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『ONE SHOT DETECTIVES』
こあとる著
<MAIL>


〜(2) 相庭 京次〜



 男は追い詰められていた。
 少なくともガブリエルには、そう見えた。
 夜も明けようかという深夜、ロンドンの中心街にある高層ビルの屋上。
 男とガブリエル以外にそこにいるのは、軍装に身を包んだ屈強な五人の男たち。
 すべて、敵だった。
 男たちは、銃は抜いていない。深夜とはいえ街中で発砲することをためらっているのかもしれない。消音器を男たちが持っていないのは幸運だとガブリエルは思った――理由も消音器の有無も、すべて憶測に過ぎなかったが。
 だがそんなガブリエルの幸運も、男たちがいっせいにコンバットナイフを抜いたときに絶えてしまった。素早く退路を断ち、焦らずじりじりと近寄ってくる様は、獣の狩りを思わせる。
 ヘリポート用の照明をぎらりと跳ね返す五枚のナイフに、ガブリエルは震え上がった。
「アイバ……! どうするんだ、アンタの仲間はまだ来ないのか!?」
 自分と五人の間に立ちはだかっている男の背中に、声をかける。
 史書研究家にしては大柄なガブリエルから見れば、そのモンゴロイドの男の背中はそれほど身長があるわけではなかった。彼らを取り巻いている五人も鍛え上げられた大男だったので、いっそ小柄にも思える。
 それなりに鍛えられた身体ではあるのだろうが、目の前の五人と比べれば痩身といってもいいくらい細身だった。
 その男は緊張感もなさそうに片手をポケットから取り出し、その手に握られていた何かをもてあそんでいるようだった。防御の構えどころか、これから抵抗しようとする素振り自体見られなかった。
「アイバ、聞いてるのか!?」
「……聞いてるよ」
 焦れたガブリエルの叫びに、ようやく返事があった。
 フランクなブロークン・イングリッシュ。今の状況に不釣り合いなことこの上ない、ひどく退屈そうな声だった。
「渓たちだったら来ねえだろうな。ベルマの遺言状を調べてるとこだ――お前さんが古代ギリシャ文字とやらが読めりゃ、こんなことにはならなかったんだがなあ、ガフ?」
「おっ、俺のせいだってのか!? こんな逃げ場のないところに俺を引っ張って来たのは――」
「ああ、そりゃオレだ」
「何か手があるんだな?」
 希望の光が灯ったガブリエルの心は、男のこともなげな一言で暗闇になった。
「全員倒しゃあいいんだろ?」
「おしまいだあああああっ!?」
 頭を抱えたガブリエルに、
「喚くなよ、鬱陶しい」
 男が手の中のものを放ってよこした。ガブリエルがとっさに両手で受け止める。
 プラスチック製の赤い小さなそれは、星だった。
 小さな、安っぽい、赤い星。
 なにか服かバッグについて、飾っていただろうもの。
「大事なものだ、壊すなよ。――終わるまで持っておけ」
 男はそれと、と付け加える。
「オレの名前は『相庭』だ。発音が違う」
 ガブリエルに顔だけ向けた男――相庭の隙を、五人は見逃さなかった。
 数メートルをおいた包囲網をどっと縮めて、四人が同時にナイフを閃かせる。ぴったりと呼吸の揃った同時攻撃だった。
「――アイバ――」
 ガブリエルが声を上げたとき、相庭はもう動いていた。
 小さくたわめた両膝を伸ばし、左端からかかってくる男に向かって跳躍したのである。助走もしていないにもかかわらず、相庭の身体は男の頭をさらに越えた高さにまで跳び上がっていた。
 自分の頭上――完全な死角から来る攻撃に、左端の男は対処できない。
 鍛え上げられた男の首筋に、相庭が飛び蹴りを叩き込む。
 男の首が九〇度折れ曲がった。
 手に持ったナイフを突きだすこともできずに倒れた男から身を離し――。
 ガブリエルには、相庭の動きが見えなかった。
 着地と同時に凄まじい踏み込み音が轟き、一瞬姿が消え――次の瞬間には隣の男の水月に肘が打ち込まれていた。
 血を吐きながらふっ飛んだ男の身体は、残りの二人から相庭の姿を完全に隠してしまっていた。手近な方の男はあわてて仲間の身体を抱き留めようとして、相庭を見失う。
 仲間の脇の下からすべるように突き出された貫手が自分の肝臓に吸い込まれていくのを見たときには、手遅れだった。
 三人が倒されるまでに、ひと呼吸ほどの時間しか経っていなかった。
 折り重なって倒れたふたりの男たちの影から、相庭がゆらりと姿を現す。
「これで半分、か?」
 日本人らしからぬ目鼻立ちの顔は、退屈そうな笑みを浮かべたままだった。
 それなのに、ガブリエルはぞっとした。五人の男たちを獣と評した自分が滑稽だった。
 ――あいつらは……まだ『人間』だ。
 獣のふりをした、人間。いくら鍛えてあっても、その本性は人だ。
 では、この男は? 数日前に出会って以来ほとんど調査も手伝わず、退屈そうにソファに寝そべっているだけだった――ガブリエルにしてからが「何のためにいるんだ」と疑問に思った、この男は?
 この男の相棒ふたりは、ガブリエルも驚嘆するような能力を持っていた。
 ひとりは法律、文献の調査に長け、その記憶力は異常なほどだった。
 ひとりは観察力と推理力がずば抜けており、わずかな情報からあらゆる予測を引き出す頭脳を持っていた。
 ふたりとも、優れた頭脳の持ち主だった。
 ガブリエルは理解した。
 この男の「担当」は、これなのだと。
 人間離れした運動能力、常に死角から最速で敵に襲いかかる的確な戦術、平然と急所を突く闘争本能。
 残りのふたり分を補って余りある――「戦闘担当者」!
「あ、――『悪魔』っ……」
 最後に残った四人のひとりが、あえぐように呟くのが聞こえる。
 自分の命を狙ってきた男に、ガブリエルは共感していた。
 ――あの男も、今の自分と同じ感情を抱いてる――。
 目の前の東洋人への、恐怖を。
「下がれ」
 異を唱えたのは、最後のひとりだった。
 おそらくは四人を束ねていたのだろう、ひときわ体格のいい巨漢。
 残った自分の部下に命じた、その意味は。
「下がれ、ケネス。お前らでは勝てん」
「しかし――班長」
 男が『班長』に視線を飛ばし、反論しようとした。
「――馬鹿者っ!」
 すなわち、相庭から視線をそらした。
 『班長』の叫びに視線を戻したときには、相庭が目の前にまで迫ってきていた。がむしゃらに振り回したナイフは、あっさりと避けられる。
 相庭が男に肉迫する。
 その瞬間の表情を見た男が、長い絶叫を放った。
 恐怖の絶叫。
 血の滲む訓練も繰り返した実戦も、きれいに頭から抜け落ちるほどの。
 タイミングをずらせた左右の掌底で、男は顔をはさみ込むように強打される。男の脳は二回続けて、左右の頭蓋骨に衝突した。
 びくん、と痙攣したあと、男は崩れるように倒れた。
「これで、あとひとり」
 相庭の口調はそっけない。
 誇るでもなく、蔑むでもなく、ただ退屈そうに淡々と。
 『班長』が、ナイフを投げすてる。
 重心を落とし、開いた両手で頭部をガードし、前かがみになった。
 軍隊式の格闘術とは、異なる構え。
 くくっ、と相庭は笑った。
 はじめてからかうような口調になって、ぽつりと言った。
「そうそう――ナイフよりゃあ分がいいぜ」
 『班長』が、体ごと突っ込んだ。
 胴タックル。
 百キロ以上の体重の突進力は、打撃技ではそうそう止められないはずだ。組みついてウェイト差を最大限に生かし、絞め殺す。脳への打撃さえブロックすれば、他は耐えてみせる。
 『班長』の視界の中で、相庭の姿が大きくなる。その腰に狙いを絞る。
 両者の距離は、約五メートル。それが一気に詰まった。
 相庭がステップし、後方に下がろうとする。
 ふたりの後ろには金網があった。それ以上後方に逃げることはできない。
 逃げることはできない――はずだった。
 『班長』の顔が、驚愕にゆがんだ。
 相庭の後退は止まらなかった。突進と同じ速度で跳びすさり、金網を後ろ向きのまま駆け上がった。
 左右に逃げても、下に逃げても対処できる自信が『班長』にはあった。それ以外に逃げる方向は、ないはずだった。
 まさか、「上」に逃げるとは!
 金網から、相庭が跳躍した。『班長』の視界から、相庭が消滅した。
 後頭部の急所に凄まじい衝撃を感じた時点で、『班長』は突進しながら気を失っていた。
 ぐしゃり、と『班長』が金網に突っ込む姿は、俗悪番組のジョークをガブリエルに連想させた。空中で一撃を加えた後に着地した相庭は、ため息のような呼吸を一回しただけで何もなかったかのようにこちらに歩いてくる。
 スラブ系との混血を連想させる相庭の顔が、ぽかんとしたまま突っ立っているガブリエルを見て、不意に苦笑を浮かべた。
「……返せよ。握りつぶしてねえだろうな?」
 何のことか理解するまでに、たっぷり五秒はかかった。
「お? …………お、おうっ」
 震える左手で、硬く握り締めていた右手を引き剥がす。
 小さな赤い星は、びっしょりと汗に濡れていた。
「汚ねえな」
 ひょい、と星をつまみあげた相庭は、またそれをもてあそびはじめる。
「……何なんだ、そりゃ」
 超人的な強さを見せつけた目の前の男とその赤い星は、どうにもガブリエルには結びつかなかった。「大事なものだ」と言っていたのを思い出して、余計にわけがわからなくなる。
「飾りだよ。……アメ横で買ってやった、人民帽のだ」
 相庭の答えは、まったく答えになっていなかったが。
 不思議とその一瞬だけ、目が――優しくなった。敵に『悪魔』とまで形容されたこの男には不釣り合いなくらい、それは柔らかい表情だった。
「行くぞ。こいつらはハウプトマンの私兵だ。渓と大塚も危ねえ」
「………お。ちょ、ちょっと待てよ、アイバ」
 踵を返して背を向けた相庭を目で追って、ガブリエルはあわてて歩きだす。
「『相庭』だって言ってんだろ、アメ公」
 背中越しに、苦笑混じりの罵倒。
 そんな言葉を向けられても、ガブリエルは何も感じなかった。反感も、恐怖も、親愛の情も。
 ただガブリエルは、たったひとつの揺るぎない事実に安堵した。
 そこにいたのは、『人間』だった。


 そのころ日本では、
「どうも、○HKですがー。集金にまいりまし――」
「見とらんわああああああっ!」
 やはり戦闘中。
 ひたすら、切実であった。


NEXT DETECTIVE→ 大塚 護
PREVIOUS DETECTIVE→ 渓 啓一


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