小説目次


『〜幻獣辞典〜』
こあとる著
<MAIL>





 

 ――子供の頃、オレは泣き虫だった。

 とくに母さんがいなくなってからは、もう四六時中泣いてた気がする。
 今まで市井の暮らしをしていたガキの身にゃ大きすぎるベッドの上で、何かっつーとぐしぐしべそをかき、貧乏人にゃ広すぎる部屋が寂しいと、ひとりでわんわん泣いていた。
 何つーか、まあガキだったから仕方がないとは言え、あの頃のことはあまり思い出したくもない。

 ただ、今でもはっきり覚えていることがある。
 ざらっとした、暖かい舌の感触。ふかふかと柔らかい毛をこすり付けてくる感触。
 そして甘えるような、小さな喉声。

 たった一匹のネコが、そんな情けないオレの、ただひとりの、――。



〜幻獣辞典〜




 親父が死んだ。
 兄貴はめでたく騎士だった親父の所領を相続し、どーやら鉄のカーテンの裏で結託していた魔術師の兄貴もかなりのカネをもらってウハウハっぽい模様。
 しかしコレはオカシイ。兄貴たちは互いに欲たかりの上女遊びも甚だしく、トドメに犬猿の仲。
 そんなふたりがなんで最近とってつけたみたいに仲がいいのか、とか。
 なんで最近、どっちかの部屋でひそひそ話をしてばっかりなのか、とか。
 それ以前の問題としてなんで魔術師が騎士からカネなんかもらってるのか、とか。
 親父の葬儀の真っ最中、沈痛な面もちとは裏腹にどういうわけか卓の下で固く握手を交わしたりなんかしていた兄貴たちを見るにそんな疑問が湯水の如く湧いてくるのはむしろ自然な流れだろと自分でも思いはするのだが、そこらへんを突き詰めて考えていくとヤバいと言うか、ちょっとシャレにならない結論にたどり着きそうな気もするのでやめておきたい。――前略下の兄貴。一月ほど前に親父の使っていたブラシから髪の毛を抜き取ったり、城のお針子からまち針と端切れなんかもらってナニしてたんですか? まさか親父ソックリの人形なんかは作ってませんよね?

 恐。

 ともかくふたりの兄貴が丸々かっぱいでいったので、結果オレの手元に残ったのは親父の形見のネコが一匹、ついでに縁まで切られる有様。母親の顔もわからんような妾腹のガキはこういうときに損だと思うけど、まあグチってても仕方ない。
 気ままに遊歴ってのも悪くないかも。幸い金貨はポケットに何枚かあるし、しばらく喰うにも困らないだろう。
 オレは薄っぺたい背負い袋を肩に引っかけ、それから黒毛のネコ助を抱え上げた。

「さ、行こか。街に出たら鰯の酢漬けでも買ってやるよ」
「……それはそれで魅力的だが、むしろ服と帽子をもらえぬものか?」

 …………………。

「はてどなたですかーいま喋ったのはー。なんかすっごい近くからのように聞こえましたが声はすれども姿は見えずー(※棒読み)」
「吾輩が喋ったのだが。服と帽子を買ってもらいたいのだ」

 ハハハハ。なーんだネコか。どーりで近くから。







 思い切り遠くへ投擲した。







■『猫』の巻■



「悪かった。驚かせたことは詫びておく」
「……気にするな。オレこそ記録に残りそうなシャレにならないスローイングで悪かった。
 オマエ妖精だったのか」

 親父のネコはケット・シーだった。つまり妖精。
 うそー。ホントです。
 館から街に続く林道の切り株にちょんと腰掛け、ふわふわの猫毛をいじりながら本人が言っているんだから間違いない。
 こげ茶の瞳をくるくる廻し、ときどきサテン地の服の袖でわしわしと顔なんか拭ったりして、――明日は雨? いやそういうことじゃなく。

「なにやら複雑な顔をしているな」
「……納得してるが理解できてないのか、それとも逆なのか」

 古めかしい出で立ちをした勝ち気そうな顔の、しっぽを生やした女の子がそこにいる。
 頭の上に猫の耳が。……うわ、動いてるよ動いてるよ。
 まだ半信半疑なんだけど、目の前で化けられた日にゃぐうの音も出なかった。

「まあよい。さあ、まずは黒くて大きな帽子を、それから服を買おうではないか。
 それくらいの金貨はあるのだろう?」
「いいけど。オマエが着るの?」
「――お主が着る気だったのか!?」

 どんな服を買う気なのだオマエは。

           ☆           ☆

 黒いドレスでした。

「……あー、一応、そのな、吾輩も子供の頃からお主を見ていて気付かなかったのかと言われればそれはまったくもって不覚であるとしか言いようが無く、」
「……」
「しかしながらお主とて今まで隠し通していたのだから吾輩だけに否があるとは、してみると五歳の時上の兄にメイド服を無理矢理着せられて泣いておったのは、――アレは嬉し涙かっ!?」
「…………」
「いやともかくうっかりカミングアウトしてしまったとは言えお主はお主、他人は他人であるからして、個人のシュミに関してそれが多少常軌を逸脱していたとしても、吾輩はそれを云々しようとは思わぬし……」
「………………」
「つまり、えー、…………………お主も買いたいというのなら、吾輩はもうちょっと安い服でも」
「……………………断固として誤解を主張したい」

 だから微妙に距離を取るのをやめれ。
 すっとこどっこいな会話はともかく、服を揃えて宿をとった。残金銅貨五枚。
 今晩の夕食を取ったら無くなるなー。まあいいか。

「相変わらず危機感絶無な顔をしとる……ま、心配しとらんだろうが心配するな。ちゃんと術策あってのことゆえな」
「あーそれだネコ助、考えナシに買い物したが、オマエが着飾ってどーするんだ帽子まで買って」
「耳を隠すためだ。
 こうしていれば吾輩も普通の、そこらにいる娘と変わりなかろうが」

 うむ。むしろなかなか可愛いかも。

「――そこで、代替わりの宴もたけなわな城へ出向いてだな。何気ないフリを装いつつお主の兄どもをたらしこんで、」

 …………………なに?
 なんかハナシが変な方向に、

「隙をついて寝首を掻く。――天晴、両者もろともに死ねば目出度くお主が次の当主だ」



 血生臭――――――――――――――――――――ッッッ!!?



「めでたくねーッッッ! 呪われた一族とか言われたらどーしてくれるんだ!?」
「無責任な噂などに惑わされるな。そんな呪わしい運命から一族を救うのもお主の役目だ」
「ぐわー!! 今のセリフの何処からツッコめば――――――ッ!?」
「(※残念聞いてない)――では早速」
「わーっ、わーっ! 待てネコ助っ、落ち着けっ」

 脇の下に両手を入れて、はがいじめに――って、すごく軽い。
 お、一計。

「とう」
「――ぬ」

 そのまま持ち上げると、案の定ネコ助はだらーんと身体の力を抜いて垂れ下がってしまった。

「むう。離さんか」

 口ではそんなことを言いつつ、暴れるどころか身じろぎしようともしない。
 ネコの宿命だ。やっと一息つけたところで、オレは得々と言い聞かせることにする。

「とにかくやめてくれ。別に未練もないし、いいんだよ」
「……そうはいかん。お主が父親から譲り受けたのは吾輩だ。
 いわば吾輩はお主の財産にして後見猫。かくなる上は吾輩の名誉と誇りにかけて、お主を父親以上の輿に据える。たとえどんな手段を使ってでもだな、」

 気持ちは嬉しいが、後半のセリフが物騒すぎだ。

「いいからいいから。兄貴たちとケンカもイヤだし、街を出よう。
 財産にして後見猫ってんなら、とりあえず見守るヤツのワガママも大目に見てくれよ」

 言いつつ振ってみる。
 ふりふりと揺られていたネコ助は、

「ぬ……わかった。今回は諦めることにする」

 不満そうではあるが、納得した様子。
 オレはネコ助を降ろして、よしよしごめんなありがとな、と頭を撫でてやる。
 ネコ助はしばらく目を細めてうっとりしてから、不意に眉間にしわを寄せ、オレをじっと見て、

「お主はまったく子供の頃から、そういうことにこだわらぬな」

 何故かばつが悪そうに、そんなことを言った。

「――まるで、我々のようだ」

           ☆           ☆

 次の日の朝、街を出た。どんより曇った空の下、街道をふらふら歩いているところ。
 ネコ助はオレのちょっと前をひょいひょいと歩いていて、ときおり首だけこちらに向けてはオレがちゃんと付いてきているかどうか確認している。
 なんかどっちが飼い主だかわからん。お前行き先知らないクセに。

「街外れに、牧場とかあるだろ。
 馬の世話とかなら慣れてるし、しばらくまかない付きで雇ってもらえないかな、と」

 説明すると、ネコ助は渋面を作る。

「うぬぬぬぬ、領主の息子が馬の世話とは……」
「まだ言うか。職業に貴賤はねーぞ」
「その辺を説かれても、吾輩は猫なので如何とも答えがたい」

 その口で抜かすセリフかとも思ったが、……考えてみれば年中有給休暇みたいなモンだな飼い猫って。

「とにかくお主の言い分もあることだし、あの兄どもは助けるが。
 こうなれば狙いは逆玉の輿である。王女の乗った馬車でも通りかからぬものか。世ズレした王族をだまくらかすなど、この吾輩にかかればネズミを捕るよりも」
「邪悪な方面に世ズレしてるけどなオマエの場合は」

 街道のど真ん中で、仁王立ちで天を指さすポーズも意気揚々たる、黒いドレスの女の子。
 親父。――この物騒な思考パターンを何故矯正しなかったのか。オレも天を仰いで嘆息した。
 奇異な目で見られるのもアレなので、とりあえず黙らせてみるコトにする。

「……ほれほれネコ助、ごろごろごろごろ」
「ごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろ」

 喉をくすぐってみるとホントに気持ちよさそうにする。成功だ。
 ……余計に奇異の視線が突き刺さった。失敗だ糞。
 ばつが悪かったので、近くで麦を狩っている農夫に話しかける。

「あのすみません。ここらへんに牧場とかって」

 ありますか、と聞く前に、

「この先の土地はみぃんな、しばらく前から魔王様の領地になってますだが」

 陰鬱な顔でエライことを言われた。

「……魔王様って」
「そういえばそんな輩が幅を利かせていると、街の猫どもが話しておったな」
「いくら辺境のド田舎とは言え、魔王はねーだろ魔王は。親父はナニしとったんだ」
「お主の父親も、ここ半年ばかりは病がちであったしな。街の治安も悪かったようだし、領外に魔王のひとりやふたり住み着いていてもおかしくあるまいが」
「そんなんかこの世界。そんなのなんかッ」
「そもそも市井の民にしてみれば、自分たちを治めているものが何者かなどどうでもよいものだ。
 税が高いか低いか、その程度――領主も魔王も、さして変わりはせんさ」

 ンな無茶な。

「――で、どうする。雇ってもらうのか魔王とやらに」
「いきなり嫌味タップリに!?」

 ひょっとして誤魔化したの根に持ってんのか!?

「雇用条件以前の問題だろそれ」
「ならどうする。また街に戻るか。それとも父か兄に義理立てでもして、魔王退治でも決め込むか?」
「…………………あー」

 オレが困り果てているのを見てから、ネコ助はにんまりと笑う。

「……まあ、冗談だ」
「そ、そうか」
「では前者が冗談だと納得してもらったところで、魔王の首をヒネりに行くとするか」
「そっちじゃないのか――――――――――ッッ!?」

 ネコ助はちっちっ、と指をふって――何処で覚えたそんなの――、自信満々な様子。

「フッフッ、まあそう慌てるな。吾輩に術策がある」
「ヤだ――――――――――ッ! 死ぬ――――――――――ッッ!!」
「フッフッフ、吾輩にかかれば田舎魔王の一匹や二匹」
「オマエのそのセリフの根拠はドコだああああああああああああああああああああッッッ!!?」

 逃げようと踵を返すオレだったが、襟首をガッチリフックされてて逃げられない。
 ああっそこの農夫さんッッ、どーかこの現実の見えてないネコ助にガツンと言ってやって、

「フフフフそこな農夫、次に同じことを聞かれたときは、『この先一帯はすべてカラバ公爵のものでございます』と遅滞なく応じるがいいぞ。
 と言うか、応じないと生涯後悔すると思え。月の出ている晩だけとは限らん」
「へえ、なんかよくわかんねえだがそうおっしゃるなら」
「脅迫だー! つかカラバ公爵って誰ーッ!?
 コラ農夫っアンタも流されるなっオトコなら自分の道をイヤその前にハナシを聞けーッッ!!」

 ずるずるずるずる(←ドップラー効果付き/BGM:葬送行進曲)。

           ☆           ☆

「ここが魔王とやらの館か。なかなかに立派であるな。クックック」
「(ぶつぶつ)……親父、涅槃で待ってろ。もーすぐそっちに逝くから」
「何を勘違いして世を儚んでおる。第一何故沖雅也か。
 ついでに言うなら、まだ魔王とやらはおらんらしいぞ」
「何だよカッコイイじゃん沖雅也……って、え?」

 我に返ったオレは、えらく大きな正門――館と言うより城だ――を見上げた。鉄製の頑丈そうな両開きの扉の真ん中、場違いに小さい木の板が貼り付けられていて、

 『魔王外出中 *PM12:00〜』

 字が見える。

「……なんだか強烈に馬鹿馬鹿しくなってきたのだが」
「おあつらえ向きだ。魔王とやらが来る前に、ひと休みしておくことを薦める」
「ひと休み?」

 ネコ助は近くの芝生でころりと横になる。

「このドレスも無駄ではなかったということだ。……どーした? お主もこっちに来い」
「……あのなオマエな、」
「ほれほれ。いいから来い」

 手招いてるし。

「…………風邪引くぞ」

 オレはため息をひとつついただけで、羽織っていたマントを外した。すぐそばに腰を下ろして、丸まって寝ているネコ助にそれをかけてやる。
 曇り空の割には、そんなに寒くない。

「……」
「……」

 なんか沈黙。
 ネコ助はじーっとオレを見ている。何だよ。

「……」
「……」

 何となくわかった。
 手を伸ばして、寝ころんでいるネコ助の頭を撫でてみた。
 しっくりこないかな、と思ったが――なんせ人の姿だし――わりと、そうでもない。

「……ごろごろごろごろ」

 ネコ助は目を閉じて、のどを鳴らし始める。オレは飽きることもなく、柔らかい髪の毛を撫でている。
 なんとなく、……どうでもよくなる。
 こういうのは諦念なのか。それともオレが流されやすいだけなのか。状況がイマイチ馬鹿っぽいせいか。

 ……それとも、こいつが側に、

「全部だと思うぞごろごろごろごろ」
「だあっ。口に出しとらんわっ」

 大人しくごろごろ言ってろ。

           ☆           ☆

 夢を見た。

 ガキの頃の夢だった。最近見なかったのに久しぶりに見た。
 シーツにくるまって、ひたすら泣いてるオレがいる。
 何が悲しかったかは覚えてないけど、きっとどうでもいいことだったんだろう。
 大した理由は必要じゃなかった――と、思う。でもそれは今だから言えることだ。
 あの頃は何もかもが辛くて、何もかもが恐くて、何もかもが嫌だった。
 ろくに面識もない親父と、ろくに会えないのが辛かった。
 上の兄貴が、しょっちゅうオレを小突くのが恐かった。
 下の兄貴が、何かにつけてオレを罵倒し嗤ってるのが嫌だった。

 母さんともう会えないってことが、悲しくて。
 そして何より、自分がひとりぼっちだってことが寂しかった。

 泣いている。子供のオレが泣いている。
 泣くことでどうにかなるとは、子供心にも思ってなかった。でも泣くのをやめることはできなかった。
 シーツにくるまって、枕に顔をうずめて、子供の頃のオレはひたすら泣いている。
 ――と。


 ざらり。


 夢の中だってのに、ガキのオレが泣いているのを、オレはこうして見てるってのに。
 その感触は、不思議と見ているオレにまで伝わってきた。
 少し湿ったような、暖かい、ざらざらしたもの。
 そんな不思議なものが、ぎゅっと握りしめたオレのこぶしの先を撫ぜる感触。
 覚えている。――夢を見ながら、オレは思い出す。
 最初はそれが何か理解できなくて、突然だったからひどくびっくりして、オレは泣くのも忘れて顔を上げて。

 上げた顔のすぐ前に、そいつがいて。大きな目がじっと、オレを見つめていて。
 ふとゆるんだこぶしに、やわらかい毛に包まれた頭がすりつけられて。

 なーう。

 そんな小さな、甘えるような喉声。
 今でも覚えている。
 その時のオレには、そいつがまるでこう言ってるみたいに――。



 『泣かないで』。



           ☆           ☆

 ――。
 のしのしと踏まれている。
 夢見心地で、なんか懐かしいなと思う。
 オレがひなたで昼寝してると、いつもあいつはかまって欲しそうに寄ってきてはのしのし――。
 ……ん? 踏まれて?

「……きろ。おきろ。起きぬか」
「ん……ネコ助か?」

 一瞬だれかと思った。くるくる動く金緑色の目で、半フィートも離れていない目の前にいる女の子がネコ助だったと思い出す。
 ……目の前? そう目の前。

「…………………」
「どーした。起きたか。しゃっきりせぬか」

 うわあ、のしかかられてますオレ。
 踏んでいたのではなく、揺すられていたみたいだ。あんまりにも驚いて目が覚める。
 気まずいというかモノスゴク恥ずかしかったので、ぱ、と飛び起きた。
 辺りを見渡す。……までもなく。

 夜じゃん。

 いつの間にか寝ていたみたいだ。よく風邪引かなかったなオレ。
 ネコ助にかけていたはずのマントはオレにかかっていた。ぬくぬくする。

 ……。

「……あのさ。ちょっと質問なんだけど」
「吾輩は猫精であるからして、風邪なんか引かん」
「あ、ああ、それならいいんだけどさ」
「ただ少しばかり寒かったので、お主に抱きついて眠ったりはした」
「やっぱりかよ!?」

 かー、と顔が熱くなる。

「何を赤くなっておる。館にいた頃はしょっちゅうやっていたことだ」
「そりゃオマエが猫の時だろー!?」
「吾輩は猫だぞ」
「姿形の問題だよっ」

 コレか? とか言いつつドレスの端をつまむネコ。
 実はわかってねえな? ハンパに自覚ねえだろオマエ?

「お主も、何でそこに限ってこだわるのだ」

 う。

「そ、そりゃオレだってだな。健康な成人男子であるからして見た目がまんま女の子のオマエは、ええと、その」
「何だ。ハッキリ言わんか」
「あーもーいいから! こんな夜中に起こして何する気だよっ!」

 ネコ助はああうむ、と頷いて城に向き直る。
 何とかごまかせたみたいだなんてホッとしてたら、

「お主はついてくる必要はないが、見つかるとまずいので起こしたのだ。
 しばらくここから離れているのだぞ。――では行ってくる」
「……へっ? お、おいちょっと待」

 行くってドコへ。
 まさかと思うがオマエ、こらネコ助。

「フフフフ、いざ行かん輝かしき未来。黒猫のタンゴ、タンゴタンゴ♪」
「おいっ待てっちょっとネコっ、歌ってる場合かっ。おいーっ」

 オレの静止も聞かずに、ネコ助はずかずか中に入っていく。
 ネコ助の考えは明らか。魔王をブチ殺してオレの手柄にでもさせるつもりだろう。無茶苦茶だ。
 オレはその場で、ちょっと迷った。
 正確に言うと、自分の命をハカリに掛けた。

 ……。

 な、なんかネコ助のことばかり頭に浮かんでくるぞ。
 ふさふさした毛並みとかひょこひょこ動くしっぽとか、ごろごろ言う喉声とかふにふにした肉球とか、ええとあと何だ。そうそうくてーっと寝てるとこ。あれはもう何とも。

 抱きたい撫でたいふにふに触りたい(←根元的欲求)。

「…………………やむを得ん」

 そういうことになりました。糞。
 仕方なく後を追いかけると、長くてムダに広い廊下を抜け、やがていかにも偉そーなヤツがふんぞり返るのに適したイスが鎮座まします広間に着いた。
 大理石の柱やら鎧の立て飾りやらが物々しく並んでるけど、人の姿はない。

 ネコ助は……いた。部屋の真ん中できょろきょろしてる。
 こっちを向いた。目が合う。
 あ、毛が逆立った。

「な、何をしている! ――ついて来たのかお主はっ!?」

 ずかずかこっちにやってくるなり怒り出す。

「わ、悪いかよ。オマエ一匹じゃ心配だし、そもそも魔王なんて相手にしてオマエ勝てるワケ、」
「ええい仕方ない。隠れろ。そら隠れろ今隠れろそこに隠れろすぐに隠れろっ」

 聞こえませんとばかりにぎゅむぎゅむ押され、柱の影に。

「いいか声を出すなよ音を立てるなできれば息もするな微動だにするなっ」
「…………(無茶苦茶言うな、と口パク)」
「うむ。それでよし。――もう来たようだしな」

 来た……って。
 …………………。
 このわっさわっさ言って近付いてくるのは何の音?

「……!!?」

 声を出さなかった自分に勲一等。

 ドラゴンだった。
 でっかいドラゴンが、ムダに広い廊下を滑空するように飛んできて広間に降り立ったのだ。
 そーかー。どこもかしこも広いのはこのためかー。
 そんな悠長なことを考えてるのは、ひょっとして逃避ですかオレ?
 呆けてその偉容を見守ってると、あ、馬鹿、ネコ助。広間に突っ立ってるじゃないか!

「……! ……!!(逃げろ。死ぬ。つーか死ぬ。絶対死ぬ)」

 決死のブロックサイン、通じず。
 そんなことをするうちに、ドラゴンがネコ助に気付いた。大ピンチだ。

「……この姿を見て動じないとは、肝の座った娘だな?」

 わっ、ドラゴンが喋った……って、あれ?
 何か聞き覚えがないかこの声?

「魔王様の化術の妙は、私ごときでも噂で聞くほどにて。
 まして此処は魔王様の城、たとえ真の竜だとて、無断で押し入ろうはずも御座いません」

 コレ誰のセリフですか。答えはネコ助。
 なんてスゲエ猫かぶりか。さすがホンモノだけのことはある。まるでどっかのお嬢様だ。

「世辞がうまいな、娘。なればそなたは何者だ?」

 否定しないどころか悪役丸出しな高笑いしてるってことは、コイツが魔王か。
 竜に化けてるんだな? だとしたら魔術師なのか?
 どっちにしてもこんなんに化けられるなら、相当な凄腕だ。

「王都からやってまいりました。魔王様の噂を聞き、お側に置いて戴きたく存じまして」
「王都からだと?」
「はい。従者たちは既にひとり残らず帰らせ、私も寸鉄たりと身につけておりませぬ。
 手ずから、……ご確認なさいますか?」

 って、考え事してる間に、いつの間にか展開がヘンな方向に向かって行ってませんか。
 視線を戻すと、ネコ助はしゅるりと一方の肩をはだけさせ、首筋を見せつけるように顔を傾けたりなんかしている。上目遣いに。指なんかくわえて。
 にわかに淫婦の色気バリバリ。

「…………………ほほう(じゅるっ)」

 そして魔王はあっさり陥落。
 鼻の下を伸ばして涎を垂らすドラゴン。権威と偉容が地球の割れ目ギャオの底まで失墜したのがハッキリとわかった。

「ででででは早速。ねねねねーちゃん、ンなトコにいないでもっとこっちに、ふはーっ、ふはーっ」
「ええ、よろしゅう御座いますとも。
 ですがその前に、無礼ながら今一度、魔王様の化術の冴えを目にしたく存じます」
「なな何だ。言え、言ってクダサイ。ななな何にでも化けて見せるぞ。ええ見せますとも。きゃー」

 今や女衒に引っかかってケツの毛までむしられるオヤジ以下にまで成り下がった、魔王の息はメチャメチャ荒い。
 ……。
 どーでもいいけど何かハラ立つなー。

「今魔王様は、もっとも力強い生き物に化けておられます。しかしもっとも小さい生き物には化けることが出来ますか? ……例えば、ネズミには」
「フフフ、何かと思えばそんなことか」

 自信満々な魔王(現在ドラゴン)には、ネコ助が帽子のつばの下でニタリと邪悪に笑ったのは見えてない。

「見せてやろう、我が魔術の冴え。
 ――『gimel(東方の女神よ)』、『resh(復活のセフェロトよ)』、『teth(闇の灯明よ)』」

 呪文、ささやき、詠唱、念じろ、てな具合に。
 ドラゴンの姿が見る見るぼやけて、オレたちが見守る中、あっと言う間に魔王はネズミになった。










 ただし、体長二十フィートの。










 スコープドックよりデカイじゃねーか!?

「……いや……それは少しサイズがデカすぎではないか……?」

 ネコ助もオレと同意見らしく、ついでにオレと同じくらい呆れている様子。喋りがすっかり素に戻っている。
 大ネズミになった魔王はそんなツッコミに対しあっさりと、

「オマエ、親父のヤツに飼われてた猫精だろーが。ペロー童話じゃあるまいし、誰がひっかかるか」

 げ、バレてるぞおいっ。
 ……って、アレ?


 …………………「親父の」?


「――今何つったあああああああああああああああッッッ!!?」
「ぬぬっ。貴様は!?」
「ひゃ、――わ、馬鹿者、出てくるなとあれほど」

 出ずにいられるか。

「それよかテメエ、こら魔王! 魔王っつーかクソ兄貴! 魔王って何だ魔王って!」
「紛らわしくないかお前。……いや何だと言われても仕事だが。職業に貴賤無し」
「違う! それ職業違うっ!! だいたいアンタ魔術師だろ!?」
「魔術師と言ってもなー。収入があるワケじゃ無しツブシ効かんし。
 ナニかとせち辛い世の中、副業のひとつもないコトにゃどーにも。なあ?」
「同意を求めてどーするうううううううッッ!?」
「まーわからんでもないなそのヘンは」
「オノレもわかるなあああああああああッッ!!」

 ぐるんと向き直って大声を出すと、ネコ助は「ニゃぅッ」と跳び上がって後じさった。
 ネコはいきなりの大声が苦手。なんかしおしおしてる。
 後顧の憂いも断ったところで、オレは魔王……下の兄貴を睨みつけた。

「とにかく、こーゆーのやめろ。最近領地の年貢がイマイチ集まらないってアンタが原因だろっ。
 畑仕事してたおっさん、顔色悪かったぞっ」
「まー下々の労苦は、搾取される者の運命みたいなもんだし。ホラアレだ。キャラクター作成時のボーナスポイントが低かったってヤツ? いやー残念、人生にサイコロの振り直しは効きマセン」
「がーッッッッ!!! テメーのそーゆートコ、ガキの頃から大嫌いだーッッ!!」
「ハハハ奇遇だねー『もと』弟クン。私もキミのそーゆー底辺寄りな貧乏根性がダイキライで」
「じょーとーじゃねーかエロ兄貴。ムッツリ若禿。そのフランス書院系の根性叩き直してやる」
「だ、だ、誰がフランス書院系かっ。さささてはさっきのを見て、おいっさっきのはだなっ、騙されたフリをして一杯食わせるための、つまりインテリジェントでシニカルなだな、」

 だったら床の巨大な涎たまりをどーにかしろ。

「――かーっ信じてない目ッ!? コロスっ。全殺しにしてハズカシ固めにして写真にとってボーイズラブ系サイトに無修正画像アップしてけつかるぞこの総受けキャラっ。童顔っ。二十歳になっても灰皿出されマセン系がっ」
「抜かしたな初任給はアートネイチャー決定男。髪の毛伸ばしたってそのツラじゃCVは塩沢兼人になれねえぞっ。むしろ千葉繁っ。イイトコ野沢那智じゃねーかっ」

 世界観まるきり無視の悪口を飛ばし合い、ばちばち火花を散らすオレと大ネズミ(※注:こんなんでも兄貴です)。
 スコープドック級がどーした。機甲猟兵のスゲー根性見せたろか。

 くいくい。

 何だよネコ助。後にしろ今忙しいから。
 これからこのネズミに、オレの恐怖飛び込みめくり大キックゴスゴス中足真空波動拳をだな、

 くいくい。

「……だから何だって――」

 振り向くと、上目遣いの恨めしそうな目で見られていた。
 おずおずと服の端っこを爪でひっかけ、精一杯身体を離しておどおどしてる。
 よっぽどびっくりしたらしい。

 …………………えーと。

「……」
「……」
「……」
「……あー、悪かったって」
「……にゃー……」

「あー、ゲフンゲフン! おい其処! 其処!!」

 すまん無視して。

「……ったくもーいいか? いいな? ホントだな? よし、――フフフフ、貴様も容赦せんぞ猫精。そこの馬鹿ともどもすぐにとっつかまえて、18禁未満お断りの注釈無しでは公開もできんよーな内容の折檻をばしてくれる。
 ネズミにけちょんけちょんにノされる、世界で最初のネコになれ!」
「……なんかノリノリだな兄貴」

 この立ち直りの早さとノリは、ある意味尊敬できるかもしれん。
 にしても、確かにコレはちょっと不利かも……。

「……おいネコ助、何か考えあるのか」

 ぽしょぽしょと小声で聞いてみると、こちらもだいぶ立ち直ったネコ助は「うむ」、と頷き、

「こうなる可能性もそれなりには考えていた。とりあえずな、」
「うんうん、とりあえず?」
「死ぬ気でダッシュだ。吾輩も頑張る」
「へっ?」

 ネズミがこっちに大爆走中。

「おわー!! おわーッ!!」

 あわててジャンプしたすぐ横で、歯が噛み合う音が、

 がいん(ぃんぃんぃんぃんぃん…)。

 今のホントに歯の音ー!?

 柱の影に全力疾走、自己ベストの速さで逃げ込む。と思うと、地響きをあげて追いかけてきたネズミが凄いフットワークで回り込んできた。
 見た目はネズミでも二十フィート。これで速さは馬以上。ド迫力だ。
 とりあえず逃げながら剣を抜いて、剣を……。


 当てる前に轢かれます。


 こんなん人間サイズでどーやって勝つワケ!? ねえ理屈上!?
 昔の勇者は偉かったなんて絶望してる場合じゃない。こんなんじゃすぐに追いつかれる。
 どーするどーすると思ってると、そこへからかうようなネコ助の声。

「ふふン。大見得を切った割には、最初はオトコ狙いとは恐れ入った」

 ネコ助はオレから離れ、かむかむと手招いてネズミを呼ぶ。
 そして、やおらくわっ、と開眼。

「――実はハーベストノベル系だな貴様! 総攻めか。え、鬼畜総攻めかっ!?
 あのツラで大胆不敵にもJUNE系かッ!?」

 ネズミがネコ助に向き直る。大怪獣よろしく咆哮。
 現実はいつも残酷。

「死んだ猫だけがいい猫だああああああああああああッッッ!!」

 今度はネコ助に突進。すわ轢殺の寸前で、ネコ助はひょい、と横に跳びすさる。
 ネズミは勢いを殺しきれずに、したたかに柱に激突する。大理石の柱が真ん中から砕け散る。
 わ、すぐに立ち直った。全然効いてるように見えない。
 再び突進。きわどくかわす。突進。かわす。突進。かわす。

「くそ(外れ)。この(外れ)。猫(外れ)。待て(外れ)。コラ(外れ)」

 でも見ているオレは、気が気じゃない。どんどん追いつめられてるように見える。
 余裕があったネコ助の顔から、笑いが消えていく。
 もどかしい。助けてやりたい。無理。でも助けたい。

 舐められた頬の感触。すりつけてくる温もり。甘えてくる声。

 抱きたい、撫でたい、ふにふに触りたい。


 もっと、ずっと、これからもずっと、




 ――ああ、そっか。




 オレは、唐突に気付いた。
 今まで気付かなかったのが不思議なくらいはっきりと、そのことに気付いた。
 初めて会ったあの日から、どれだけこいつが側にいてくれたか、どれだけオレを見守ってくれていたか、どれだけオレを慰めてくれたか、どれだけオレを大事に思ってくれていたか。

 どれだけ、こいつが大事なのか。

 我慢が限界。いまだにネコ助は大ピンチ真っ最中。
 もうヤケだ。たかがネコ一匹にと笑うなら笑え。
 助けたい。どうなってもいい。助けたい。――助ける!!

 飛び出そうと、した。
 ネコ助が、顔をオレに向けた。

 そしていきなり、――不敵に笑った。

 オレの足は、ただそれだけで止まってしまった。

「――ではここで質問だ。ひとつ。化術を使う者は『必ず』知識が豊富であるか」

 唐突に、そんなことを言う。

「ふたつ。吾輩は何故こんなことを続けているか」

 大ネズミが迫る。巨大な牙が噛み合う。逃げた先に丸太みたいな尻尾が飛んでくる。

「みっつ。ネズミのことをネズミ以外でもっともよく知る生き物は何か」

 間隔が詰まる。ドレスが裂け始める。スカートが引き裂かれる。帽子が跳ね飛ばされる。

「よっつ。ネズミはどんな特徴を持つ生き物か――」

 オレが見ても判った。――次の攻撃は避けきれない!!

「さあそろそろ詰みだ、猫精!!」

 魔王の宣言。それへの返事。

「そうだな。『解答』の時間だ、魔王」

 『解答』は。
 測ったみたいに顕れた。

 それは音だった。
 ぐるぐるぐるぐる、なんて、大きくも妙に生々しい音。
 音の発信源は、ネズミだった。



 正確には、ネズミの腹からだった。



 ネズミの動きが、いきなりゼンマイが切れたみたいにのろくなった。
 ネコ助は余裕でひと跳び、ネズミの牙の攻撃範囲から逃れる。

「ネズミはな、大食らいなのだ。常に何かを食べようとする。常に腹を空かせている。
 だから食べないと腹は減り続ける、動けなくなるまでな。簡単な理屈だろうが?」

 よろよろとそれでも惰性で進み、しかしネコ助にたどり着く前に、べたりと床につぶれてしまう。
 音はひっきりなしに、ぐるぐるぐるぐる鳴っている。

「吾輩に屈辱を与えようとネズミになったな。見事な化術だったぞ。完璧なまでに、正確無比に、そしてろくに知識も考えも無いままに、貴様は『ただの』大きなネズミに化けきった。
 そうそう、変身を解かないと餓死してしまうぞ。魔王殿よ」

 ネズミの像がぼやけて、よく知っている人間の姿になる。
 そいつ――下の兄貴は、人間に戻ってもまだ消耗しているのか荒い息を繰り返すだけだ。

「……お、おのれ……」

 ようよう言った悔し紛れの言葉も、仁王立ちで見下ろすネコ助には通じない。

「断っておくが、もうこれで貴様には完璧に勝つ目が無くなった。
 もう化術する余力はあるまい? あったとしてももう駄目だ。貴様が呪文を一言唱える間に、吾輩は貴様の無防備な人間の身体を五回は切り刻める……」

 もっとも、とネコ助は続けた。
 そうしてくるりと、オレに向き直った。

「もっとも殺しはしないが。――約束したからな」

 ネコ助は両手を腰に当てて。
 余裕たっぷりに言ってから、オレにもう一度にんまり笑ってみせた。破れたスカートの隙間から突き出た尻尾が、はたりと動いて乱れた裾を直してみせる。

 ……ひょっとしたら。
 ひょっとしたらコイツは、こんな真似をしなくても勝てるくらいに、本当はもの凄く強くて、だけど。

『いいからいいから。兄貴たちとケンカもイヤだし、街を出よう。
 財産にして後見猫ってんなら、とりあえず見守るヤツのワガママも大目に見てくれよ』
『ぬ……わかった。今回は諦めることにする』

 だけどそう約束したから、その約束を果たすために。
 だとしたら、なんて、

「かくのごとしだ、……我が主?」

 ちょっとだけ首をかしげて、裾をつまんで一礼するネコ助。
 にこ、と笑うその顔は、誉めてくれといわんばかりで。





 なんて、律儀なやつ。





「お前。……ホントにネコか?」

 呆れた顔を取り繕って、そんな憎まれ口を叩いて。
 そんな態度をとりながらも、オレはしばらく見とれてしまった。


 だって、すごく――かっこよかったんだから。


           ☆           ☆


 それから、ちょっとだけ後の話。


 あの一件のあとしばらくして、王都からオレに書状が来た。
 なんと中身は王様からで、オレは魔王退治の報酬として、爵位と領地をもらってしまったのだ。
 位は一番低い男爵だし、領地も狭いけれど、それにしたって奮発したモンで、と言うよりそもそも何で魔王退治の話が。誰にも喋ってないのに。

 と思ってたら、どーやらどっかの誰かが計画的に情報を流布させた模様。今や王都じゃ、何故かネコまでオレのことを知っているとか。

「さ。こんなことでいつまでも足踏みはしておられん。
 奇跡の四階級特進で、次こそ公爵に。……フフフフ聞いて驚け、吾輩に秘策がある」

 書状が来た日の夜に、情報流布の筆頭容疑者がぬけぬけと言ったセリフ。
 殺す気か。丁重に断固として断った。
 兄貴たちとはその後何の関わりもなく――下の兄貴はすっかりショゲて、あれから目立った悪さもしてないみたいだ――平和なもんだ。
 もっとも、今もそれなりには忙しい。
 領地の経営方法とか、騎士典範の勉強とか。兄貴にまかせっきりだったオレはつまり、全部イチからやらなきゃいけない。そもそも読み書きすら優秀ってワケじゃなかったから、典範書なんか読もうとした日にゃ難しすぎて頭が爆散しそうだ。
 それだけならまだしも、ネコ助のヤツがああしろこうしろそれはいかんこれがいいと言った調子で、いろいろ口やかましいのには困った。
 オレとしてはのんびりやっていきたく、でもアイツにしてみればオレの後見猫という立場上、要はオレのことを思ってやってくれてるのも解っている。んで無下に扱えずなお困る。

 特に最近は、オレにとってどうしてもしたくないことを無理に――。



「こんなところにいたか」

 来たかネコ助。
 オマエな。ヒトがせっかく息をひそめてクローゼットに隠れているものをだな。

「フッフッ、何処に隠れようとムダだ。人間の穏行程度では猫の耳は誤魔化せないぞ。
 さ、あれから新たに三通の申し込みが来た。候補も増えたことだし、今度こそ決めるのだ」

 ネコ助が突きだしてきたのは、セブンブリッジのカードよろしく、ずらりと並んだ書状の数々。
 ぜんぶ求婚状。もしくは求婿状。
 物好きな奴が多いもので、魔王を倒した勇者様を是非とも我が家の一員に、ということらしい。

「だーから倒したのはオレじゃねえって言ってんのにー。インチキじゃん」
「過程や手段はこの際問題ではないと思え。お主が世間にどう見られているかという現実、そしてそれが生み出したこの結果こそが真実だ」

 ネコ助は、ぜんぜん取り合わない。ほれほれ選り取りみどりだぞ、とか言いつつ爛々と目を輝かせ、クローゼットの隅っこで小さくなってるオレににじり寄ってくる。

 そんなわけで、オレは今困っている。

 どうしたらいいものか。
 コイツの要求をきっぱりとはねのけて、コイツとずっと一緒にいたい、なんてオレのわがままをどう切り出せば、使命感に燃えるコイツは聞いてくれるだろう?
 何て話せば納得してくれるだろう?

「……いいか、今回の注目株はこの書状、フランディール家からの求婿状だ。フランディール一門と言えばお主、王室にも代々繋がりを持つ血筋だぞ。先日来たバレンティノ家に並ぶ、いやそれ以上と言っても過言ではない逆玉の輿、文面によるとなんと出初めの次女、しかも噂によるとコレがなかなかのゴスロリ系で――。
 うむッ。此処だ。此処に決めろ」

 熱心に書状を読み上げるネコ助に、オレにはお前がいるからいいよって、オレが欲しいのは本当はお前だけなんだよって。
 どんな気の利いた言葉で、伝えたらいいのだろう?

「……こら、聞いておるのか?」
「まあ、ハナシ半分くらいで」
「真面目に聞かんかっ。再三繰り返すようだがな、吾輩の使命はお主を、――あ、わぅ、こら――」

 オレは困ったから苦笑を浮かべて。
 困ったから、とりあえず抱きしめて、頬をくすぐるみたいに撫でてみた。
 ネコ助は何度かじたばたと暴れてから、それでも撫でるのをやめないオレに嘆息する。
 それからそっと、普段のオレじゃ気付かないくらい小さく、でも嬉しそうに、喉を鳴らした。






 腕の中のネコ助は、あったかかった。






 了



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