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『D&D&D』 第5話 こあとる著 |
街のはずれには、河に囲まれた小島があった。
朽ちかけた木の橋がかけられてはいたものの、枯れ木と下生えの群生する小島は、誰も近寄ろうとはしなかったらしい。
好きこのんで藪蚊に喰われようとする物好きはその街にはいなかっただろうし、墓地のすぐ近くにあるこの小島はさぞかし薄気味悪く映ったことだろう。人がいなくなった今、しかも夜となっては、なおさらのことだった。
何よりも、ここに住む人間のことを考えれば、まだ廃墟に身をさらしていたほうがましだと考えることだろう──少なくとも、普通の人間なら。
男にとっては、そうではなかった。
奇怪な鎧と、黒いローブに身を包んだ長身の姿は、昼間廃墟で奇怪な力──魔術と呼ばれる力を使った男に他ならない。
その歩く姿は、廃墟を歩いていたときと何ら変わりなく、遅滞もない。怯えている様子など、もちろんなかった。
下半身にまといつく下生えは、ただ蹴散らせばいいだけのことだ。
藪蚊など男には、寄ってくるはずもない。
墓地の近くにある事実など、むしろ好ましい。いざというときの『材料』には、こと欠かないことだろう。
何かに襲われたら? 叩きつぶせばいい。
そして何より、男がここを訪れた目的こそ、ここを住まいとする人間に会うことだった。
まるでここだけは廃墟に吹きすさぶ黄塵とは無縁であるかのように、空気は静寂に包まれている。強い横殴りの風も、禽達の羽ばたきも、嘲笑のような鳴き声も、ない。
ただ共通しているものは、『死』の雰囲気。
誰も生きていない。何も生きていない。生きているものも、棲んでいるものもいるというのに。
風も、禽達も、河のせせらぎも、下生えも、その場所に澱んでいる雰囲気をごまかすことはできない。
『死』の澱みは。
かすかな風に散らされる下生えのむこうに、小屋が見えた。
人の作った、人の住まいであるにもかかわらず、澱みきった『死』が、そこで黒々ととぐろを巻いているように、男には映った。
男はフードの奥で、唇を歪めた。
小屋の近くに、大きな釜が火にかけられている。くつくつと異様な臭気を発しながら煮え立つその釜の横に、男が探していた人物がいる。
「──エイドリアというのは、貴女か」
その人物は、女だった。
藍色のローブを着込んだ、目鼻立ちの整った女である。美人、と言ってもさしつかえのない、容姿をしている。
だが、もっとも色濃く『死』を漂わせているのは、この廃墟でも、小島でも、小屋でも……ましてや大釜でもなかった。
「……来るのは、解っていた」
この、エイドリアと呼ばれた女性、男の問いににたりと笑顔で応じた、この女性こそが。
「大陸の『連盟評議会』が、この事態をほおっておくはずがない。………なんたって、大司教ラザルスの造反だ」
「さすがは、大魔女エイドリア。『評議会』を離れても、耳の早い」
男は慇懃に頭を下げ、礼を現した。手を胸元で交差させるその礼は、ある特殊な団体の間でのみ通用する隠語のようなものだった。
──これでわたしは、『術』を展開することができません──。
満足げに頷いたエイドリアの視線は、しかし、その交差された手から離れない。
「……名乗りな、『評議会』の術士どの。……ついでにアタシも、殺しに来たか?」
視線だけが冷ややかなまま、いっそ優しいとも思える口調で、エイドリアは尋ねる。その身体が、かすかな霞のようなものに包まれた。
ああ、それこそ、男が力を使うときに現れるものと同じ。男のように身振りすることもなく、それを発することができるとは。
男は魔女と、エイドリアを称した。魔術の力を振るうものが、ここにもいたのだ。
「ジャミル・ザ・ファイアワークス」男はシャックを取り巻く白い霞にに気付いているのかいないのか、こうべを垂れたままで名乗った。「貴女に危害を加えるつもりはごさいません……少なくともわたくしは、ですが」
エイドリアはその答えにしばし面白そうに目を細め、それから男──ジャミルにむかって同様の礼をした。
両者がそろって顔を上げた時には、エイドリアの全身を包む霞は消えていた。
「『評議会』も、思い切ったことをした。ふたつ名を持っているということは、導師級の魔術師だね? そんな大物を、派遣してくるとは」
導師位を持つ人間は、派遣された地での全権を自分の判断によって決定することができるということを、エイドリアは知っていた。
トリストラムだけに限らず、魔術を扱える人間は、非常に少ない。魔術師と呼ばれる人間どうしが偶然に出会うことは、ほとんどないといってもよいほどに。
すなわち、これは必然ということだ。「来るのは解っていた」というエイドリアの邂逅の言葉は、それを意味して発せられたものである。
数ヶ月前『評議会』に造反、トリストラムを廃墟に変えたラザルスを、討ちにきたか。
それにさらにさかのぼること十数年前、『評議会』を出奔した自分を、討ちにきたか。
ジャミルの目的はそのふたつ以外には、考えられない。
エイドリアの予想を裏付けるかのように、ジャミルは応じた。
「かつて『評議会』史上最強と言われたラザルスが相手では、並の術士ではどうにもなりますまい? ……軍隊を派遣しないだけ、まだましと考えていただきたい」
「それこそ、どうにもならないさ」
エイドリアは声をひそめて、忍び笑いを漏らした。
「隣国の連中も、この国の騎士団の残党も、何もしなかったとでも思うかい? あの城に、一度も踏み込まなかったとでも?」
エイドリアが顎で示した先に、城があった。
天頂部が破損し、今や廃墟の仲間入りを果たしていても、その城は大きく、支配者の偉容をたたえているように見えた。
ハンデュラスの王、レオリックの城であった。
「まさに、わたくしが知りたいのもそこですが──」
城に向いていたジャミルの顔が、エイドリアに向き直る。その表情はローブに隠されていて、エイドリアに見ることはできなかったが。
嗤っている、とエイドリアは感じた。
嗤っている。今の自分と同じ顔で。
「ラザルスが魔界とこちらを結んだのは事実でしょうし、大量の魔物がこちらに流入してきたのも事実……ですが、一国の騎士団すべてを全滅に追い込むほどの軍勢を、どうやって?」
「ひょっとして、アンタはアタシを馬鹿にしているのかい?」
エイドリアはとうとう、大きく口をあけて笑い出した。
「……それとも、アタシの口から言わせたいのか? 『大公』と契約したっていうなら、そんなこと簡単じゃないか」
大公。
その単語が出た瞬間──その場の空気が、変わった。
沈みきった死の気配が、怨念渦巻く地獄へと、一瞬で。
すべての風景は幻のように消え去り、燃えさかる劫火がふたりの周囲を包み込む。気配が産み出した、強烈な幻視であった。
「やはり……『大公』の封印を?」
その中でも、ふたりの魔術師は態度をまったく変えなかった。気配の変化を感じ取れていないかのごとく、ジャミルの口調も平静だ。
「ああ。三層の幾何封印と地下深くに埋めたことによる物理封印、ついでに大魔術式による空間閉鎖までほどこされてたみたいだったけど、全部突破されてるよ。あんたらが予想していた以上に、ラザルスがとんでもない術士だったってことなんだろうけど、ねえ」
まるで世間話のようなエイドリアの口調も最初と変わらなかったが、ふたりが話す内容はとてつもないものだった。
幾何封印と空間閉鎖、ともに現在では失われた儀式魔術のひとつである。強力な悪魔を封印するために神軍より伝えられたとされる、超高位の魔術だった。
現在で確認されている限り、封印は全世界でたったのみっつ。いずれも魔術師達の手によって、時の権力者達にすら知られぬよう厳重に秘匿、守護されてきたはずであった。
それが破れたと、エイドリアは言ったのだ。
常人には触れることもできないような世界での、魔術師ふたりの会話だった。
「『大公』の名のもとに、とてつもない連中が這い出てきたみたいだよ。……事実騎士団の連中は王の玉座までたどり着いたみたいだったけど、そこに住み着いたたった一匹の化け物によって、全滅した」
「ほう──『ドゥーム』でも出ましたか? それとも『バルログ』か……」
高位の悪魔の種族名を上げたジャミルの言葉に、エイドリアは首を横に振った。
「アタシも、そこまでは知らないが……生還できた連中は、ソイツのことをこう呼んでいた」
エイドリアはほっそりとした掌を自分の首まで持ち上げると、楽しげな表情で掌をぐい、と横に薙いだ。
「解体屋──『ブッチャー』って、ね」
暗くじめじめとしたホールに、ジャミルの足音が響きわたる。
レオリック王の、かつての居城──その一階部分に、ジャミルは足を踏み入れていた。
──レオリック王がいるとすれば、まだ玉座の間かもしれないが。
レオリック王の居場所を尋ねたジャミルに、エイドリアはそう答えた。
──玉座の間に続く謁見室に、そいつが住み着いていた。そこになだれ込んだ騎士達は、みなそいつにバラされちまったと言うわけさ。
『ブッチャー』と呼ばれたそれが、果たして魔物なのかどうかは、ジャミルには判断がつかなかった。
数少ない生き残りを捜してはみたものの、誰も彼もがまともに話ができる状態ではなかった。みな精神か肉体のどちらか、もしくは両方に、致命的な傷を受けていたのである。
してみると、あのとき魔物に襲われて死んだ男はそうではなかったのだろうか、とジャミルは考えた。
(……正確な情報を流せる人間を、極力排除しようとしている、か?)
予想できる話ではある。
いかに情報を隠していても、『評議会』をあざむき続けることはできない。しかし情報を隠し続けることによって、自分たちに有利な状況を作り出すことならばできるはずだと、ジャミルは考えていた。現に今、敵の正体もわからないこの状況は、ジャミルにとって不利であると言える。
どのくらいの数の魔物が、ここ一帯に現れたのか。
どういった種類の魔物が、現れたのか。
ラザルスはそんな中、どこにいるのか。
何をしようとしているのか──。
そこまで考えて、ジャミルは小さく嗤った。
(最後のひとつは、考えるまでもない)
そう、ラザルスがやろうとしていることならば、想像がつく。
『大公』の、受肉である。
かつて、神の軍団と戦ったものたちがいた。
悪魔、魔物、妖物と呼び名は様々、種類も様々だったが、すべてある一点でひとくくりにできた。
それらがみな、地獄の生き物であるということ。
そして、それらはみな、ある強大な存在によって率いられていた。あたかも王と、兵士のように。
そのうちの、ひとり。いや──一匹。
神に匹敵する力を備え、軍団を擁し、神の率いる無限無敗の軍団と戦った、恐るべき大悪魔。
それが、『大公』である。
神話によれば『大公』は神との戦いに破れた際に、その肉体を失っている。いかに『大公』が強力だとしても、肉体を持たない以上この世界への干渉力は極端に低下するはずであった。
逆にこの世界で活動できる肉体を手に入れれば、その制限はなくなる。それゆえの、受肉である。
レオリック王が消息を絶ち、トリストラムが廃墟となってからも、未だほとんどの魔物は外に出てきたことはない、とエイドリアは話していた。それはつまり、魔物達の力が強まっているわけではないと言うことだ。
(『大公』の受肉は、まだ終わってはいない……はずだ)
ジャミルにとって、いや人間にとっては、それは救いである。
受肉が完了すれば、この世界への被害もこの程度では済まなくなる。太陽は厚い雲に覆われて姿を隠し、魔物達がこの城からあふれ出す。やがて魔物達は人を襲い、巣を作り、子孫をばらまき………トリストラムを基点として世界中に魔物がはびこるまで、そう長い時間はかからないだろう。
(そして、ラザルスも──今以上の力を受ける)
何よりも、それがジャミルにとっては問題であった。
「……それまでには、必ず。貴様を殺し、そして──」
願いは、口をついて漏れかけた。
ジャミルの右手が、音もなく持ち上がる。
あたかも、それ以上の独白をみずから禁じるかのように、つぶやいた。
「……『吹き付け』、『焼き尽くせ』」
凄まじい轟音がホールを揺るがしたのは、次の瞬間だった。
魔術によってたわめられた大量の空気が、とてつもない高熱を帯びて、前方の空間へと殺到したのである。目では見えず、しかしそれは致命的な熱量の大波となってホールと正面に続く回廊のすべてを薙ぎ払い、そこかしこに潜んでいた魔物達を瞬時に焼き殺していた。
未だ熱気渦巻く回廊へと踏み出したジャミルの姿が、陽炎に揺らめく。
絶命の声すら上げられずに魔物達は焼け死んだが、今の轟音は城中に響きわたったことだろう。
好都合だ、と、ジャミルはほくそ笑んだ。すべての魔物に聞こえればいいとすら、思う。
祝砲のようなものだ。──人間の、反撃開始の。
回廊を進み、謁見室へと向かう。行く手を阻むはずの魔物達は、すべて『熱波』の呪文で死にたえてしまったか、姿を見せない。
謁見室の大扉は、すぐに見つけることができた。
あたりは静まり返り、物音ひとつしない。ただジャミル自身のブーツや鎧の立てる音だけが、回廊にこだましていた。
──奇妙だ。
ジャミルはここに来てようやく、その疑問に気が付いた。
確かに『熱波』の呪文は対集団用の、高位殲滅呪文である。その威力は人間はおろか、強い生命力を備えた魔物でも、ほとんどが耐えることはできないほどに強力だ。
しかし、同時にこの呪文は、ひどく大雑把な部分がある。近距離での効果は絶大だが、高熱の爆風を触媒とするため、広範囲に渡って使用した場合威力が減退し、どうしても死角が生じてしまう。
ジャミルも当然、この呪文の欠点に気付いていた。回廊に規則的に並ぶ柱の影や窪みなどを使って、呪文の効果を回避することができた魔物がいるはずだと、思っていた。
しかし、この長い回廊を進んできても、そんな魔物は一匹もいない。
身を隠すことを考えつかなかったほど、愚かな魔物ばかりだった?
ジャミルは一瞬そう考えたあと、即座に否定した。
魔物達は、愚かなどではない。ほぼ最下級の魔物であり、一見愚鈍に見える『堕したもの』たちですら、ある一面では恐ろしく狡猾な部分を見せる。
殺す時、奪う時、そして生き延びる時。世界の各地で魔物と戦ってきたジャミルには、それは誰よりもよくわかっている。
とすれば、考えられる可能性は、たったひとつしかない。
ここには最初から、ほとんど魔物がいなかった。魔物が近付かない、何らかの理由があったということである。
さして考えを重ねるまでもなく、ジャミルは結論にたどり着いた。
残党とはいえ、勇名をはせたトリストラムの騎士団を、たった一匹で壊滅させた魔物の名前に。
(ならば用心するに、越したことはない……)
ジャミルは扉から数歩の距離で、右手を払うように振った。
その手に魔術の霞が宿ったのもつかの間、重く大きな両開きの扉は誰の手も借りず、軋み音を立てつつ左右に開かれた。とって返した右手はすぐさま正面に向けられ、再び白い霞をまとわせる。
いかなる魔物が現れようとも、その手から走る魔術にはかなうまい──ジャミルは自信に満ちた笑みを浮かべて、謁見室の奥に目を凝らした。
その奥に、あったもの。
謁見室の床一面に、広がっていた光景。
「……ぬ、うっ……!」
振り上げた右手を硬直させ、ジャミルは小さく呻いた。
魔術に精通し、魔物との戦闘も幾度となく経験したジャミルをして、絶句せしめた光景とは。
それは一面の、赤の色。くすみ、どす黒く、混じり合った、おぞましき赤。
血と、臓物。
腕と、脚と、胴と、頭と、手と、足と、腹と、目と、耳と、鼻と、舌と、髪と……。
それは何十人という、屍の山だった。ひとつひとつが部品化され、細かく、精巧に腑分けされた、死体だった。
それらすべてが乱雑に放置され、血と臓物とが混じり合い、腐臭を放ち、どろどろとした赤い絨毯となって、かつて謁見室と呼ばれた部屋一面に広がっていたのである。
フードの奥のジャミルの目が限界まで見開かれ、ぎりぎりと歯が噛み合う音を立てた。
地獄──そう形容しても、罰は与えられまい。それは本来人の住むべき世界にぽっかりと生じた、地獄の光景であった。
ならばそこから聞こえてきた声は、何が発したものか。
──肉を。
それは、そう聞こえた。
喉に何かが詰まったような、低い低い声。
──もっと、肉を。
人間が出せる声とは思えぬほどに、その声は飢えと、狂気と、淫猥さに満ちて、ジャミルの耳に届いてきた。
──もっと、肉を。新鮮な。
もぞりと、死体の山の一部が盛り上がった。
うずたかく積まれた死体の下から、何かが出てこようとしている。
──もっと、肉を。新鮮な、肉を。
「く、く………ククッ……」
ジャミルが噛み合わせた歯の間から、押し出すように嗤いを漏らした。
刹那。
死体の山が、爆発したように弾け飛んだ。
臓物と血こごりをふるい落として現れたのは、おそろしく肥大した、巨大な肉の塊だった。
人と同じく四肢を備えてはいるものの、それが人間であろうはずがない。それはひどく不格好で、アンバランスで、そして何よりも、醜悪だった。
手とおぼしき部分に握られた血まみれの大鉈が、ぎらりと明かりを跳ね返す。
こいつが、とジャミルは瞬時に理解した。こいつが騎士団を、全滅させた魔物。
解体屋と、呼ばれた魔物!
──肉を!
解体屋──『ブッチャー』が、吠えた。
大鉈を振りかざし、屍を蹴散らし、その巨体からは想像もできないスピードで、ジャミルに向かって突進する。
「クハハハッ! ──面白いっ!」
ジャミルは哄笑し、全力で、魔術を展開した。
空気を震わせ、伸ばした右手の先から銀色の稲妻がほとばしる。
稲妻は狙いたがわず、突進する肉塊をからめ取った。それは強力な電荷を伴って、触れるすべてのものを内側から焼き尽くすはずだった。
まさか、それが防がれようとは。
突進を止めることすら、かなわぬとは!
──肉を!
ジャミルの呪文をあざ笑うかのように、ブッチャーが咆吼する。
振り下ろされた大鉈が、ジャミルを頭頂から分断しようとする、その一瞬。
ジャミルの肉体は、こつぜんと消滅していた。
「……我が一撃に耐えるとは、よほど深き魔界の底から来たか」
石材の床をまっぷたつに砕き割った大鉈を引き抜き、ブッチャーが頭を上げた。人間離れしたその醜悪な顔に、それだけは奇妙に人間くさい困惑の色が浮かんでいた。
たった今、自分の大鉈の間合いで立ちつくしていたはずの非力な人間が、はるか回廊の先で薄笑いを浮かべ、自分を見ている。
「ともすれば最も深き魔界の住人をも上回る生命力は見事──侮っていた非礼は、詫びるとしよう」
──肉を!
再度、ブッチャーが突撃の意欲に燃えて、全身を震わせる。
ジャミルはそれに応じて、両手を頭上へと差し上げた。膨大な魔力の霞が結集し、ジャミルの周囲に渦を巻く。
「……大地を糧とし、あらわれよ。我に仇なす、すべてを砕け」
両手を、振り下ろす。すべての霞が石畳に吸い込まれた時、ジャミルがそれに向かって、命じた。
「……『起て』!」
石畳が、持ち上がった。まるで粘土のように不規則に、硬さを感じさせない滑らかさで。
あっという間に三メートル近くまで盛り上がったそれは遅滞もなく変形し、荒削りな人の形を取ったのである。ブッチャーと比べれば細身ではあったが、その背丈はほとんど同じ、石の巨人ができあがった。
「お前はしばらく、こいつと遊んでいてもらおう」
ジャミルは面白そうな表情で、石巨人を見上げた。
「お前を殺すのは、少し骨が折れそうだ。準備を整えて──いや、他の手を考えた方がいいかな?」
ジャミルの嘲笑に、ブッチャーが怒りの咆吼で応じる。
──肉を! 肉を! ………肉を!
ブッチャーの突撃を、石巨人が迎え撃った。
大鉈が肩に食い込むのも頓着せず、石の拳でブッチャーの顔を殴りつける。魔術の稲妻を喰らってもびくともしなかった肉の巨体が、初めて揺らいだ。
「私はこれで、失礼するが──そいつは痛みも感じない。肉もない。完全に破壊しない限り、果てしなくお前と遊んでくれるぞ、ブッチャー」
もつれあうふたつの巨体に最後の嘲笑を浴びせかけ、ジャミルは膨大な霞で全身を包むや、突如その場からかき消えた。
あとは魔術の残り香と言うにはあまりに凄まじい、肉と石の巨人の戦いが、地獄のような風景を背後に営々と繰り広げられるばかりだった。
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