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『D&D&D』
第14話
sudo著


LEVEL−04 【DUNGEON】

ブランド ミキ シャイナ


 ブランドは右手首を貫いた矢尻をへし折り、残った矢柄を歯でくわえて引き抜いた。
 どっと血が噴き出し、さらなる痛みが脳天まで駆け抜けたが、逆にブランドは笑みを浮かべた。
 ――これで、右手の動きが戻った。
 自由になった手で剣を握り込むほどに鋭い痛みがいや増すが、いまはその痛みさえ心地よい。
 ――まだ、戦える。忌々しい王冠を載せた髑髏を砕くには充分だ。
 『狂える暗黒王』レオリックはすぐには攻撃してこなかった。それはブランドが隙を見せなかったこともあるだろうが、むしろ矢傷の影響を見定めるためのように思われた。並みの魔物では考えられないことだ。
 手傷を負ってもまだ弱ってはいないと判断したか、レオリックは慎重に間合いを詰めてくる。ブランドもわずかに足を踏み出して立ち位置を変え、弓兵の狙撃を受けないようにレオリックを楯とするよう回り込む。
 通廊の奥に潜む弓兵は、闇雲に矢を射かけるようなまねはしてこなかった。そのため正確な位置がつかめない。こちらが再び大きな隙を見せるまでじっと機会をうかがっているのだった。
 ブランドはすばやく後背の様子を眺めた。ミキが親衛隊最後の一体を辛うじて屠ったところだった。だが、すぐに力無く壁に倒れかかってしまう――二本もの矢をその小柄な体に受け、かなり重傷のようだ。もはや援護は期待できない。
 はるか後方では、おびただしい数の『骸骨兵』がひしめきあい、ゆっくりとだが着実に迫ってきている。そして、敵の援軍を警告した女が、新式の弩を手にして走ってきた。
 ――銀髪の女……『解体屋』のときのか?
 銀髪の女、シャイナは傷つき倒れかけたミキに駆け寄っていった。警告を発してくれたことといい、やはり敵とは思えない。ミキの助けになればいいが――そう思いながらも、ブランドはすぐに注意をレオリックに振り向け直した。
 あえてわずかな隙を見せたのだが、矢は一本も飛んでこなかった。弓兵の動きは完全な統制がきいているようだ。レオリックの指図がない限り、自ら居場所を晒すような行動はしないというわけだ。そして後方からは焦らずゆっくりと、隊列を密に保ったままで『骸骨兵』の大軍が押し迫ってくる。
 ――さすがは一軍を指揮してハンデュラスを制圧した覇王、たいした戦術家だな。
 ブランドは、大剣を上段に構えたレオリックを見上げた――まさに見上げるという感じだった。その背丈は並みの『骸骨兵』はもちろん、あの『解体屋』をさえはるかに上回っていた。肩幅も広く、太い骨は鈍い白銀の輝きを放っている。手にした剣は黄金玉石をちりばめた豪奢なものだが、刃の幅と厚みは華麗さにはほど遠く、恐ろしい破壊力を物語る。左腕にくくりつけられた縦長の盾だけは一転して黒鉄色の地味なこしらえで、紋様さえ描かれていない完全な実戦向きのものだ。
 ――そして、戦士としても一流というわけか。
 流れ落ちる血はあごにまで達し、唇に金臭い味を運んできた。額の傷からの出血はすでに止まっている。しかし、剣圧のみで敵を斬るとは、凄まじい膂力、凄まじい剣撃の速度だった――かつては常にいくさ場の先陣に立ち、自ら敵将の首を刈り取って回ったという勇猛な武将としての腕は、魔性のものと堕した今も変わることがないようだ。
 ――膂力も得物もあちらが上、剣捌きも練達のものだ。打ち込みの速度は空を切り裂くほど……だが。
 ブランドもまた太刀筋の速さと身のこなしの軽さを身上とし、数多くの敵を、魔物どもを葬り去ってきたのだ。対一の戦闘で、速さ負けするつもりはない。もしも速ささえ及ばないなら、そのときは――死ぬだけだ。
 レオリックが次なる攻撃に入ろうと、呼吸を計っているのが肌で感じられる。だが、それを待つことはない。右手の矢傷を確認する――動くのには何の支障もない。ちぎれるまで役に立ってくれるさ。
 背中の焼き印から広がる燃えさかるような熱に弾かれたように、ブランドは飛び出した。一気に間合いを詰め、レオリックよりも先に初撃を叩き込む。
 剣先は盾に防がれたが、兜のない頭をめがけて振り下ろされる大剣をかわしつつ第二撃を放つ。
 続けざまに三の太刀、四の太刀。恐るべき剣圧を巻き起こすレオリックの大剣をかいくぐりながら、ひと太刀ごとにブランドの動きは加速していった。
 ――速く、もっと速く!
 ブランドは無言の哄笑を浮かべながら、胸中で絶叫していた。

 ミキは親衛隊最後の一体の髑髏を蹴り飛ばすと、壁に手をかけて立ち上がろうとした。だが、とたんに矢の突き立った左腿に激痛が走り、すぐに石床へ倒れ込んでしまう。
「くそっ……」
 周囲に敵はいなかったが、ブランドの援護に回ることもできない情けなさに、ミキは舌打ちして吐き捨てた。
「弓の伏兵なんて、やってくれるじゃないの、あの王様……」
 歯を食いしばり、まずは右腕を貫いた矢に手をかける。思い切りよく引き抜いたが、爆発するような痛みに思わずうめき声を上げ、ミキは傷口を押さえてうずくまった。
「痛う……! これは、ちょっと、やばいかも……」
 荒ぐ呼吸を落ち着かせて顔を上げると、あまりの痛みに涙でかすんだ視界を、銀色の輝きが覆っていた。
 ――何……?
「動かないで。いま、手当を……」
 目の前には、先ほど『骸骨兵』の援軍を知らせに走ってきた銀髪の女がしゃがみ込んでいた。弩をわきに置くと、ミキの傷の状態を確かめにかかる。
「あんたは……?」
「じっとして」
 シャイナはミキの右腕をとると、傷口の上に触れるか触れないかの位置に手を置いた。
「『光もて』、『癒せ』……」
 シャイナの掌を中心としてほのかな白光が瞬き、ミキの右腕の痛みはすぐに引いていった。
 ――『治癒』の呪文……助かった。
 生体機能を活性化させ、肉体の損傷を速やかに退けるこの魔術は、ミキも修得し行使することができる。しかし、傷の痛みのため術式に集中できない今は、なによりもありがたかった。
「腿の矢を抜くわ。すこし、我慢して」
 一心不乱に傷の手当に取りかかるシャイナの横顔を、ミキはなかばぼんやりと見つめていた。
 ――綺麗な女だね……。
 大きな瞳と整った鼻梁、小さめの口をかすかに開き、せわしない息はずっと走ってきたせいか、それとも緊張のせいか。頭の高いところで結った見事な銀髪を長く垂らしているが、この魔物の巣窟と化した廃城をくぐり抜けてきたわりにはいささかも汚れているように見えず、淡い輝きさえ放っていた。
 ――歳は、ちょっと上かな?
 ミキが女であることとはまたすこし違った意味で、この地獄そのもののような魔界には似つかわしくない女だった。神経質そうな、あるいはひどく繊細に見える整った顔立ち、傷を手当するときの細やかな仕草といい、血生臭く凄惨な修羅場にいるにはあまりにも女らしすぎた。
 ふと見ると、きつそうな分割式の胸甲を押し上げる豊かな乳房の谷間が目に入り、ミキはなぜともなく頬に血が上るのを感じた。
 ――ばかみたい。同じもの、あたしにだってついてるってのに……
 急に空しさにとらわれて、ミキはひとつ首を振った。ちょうど『治癒』の呪文を唱え終わったシャイナと目があって、ミキはあわてて咳払いをして笑みを浮かべて見せた。ほんと、ばかみたいじゃないか。
「ありがと、ずいぶん楽になったよ。あたしはミキ、あんたは?」
 声をかけると、銀髪の女はなぜかぴくりと小さく肩をふるわせたが、すぐに小さく笑みを浮かべた――ひどくぎこちないものだったけれど。
「私はシャイナ……シャイナ・ネラ・シャイナ」
 次に何を言うべきかわからず、不自然な笑みを交わし合ったが、すぐにそんな状況でないことを思い出した。
「そうだ……ブランド!」
 二人の女が視線を走らせたまさにそのとき、ブランドが無音の咆哮とともにレオリックに斬りかかっていった。
 ブランドの動きは、変幻自在の体術を得意とするミキでさえ目を瞠るほどの信じられないような速さだった。
 常人ならば受けもかわしもならないようなレオリックの重くそして速い打ち込みを、紙一重でかいくぐりあるいは剣で弾き、常に弓の伏兵をかわす位置に回り込みながら一撃に対して三太刀は斬りつけている。レオリックも大剣と盾で巧妙に防いでおり、致命傷はひとつもないが、それでも間違いなくブランドの剣は狂王の骨まで達していた。
 先に受けた矢傷と額を切られたところが再び出血したらしく、ブランドが動くたびに真紅の滴が宙に散る。燃えるような赤毛、流れるようなブランドの体捌きとあいまって、それはまるで……
「すごい……まるで舞を見ているよう。あのひと――ブランドというの? まさに、『鮮血のソードダンサー』ね」
 驚嘆に震えるシャイナの呟きに、ミキもうなずいて立ち上がったが、小さく鼻を鳴らした。
「しっかしあんた、ずいぶん詩的なんだねえ……でも、あれなら『聖弾』の援護はいらないかな」
「けれど、『骸骨兵』の大軍が確実に迫ってきている。一刻も早く狂王を滅ぼして命令系統を遮断しなければ……!」
「命令系統?」
「そう……これは、私の予測でしかないけれど――」
 シャイナの語る魔術による軍団の統率という話に、ミキは眉をひそめた。
「なるほどね……そういや、ブランドもそんなこと言ってたっけ」
 ――やっぱり罠を張ってたってわけだね。だけど残念、あの弓兵には参ったけど、こっちはまだ生きてるんだから。
「よし、それならあたしらも――」
 そのとき、レオリックの巨躯が大きく後方へ飛びすさるのが目に入った。ブランドの竜巻のような連撃に圧されて退いたのか――だがなぜか、ミキは異様な戦慄を覚えた。レオリックは両腕を交差させるようにして盾を前に出し、防御を固める構えに見えるが、なにかがおかしい――その思いは、ブランドが猛然と狂王に追いすがっていったときに確信へ変わった。
 レオリックの大剣をつかんだ右手は今、盾の裏に隠れている。なんのために……あれではまるで――その瞬間、ミキは愕然として自分自身の丸盾の裏側をのぞき込んだ。そうかあいつ、あたしと同じ――
「気をつけて! そいつ、なにか狙ってるよ!」
 ミキは走り出しながら叫び、それにシャイナも続いた。

 ――なんて頑丈な骨をしてるんだ――
 ブランドの剣はその速さでレオリックを圧倒している。だが、その刃は白銀に輝く太い骨を削ぐだけで、一撃で断ち切ることはできない。
 ブランドの剣が軽いわけではない。レオリックの体はよほど強力な魔術でくくられているに違いなかった――それはつまり、恐るべき魔術の使い手がその背後にいるということだ。
 ――気に入らないな――
 生来の嫌悪感をそそられて、さらに激しくブランドは猛り狂った。
 いきなり、レオリックが後背に跳躍した。中途半端な後退に見えた――逃げるにしても、体勢を立て直すにしても。
「逃がすか!」
 ひとこと吼えて飛び出したとき、ミキの叫びが聞こえた。狙う? なにをだ?
 レオリックの右手が隠れていた盾の裏から抜き出されたとき、ブランドの背筋を冷たいものが駆け登っていった。
 眼前で小さな鋼のきらめきが瞬く――四本の投げナイフが、むき出しの顔面に向かって凄まじい速度で飛来してきた。
「……くそっ!」
 とっさに左腕を上げ、鋼鉄製の籠手でナイフを弾く。だが同時に、がら空きの左胴を狙う斬撃が襲ってきた。
 かろうじて右手に飛びながら大剣に刃を合わせるが、崩れた体勢でレオリックの強烈な一撃を打ち返すことはできない。胴にしたたかな打撃を受け、ブランドは体ごと吹き飛ばされた。
 壁に叩きつけられた瞬間、今度は矢の一斉射が突き刺さる。そのうち一本が鎧の隙間を縫い、鎖帷子を貫いて脇腹をえぐった。苦痛を無視して、ふたたびブランドは後方へ飛んだ。一瞬遅れて振り下ろされた、頭蓋を砕く上段の剣を紙一重でかわす。
 ――とんでもない食わせ者だ……剣術だけでも脅威だというのに、けれん味たっぷりの小技まで使う。生前の知略というわけか――たしかに、ただの魔物じゃない。
 ブランドは懸命に間合いを保ちながら、目の前にそびえ立つ血と肉を失ってなお勇猛にして狡猾な戦士を睨み付けた。脳さえも持たないであろうこの化け物は、忌まわしい魔術の力によって、汚れた魂をその骨だけの体に縛り付けられている。死ぬ直前までの狂気、そして技術とともに。
 ――生きていたときの知識、記憶か――それなら、死の記憶はどうなんだ?
 トリストラムの街で立ち寄った酒場で、その主人からレオリック王の呪いの話を聞いた。一人息子のアルブレヒト王子を何者かにさらわれたレオリックは、探索を続けるうちに異様な狂気に取り憑かれていったという。王子の失踪の罪を無実の街の民に着せ、その過半を容赦のない拷問で虐殺した。その狂った怒りは臣下の騎士団や司祭たちの粛正へと矛先を変え、ついには反旗を翻した騎士団によってその首を討ち取られたという。
 ――首を、か――
 『死人返り』にこんな手が効くのかどうかわからない。だがもはや、そこにしか勝機は見出せそうになかった。
 ブランドは剣をだらりと下げて、レオリックの間合いに一歩踏み込んだ。とたんに襲いかかる真っ向から脳天を断ち割る大剣のうなり――きわどく身をひねってかわすが、狂王の剣はさらに一瞬の遅滞もなく床から逆しまの剣風を巻き起こした。
 初手でブランドの額を裂いた恐るべき連撃の再現だった――むしろ、その太刀筋は鋭さを増している。
 だが、それはブランドが狙ったとおりのものだった。初太刀の打ち下ろしが石畳の直上で軌道を変え跳ね上がる瞬間、ブランドは大剣の刃に足をかけて跳躍した。
 レオリックの剣圧は爆発するような勢いでブランドの体を宙に放り上げ、そのきらびやかな王冠をいただいた髑髏の頭上をも一気に越えていた。
 ――丸見えだ――
 ブランドは宙に浮いたまま狂王の首に――太い背骨からつながる頸骨に刃を送り込んだ。
 肉も皮もない顔に表情の変化はない。が、喉元に切っ先を突きつけられたレオリックの反応は激烈だった。
 とっさに盾を上げて首をかばう動きには、速さこそあれ技など皆無だった。巨躯を縮こまらせるようにして首を守り、剣を弾かれて体勢の崩れたブランドを迎撃することもせず、遮二無二ブランドの体を押しのけた。空中にあって踏みとどまることのできないブランドは吹き飛ばされたが、レオリックはさらに大きく後方へ跳んで逃げていた。
 ブランドは石床に勢いよく叩きつけられ、後背へ回転して着地した。剣を構え直し、骸骨王の様子を探る。空っぽの眼窩にはむろんなんの色も浮かんでいないが、紛れもない動揺と恐怖とが感じられた。
 ――やはり一度切られた首を狙われるのは恐ろしいか……だが、どうする?
 いまのは決定的な好機だった。同じ手はもう使えないだろう。レオリックは二度と自らの剣捌きを利用されるような愚は犯すまい。だが、ブランドの倍近い長身の首を狙って隙を誘うには、先のような奇策を弄するしかない。
「くそっ……」
 ひと太刀でけりをつけられなかった甘さに歯がみしたとき、背後に駆け寄ってきたミキが肩に手をかけてきた。
「ブランド、大丈夫?」
 切羽詰まった声に振り向くと、さすがに焦りの色の見えるミキの顔の向こうに、退去して押し寄せる色とりどりの骸骨の群が迫っていた。ぐずぐずしていたら、精強な『骸骨兵』の大軍団に取り囲まれてしまう。贅沢の言えるときじゃない――ブランドの戦士としての判断が、魔術を忌み嫌う本能めいた感情を打ち消した。
「ミキ、『聖弾』でレオリックの首を狙ってくれ。奴の隙を引き出せるかもしれない。それから――」
 ブランドはミキの後背で立ち尽くすシャイナを眺めた。輝くような銀髪、新式の弩……間違いなく『解体屋』を殺すときに援護してくれた女だった。元から白い顔が血の気を失って蒼白だが、その両手にはしっかりと弩を握りしめている。
「それから、きみは――きみのその弓はまだ使えるのか。だったら、同じように狂王を撃つんだ。あの『死人返り』はまた首を切られるのを恐れている」
 シャイナがはっとしたような表情で見つめ返してきた。その大きな瞳に理解の色が浮かび、彼女は小さくうなずいた。
「そう……そうだわ。もしかするとそれがレオリックの唯一の弱点かもしれない――」
「この手が効かなければ、あとは死ぬだけだな」
 ブランドの吐き捨てた台詞に、シャイナの体がびくりと震える。だが、ブランドはもう目をくれなかった。
「行くぞ!」
 短く叫ぶと、ブランドは骸骨王めがけて走り出した。

 あとは死ぬだけ――その言葉は、シャイナの胸に氷塊となって突き刺さった。冷たい恐怖が全身に広がって、またしてもシャイナの心と身体は萎えかけた。
 ――死ぬ、そう、死んでしまう……でもそれは、いままでみたいにこうやっておびえて震えていたならのこと。もし、あの人の――仲間の声を信じて戦えば、もしかしたら――
「首を狙えって……骸骨野郎にそんな弱みがあるもんなの?」
 疑わしげなミキの声にはっとして、シャイナは目を開けた。無意識のうちに、ぎゅっと目をつぶってしまっていたらしい。
 震えそうになる手を何とか抑えながら弩を構え、シャイナは『狂える暗黒王』レオリックの最後を語った――狂気のあげくついに家臣に見限られた王は、ハンデュラス騎士団でもっとも人望の篤かった騎士ラクダナンの剣によってその首をはねられたという。
「『死人返り』はその再度の死を恐れるわ……それが、最初の時と同じ死に方であればなおのこと」
 なるほどねえ、と感心した様子でミキはうなずいた。
「それでさっき、ブランドはあんな軽業みたいなまねをしたってわけね。でもそうすると、『聖弾』よりも刃物のほうがいいんじゃない?」
「でもあなた、飛び道具を持っていないんじゃ――」
 シャイナの言葉に、ミキはにっこりと笑って見せた。こんな状況で笑っていられるなんて、シャイナには信じられなかったが。
「それがねえ、あるんだなこれが」
 ミキが剣をおさめて丸盾の裏から取り出したものを見て、シャイナは目を瞠った。
「ほんとはあんまり人に見せたくなかったんだけどね」
 ミキが指を引っかけて回している掌くらいの大きさの輪は、薄い金属板でできていて、輪の外周には鋭い刃がついている。両手の人差し指で器用に回してみせるその奇妙な武器を、シャイナは驚いて見つめた。
「チャクラム……」
「ええ? あんた知ってんの? あたしの生まれた国でもけっこう珍しいもんなんだけどな。あんた、物知りだねえ」
 がっかりしたように呟くミキのほうにこそ、シャイナは心底驚かされていた。今まさに死の淵にあるような戦場で、まるでおもちゃを自慢する子供みたいに振る舞えるなんて。
 奇妙なことに、凍り付くような恐怖の念が消えていた。ミキの底抜けの明るさにとかされてしまったかのように。
 ――父は言っていた、魔に対するには常に冷静でいろと。迷いや恐怖によって心の弱さをさらけ出してはならない、と。
 シャイナは弩を上げ、レオリックの喉元にぴたりと狙いを据えた。構える手が震えるようなことはもうなかった。
 ――でも、この人、ミキはそれだけじゃないわ。冷静なんてものじゃない。まるで自分の家の裏庭で遊んででもいるような……そう、いつもどおりの、平常心なんだわ。
 ちらりとミキに目をやる。ミキは両手でリズミカルにチャクラムを回し、次第にその回転速度を上げながらタイミングを計っている。ミキもこちらを見て、視線があった。かと思うと、またしてもにっこりと笑ってみせる。
「よし、シャイナ、今よ!」
 シャイナは弩の引鉄を引き絞った。矢が次々とレオリックの首めがけて飛んでいく。一呼吸遅れて、ミキが鋭く鞭のように腕をしならせてチャクラムを投じた。二つの金属の輪は、高速で回転しながら、しかしあさっての方向へ飛んでいく。
「いくら物知りシャイナでも、こいつを使うところは見たことないんじゃない?」
 得意げなミキの声に、弩を撃ち続けていたシャイナは返事をしなかった。しかし、実際には見たことがあった――そして、このチャクラムという武器は、熟練のものが使うと自在に軌道を変えられるということも知っていた。
 チャクラムはレオリックから離れた壁沿いの高いところを飛んでいった。それがいきなり弧を描き、ぐるりとまわりこんで、ほとんど背後から狂王の首めがけて飛び込んでいった。
 シャイナの射かける矢を大剣と盾で受けていたレオリックは、この死角からの攻撃をまったく察知していなかった。一つ目のチャクラムに頸骨を削り取られ、驚愕の様子で大きく構えを崩す。さらに飛来するチャクラムに気がついて、がむしゃらに大剣を振り回した。
 正確に首を狙うチャクラムに気を取られて、レオリックは地を這うようにして駆け寄るブランドにまるで目をくれていなかった。辛うじて恐ろしい刃の輪を叩き落とした瞬間、ブランドが咆哮とともに横薙ぎの斬撃を右胴に送りつけていた。
 渾身の一撃はレオリックの背骨を腰の上で完全に砕き、狂王の上体はがしゃりと音を立てて石床の上に落ちる。半身となってもなお、その骨の身体はブランドに匹敵するほどの背丈があった。
 なおもレオリックは大剣を掴んでいたが、足場をなくし手だけで振るう斬撃を、ブランドは無造作にかわす。剣をレオリックのように上段に構え、王冠をいただいた髑髏を真っ向から叩き割った。
 ついに巨大な骸骨の身体はその動きを止め、レオリックの魂はその呪われた入れ物から解放された――ただし、その魂がどこへ受け入れられるかはわからなかったけれど。
「ブランドっ!」
 丸盾からさらに抜き出していたチャクラムをしまって、ミキが走っていった。シャイナも次の弾倉を装填しながらあとへ続いた。
「なんてことすんのよっ!」
 いきなりミキが怒声を張り上げた。ブランドは落ち着いた様子でレオリックの腕から縦長の盾を外していた。ブランドが装備すると、その盾は左腕をほとんど肩まで覆い隠していた。
「あーもう、せっかくのお宝をっ!」
「これのことか」
 わけがわからず見つめていたシャイナの前で、ブランドがレオリックの王冠を拾い上げると、黄金の台座に宝石をちりばめたそれは真っ二つに割れてしまっていた。
「石を外して、金は溶かせばいいだろう」
「ばかいってんじゃないよ、レオリックの王冠だから値打ちがあるってのに……!」
 地団駄踏んで悔しがるミキに、ブランドは薄い笑みを浮かべて見せた。
「だったらかえって価値が出るかもしれない。これはレオリックを倒した証みたいなものじゃないか」
 持っていけよ、といってミキに王冠の残骸を放り投げると、ブランドは素早く横っ飛びに跳躍していた。唖然として二人のやりとりを見守っていたシャイナも、飛来する矢の風切り音にあわてて壁に身を伏せた。ミキはというと、しっかり空中で王冠を掴みながらその場に腹這いになって矢をかわしている。
 前方に弓を手にした黒の『骸骨兵』が現れていた。その数は十体ほど。王の統制を失ったため、持ち場の暗がりから抜け出てその姿をさらしていた。十体は共同してひとつの標的に狙いを絞るなどといったことはせず、てんでばらばらに散漫な射撃を繰り返すだけだった。
「あの程度なら突破できるな……急げば後の連中を振りきれる。きみも一緒に来い」
 無愛想な声で命令されても腹は立たなかった。実際、この場ではほかに選択の余地もなかった。ブランドが視線をそらす前に、シャイナは急いで声をかけた。
「私はシャイナ、シャイナ・ネラ・シャイナ」
 ブランドは不得要領な顔をして口を開きかけ、すぐに閉じ、また開いた。
「挨拶はあとだ……行くぞ」
 たしかにそんな場合ではない。シャイナはわずかに顔を赤くして、弓兵に向かって猛然と走り出すブランドのあとに続いた。ミキはまだ文句をいいながらも、ブランドを上回るスピードで弓兵に突っ込んでいく。
 ――ブランド、ミキ……すごい人たち。この人たちとなら、私も――
 たちまちのうちに黒の『骸骨兵』を蹴散らす二人を弩で援護しながら、その素晴らしい動きに感嘆していた。でも同時に、無念に死んでいった『風の十二方位』の一族のことも思い出さずにはいられない。
 ――仲間……いつかまた失うことになるかもしれない仲間。でも……もしかしたら、今度こそは。そう……いえ、だけど、万が一この人たちが死ぬようなことがあったら、そのとき私は――
 シャイナは弩の引鉄を引き、迷いを振り払う。迷ってはならない、そう教えられたのではなかったか。ともに戦うと決めたのなら、もう迷ってはいけない――二人が一緒に戦ってくれればの話だけれど。
 ――とにかく、今はこの場を切り抜けるだけ――
 次々と矢を放ちながら、シャイナは通廊を駆け抜けていった。
 新しい、仲間たちとともに。


第14話了・第1部完・続く


第13話 第15話