小説目次


『D&D&D』
第1話
こあとる著


LEVEL−00 【TOWN】

ジャミル・ザ・ファイアワークス



 その男が訪れたのは、廃墟だった。
 かつては街だったに違いない、大きな廃墟だった。黄砂と土埃に崩れ去ろうとしている今でも、その大きさだけは変わっていなかった。
 そんな広大な廃墟を、強い風が流れている。
 砂塵のまき起こる中、頭上で翼の羽ばたく音がする。
 かあ、かあと鳴く声が、男に浴びせられる。
 哀しみか、歓喜か──その声に、込められているもの。

 きたよ、きたよ。あたらしいやつが。

 しぬよ、しぬよ。すぐにここで。


 声の主たちに視線を投げて、男はしばし空を仰いだ。
 禽達の声に、耳を貸してか。
 禽達のことを、嗤うがゆえか。
 男の外見から、それを測ることはできない。フードが付いた黒いローブで、男の全身はすっぽりと覆われていた。
 二メートル近い長身の下には鎧のようなものを着込んでいるらしく、ローブのところどころがごつごつと張り出している。空を仰いだまましばしぴくりとも動かないその姿は、狂った芸術家の彫りだしたヒトの奇怪なカリカチュアのようだった。
 男がこうべを垂れて、再び歩き始めたのは、頭上の声がなくなってからだった。
 声の仲間が、どこかで何かを見つけたのだろう。遠くで呼ぶ鳴き声に惹かれるように、禽達はどこかへ飛び去っていってしまった。
 廃墟の中を歩きながら、ときおり男は左右に頭をめぐらせ、周囲を見回している。歩いている男のローブの内側から、しゃらり、しゃらりと音が鳴る。
 広大な廃墟を弔う、巡礼者のごとく。
 否──奇怪な風体も、人形じみた動きも、すさぶれた廃墟そのものも、その男にはよく似合っていると言える。もし男が本当に異教の信徒だったとしても、目にする誰もが納得するだろう。……もっとも誰も、その地にはいなかったのだが。
 人に忘れ去られた、土地ではない。
 人が忘れようとつとめた、土地である。
 とてつもない厄災に見舞われ、すべての人がそのあまりのおぞましさゆえに、忘れようとした土地。
 トリストラム。
 そう、呼ばれていた土地。
 善王レオリックの治世のもと、永らく平和に満たされてきた土地であった。
 ──。
 ふと、男が歩を止めた。何かを見咎めたように立ち止まり、動かない。
 ほんの数瞬、男はそのままの姿勢で動かずにいた。
 ──。
 男の頭が、ぴくりと前に戻った。
 古びた家屋のきしむ音に混じり、風に乗って、人間の声が聞こえてきたのである。それはひどくせっぱつまった叫び声であった。
 男の両腕が動いたのは、それが悲鳴だと確認してからだった。
 ローブから突き出した手はひどく痩せさばらえ、肘上から指先までもが金属製とも革製ともつかぬ灰色の籠手に包まれていた。
 空中で何かをつかむように鉤状に曲げた指を踊らせ、頭上に持ち上げるような仕草をした。霞のような何かがその周囲に一瞬湧き起こり、消えて──。
 男の眼前に、突然炎が燃え上がった。
 いや、それだけではない。男の背丈ほどにも燃え上がった炎の柱は見る間にその数を増やし、五つの炎柱に分裂したのである。強い風の吹きすさぶ中を揺らぎもせずに燃える炎は、どこか幻想的で、そして凶々しかった。
「……人以外、すべての『魔』を狙え」
 男が詠うように、つぶやいた。深く澄んだ、きれいなバリトンだった。
 炎の柱が、よじれるように変化した。火の粉を四方に吹き上げ、巻き上がり、根本はふたつに別れ、ふたつの枝を生やし。
 それは、人ではないのか。五つの炎がとろうとしている形は、人ではないのか。
「………『疾れ』」
 男がそう、命じた刹那。
 人の形をとった五つの炎は、凄まじい速度で前方に『疾った』。バチバチと触れた砂塵を焼き、風を巻いて、通りを疾走して男の視界から消える。
 ほんのわずかな静寂の後、かんだかい獣のような絶叫が、はるか遠くから届いてきた。
 間髪置かずに、もうひとつ。
 もうひとつ。もうひとつ。
 四つの悲鳴が上がってから、廃墟は再び風の音に支配された。
 男はわずかに速度を速めて、歩を進めた。最初に悲鳴が上がった方角と、今の悲鳴の方角は同じだった。
 男は足下に視線を落とす。今し方男が放った人型の炎の足跡が、地面に点々と焼け焦げとなって残っていた。
 人型の炎が進んでいった足跡をたどり、やがて男がたどり着いた場所は、開けた庭園だった。
 だった、という表現は、この場所にひどく相応しかった。かつて豪奢に通りを飾った大理石のアーチも、そのほうぼうに巻き付いていたのであろうバラの蔦も、人々の憩いとなっていたのであろう噴水も、今は崩れ、しおれ、枯れ果てて無惨な姿をさらしている。ところどころに転がっている白い欠片は、アーチの破片とも、人骨とも見えた。
 そのかつての庭園に、五つの死体があった。
 ひとつは、人間だった。うす錆びた鎧をまとった全身を刃物で切り刻まれ、流れ出した血が、石畳に積もった黄塵に染み込んでいる。すでにこと切れているのは明らかだった。
 その周囲に、四つの死体がある。
 強い高熱に全身を包まれたらしく、服をまとっていたかも判断できないほど焼けこげている。熱で縮んでしまったかのようにその死体は小さく、どこか人間離れしたアンバランスさを感じさせた。
 一目見たところ、子供か何かに見える。しかしその四つの屍は、人間ではなかった。
「………『堕したもの』……か」
 男が四つの死体を見下ろし、独白する。忌まわしそうな口調のなかに、かすかに面白そうな響きが混じっていた。
「……このように陽も高いうちから、『堕したもの』がうろつく、か?」
 まだ正午を過ぎたあたりだったが、黄塵が風に巻き上げられ、日の光をさえぎっていた。すでに夕暮れのように光が乏しく、男の姿も遠目に霞んでしまう。
 五つの屍のもとに立ちつくす男は、誰に問いかけているのか。
 自分に?
 五つの屍に?
 それとも──。
 答えは、男自身が出した。
「……帰って、貴様の師に、伝えるがいい」
 一語一句、さほど大きくもなく、しかし、はっきりとした声で。
 男が入ってきたアーチとは反対側にあるそれの影に、潜むものに。
「……『連盟評議会』は、トリストラムを手放さぬと。ハンデュラスの領土も、そこに眠る秘密も貴様には渡さぬ──と、な」
 言うなり、男の右手が上がった。
 広げられた掌に白い霞状のものが結集し、それが紅蓮の炎に変わるや、竜の吐息のように柱に向かって伸びていく。
 ごう、と柱が炎に包まれたのも一瞬、出たときと同じく炎は唐突に消滅した。
 ちりちりと柱に巻き付いた枯れ蔦が灼ける音が、今の炎が幻ではないという証拠だった。
「『炎獄』を喰らうほど、のろまではないか」
 黒く灼けた柱を眺めつつ、男が言った。
 影に潜んでいたなにかは、男の目に止まる前にいずこかに消えていた。
「……伝えろ、貴様の主に。地の底にて貴様達すべてを統べるものの、代弁者に」
 誰もいない砂塵の廃墟に、男の声だけが響く。
 聴衆は──禽達と、屍と、風に流れる黄塵と。
 そして………?
「……大司教──ラザルスに!」
 男が両手を差し上げ、声を荒げる。
 その声に明らかな歓喜と狂悦が混じっているのを聞き取ったのは、今や庭園にびっしりと群れ集った禽達だけであった。


第1話了・続く


第2話