| 小説目次 |
| 『〜幻獣辞典・無名外典〜』 こあとる著 <MAIL> |
王子は呆けた様子で、その棺を見つめていた。
棺。――硝子の棺だ。中に収められているのは絶世の美少女だ。
さる王国の正統なる嫡子、王位継承権も持っているその王子をして初めて見るほどの、息が詰まるような美しさだった。清楚にして可憐、手折るのどころか触れるのもはばかられるような、ほころびかけた白い花のつぼみと言ったところだろうか。
その少女が、眠るように収められている棺――。
その場所にやってきて、はじめてその棺を目にしたときから、王子はぴくりとも動けなくなった。ただぽかんと口を開けたまま、半ば脱力したかのように突っ立ち、ひたすらその光景を見つめているばかりだった。
眠るように横たわる美しい少女。森の木漏れ日に輝く硝子の棺。静謐な空気。
「……お、――」
どれほどの時間が経ったのか、王子が喉の奥でちいさく呻いた。同時にぱちりと目をまばたく。
まるで今まで、まばたきも呼吸も忘れていたよう。それからすうっと目を細め、眉をひそめ、静寂を破るまいとするかのようにかすかな吐息を何度かむさぼってから、感極まったように――。
「オマエら………………………………………………………………何?」
思いっっっっっ切り引いたツラで、そう言った。
残念。見てたのは棺じゃなかったみたいです。
〜外典之玖もしくは「白雪姫」〜
具体的に言うと、七人の小人だった。
「小人」。――文字通りである。七人が七人とも全員そろって、背丈が王子の腹あたりまでしかない。
背丈だけ見るとまるで子供だが、小人というくらいなのだからしてもちろん子供ではない。
つーか子供であるワケがない。
とりあえずゴツイ。何はさておきゴツイ。
ツラがゴツイ。顔の造作がそろっていかつく、異様なほどに鼻がでかく、伸ばした顎髭は地面に届きそうなほど長い。両目は薄暗い森の中でもぎらぎらと輝き、ヤケクソなほど真っ白にむき出した歯と相まって、闘志だか殺気だかよくわからないシロモノをノズルのぶっ壊れたスプリンクラーよろしく四方に投射しまくっている。
カラダがゴツイ。筋肉がどうこうとかいうレベルではなく手足が太い。筋骨粒々の巨漢のカラダを、太さはそのまま縦に無理矢理プレスしたらきっとこんなカンジ。素手で自然石とか砕きそう。玄武岩とかも木っ端微塵。と言うか岩喰いそう。
着てるものがゴツイ。白銀色に輝く鎖かたびらに面覆い付き兜。要所要所に分厚い金属板とかが鋲打ちしてあってまるで戦車か攻城兵器という印象。――曹長殿ハイパーライフルがききません。敵が向かってきます。連邦軍の新モビルスーツです。
トドメに持ってる得物がゴツイ。
いやそれヒトゴロシ以外の何に使うの、いやいやヒトゴロシにでもそんなのそうそう使わないよとカメラ目線でツッコミたくなる鋼鉄の凶器が横一列でずらり勢揃い。
殺戮と破壊の博覧会会場はここですか? 返事が来る前にダッシュで逃げないと。
オンナなんて見てる場合じゃなかった。
「儂は≪斧≫だ」
そんな死と絶望が隣り合わせの灰と青春な最中、錆びた鉄扉がきしむみたいな低い声音で一番右端の小人がそんなことを言った。
最初の質問に答えたらしい。小人たちの名前だろうか。
だとすると、――オーケー≪斧≫。王子はココロの中で呟く。確かに斧だ。
でもちょっと大きすぎ。普通の斧といえば、せいぜい刃の部分の広さは大人の手の平くらいであって、成人男性の胸板くらいの巨大な両刃であるなんてことは絶対ない。デカっ。何キロあるんですかソレ。いやなんか片手で持ってるけど。
「儂は≪銛≫だ」
その隣の小人が言った。うん銛だけどさ確かに。
長すぎ。柄の部分だけで三メートルくらいありそう。でも持ってる部分は地上六十センチくらい。あのーその身長でどうやって使うんですか? 銛って言うかもうアンテナ? アンテナにしちゃ太すぎ。
「儂は≪鎚≫」
そのお隣さんは鎚。もうこの時点で助けてってイキオイの。
そもそも鎚ってハンマーのことで、本来杭とか打つためのもので、両側が円錐状に尖ってるってどうよ。しかもハンマーの部分なんてもう樽一個分くらいデカイし。何に打ち込むんですかそれ。いやいいです言わなくて。
「儂は≪杵≫」
次は杵。やったマトモそうな農耕具。ゴメン嘘。
持ち手を付けた、大人の両手ひとかかえくらいありそうな丸太って杵って言うかなあ。むしろアレでしょ。お城の正門とか破るときに兵士が五人がかりくらいで抱えて突っ込ませるヤツ。そういや貴方もいいバランス感覚してますね。真ん中から肩にかついでるんだからその丸太。ああすみません杵でしたね。
「儂は≪網≫じゃ」
いやそれはいくらなんでも無理がないか。
鎖を編み上げて造った投網ってだけでも機能的にどうかってトコにもってきて、内側にびっしり生えてるトゲは何ですか。それ投げるの? いや投げなくていいでしょ叩きつけるだけで。たぶん人間なら即死。
「儂は≪矢≫だ」
ようし今度という今度は言わせてもらうぞ。
それ矢じゃねえだろ。鉄球だろ。しかも大人の握り拳くらいあるしな。油を塗ったら波紋流せるな。ワムウも一発だな。そもそも弓なんて可愛いもんかその重弩は。ボウって言うよりクロスボウ。クロスボウってよりはバリスタじゃねえか。
「そして、儂が≪火≫である」
あ、もーそろそろ来ると思いました。
アームストロング砲だかカルバリン砲だか知らないけど、だから直接抱えるなっつーのにサイズ合わねえんだから。だいたい今までの六人がせっかく名前と体裁だけは農耕具だったり漁具だったり体面を保ってきたトコにアンタだけ開き直って攻城兵器ってどうよ。まさかそれで鹿とか兎を狩るなんて言いませんよネ。
一通りの自己紹介(とツッコミ)が終わった後で、七人はおもむろに居住まいを正した。
地の底から響くようなだみ声を揃え、それぞれの得物を高々と差し上げ、
「我ら、此のイバラの森にて住まうもの」
「我ら、此のイバラの森を守護せしもの」
「我ら、魚を捕り」
「我ら、ケモノを狩り」
「我ら、木を切り」
「我ら、地を耕し」
「我ら、鋼を打つ」
がちん! とそれを打ち合わせる。薄暗い森に火花が散る。
ハイホー、ハイホー。
「「「「「「「仕事が好きー♪」」」」」」」
それから七人は一斉に、ギシィッ、と王子へと視線を向けて、
当然、――王子はバックレていた。
無理もありません。
了(ギャフン)
〜外典之拾〜
市から買い出しで帰ってきた俺に、メザが嬉々としてヘンなモノを見せた。
「いやー、まだ売ってたんだよ。つい懐かしくてねー」
「……なんだこりゃ?」
一言でいうならヒモノだ。大きさは俺の手の平よりひとまわり大きいくらいか。
もう一言付け加えるなら、ヘンなヒモノだ。
と言うか。何のヒモノだ?
いびつな三角形。ひょろひょろとした尻尾が二本くっついている。二等辺三角形の両端は短い羽みたいに突きだしていて、ちょっと見には……ちょっと見には…………ホント、こりゃ何だ?
視線を上げると、メザの野郎が俺をにまにまと見下ろしている。
「フッフッフ、――解るまいて」
まったくもってその通りだが、オマエがそう言うとなんか無性にムカつくな。
ともあれ話が進まないので、仕方なく乗ってやることにした。
「何なんだそりゃ? 生き物なのか。喰えるのか」
「もちろん生き物さ。≪ジェニー・ハニヴァー≫もしくは≪スカティナ・スカティナ≫と呼ばれているね。四世紀半ほど前の博物学者には≪飛ぶ竜≫とか≪海の鷲≫とか言われていたっけな。喰えるかどうかは解らないが」
「竜? ……鷲ぃ? それがか?」
「もちろん鳥ではないし、まして竜の眷属でもない」ヒモノをひらひらと揺すり、「ただ海に住んでいた生き物であるのは間違いないよ。オランダで獲れるって話を聞いたが、ひょっとしたらこの近くでも獲れるのかも」
「見たこともねえぞ、そんな生き物」
ヒモノと言ってもそれほど大きくないんだから、生きてた時の大きさもこれくらいだったろう。よくよく見ると、胸――三角形の真ん中あたりには小さな肋骨みたいなくぼみがあり、その上に人間の顔みたいな形に皺が寄っている。魚には見えなかった。
こんなんが海を泳いでるって? ガキの頃から港に近い町に住んでたが、まったく見覚えが無い。
と、そこでメザの表情に気付いた。正確には野郎の笑い方に気付いた。
先程と一転し、ドレッドヘアのレゲエ面に似合わねえことおびただしい、やたら誠実そうな笑顔――。
ああ、これは俺をペテンにかけてるツラだ。十中八九間違いない。
顔が自然と微笑むのを感じた。優しい笑みだ。小鳥たちも寄ってきそうな慈顔というヤツだろうか。
「む。その顔はわかるぞ。――ハッハッ、私をボコろうとしてる時の顔だねマイフレンド? いやあ隠さなくても判るよ。決して長いとは言えないつき合いだが、キミと私の友情は時間などでは計れない程硬くて太くて黒くて大きい、」
――買い出しに行ったのは幸運だった。硬くて太くて大きいワインボトルがあったのだから。(※俺:談)
「…………つまり……それは作り物であってだね…………エイを加工して怪物に見せかけた……。
――ねえ神様、貴方は何人いて、一体誰が本物なの? へーいジョー、まずは右フックねー」
「最初からそう言やいいんだオマエは」
セリフ後半のイタリア離れしたヨタは無視するとしても、ボトルで二十七回ぶん殴ったはずなんだが。毎度毎度思うことではあるにせよ頑丈なヤツだ。
床でぐんにゃりと伸びているメザから「それ」を取り上げ、しげしげひねくってみると、――なるほど、もとがエイと言われれば判らなくもない。
ヒモノにする際頭を引っ張り、尻尾を二枚におろして切ればいいのだ。そもそもエイ自体そうそう見るものじゃないし、漁師だって網にかかっても捨ててしまう。
知識でしか知らないモノをちょっとひねくるだけで、未知のモノになっちまうという寸法か。
「だいたい、いるわけねえしな。こんなバケモノ」
「さて、それはどうだろうね」
床の上から反論。もう復活してきやがったか。
「まだ言ってんのかオマエは。今こいつがサマだって認めただろうが」
「それは確かに作り物だよ。だが考えてもみたまえ、海というのは陸とまったく異なる環境なのだ。陸の上では想像も出来ないような生き物が育っても不思議ではあるまい? 実際今では絶滅しているが、一時期など実にキテレツな生き物ばかりが海の中を闊歩していたのだ。
三葉虫にアンモナイト。それにバージェス頁岩動物の一群。キミも聞いたことくらいはあるだろう?」
「アノマロカリス……とか何とか言うアレか? 目が五つある」
アメリカのはるか昔の地層から出たっていう、ワケのわからん生き物たちのことだった筈だ。
テレビでやってたのを観たが、どうにも信じられなかったな。
「それはオパビニアかな。でも確かにそれだ。実は今でもカニやエビの幼体は似たような形をしていたりするのだけれど、奇形的という部分ではあの時代の生物には遠く及ばない……まあ当然かな。今生きている生物は長い進化の果てにいらないものを山ほど置いてきてるんだ。逆に言えばあの頃の生物は、いらないものをまだ山ほど抱えている、ということでもあるのだからね」
「でも、もう絶滅しちまってるんだろ? 今はもういねえんだ」
「化石があるさ。それに」俺が持っているツクリ物を指さす。「彼らもいる。そういう珍奇、不思議なモノへの憧れや愛情は止むことがない。止むことがなければ、そういうモノたちは常にこの世に居続ける――」
「詭弁だろそりゃ。死んだ人間はいつまでも貴方の胸に、なんて坊主の説教よりタチが悪いぞ。
第一、そんな連中がいてどうする。何をしてくれる。喰えるってのか?」
「いやいや、そういうモノたちは愛でるだけでもいいもんさ。――想いを馳せるだけでもいい。
畏れられるため、面白がられるため、憎まれるため、愛されるため、そのために彼らは生まれ続け、今も生き続けるってことなんじゃないかな。少なくとも私はそう思うね」
「……愛でるって言うモンか、それが?」
不気味な。
「それこそ人それぞれだろう? 宗教の世界なら憎むべき異端の怪物。なら中には愛してやまぬ者だっているだろうに。
そうだな。こういう言い方は少し卑怯だが……そういうモノが実在する、なんてハナシよりは真実味がないかね?」
「ふン」
確かに卑怯な屁理屈だ。だが俺は不承不承頷いた。
そうだな。人間の好みなんてなそれぞれで、中にはヒデエ物好きもいる。
そういう連中が好き勝手にやっていて、そういう連中が楽しむために『それ』があるってんなら、――まあ、そういうモノが有ってもいいのかもしれない。
「まあ、結構なご高説だった。俺にはコレっぽっちも共感できんが理解したぞ」
「微妙にセリフにトゲを感じるのだが、解ってくれて嬉しいよ。友が解り合うこの瞬間。通じ合うヨロコビ。サイコー。イエー」
「……それはまあいいとして、」
俺はつとめて視線を逸らしていたが、やむなく目だけ下におろした。
メザはまだ床に寝っ転がっていた。今までのご高説は全部床にごろごろしながら放たれたモノだ。台無し。
「ひとつ聞きたいことがあるのだが。めでたく通じ合えた俺たちの間に隠し事は無いよな。正直に答えてくれ。友情のために」
「いいともベストフレンド。どんなことでも聞いてくれ」
俺は手にしたヒモノを突きだして聞いた。
「幾らした」
「十五万リラくらいかな」
踏んでおきました。
了
〜外典之拾壱〜
「――あれ? もう終わり?」
モニタを見つめながらかちゃかちゃやっていた辰希が、そんな呟きを漏らすのが聞こえた。
つられてオレも読んでた雑誌からモニタに目を移すと、ちょうどラストバトルが終わったところだった。賢者たちの導きにより闇の結界をうち破った勇者様御一行が、愛と勇気と友情と、オレと辰希による二週間以上に及ぶプレイ時間を余さず突っ込んだ総攻撃の末、三千年ぶりに復活してこの世を滅ぼそうとする邪神様に見事なトドメをくれた瞬間で――お、ちょうど勇者様の最大奥義でキメるとはやるな辰希。グッジョブ。
「終わったかー。レベルいくつで行った?」
「えと……勇者さんが65かな……あとは60ちょいくらい?」
「うわ。スッゲエ無難なトコまで上げたなぁお前」
レベル上げ辰希に任せてたからなー。
こいつってば、その手のコトには無類の集中力と持続力を見せるし。なかんづく頭真っ白にする繰り返し作業なんてもう無敵。
「んー……途中のダンジョンで稼げたし……でも……」
エンディングに向かって進むゲーム画面を観るともなしに観つつ、辰希はなにやら釈然としない様子でぶつぶつ言ってる。
「どしたよ。手応え無さすぎたってか?
でもそれに関しちゃお前が悪いと思うが。普通のクリアレベル、40そこそこらしいし」
「そんなんで出来ちゃうんだ……うん、出来そうだね今の調子だと……」
「ああ、でもエンディング後に隠しダンジョンと裏ボス出るらしいから、上げておいたのは正解かもなー」
「え。このひとの他にボスいるの?」
「いるいる。なんか竜の王様みたいなヤツがいるんだってさ」
「へえ……」
今読んでた雑誌――まあゲーム情報誌だけど――にちょうど攻略記事が載ってた。ほれほれと見せてやると、辰希の顔がいよいよ納得行かないってカンジの仏頂面になった。
画面と攻略記事を見比べつつ、いろいろ考え込んでいる様子。ナニがそんなに気にいらんのだ。竜が出てくるからか?
怪訝な顔で自分を見ているオレに、辰希はちょっとばつが悪そうに向き直り、
「いや、うん、ちょっとね……なんか、馬鹿だなぁと」
「だれが」
モニタをちょんちょんとつついてみせて、「邪神さんが」なんて言った。
「この世を滅ぼすとか言ってさ。実はぜんぜん実力足りてないっぽくない?
このゲームって99レベルまで上がるんでしょ? たった40で倒せちゃう邪神さんって」
「いや、それはただ単にユーザーフレンドリーなだけだと思うが。
しかしまあ確かになー。人間では滅ぼせないとか言っときながら結局その人間ごときにやられちゃうし、二段変身とかもしなかったし、そもそも裏ボスの方が強いってのがそこはかとなくひどい。
勇者様御一行に勝てても、結局最後はその裏ボスに負けそうだよなコイツ」
「人間にしたって同じだと思うよ? そんなに簡単にはいかないって。
現実世界で考えると、三千年前って言ったら紀元前でしょ? 人口だって世界全土で一千万くらいだよ? 今では六百倍に増えてるんだよ?
単純に滅ぼしにくさも六百倍。傑出した英雄が出てくる確立も六百倍。技術や知識も三千年分進化してるから、前は封印するしかできなかったとしても、もう倒せるようになってるかもしれない。
人間側のデメリットなんて、『邪神なんていない』と最初思ってるだけじゃない。そのハンディキャップで例えば十億人死んじゃったとしても、まだ五十億以上いるんだから、」
そこはかとなくヒドイコト言ってないかオマエ。
顔に出てなくともつきあいは長い。辰希はすぐさまそれに気が付き、ばたばたと手を振る。
「――あ、その、ごめん。今のナシっ」
「ま、まあ仮定の話だしな? つーか辰希、いつの間に現実の話になってんだ?」
ああそうだね、なんて言いながら、辰希はちょっと首をかしげる。
「つまりさ。現実にはこんなお馬鹿さんな邪神はいないってことかな。
もしいたとしても、人類六十億を滅ぼして、なおかつ『親人間派のひとたち』を滅ぼして、最後は『親人間派じゃないひとたち』まで相手にしなくちゃいけない……。
どんなに強力な邪神でも返り討ちに遭っちゃうよ、そんなの。邪神のひとりやふたりじゃこの世界はびくともしないし、『セカイを滅ぼす』なんて、そんなに簡単なもんじゃないと思う」
ゲームの話をそこまで現実的に捉えちゃうヤツも珍しいと思うぞ、オレは。現実感が乏しすぎる。
でも確かに、辰希が言うと説得力はあるような気がする……かな。
「うむ。とりあえず親人間派代表として、お前には是非とも頑張ってイタダキタイ」
「うん。何はさておき君を護るため頑張るよ」
エンディング画面に突入したモニタに首を巡らし、辰希はにっこりと笑った。
その背中から生えた翼を、はたりと揺らしながら。
「どーでもいいが、竜がドラクエやってるって問題ないか」
「近頃の幻獣はこんなもんだよ?」
了
〜外典之拾弐〜
三人の男たちは、そろって顔を見合わせた。
まだ二十歳を出て間もないだろう、着込んだスーツ姿もあまりさまになっていない青年たちだった。一様に困惑した面もちだったのはともかく、三人ともに目線を交わし会うことすらひどく居心地が悪そうに見える。
三人が立っているのは、吹きさらしの橋の上だ。
雪こそ降っていないものの、薄手のハーフコートくらいしか着ていない三人にとって、真冬の風はひどく冷たそうだった。まして町中ならともかく、ここがちょっとした山林の中ともなると、あちこちの日陰に根雪が残っているのを見るまでもなく、寒さもいや増してコートの裾から染みこんでくるかのようで、少なくとも長々と立ち止まっていたいとは誰も思わないことだろう。
ただ、立ち止まらないわけには行かなかった。それほど広くもない――どころか数メートルほどの幅しかない――川にかかっている目の前の橋は、コンクリを打っただけの簡素なもので、車はおろか、大人二人が肩を寄せ合ってどうにか並んで通れるくらいの広さであり、その真ん中に道をふさいでいる者がいるからにはどうしようもなかった。
子供だった。
おそらくまだ中学生にもなっていない、十歳かそこらの少年だ。この寒い中薄手のシャツに紺色の袖無しベスト、サイズの大きすぎるだぶだぶのハーフパンツだけという出で立ちで、なのに先刻から寒そうな顔ひとつするでもなく、ただじっと立ち止まっていた。
少年は、じっと立ち止まったまま――三人を見据えている。長く伸ばした、というよりまったく鋏を入れないまま伸びるに任せた髪が、なかば覆い隠している隙間から、かろうじて覗いている右目だけで。
異様な目だった。おそらく誰が見てもそう感じるに違いなかった。
黒目が小さい。眼自体はかなり大きいのだが、瞳の部分がつり合わないほどに小さい。
普通人間が目を開いている場合、黒目はその外周が目蓋と下目蓋で隠されるほど大きい。それがこの少年の場合、上下の目蓋の間に完全に白目が見えるほどなのである。
常人が額にしわを寄せ、目蓋をいっぱいに開いたようなものだ。ところが少年の顔にはほとんど表情らしい表情も浮かんでおらず、その異様さがいっそう際立っているように見える。本来このくらいの年頃の子供なら誰でももっているはずの幼さが、まったくと言っていいほど感じられなかった。
そんな少年が、三人を見ている。橋の真ん中に立って動こうともせずに。
三人が押し黙ったまま顔を見合わせるしかなかったのも当然だった。子供らしくない、という形容を通り越して、それはもう不気味だった。
それでも目線と顎先で器用に役目を押し付け合って数十秒、三人のうち右端にいた男がようやく声をかけることになった。少年をいやいや見やり、
「あのねえ、坊や? ……悪いんだけど、お兄さんたちはこれから――」
「帰れ」
話しだそうとした途端、あっさりと遮られた。
怒鳴ったわけでも、泣き叫んだわけでもない。どころかその顔には相変わらず、表情らしいものもろくに浮かんではいない。
ただ淡々と、抑揚に乏しい声で「帰れ」とだけ言った。とりつくしまも無かった。
「おい坊や、悪いけど俺たちは仕事でここに来たんだ。坊やの遊びに付き合ってる暇はないんだ」
片手で顔を覆って宙をあおぐ仲間を見て腹が据わったのか、今度は真ん中の男が口を開いた。優しく言っても無駄だと思ったのか、そもそも自分たちの行く先をふさいでいる子供に腹が立ったのか、叱りつけるような口調になる。
「俺たちはこの先にある、萩本源八という人の家に交渉に行くんだ。――解るか? 仕事なんだ。時間が勿体ないし、萩本さんも自宅で待っていらっしゃるんだ。
何処の子供だか知らないが、邪魔をするのもいい加減にしろ。大人をからかうもんじゃない、いいか、」
「――帰れって言ったんだ。お前たちこそいい加減にしろ」
少年の口調は、一切変化しなかった。
それどころか、調子も内容も、大人に対する子供の口調ではなかった。淡々と喋っているだけに馴れ馴れしさはカケラほども無く、その見た目からは想像も出来ないほどの冷たさだけが感じ取れた。この少年が明らかに、三人を自分と同格か、ひょっとしたらそれ以下にしか見ていないということだった。
真ん中の男の眉間に、深い皺が寄った。いきおいに任せて怒鳴りつけようとした。
怒声が飛び出る寸前、少年が言葉を繋いだ。
「源八爺さんも喰ってしまうつもりのくせに、何が『仕事』だ。僕こそお前たちのごたくに付き合ってやる暇はないし、義理もない。
人間のふりをするのはやめて、大人しく住処に帰れと言ってるんだ」
三人の浮かべた表情は、それぞれ三様だった。
真ん中の反応が、一番「それらしかった」。ぽかんと口を開け、呆けたような顔になった。
先程喋った右側は、すこし違った。口を開いたところまでは同じだが、眉根を寄せて「あちゃあ」と言わんばかりの顔だった。
そして左側の男は、半眼になって子供を睨みつけた。
「お前は、――なんだ」
正気かどうかを疑っている――ではなく、何かを測るような真剣な顔だった。
少年にはその質問には応えず、ハーフパンツのポケットから何かを取り出す。
丁寧に四つ折りにされた便せんだった。それを見るともなしに見下ろしてから、三人にひらりと振ってみせた。
「先日僕のポストに手紙が来た。立花京子さんという人からだった。
手紙には、自分の弟の様子がおかしいとあった。人柄が変わったなんてものじゃない、まるで狂ってしまったようだと書いてあった」
少年は小さな可愛らしい手で、左の男を指す。
「お前だ。立花隆。鯖の切り身を12パックも、生のままで貪り食ったんだってな。
おまけにそれを見咎めた京子さんに吼えかかって脅し、家で飼われていた犬まで殺しただろう。憑いたばかりで人間のことがよく判らなかったんだろうが、犬に吠えられたからって、その犬の腹を引き裂いてしまうというのは無知すぎだ。
この国で生まれたものなら、たとえどんなに若くても、まずそんなことはしない」
そこまで言って、少年は言葉を切った。かすかに首をかしげ、右手を頭の上に持っていく。
いつの間にか、少年の頭頂に寝ぐせのような跳ねができていた。そこへ触るか触らないか程度に右手をかざし、それからやや上げていた目線を三人に戻した。
「そこのふたりも同じものだろう。――外国から来た妖怪だな」
右側の男が肩をすくめ、苦笑する。
ただ、子供の戯言を笑ったのではなかった。図星を指されての苦笑だった。
「いや、驚いた。コイツの正体が見破られたのは仕方ないと思うよ。なんせコイツは一番若かったから、『潜り込んだ』人間の操り方もあんまり巧くなかったしね。
けど、まさか俺たちまでバレちゃうなんてなあ。巧くやったつもりだったのに」
「その三人から出て行け」
「無理だね。何しろ俺たちは――」
不思議な声が割り込んだのはその時だった。
『――知っておる。お主たちは生き物の口から潜り込んで、その生き物の内臓をことごとく喰い散らかし、そうして空っぽになった腹中に棲み憑く魔物なのだから。
その三人はもう助からないであろうな。だが死者の身体を弄ぶなど誰が許しても儂が許さんし、コイツも許さんよ。大人しくその身体を返し、元の棲家に帰るとよい』
おそろしくかすれた、男とも女ともつかぬ、風の音のような低い声。
三人の反応は、やはりそれぞれ違った。
右側の男ははじめ驚き、それから諦めたように笑った。真ん中の男は辺りを見回し、その声がどう考えても少年から――彼はまったく口を動かしていないのに――出ていると知り、不思議そうに眼を細めた。
左側の男は、もう一言も喋らなかった。その顔からはげ落ちるように表情が消えていった。
『ナイル河に棲みワニを内から喰らう魔物、≪ヒュドロス≫。それがお主たちの正体だ。
五千年ほど前、――儂が人として生きていたときに、お主らの同胞を見たことがある。まったくもって懐かしいことだが、まさか現代においてまでお主らが生き続けていたとは思わなんだ』
「生きてたんだよ、それが。しぶとくね」右側の男が軽口めいて応じる。「そんでもってこれからもしぶとく生き続けるし、増え続けるよ。まずは合法的にあの爺さんの土地をいただいてから、あの土地にでっかい温泉施設を作ろうと思ってるんだ。この国は人間がいっぱいいる上に平和ボケした馬鹿ばっかりで格好の棲家なんだけど、いかんせん冬が寒すぎる」
『そこで仲間でも増やすつもりか』
「そうだね。車で十分ほどのところに町があるし、何より温泉施設ならたくさんの人が来るだろう?
ああ、アンタらも調べてるんだろうけどな。俺たちの取り憑いてるこの人間、市の職員なんだ。もともと地元の町興しに温泉を掘ろうって企画、数年前から出ていたんだよねえ。
愉快だろ。俺たちはこの国の金で、棲家を作ってもらえるってわけさ」
右側の男はそう言って、真ん中の男と左側の男の間に割り込み、さも馴れ馴れしくふたりと肩を組んだ。
今や「人間らしい」表情を浮かべているのは、その男だけだった。肩を抱かれたふたりの顔からは表情のみならず、生気すらも急速に失われ、肌は死人のような土気色に変わっていった。
「しっかしホント、アンタら何者だ? その口調だと同郷っぽいけど、そこの坊やは日本人にしか見えないしね?
――ま、どうでもいいか。お前を生かして帰す気なんてもう無いんだから」
あははは、と快活に男が笑った。肩を抱かれた、生気のなくなった男たちの口が大きく開いた。
その口内に、何かがいる。
大きな一対の目と、小さな鋭い牙をびっしりと生やした顎を持つ、ウツボのような生き物がいる。
男たちの喉が異様に膨らんでいた。大人の腕ほども太さのあるそれが、腹中から口腔へと這い上がってきたためだった。
男たちの虚ろな瞳と、生き物の無機質に光る目が、少年を睨んでいる。ただひとり笑みを浮かべている男の双眸だけが、ぎらぎらと残酷に輝いている。
笑っていた男が、べろりと口を開けて舌を出す。その喉の奥にも、まったく同じ生き物が棲み憑いていた。
その状態のままで、男は笑顔を崩さず、こう言った。
「オマエにも、喉から太いのを突っ込んでやるよ、坊や?」
やれやれ、とかすれた声が言った。ひどく人間くさい嘆息だった。
『痛い目に遭わねばわからんか』
「そうみたいですね、父さん」
少年が声に応じて、小さく笑った――
男たちの喉が、生き物を吐いた。
生き物は長かった。両者の距離は五メートル近かった。生き物の身体はそれ以上あった。
褐色の奔流のように、すさまじい速度で生き物が迫った。大きく口が裂け、二列に並んだ牙が少年の喉笛を噛み裂こうとした。
その目の前を、唐突に何かが塞いだ。大きく広がった紺色の布、少年が着ていた袖無しの服だった。
いつの間に脱いでいたのか、いつの間に投げたのか。少年の手前で彼を守るように拡がったそれは、飛来した二匹の生き物をあっという間に包み込むと間髪を入れず絡みつき、まるで意思があるかのように、とてつもない力で二匹を締め付けはじめたのである。
ワニの牙や胃酸、果ては刃物や銃弾すら無効化するはずの生き物の皮膚も、その全身を覆う褐色の防御粘体も役に立つことはなく、数トンを越える激甚な圧搾に、二匹は完全に動きを封じられ、痙攣しながら地面にぼたりと落ちた。
「な、なんだそれは――ぎゃあッッ!!」
ほとんど同時に、笑っていた男が口元を押さえ悶絶する。いまだ開かれた口を押さえた指の隙間から、長く細い針のようなものが男の喉に――喉の奥にいる生き物の目に――刺さっているのが見て取れた。
そして生き物は愕然とした。――これは髪の毛だ! この人間のガキ、自分の髪の毛を針みてえに飛ばして俺の目玉を貫きやがった!
「なんだオマエは。いったい何なんだ。……こんなことが出来る人間なんているはずがない!!」
凄まじい苦しみに悶えながら絶叫する生き物に、少年は平然と応じる。
「もちろん僕は普通の人間じゃない。でも人間と人間の子だ。死んでしまった人間と、死して甦った人間の子供だけれど。
だから僕は人間の味方だ。どんな魔物や妖怪だって、人間を苦しめるものは許さない」
「し、死んだ人間の子供だと!? そんな馬鹿な――」
『妻は恨みに爛れた魂魄しかなかった。儂は朽ち果てた肉体しかなかった。
だから儂らは自らを与えた。儂は身体を与え、妻は魂を与え、儂らに連なるすべての祖霊と精霊たちが力を貸して――そうやってこの子は生まれたのだ。
負けを認めるか、≪ヒュドロス≫。今なら命は助けてやる』
生き物は何百年と生き、人間の文化を知り、人間をほぼ完璧に模倣することが出来た。しかしかすれた声が告げた内容はまったくと言っていいほど理解できなかった。
死したものから命が生まれるのが理解できなかった。人間にそんなことができるということ自体理解の外だった。
何よりひとつの命を生むのに(いや、そもそもそれは命なのか?)何故それほどまでに手間をかけるのか、それがまったく解らなかった。
ただひとつだけ、理解できたことがあった。この生き物には勝てないということだった。
「わ、わかった。俺たちの負けだ。もう人間たちには手を出さん……」
生き物が弱々しく告げ、寄生していた男の身体からずるずると這い出てくる。
三匹の生き物がそれぞれ這い出してくると、あとにはみっつの骸だけが残った。少年は黙って死者に手を合わせ、服に包んだ三匹と、みっつの死体をその小さな身体でかつぎ上げ――そのまま誰にも見られることなく立ち去った。
からんころん からんからんころん……。
少年の履いた下駄の音だけが、コンクリの橋の上で木霊していた。
了
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