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『永劫の戦い外伝』 黒い葉 アヤマ著 |
――うっとおしい雨だ。
俺は眼前に広がる緑の海を見渡しながらそう思った。
――砲撃開始まで後10分。
左手の軍用時計で確認する。特殊な対腐食処理が施されている表面を水滴が流れている。フードにあたる雨音、胸の二酸化炭素供給器の作動音だけがすべての音。獣の鳴き声はおろか、鳥の鳴き声すらしない。樹冠部分の生態系に動物が見られないのはこの「グリーンゾーン」だけだろう。
この森は異常に静かだ。目の前に広がる樹冠は意外に近く見える。しかし実際の地面からは100m強の高度だ。
この森が異常に静かであることにはワケがある。この森には動物がほとんどいないからだ。なぜ動物がいないのかといえばいろいろな理由がある。酸素濃度が高かったり、本来生産者のはずの植物が天敵だったりと色々だ。現に俺もこの二酸化炭素供給器で適正な酸素濃度に保たれてなければ、今ごろラリってこの緑の海へ落下中か、血でも吐きながら夢見心地で天国への階段を登っているだろう。それともサンズのカワを渡ると言うのかな。
――砲撃開始まで後5分。
くだらないことを考えていると、真面目なオレがふざけたオレに警告する。自分で自分に愛想笑いを浮かべながら、手元の双眼鏡で今回の観察点に目を向ける。今回の作戦の目的は敵の通信手段を知ることだった。
先月の『グスタ平原戦』での戦闘で、第七機械化大隊の戦車五〇〇台と歩兵七〇〇〇人が未帰還率9割以上の文字通り、全滅となって軍上層部は慎重にならざるを得なかった。
「人間の生存のため、我々は戦いつづけなければならない。しかし、勇敢と無謀を履き違えてはならない。人命を考え、慎重に行動せねばならない」とは軍が打ち出した今後の方針だった。今までは「我々人類が生存競争に勝ち残るため、我々人類がこの星の覇者となるまで、我々は戦いつづける」が軍の方針だった。180度、いや160度ぐらいの方向転換だった。その結果、いままではほとんど無視されていた、前線から歩兵たちが命がけで、それこそ文字通り命を賭して得た貴重な情報に目が向けられる事となった。
植物が考えるはずがない、やつらは本能のままに行動しているだけだ、統率など皆無、我々人類に追い立てられ暴走してるだけだ。上層部の見解はこうだった。しかし今回の方向転換で、前線からの各情報が真剣に討議され、いままでは見向きもされなかった軍属の科学者たちがにわかに忙しくなった。
――砲撃開始まで後2分。
『森』に動きはない。オレが担当している観察点は前方約1キロ、3キロ、5キロ、7キロ地点にある一際高い樹だった。各情報を解析した結果、「惑星樹」の動き。ある地点で攻撃が行われると、数キロから十数キロ離れた場所の植物がほぼ同時に呼応するように動き出すということだった。最初は音や臭いが考えられたが、音では届かず、臭いでは到達までに時間がかかり、これほど迅速な連絡はできないということが結論だった。
結果色々な推論が出され、採択された推論が「電波による通信」だった。オレとしてはもっと奇抜なアイディアが採択されるかと思ったが、意外に常識人が多かったらしい。彼女の意見が採択されなかったのが残念ではあるが。
彼女――軍属の科学者だ。出会いも奇抜であったが、性格も奇抜だった。しかしなぜかオレはそこが気に入ったらしく、また彼女もそんなオレを気に入ってくれたらしく、いまでは色々いっしょに、色々な場所でいろいろいっしょにいろいろ行っている。
そんな彼女の推論が植物の地下茎における通信網であった。彼女いわく、「何らかの透過性の高い植物組織で光通信が可能かもしれない、光フィアバーみたいに」だそうである。光ファイバーとは何かとたずねたが、「軍で開発中の新型通信網」としか教えてもらえなかった。
一応この推論も審議の対象となった。しかし、確認方法がないという理由でこの推論は却下された。つまり「グリーンゾーン」のど真ん中に行って、穴を掘って調べることが出来るか? という結論だったのだ。全くだ。オレなら早速辞表を書く。そのおかげで朝まで彼女に酒を付き合わされた。
敵植物の標本から、電波を受信できる器官が存在する可能性は低かった。しかしどこかに電波の送受信を行う通信塔の役割をする「樹」が存在し、そこから周りへ臭いなりなんなりで連絡をとっている可能性はあった。というべきか、それくらいしか確認できる推論が出てこなかったというべきだろう。
つまり今回の作戦の目的はこうだ。前線より遠距離砲撃を行い、植物どもが動き始める地点を観測する。そして動き出した地点の中心にこそこの「通信塔」が存在するはずである、というものであった。それでは電波か地下茎による通信かわからないじゃない、とは彼女の言葉である。軍としては通信の手段はともかく、通信の拠点となる場所がわかればそれでいいのだろう。
それでオレこと、陸軍統合作戦本部直属情報部特殊戦闘解析部隊、通称「特殊戦」に確認の指令が下ったわけである。地面を歩いて「グリーンゾーン」奥地まで入り込むのは、天使の軍隊が援軍にいてもごめんだが、岩山伝いに奥地まで入り込むのはそんな難しいことじゃない。それでも全身に泥をかぶり、人としての臭いを消し、各種呼吸器、通信機、生存装備を背負ってここまでくるのは骨だった。ここまで奥地に来るのは、実は初めてではない。公式記録に残ってはいないが、俺たちの部隊はすでに何度も岩山伝いの経路で、「グリーンゾーン」奥地に侵入している。
毎回泥を頭からかぶってだ。
そして繰り返すようだが今回もまた頭から泥をかぶってこの奥地まで侵入したわけである。
余談になるが、陸軍の一部で敵性植物群(よく変わる呼び名だ)の目を誤魔化すため、意味合いにおいて誤魔化すという意味だが、全身に生の葉や土、泥を塗ったり、かぶったりしたことが一度あった。目という光学器官が存在しないのだから、臭いでというわけだ。しかしそのような格好をした連中が真っ先に樹木の枝の餌食になった。モズのハヤニエのようだったと言われている。
真っ先に狙われた原因について、彼女はこんなことを言っていた。
「植物にはね、自分の体を傷つけられると特殊な物質を分泌し、仲間にそれを知らせる種類がいるわけなのよ。知らせて何をするかってゆーと、これは葉を食べる昆虫の話なんだけど、その物質を感知した植物は昆虫の成長を阻害するような毒物を分泌して、次の年の昆虫を減らすとかいうことを行う植物がいるわけなのよ、分かる? キミ」
言葉尻まで明確に思い出せた。それが深夜のベットの中であるのだから、情緒も何もあったものではない。喜んで聞いていたオレもオレだが。
つまりは、生の葉には植物どもに危険信号となる物質を含んであり、それを体に塗れば、敵はここです狙ってくださいと言っているようなものなのだろう。そんなことがあって以来、特殊戦では根拠こそないが、頭から泥をかぶって潜入することがおまじないのように行われるのだ。
――時間だ。
真面目なオレが唐突に喋った。思索の迷路で遊んでいたオレは双眼鏡の風景に神経を集中した。
砲撃は後方約3キロの地点に向かって、臼砲から行われる。十分距離をおき、やばくなったら即座に逃げるということだ。作戦の目的から占領地を維持するとかいうことはない。だからやばくなったら味方はさっさと撤退し、オレたち特殊戦は敵地のど真ん中に置き去りというわけだ。そうでなくても敵地のど真ん中に一人であることにかわりはないのだが、心の持ちようというやつだ。
後方から爆音が聞こえてきた。結構派手に聞こえる。3キロ離れているはずだから、砲撃開始は10秒ぐらい前ということだろうか。
目の前の約1キロ、3キロ、5キロ、7キロ地点にある一際高い樹の周りに目を凝らす。しかし、その周りの100m強の樹木が動けば、一目瞭然だが、地面に近いところの樹木が動けば、まったく分からないことにいまさらながら気が付いた。
――なぜかね、どうしてこう軍の作戦はどこか抜けているかね。
自分とて軍人であるが、それはさておき軍を非難してみた。それでも双眼鏡から目を離さずに、観察を続けたのは、軍人魂のなせる業だろう。
森は静かだった。後方からは断続的に爆発音が響いてきた。眼前の風景に動きはない。横に置いてある無線機のスイッチを三回不規則に入れて、切る。「動キ無シ」の報告だ。一応通信機本体で暗号化が行われている。植物に暗号はわからないだろうと思うが、どうにも彼女の話だと植物どもは頭がいいらしい。しかも彼女曰く、「人間とは違った尺度で頭がいい」そうである。どのように頭がいいのかは理解できなかったが、敵地のど真ん中で金属の塊が電波を出していたら、それはそれはいい目標になるであろう事はオレでもよく分かっていた。だから無線は極力短く、回数を少なくする必要があった。心細くなるのが欠点ではあるのだが。
爆音が止まった。第一段階が終了したらしい。敵の出方をみて砲撃の続行、撤退を判断しているらしい。
撤退になればオレのところまで無線が入る。とはいってもいざ撤退となってから連絡が入っても、敵地深くに進入している特殊戦の隊員が、本隊が撤退するまでに合流できる可能性は非常に少ない。悲しいかな自力で脱出しろということだ。したがって特殊戦隊員を救助に部隊が駆けつけるということは、その隊員がよほどの情報を掴んでいなければあり得ないことだ。
使い捨ての戦闘駒とは古くから言われる歩兵の代名詞である。しかし歩兵とて友軍が窮地に陥れば、援軍が駆けつけてくれる。それすらない特殊戦隊員はなんなのであろうか。
そんな特殊戦であるが、ひとつすでに文書化された形で気楽な点がある。曰く「友軍の窮地に際しては、援軍に駆けつけることが原則であるが、特殊戦についてはこの限りではない」。要は味方が困っていてもほっといていいよ、特殊戦は。ということらしい。イカス条文だ。おかげで特殊戦の裏の名前が「薄情部隊」だ。なんとも分かりやすい名前だ。
後方から爆発音が聞こえてきた。砲撃が続行されたということは、各観察点で目立った動きがなかったと言うことか。目の前の観察点に動きは無し。「動キ無シ」の報告はもう少し様子を見てからだ。樹幹部分からはわからないが、今ごろ地面近くでは凄い数の敵性樹木が移動を開始しているかもしれない。いくら自分たちが「薄情部隊」とよばれようと、味方が死ねばいい気分はしない。
被害の出ないうちに撤退してくれよ、オレ達は毎度のとおり一人でも帰還できるからさ。
緑の海を見て考える。自分たちが「薄情部隊」と呼ばれていること、また味方が死ぬかもしれないこと、そして死ぬ歩兵には家族がいること、それらを考えると気分が憂鬱になる。憂鬱になるといっても過度の感情と特殊戦隊員は無縁だ。精神訓練やら薬物投与やら後催眠やらで常に冷静でいられるようになっているだ。だから自分でもっと喜びたいがなぜかブレーキがかかる、自分が本気か自信がないとか悩みもあるが、彼女がそんなオレを気に入ってくれているようなので、今のところは問題ない。ふと彼女の言葉が思い出された。
「ほら、あなたが死ぬとあたしってばまた研究に没頭しちゃうわけよ。そうなるとこのままじゃいけない、オンナとしての幸福は研究じゃないワ、って気が付いたときには、もうおばあちゃんなわけよ、わかる? キミ」
これが夜明けのベッドだったりするから、眠くてなんのことか分からなかったが、要は「死なないで」ということらしい。同時に昼間のベッドで彼女が言っていたことを思い出した。
「黒い葉に気をつけてね」
なんのことだろうかと思った。何かの病気にかかった樹木のことだろうかとたずねると、珍しく真剣な面持ちでこういった。
「グリーンゾーンに動物がほとんどいなくても、樹木があれだけ大型に育つ理由。植物の進化として、考えられる推論。考えられるであろう最悪の結果」
いつもの「分かる? キミ」が無かった方に気を取られ、その言葉の意味を良く考えたことが無かった。あれはどうゆう意味だったのか。
眼前の緑に変化は無い。再度の無線に手をかけようとしたとき、何かが跳ねた。
最初なにが跳ねているのか分からなかった。観察点、7キロの地点からそれは跳ね上がり、5キロの地点で樹海に消えた。オレは双眼鏡から見える樹海の樹幹部に目を凝らした。
オレは自分で見た光景が信じられなかった。2キロの距離を一瞬にして跳躍する。いったい何にそれが可能だというのか。しかもここから見えたその大きさは20メートルを下らない。鳥や昆虫のはずが無い。大きさもそうだが、明らかに放物線を描いていたその軌道は、跳躍し、そして着地したことに他ならない。いったい何が跳ねたのか。オレは再度5キロ地点に目を凝らした。
直後、また何かが跳ねた。
一瞬にして双眼鏡の視野からそれは外れた。すばやく左眼は裸眼で跳ねたものの後を追い、右目は双眼鏡でその何かを追った。先ほどよりも高く跳躍するそれは、黒かった。左眼で捕らえたそれは黒い一点となり、暗雲たれこむ雨空にあっても異様に黒い一点として写った。右目の双眼鏡ではまだ捉えることが出来なかった。上昇速度が速いためだ。その間も左眼で捕らえ、背嚢のカメラに手を伸ばす。この瞬間は無理でも、次の跳躍時にアレを捕らえられるはず。
跳躍が頂点に近くなり、速度が落ちたところで、両目の双眼鏡でその姿を捉えた。
それは「黒い葉」に覆われた樹木だった。葉だけが黒いわけではない。樹皮にいたるも黒く木炭のような色だった。全体として黒いが、葉の部分の黒さは異様だった。黒光りする、ワックスをかけた黒の輝きではなく、光を反射しない黒だった。マットに仕上げられたガンブラックとも違う黒だ。
頂点を過ぎ、再度速度を上げ、「黒い樹」は再度樹海に消えた。
彼女の言っていた「黒い葉」なのだとすぐに分かった。そして今見た跳躍からあの樹がもつ運動能力が良く分かった。それは我々人間には最悪の結果となるであろうことも容易に感じ取れた。
オレは背嚢から取り出したカメラを構える。広角レンズを使用しているから、撮れる範囲は広いが細部はボケる。樹海全体の動きが必要との事でこのレンズとなったが、ひとつの目標を撮影するには不向きだ。しかし、写真があるのとないのでは、説得力に雲泥の差がある。
瞬間、オレは本隊に「動キ有リ」の報告を入れ忘れていることに気づいた。敵の写真も重要だが、本隊への報告も重要だ。オレの地点は今作戦で観察している地点でも樹海最深部だ。ここで動きがあったことを報告しても、本隊がすぐに撤退を開始する可能性は低い。ならば次の観察点のやつが報告すれば問題ないか。オレはそのときそう思ったが、それがとんでもない間違いであること気づいたのは無線機が破壊された後のことだった。
3キロの地点から再び、黒い影が跳躍した。オレは即座にカメラを向け、最拡大でシャッターを切る。大体入っていればいい、程度の感覚で連続してシャッターを切った。次々と「黒い樹」がフィルムへと収まっていく。そのことに夢中になりすぎたのか、視界の隅にいくつかの黒い影を捉えたとき、それが何であるかわからなかった。オレはシャッターを切るのを止め、視線だけずらしてその方向を見たとき、自分の目を疑うというオーソドックスなことしか出来なかった。
森の至るところより、黒い葉をまとった樹が跳ね上がっていた。十数体におよぶそれらは明らかに現在砲撃の行われている方向へと跳躍していた。オレは即座に無線機に手を伸ばした。本隊に敵の増援が迫っていることを伝えねばならない。そのときはそれしか考えられなかった。本隊に「動キ有リ、至急撤退セヨ」の報告の信号をおくることだけを考えていた。
黒い影のひとつが徐々に大きくなっていることに気づいた。錯覚かと思ったが、明らかにそれはこちらめがけて跳んで来ていた。オレは反射的に自動小銃に手を伸ばしたが、すぐにやめた。このような銃になんの意味がある。あの程度の大きさの敵性樹木であったとしても、人間の携行出来る程度の銃が通用するはずが無い。よしんば目の前の敵性樹木を排除できたとしても、硝煙の臭いが染み付いた体では、樹海から抜け出すことなど不可能に近い。
そんなことを考えている間に、黒い葉をまとった樹は目の前に轟音とともに着地した。岩肌にひびが入り、小石が樹海へと落下していた。
その黒い樹は4メートル弱の小さな樹だった。しかし目の前に立たれれば4メートルであろうと、100メートルであろうと大きな差は無い。葉はこの長く続く雨を玉のように流し、幹もまた流れる雨ゆえに鈍く光っていた。樹冠部を覆う葉は光を跳ね返さない黒だ。目は、光学的な受容器官は分からないが、いわいる「目」は無いはずだった。しかしオレは古事でいうところのヘビににらまれたカエルよろしく、身動きが取れなかった。多数の記憶が脳裏に一瞬浮かび、消える。これが彼女いうところのソウマトウとかいうものなのか? ということはオレは死ぬのか。オレの長い回顧の一瞬は黒い葉に覆われた樹の動きによって破られた。黒い樹は何の躊躇も見せずに、枝を振り下ろすとオレの左手がのっていた無線機を、オレの左手ごと粉砕した。悲鳴をあげなかったことを誇るべきか、痛みの大きさゆえに悲鳴すらあがらなかったというべきか。
黒い樹は無線機を破壊すると、俺自身が見えていないのか、それともどうでもいいのか、ほとんどそのままの姿勢からすさまじい跳躍を見せ、一瞬にして視界から消えた。左手の痛みにうめきそうになるかよわい自分をどうにか押さえ込みながら、ゆっくりと後ろを振り向くことが出来た。
オレの左手を砕いたそいつはもう空の一点になっていた。そしてオレは唐突に悟った。2キロの距離を一回の跳躍で軽く超える化け物が本隊に到着するのに如何程の時間が必要だろうかと。敵の姿を確認してから、腰の小銃を引き抜き、チャンバーを引いて、敵に銃を向ける? いやいや、こめかみに当てる時間くらいはあるだろう。それとも胸で十字を切るくらいの時間は与えられるのだろうか。
どちらにしろ、幾ばくも無い時間の内に、友軍兵士の多くは生と死の境界線をたやすく越えることになるだろう。やはり最初の黒い影を確認した瞬間に、本隊へ連絡を送るべきであったのだ。いまさらながら自分自身の判断の甘さが悔やまれた。そう思った瞬間、別の考えがふってわいた。
もしあの時、本隊に連絡を送っていればどうなっただろうか。無線機と左手だけですんだのは、電波の発信源を感知したヤツが近くまできたいいが、発信源を見失ったため、金属の箱を破壊していっただけではないのか。もしあの時本隊に連絡を送っていれば、無線機ごとオレも叩き潰されていたのないか。確証は無いが、確信はあった。自分にとっての幸運が、友軍にとっての不運であると考えると、憂鬱な気持ちが心に広がってきた。
だが、沈んでばかりもいられない。無線連絡こそ出来なかったものの、ヤツらの写真は撮った。これは大きな戦果といえるだろう。左手を犠牲にしただけのことはあるといえるものだ。
オレはいまさらながら、左手に食い込んでいる無線機の部品を一個一個引き抜いた。幸いに大きな出血は無い。骨はかなり細かく砕かれていることが手の形からわかった。人間丈夫だがこんな形にもかわるのだな、と妙な感慨が沸いた。
オレは岩山伝いに移動を開始した。長い帰路になりそうだった。左手が使えない以上、クライミングは避けなければならない。比較的緩やかな尾根沿いに移動しなければならない。
歩き始めたオレは考える。帰還したら彼女の部屋に行くこと。左手が使えないから、左手で腰を抱いて、右手で彼女の顔をいじるいつものスキンシップは出来ないが、右手で腰を抱いて、キスすることは出来るだろう。ベッドの中でも左手が邪魔かもしれないが、それでもいろいろなことがいろいろできるだろう。
憂鬱な自分に活を入れるためそんなことを考えた。しかし突いて出た言葉まったく別の言葉だった。
「帰りは長いな」
オレは分かりきったことつぶやいた。
――所詮オレ達は「薄情部隊」なのだ。
そう思ったところで自分自身の憂鬱が消えるわけではない。よりいっそう憂鬱さを増すだけだった。
――長い、長い道のりだ。
憂鬱な気分はヒトを哲学者にするという。いまのオレがその状態だった。
過去、人間は多くの戦いを行い、そして勝利した。それは戦争でもあるだろうし、生物の生存競争でもあるだろう。戦争は生存競争だといった政治家がいた。それは正しいのかもしれない。しかしオレは知っている。生存競争での戦いは、凄惨、苛烈を極め、長く続くものであると。
人間を己の生存環境を広げるために陸ではグリーンソーンに、海ではディープブルーに戦いを挑んでいる。つまり生存競争で自分を有利にするために、自分のテリトリーを広げているわけだ。そしてそれは敵にも言えることなのだ。自分自身のテリトリーを守るため。自分自身が生存するため。生物は戦いつづけるのだ。
ヒトは誤解している。自然界で生物は助け合って生きているのだと信じている。それは誤解なのだ。この地上に幾億幾千の生物が生息し、お互いが勝手に餌を求め、そして勝手に生活している姿が自然なのだ。生存に有効な手段として集団があり、社会が存在する。
その勝手に、そう勝手にだ。生存している生物同士が争うことになれば、それは長くつらいものになる。なぜなら負けたほうが一族すべてこの地上より姿を消すことになるのだから。それが生物の生存競争だ。
人間も、樹木も長い時間を生き残ってきた。それは長い時間を生き残る術を知っているからだろう。そしてそれはお互い簡単には生存競争に敗北しないことを示している。
――長い、永い戦いだ。
友軍がほぼ全滅しているであろうことは、もはや確認せずとも確信が持てた。そこの確信が自分の心にこのような考えを起こさせているのか。
――そう、永劫の戦いだ。
低く雲の垂れ込める空、降る雨はいつ果てるともしれない。オレはゆっくり移動を開始した。
<特殊戦長偵兵 サマー・リーブス准尉>