死んだのは、……病気です。貧民窟で蔓延した流行病。それにかかって死んだんです。
 あなたの友達は、『騎士見習い』じゃない。正規の『騎士見習い』じゃなかったはずです。……『騎士に憧れていた』貧民窟のルカ。それがあなたの友達です。違いますか?」
「な……」
 ビョウキ?
 びょうき。病、気。
 病のことか。病でルカは死んだと?
 正規の? 騎士見習いではない?
 何を言っている。何を……。
「……ふざけるなっ! 繰り言で吾輩を謀ろうと……!」
「そう思うなら、僕を引き裂けばいい!!」
 吾輩がびくりとすくむほどの、それは男の叫びだった。混乱に拍車がかかる。
 ――馬鹿な。吾輩がただ一言にすくむなど。
 まだ男の顔は「辛そう」に歪み、じっとこちらを見つめている。吾輩はもはや必死になって、男の全身を、顔を、両の瞳を睨みつける。
 嘘だ。嘘をついているのだ。吾輩をすくませたのも悪しきまじないだ。
 どこかにその証拠があるはずだ。嘘をつく人間特有の顔を浮かべているはずだ。
 どこかでまじないを使っているはずだ。手元か、懐か、それとも他に誰かが潜んでいるのか。
 ……何故だ。何故なにも感じないのだ。何も見つけられないのだ。
 何故、男の瞳には澱みがないのだ。謀を成す者特有の卑しい笑みを、おどおどとした色を浮かべないのだ。何故これほどまっすぐに、吾輩を見つめ返せるのだ。
 何故「辛そう」な顔をしている? 何故唇を強く噛みしめている? 拳を握りしめている?
 あれは何だ。瞳に浮いているものは。
 涙?
 「辛い」のか。だから泣いている? 何が「辛い」のだ。
 混乱が極に達する――。
「……嘘じゃ、ないんだ。この一帯に初めてやってきた新しい流行病で、……人間しかかからない」
 男が、穏やかな声に戻って言葉を紡いでいる。
 新しい病。人間にしか現れない。
 だから、吾輩にはわからなかったのか? それが病だと?
「……対処がわからなかった貧民窟の人間は、病にかかったことがはっきりした人間を、隔離して」
 だから、いなくなったのか? 吾輩の前から?
「……全員が死んだ。死んだ人間は、持ち物といっしょに全員が火葬された」
 だから、匂いを追えなかった……?
 持ち物も、何ひとつ。
「街の人は、貧民窟の様子なんて知ろうともしない。貧民窟の人は、『騎士見習い』なんて人が自分たちの中にいるなんて思いもしない……だって貧民窟の人間は、騎士には絶対なれないから」
 なれないのか。
 そんなはずはない。我が友はいつも。
「……あなたは誤解してたんです。何もかも」男は深呼吸して、区切るように。「でも当然です。あなたは人の世界をほとんど知らないから。ルカ以外の人間や、ルカを取り巻く世界を、ほとんど知ろうとしなかったから」
 吾輩を無知と言うか。
 怒り狂うべきなのに、それが湧いてこない。
「ヒイラギの葉のまじないは、『獣よけ』のまじない。
 ルカの友達が言ってた。ルカにはとても、とても仲のいい一匹の猫がいたって。ルカはその名前もない猫といつも一緒で、一番の親友のようにそいつを扱ってたって。
 あなたはその猫。猫の獣精――『ケット・シー』だ」
 男はひとしきり話したあと、弱々しく付け足す。
「僕の話が嘘だと思うなら……僕を好きにして、かまわない。でも、まだ人を傷つけるつもりなら……僕は、精一杯抵抗します」
 嘘だ。――叫ぼうとした声は、喉の奥に貼り付いた。
 つじつまが、すべて合っていたせいではない。そんなものは、信じるに値しない。
 信じたものは。
 吾輩が、信じてしまったものは。

『……オレさ、騎士様になりたいんだ』
『みんなに話したら、笑われちゃうからさ、ナイショだぜ?』
『騎士様になってさ、みんなを護るんだ』
『だからオレは、騎士見習いさ。騎士見習いのルカ。……カッコイイだろ』
『今はこんなトコにいるけどさ。いつか絶対、騎士様になってやるんだ』
『そんときは、オマエも一緒に来てくれよな』
『相棒だもんな。ずっと』
『ずっと一緒だぞ。ずっとだぞ』

 ああ、あの瞳。
 あの誓いを口にした時の、我が友の瞳。今も忘れない。
 あの目は、澱みがなかった。だから吾輩も信じたのだ。
 我が友は死んだ。だがあの瞳の輝きは真実だ。
「そ、うか……」
 ならばこの男の言葉も、真実だ。
「まこと……なのだな……」
 我が友と同じ瞳。曇りなく、澱みなく、真っ直ぐな。
「我が友は……病で……」
 この男が嘘をついているなら、あの時我が友も嘘をついていたということになる。
「志をなかばに……」

 それこそ、それこそ、あろうはずがない!

「……吾輩が、間違っておったのだな?」
 男が頷く。唇を引き結び、じっとこちらを見つめ。
 もはや吾輩には、いかにするべくもない。男を引き裂くなど、もってのほかだ。
「……ひとつ教えてくれ『まじない使い』よ……何故、そんな顔をする? 何故それほど……『辛そう』なのだ」
 男は泣き笑いのように、表情をゆるめた。
「君が」ひくっと一度しゃくりあげ、「本当のことを知ったら、……君は、絶対に傷つくから」
 そんなことを、言った。
「……誇り高い君だもの。自分が間違って他の人を傷つけてたなんて、許せないでしょう?」
 今、吾輩は理解した。
 この男が、吾輩の誇りを――重んじてくれていたのだと。
 吾輩を傷つけることが、「辛かった」のだと。
 負けだ。
 友よ、吾輩の負けだ。
 この男に負けたのではない。この男は、悟らせてくれたのだ。
 吾輩が破れたことを。
 「己が無知」に、「友を失った悲しみ」に、破れたのだということを。
 長い沈黙が流れた。月光が、煌々と照りつけていた。
 じっと見つめる男に、吾輩はつと背を向ける。
「世話に……なった」
 刃を手の中に引き戻し、告げた。
「それと、済まなかった。償いきれるものではないが」
「これから、どうするんですか?」
 その声が、吾輩をおもんぱかっているのがわかった。
 なあ男よ。『まじない使い』よ。
 汝は何者だ? 何故獣の吾輩まで、それほど気遣うのだ?
 汝は本当に人なのか? ひょっとしたら汝は、我々に近い『何か』なのではないのか?
 『わけのわからないもの』。
 しかし、不思議なことだ。
 汝を心から恐れるものなど、吾輩にはいないと思える。それはなにゆえか?
 どうするかなど、その瞬間まで決めていなかった。
 口にしなかった男への疑問が、形になった。
「世界を、学ぼうと思う」
 それだけを答える。
 人に仕え、人とともに生き、人の世界を。
 誇りを捨てず、思慮を忘れず。
 汝のようになれるだろうか? 『まじない使い』よ。
「……ありがとう」
 男の声が、優しく届いた。月の光のような、清かな声が。
 『さらばだ』。
 吾輩はその意を込めて、喉の奥から声を上げた――。

 ――なおおおおおおおおおおおおおぅ……。



 そうして、『幻の剣士』は姿を消したのでごさいます。



『薬草師』 こあとる著

  回の二 『ケット・シー』



 ――粉屋をしていたお父さんが死んで、三人の息子はその遺産を分けることになりました。でも長男が風車小屋、次男が粉を運ぶためのろばをとると、末っ子のピエールに残されたのは一匹の猫だけでした。
 ピエールが「これからどうして食べていけばいいんだろう?」と心配していると、

「吾輩に長靴を一足買っていただきたい! きっとお役に立ってみせましょう!」

 猫がすまし顔で、自信たっぷりにそう言ったのです!

 【ペロー童話集】『長靴をはいた猫』より


FIN.


小説目次