小説目次


『D&D&D』
第6話
sudo著


LEVEL−02 【DUNGEON】

ブランド


 ハンデュラスの王城は、異様な静けさに包まれていた。
 首都トリストラムの外れにそびえ立つ廃墟に、かつての栄光、『善王』レオリックの居城たる面影はすでにない。
 そこはいまや恐怖の象徴、忌まわしい魔界への門であり、『狂える暗黒王』レオリック亡きあと、異形の悪魔どもを主人に戴いた地獄そのものと化していた。
 そこに人の気配のあろうはずがない。
 生あるものの姿があろうはずがない。
 そこは地獄の亡者が跳梁し、生にあらざる魔の生が跋扈するところ。
 地上にあるべき生が迷い込めば、たちまちのうちにとり憑かれ、人の身で見てはならぬものを目にし、死という永遠の沈黙を誓わされることになる。
 だが、それにしても――
 奇妙な静寂であった。
 朽ちかけた城門の残骸を乗り越え、饐えた臭気の充満する回廊に踏みこむと、ブランドはすぐに気がついた。
(静かすぎる)
 足を踏み入れたとたん、廃墟中を埋め尽くすほどの魔物が待ち構えている、などとはブランドも考えていない。
 魔物たちは人の血に飢えたおぞましいけだものだが、極めて残忍で狡猾な恐るべき存在でもある。
 侵入者たちを入り口で追い返すようなことはせず、奥へ奥へと誘い込み、やがて退路を断ったところで残虐な血の欲望の欲しいままにする。そのような悪辣な知恵、醜悪な肉体に刻み込まれた残酷な本能こそ、悪魔の悪魔たるゆえんであった。
 ブランドはそうした謀りごとを承知のうえで、回廊の奥へと無造作に進んでいたが、最初に感じた違和感は強まる一方だった。
 なにかがおかしかった。
 魔物の姿はともかく、わずかな気配さえも感じられないとは。
 物音といえば、身につけた鎖帷子と鎧が、ブランドの動きとともにかすかな金属音を鳴らすくらいのものだった。
 ブランドは面覆いを引き下ろす。太刀と盾はだらりと下げたまま、足取りもゆるめず無造作なままだが、戦闘の構えは充分にとっている。
 この静けさはどうにも気に入らなかった。これほど奥まで踏み込んでもまったく魔物たちに動きがないというのは尋常ではない。
(なにがある? いや、なにがあった?)
 回廊を突き進み、漆黒の闇のために果てさえも見えない広大なホールに辿り着いたとき、ブランドの感じた違和感の源がそこに広がっていた。
 空気が変わっていた。
 それまでの、背筋どころか魂まで寒くさせる不気味な冷気は退けられ、ホールは熱気で満たされていた。
 匂いも違う。
 黴臭い死臭が消え、いっそ無機質なまでの清浄な空気がとってかわっている。
(どういうことか)
 異変を感じつつも、ブランドの足は止まらない。
 ホールをまっすぐに突っ切っていくと、ようやく魔物の姿を見つけた。
 最初の一匹は、死骸だった。
 それも、異様な死に様だった。
 ブランドは足を止めて膝をつき、死骸の様子を子細に眺めた。
(『屍肉喰らい』か……だが、これは?)
 『屍肉喰らい』は魔界でも最下等のいきものだった。ほかの悪魔のおこぼれを狙い、腐った屍肉を喰らう浅ましいけだもの。
 しかし、人間にとっては危険極まりない獰猛な魔獣だった。犬ほどの大きさだが、恐ろしく素早い動きで群れをなして襲いかかり、脚に喰らいついて引き倒し、人間の肉体を『生きたまま』で囓り尽くす。
 その『屍肉喰らい』が、四肢を天井に向け、硬直した死骸となって転がっている。
 黒焦げであった。
 どれほどの高熱に炙られたのか、その死骸は子犬どころか兎ほどの大きさにまで縮んでいた。
 石床にも高熱の余波が見てとれる。
 ブランドは立ち上がると、改めて周囲を見回した。
 深い闇にまぎれてこれまでは気づかなかったが、ホールには黒焦げの死骸がいくつも転がっていた。『屍肉喰らい』のほかにも、『堕したもの』や『生屍人』らしきものの死骸がいくつもある。
 死骸が不規則に点在するところから、ほとんどの魔物はなにが起こったのかわからぬうちに焼き尽くされたのだろう。でなければ、敵を取り囲もうと群れをなしていたはずだ。
 敵――人間を。
 だがこれが、人間にできることだろうか。数十匹の魔界の化け物を、一瞬にして全滅させるなどとは。
(魔術師だ。それも、かなり高位の)
 火炎や雷撃を使う魔術師なら、ブランドも見たことがある。このまえのいくさのときには、ウェストマーチ側にもハンデュラス側にもかなりの数の魔術師が従軍していたからだ。
 しかしこれだけ大規模な殺戮の魔術となると、並の術者ではありえない。そうしたものは禁断の呪文とされ、そもそもあたりまえの人間には到達しえない領域に存在するものだ。
(『人を越えたもの』、か)
 それは魔術師連中の自称する呼び名だった。強大な魔力を行使するものの奢りが漂う、いやな呼称だった。
 だが、このホールに現れている力は、そんな魔術師の奢りさえ吹き飛ばすほどの凄まじいものだ。それはもはや神の領域か――それとも悪魔のわざか。
 それにしても、当の魔術師の姿はどこか。そこらに散らばる死骸の様子から見て、それほど時がたっているとは思えない。
 いずれにしろ逃げ帰ったはずもなく、奥へと進めばそのうち相まみえるはずだった。
 廃墟を包む奇妙な静寂の理由はわかったが、しかし、ブランドの胸中にはなおも釈然としないものが残った。
 人の理を越える力を得た魔術師たちは、その思考さえも人のありようとは異なる。なんのためにこの悪魔が蠢く廃墟へとやってきたのか。魔物に苦しめられる人々を救済するため、などという陳腐な理由で動くはずがない。なにか別の理由があるはずだった。あたりまえの人間には理解の及ぶはずもない理由が。
 もっとも、それは魔術師に限ったことではない。自分自身のことを思い、ブランドの口元がゆがんだ。
(おれだってやつらと変わりはない。他人はおろか、自分でさえはっきりとはわからない理由でこの地獄にいる……)
 女を捨ててまで。
 突如として響き渡った轟音が、ブランドのもの思いを、廃墟を包んでいた静寂もろとも打ち破った。
 足もとの石床がゆれ、ブランドは軽くよろめいた。
 立て続けに攻城槌を撃ち込まれるような音と振動は、まるで地鳴りのようだった。一撃ごとに廃墟は大きく震え、いつ崩れるともわからないほどそこかしこがきしむ。
 一瞬ブランドは、ほんとうにハンデュラス騎士団の残党がこの城跡に対して攻撃を仕掛けてきたものかと思った。
 だが、ちがう。
 轟音と振動の源は外部からの打撃ではなく、廃墟のなかから発していた。なにかとてつもない『力』が廃墟のなかを荒れ狂っているのだ。
 またしても雷撃をまともに浴びたかのような衝撃――ブランドが石のかけらの舞い落ちる天井を仰ぎ見ると、分厚い石材が暗闇でもはっきりとわかるほどゆがんでいた。
(階上か)
 ブランドは走り出した。
 焼けつくような背中の痛みがブランドを駆り立てる。
 このすぐ先に、なんだかわからないがとんでもない化け物がいる――城塞そのものを叩きつぶしてしまいかねないような化け物が。
 そいつを斬り倒したら、全身を駆けめぐる耐え難い熱さが、すこしは癒えるだろうか――劫火に焙られ蒸発してしまいそうな心を、繋ぎ止めておくことができるだろうか。
(くそ……熱い!)
 ホールを疾走するブランドの顔がゆがんだ。
 笑みの形に。


 階段を駆け昇ったブランドの眼前に、忽然と石壁が立ちはだかった。
 壁は猛烈な勢いで倒れかかってきて、ブランドは素早く跳びすさってこれをよけた。
 ブランドは倒れてくる石壁が、実は壁ではなく、巨大な背中であることに気がついた――石の体を持つ巨人の背中である。
 仰向けに階下へと落ちていく石巨人の体はいたるところが斬られ、抉られ、とどめに頭頂部から胸までを叩き潰されていた。
 もとの石くれへ還る巨人を眼の端にとどめながら、ブランドは身を伏せ、横に転がった。
 その頭上をうなりをあげた斬撃が薙ぎ払う。
 ブランドの身代わりとなった石柱は一撃で粉砕された。
 支えを失った石柱が天井もろとも崩れ落ち、大粒の石の雨となって降り注ぐ。
 立ち上がったブランドはたちこめる粉塵のなかに、巨大な影が揺らめくのを見た。さきの石巨人をも凌駕する、巨大な影を。
 ――肉を!
 天井の瓦解する轟音をも上回る凄まじい咆吼が沸き起こった。
 粉塵を引き裂いて巨大な鉄の塊が振り下ろされ、こんどは石床を砕いた。
 恐るべき巨体の悪魔が姿をあらわした。
 その手に握られた、ほとんど人間ほどの大きさの大鉈を見て、ブランドはこの怪物が何ものであるかを悟った。
 その手にあるのは鉈ではない。想像を絶するほど巨大な、肉切り包丁だった。
(『解体屋』……ブッチャーか)
 トリストラムで聞いた話では、この魔物は人間の体を生きたままで切り刻み、解体することに無上の喜びを覚えるという。
 ――肉! もっと肉を!
 吼え声とともにブッチャーが肉包丁をおおきく振り上げた。
 その動作に合わせてブランドは一気に間合いをつめ、がらあきの胴に――恐ろしく肥大化した腹に、渾身の力をこめて剣を叩き込んだ。
 ブッチャーが絶叫をあげるが、それは苦痛のためというより怒りの声だった。
 剣は腹を半ば近くまで斬り裂いていたが、肉が刃をくわえ込んで容易に抜けない。
 狙いを定めた肉包丁がブランドをまっぷたつにしようと襲いかかる。
 ブランドは剣を握ったまま跳び、巨大な肉の塊を蹴って剣を引き抜き、そのまま後方へ跳んだ。
 肉包丁の一撃がブランドの体をかすめ、刃を受けた盾は手のなかから弾き飛ばされた。
 ひしゃげて使い物にならなくなった盾を見て、ブランドは義足の少年の約束を思い出した。ブッチャーに左脚をもぎ取られたこの少年は、ブランドがブッチャーを殺したら、密かに集めた武器防具から好きなものを持っていっていいという。
(あの子供、『龍の息吹』を持っていたな……本当にただでよこすかどうかはわからないが)
 腹を裂かれて狂乱したブッチャーははらわたが飛びだすのもかまわず攻撃してくるが、肉包丁のひと振りごとにブランドは2度3度と打ち込んで相手の体勢を崩し、その巨体にさらなる斬撃をあびせていく。
 いくら斬りつけてもしぶとく肉包丁を振り回すブッチャーの生命力にブランドは驚愕したが、恐れはしなかった。どんな魔物でも不死身ということはあるまい。
 しかし、ブランドは背筋が寒くなるような異様な戦慄を覚えていた。荒れ狂うブッチャーに対してではない。なにか別の、さらに恐るべき存在を感じていた。
(なんだ、これは)
 うなじがちりちりするような不快感があった。鋭く刺すような視線を感じる。魔物とも人とも違う、不気味な視線だった。
 肉包丁をかわしながら視線の源を探そうとしたブランドは、背後に別の気配を感じた。
 いきなり甲高い女の悲鳴が上がり、同時に矢が飛んできた。
 矢はブランドの頭のすぐわきを通過してブッチャーの腹に突き立った。
 背後の女射手は弓の射線上にブランドがいることに気づいていないようだった。ブランドは舌打ちして横に飛びのいた。
 立て続けに撃ち込まれる矢はなにほどの傷もブッチャーの巨体には与えられないようだったが、そのうちの一本が片目を貫いた。
 ブッチャーが絶叫をあげて顔を覆い、そのために頭が下がった。
 この最大の隙を、ブランドは見逃さなかった。
 剣を大上段に振りかざし、ブッチャーの脳天を真っ向から叩き割った。


 巨体の割には少ない脳漿を飛び散らせ、断末魔の悲鳴とともについにブッチャーは倒れた。
 悪鬼は滅び、いま、復讐は果たされた――The spirit is dead,now avenge――
 無惨にも切り刻まれ全滅したハンデュラスの騎士たちも、あの世で溜飲を下げていることだろう。もっとも、ブランドにはどうでもいいことだったが。
 気になるのは、先に感じた妙な視線が消え失せていることだった。いったい誰が――いや、なにがあれほどの戦慄をブランドに感じさせたのか。
 ブランドは小さく息を吐き、剣を納めて振り返った。
 弩を手にした若い女が、虚脱したような表情で立っていた。


第6話了・続く


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