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『D&D&D』 第11話 sudo著 |
薄暗い通廊には、なんの気配もなかった。人のものも、そして魔物も。
もともとは王城の玉座へと至る最後の通廊なのだから、さぞかし華麗な装飾と、トリストラムの街並みはもちろんハンデュラスの領地を一望できる見事な景観美を誇っていたことだろう。王の拝謁を求める他国の使節を感嘆させ、畏敬の念を抱かせるような。
だがいまでは、開けていたはずの窓もすべて薄汚い石壁で埋め尽くされ、暗闇に閉ざされている。
陽の光を嫌う魔物の手によるものであるのは疑いないが、このあたりをうろつく下等な魔獣たちに、このような細工をする知恵があるのだろうか。
壁のくぼみにしつらえられたわずかな灯りだけが、狭い通廊を照らし出す。
灯りはごく微かなもので、間隔も広く、視覚だけで周囲の状況を把握するのは困難だった。
ブランドの足裏が、骨のかけらを踏みしだく感触を伝えてよこした。
(またか……こんどはずいぶん数が多いな)
通廊の床一面に散らばる骨片は、人骨だった。
もとは人骨だった、というべきだろうか。
すでにいちど血と肉を失った死者の、『骸骨兵』という魔の生としての復活。そして骨だけとなった体の、2度目の喪失。
それを死というべきか、忌まわしい魔からの解放というべきなのか、ブランドにはわからない。
わかっているのは、足の下で砂のようにもろく崩れ去る骨の残骸が、もとは鋼のように硬く頑丈であり、精強をもって恐れられる黒の『骸骨兵』だったということだ。
崩れ落ちた『骸骨兵』の残骸には太刀や矢による損傷がなく、そのすべてが魔術によって倒されていることに、ブランドは気がついていた。
ほとんどの攻撃魔法は炎や雷といった自然現象を自在に操るものだが、ごくわずかながら例外もある。
『骸骨兵』や『生屍人』のように、すでにいちど生命を失ったために痛覚さえももたないような魔物には、火炎呪文などではあまり効果がない。そのため魔術師たちは、こうした『死人返り』を効率的に葬るための呪文を修得している。
(『聖弾』という魔術か。それにしても――)
またか、とブランドは思う。
通廊には見渡す限り――といっても薄暗い闇の先まではどうなっているのかわからなかったが、これまで進んできた通廊の様子から考えると、二十体を越える黒の『骸骨兵』の残骸が散乱している。
おそらくただひとりの魔術師がやったのだろうとブランドは感じている。
護衛役の戦士はいない。いれば武器で砕かれた髑髏も転がっているはずだ。
(同じだ)
一階のホールにいた魔物を全滅させた魔術師がやったのだ。あの広大な広間のすべてを焼き尽くすほどの『熱波』を行使する術者なら、いかに黒の『骸骨兵』といえどものの数ではない。
(気に入らないな)
城門をくぐり、謁見室へと進んでいったときの状況とまったく同じなのだ。『解体屋』の立ち塞がる謁見室では姿の見えなかった魔術師が、またしてもブランドのすぐ先を行きながら魔物たちを蹴散らしている。
謁見室からこちら側へくる通路は他にはない。いかに強力な魔術師といえど、あの巨大な肉塊の化け物を倒すことなくすり抜けて奥へ進めたとは思えなかった。
ブランドが『解体屋』を斬り倒したとき、魔術師は案外近くにいたのかもしれない。小部屋にでも身を伏せていて、ブランドが泉を使っている間に先に進んでいったのだろう。
なぜブランドの前に姿をあらわさなかったのか。ブッチャーの肉切り包丁に潰された石巨人を召喚したのも、同じ魔術師に違いない。共通の敵と戦っているものの目から隠れ、あえて単独でこの暗闇に潜っていくというのは、いったいどういうつもりだろうか。
(しかし、まあ、ここには変わったやつが多いからな)
『解体屋』の眼を射抜いた、銀髪の若い女。
戦場でも見たことのない奇妙な形をした、おそらくは新式の弩を使っていた。
熱に浮かされたような色をしていた瞳は、目の前にいるブランドをさえほとんど見ていないかったのではないだろうか。悪魔の伝承がどうのとうわごとのように口走ったあと、名前さえ名乗り合わずに歩み去ってしまった。
頭の上のほうで無造作に束ねられた銀髪が、彼女が背を向ける動きとともに長い優美な弧を宙に描いていた。灯りのほとんどない暗がりのなかでさえ、自ら光を放っているのではないかと錯覚させるほどの見事な銀髪だった。
その銀色の輝きとともに遠ざかるすらりとした長身の後ろ姿を、ブランドは唖然として見送った。
彼女の顔が見えなくなる寸前に、その大きな瞳にかすかにわきあがる涙の粒を、ブランドは見た。
その涙が、そこに浮かぶ限りない心痛が、ブランドに声をかけることをためらわせたのかもしれない。
あのときかいま見えた銀髪の女の顔、おもてには現れず、心の奥底で血を流しているとでもいうような表情が、ブランドに別の女のことを思い出させた。別れの夜、まっすぐにブランドを見つめていた女の目に浮かぶ、底なしの虚無のような喪失感――
脳裏に浮かぶ女の姿を振り払い、ブランドは前に進む。心は凍りつくように冷たく、そして、体には燃えるような熱さを感じながら。
ふいに、背後にあるかなしかの気配に気づいた。
魔ではない。
ひとか、そう思ったとたんにその気配は消えていた。
通廊のどこかに潜み、見事に気息を絶っている。
敵意も殺気も感じられなかったが、背後に忍び寄られるのは気分のいいものではない。
ブランドは歩調を変えずに歩き続け、壁の灯りのひとつに近づいたところでいきなり振り向いた。
灯りのわきに立ち、暗闇を見透かす。なにも見えず、なにも感じられなかった。
これほどうまく気配を殺せるとはたいしたものだ、とブランドが感嘆したとき、けたたましい金属音が通廊に響き渡った。
「ええいもう、くそ!」
狭い通廊で盛大に反響する音が消えないうちに、音の出所とおぼしき場所から威勢のいい罵声が聞こえてきた。
若い女の声。
(またか)
先刻の弓使いとは違う声のように思えるが、はっきりしたことはわからない。
しばらくぶつぶつと文句をつぶやくような声がして、こんどは鉄板かなにかを石床の上で引きずる音が近づいてきた。
「ちょっとあんた、そんなとこで突っ立ってないで手伝ってくんない?」
暗がりの先から怒ったような声がとんでくる。半ば自棄になった感じの大声は、照れ隠しのつもりだろう。ブランドにしても、あれほど派手な音で彼女の位置が知れるとは思ってもみなかったから、本人にすれば羞恥と憤懣にやるかたないところだろう。
ともあれ手伝えといわれても、いまだ暗闇のなかで姿も見えない相手にいきなり近づいていく気にはなれなかった。ブランドは返事もせず、そのまま灯りの下で彼女の動きを待った。
八つ当たり気味の不平をもらしながら、若い女が近づいてくる。
ようやく、彼女の姿が見えた。
黒い髪、黒い瞳。やはり弓使いの女とは違う。
ブランドはあっけにとられてこの東洋系の顔立ちをした小柄な女を見つめたが、それは彼女の容姿のゆえではなかった。
黒髪の女が懸命に引きずってくる巨大な鉄の塊。
それは、『解体屋』ブッチャーの肉切り包丁だった。
「……なんでそんなものを持ってるんだ?」
思わず、ブランドは口走っていた。
女は足を止めてひとつ大きく息を吐くと、気の強そうな黒い瞳でブランドをにらみつけた。呼吸が乱れ、せわしなく肩が上下している。彼女の背丈をはるかに超える巨大な肉切り包丁を引きずってきたのだから、これはあたりまえだった。
「――こんだけ珍しいしろものなら高く売れるだろ? なんたってあのブッチャーの大剣だよ」
賞金稼ぎ、もしくは財宝狩人――このトリストラムではべつだん珍しい存在ではない。というより、魔物の巣窟と化した王城にあえて乗りこむ人間は、ほとんどすべてが賞金稼ぎか義憤に満ちた騎士なのであって、ブランドのような男のほうこそ数少ない例外なのだった。
「知っている。だが、そいつは剣なんかじゃない。数多くの人間を切り裂いてきた、肉切り包丁だ」
黒髪の女は小さく息を飲み、探るような目つきでブランドを眺め回した。
「やっぱり……あんたが、ブッチャーを殺したんだね?」
ひとりじゃなかったが――ブランドが返事をするより早く、険しい顔つきになった女が威勢のいい啖呵を切っていた。
「こいつは渡さないよ。あたしがここまで苦労して持ってきたんだからね」
ブランドはあきれて首を振った。
「そんな薄汚いものはいらない。だいたい、血まみれの人切り包丁なんて気味の悪いものを、誰が買うっていうんだ?」
「世の中、物好きは多いもんさ。ま、あんたが物好きじゃなくてよかったけどね。あたしはミキ、あんたは?」
「ブランドだ」
ブランドはあらためてミキと名乗る賞金稼ぎを見つめた。
東洋系の顔立ちをしたごく若い女。豊かな漆黒の髪を二束に分けて短く結い、両肩に垂らしている。黒く光る双眸は意志が強そうだった。
腰に吊っているのは女向けらしい細身の剣だが、優美さとはほど遠い実戦向きのものだ。身につけた鱗片鎧も円形盾も、これまでにくぐり抜けてきた激しい戦闘を示す傷や修復痕があちこちにあり、ミキが間違って地獄に迷いこんできた素人の冒険者とは一線を画することを物語っている。
「ブランド、ね。じゃ、これからよろしく。あんたも奥へ行くんだろ?」
ミキが屈託のない様子で笑ってみせた。ブランドはミキが戦士としてかなりの使い手であることを感じていたが、歴戦の賞金稼ぎには不釣り合いなあどけない笑顔に驚かされた。いや、逆に、この魔界で笑っていられるほどの胆力があるからこそ、これまで生き抜いてこられたのだろう。
「ついてくる気か?」
「ついてくってのは心外だね。どのみち行き先が同じなら、一緒に行ったほうがいいんじゃないのって言ってんの」
唇をとがらせて抗議する表情もどことなく子供っぽい。だが、そんな仕草をするからといって、ブランドが相手の技量を低く見ることはなかった。
「好きにすればいい……だが、その包丁は置いていけ。そんなものをかついでいったら命がいくつあっても足りない」
「ばか言うんじゃないよ、せっかくのお宝を――」
その瞬間、ミキが動いた。
むろん、ブランドも。
暗黒に包まれた通廊の彼方から飛来する三条の矢。
ブランドは矢の一本を鎧の肩甲ではじき、もう一本を抜きはなった剣で叩き落とした。
残る一本の矢は石床ではねる肉切り包丁の上を飛び、虚空へと消えていった。
素早く包丁を投げ捨てて矢をかわしたミキの敏捷さは、ブランドの思ったとおり練達のものだった。
両手で剣を握りしめ、矢の撃ち込まれた方角にブランドは走る。
そのわきを凄まじい速さで走り抜ける影があった。
ミキは先に走りだしていたブランドを楽々と追い越し、闇に向かって疾走していった。
再び射ちこまれる矢、その矢を放った敵の姿が見えた。
赤い、地獄の業火のように赤い三体の『骸骨兵』。長大な弓を手にし、いままた新たな矢をつがえようとしている。
ミキは無謀とも思えるほどの速度で『骸骨兵』に突進していった。
まったく勢いを殺さずに突っ込み、左腕につけた盾と肩から『骸骨兵』に激突した。
先頭に立っていた『骸骨兵』は倒れこそしなかったものの、矢を取り落としてよろめいた。その機を逃さず、ミキの剣が一閃する。
赤くささくれ立ったあばら骨が砕けるが、『骸骨兵』は倒れなかった。いちど死んでいる『死人返り』を、その程度の損傷で黄泉へと返すことはできない。
ようやく追いついたブランドは至近距離から放たれた矢をかわし、もう一体の『骸骨兵』の頭上に剣を振り下ろした。
左鎖骨から背骨を斬り裂いた剣は腰骨までも撃砕し、『骸骨兵』は崩れ落ちた。
ブランドが見ると、ミキはさらに一撃を『骸骨兵』に浴びせ、剣勢を借りて体を回転させると高く脚を蹴り出した。
鋼のきらめきとともにつま先が弧を描き、燃えるように赤い髑髏を砕いた。
「あとの一匹は!?」
無造作ともいえる体さばきは戦場往来の戦士として会得した体術だろうが、ミキの軽やかな動きはまるで舞いでも見ているようだった。
「逃げた」
ブランドが剣を納めて言うと、息をはずませて次の獲物を物色していたミキが拍子抜けしたように肩を落とした。
最後の一体はミキの突撃と同時に後退し、矢も射かけてはこなかった。もはや気配も感じられず、かなり遠くまで逃げ去ってしまったようだ。
「ふん……こんなやつらばっかなら、あんたと一緒にいることもないかもね」
陽気に言ってのけるミキに、ブランドは首を振った。
「侮らないほうがいい。こいつらは斥候だ。どこかで罠を張り、一団となっておれたちを襲うつもりだろう」
でなければ、『骸骨兵』が逃げだすわけがない。たとえ形勢が不利だからといって、『死人返り』が死を恐れるはずがなかった。狂おしいまでの生者への憎悪、破壊と殺戮の衝動だけが彼らを動かしているのだから。
「まさか。あいつらにそんな脳味噌があるとは思えないけど」
もとからないか、と笑うミキに向かってブランドはふたたび首を振った。
だが、たしかに奇妙なことだった。魔界の化け物どもは狡猾だが、これほど統率された動きを、役割分担をするような戦術を使うというのは聞いたことがなかった。
あるいはミキの言うとおりかも知れない。だが、魔物が恐れをなして逃げだしていったという考えにはどうにも馴染めなかった。地獄の住人を甘く見ることはできない。
「……油断しないことだ。どっちにしろ、おれは先に進む。きみはどうする?」
「そうだね……あのさ、やっぱあれ、置いてかなきゃだめかな?」
あれ、というのがブッチャーの肉切り包丁のことだと気がつくのに、わずかに時間がかかった。なんともたくましいことだ、そう思うと自然と笑みがこぼれた。ごくかすかな、苦笑に過ぎなかったが。
「やめておけ」
「やれやれ……しょうがないかあ」
わざとらしく大げさなため息をつき、ミキは肩をすくめた。残念そうにしかめてみせた表情はすぐに崩れ、いたずらっぽい、あどけない顔がさらに幼く見える笑みが広がった。
「こんどは、宝石みたいにかさばらないやつがいいな」
ブランドは返事をせずに歩き出した。
すぐにミキもあとを追っていく。
奇妙な道中になりそうだった。
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