インターネット書評は読むに耐えないか
                             ――bk1をめぐって

2001年11月12日

 嘩は人がやってるのを見る分にはなかなか楽しい。とくにそれが文芸に関るものであればなおさらだ。
 いま坪内祐三さんの
『文学を探せ』と安原顯さんの『激読卍がため』を平行して読んでいます、と言ったら「にやり」とする人もいるだろう。くわしいとはとても言えないけれど、ぼくも有名人のゴシップは大好きな人間なので、このふたりが喧嘩していることくらいは知っている。(それとももう手打ちは済んだのかな、だれか教えて)
 まあ、本来、この世界の喧嘩は「論争」と呼ぶべきなんだろうが、この事件に限っては「喧嘩」の方がぴたりとくる、と言っても賛同してくれる人はきっと多いのじゃないだろうか。

 喧嘩になったきっかけはインターネットの書店bk1の書評のあり方をめぐってである。まあ、もちろんこれ以外にも、いろいろな人間関係が複雑に絡んでいることは想像されるけれど、とりあえずそこまではぼくにはわからないので、ここではあくまでbk1をめぐってのやりとりだけを追ってみる。
 野次馬にはちがいないのだが、なんでこのことを書くかと言えば、やはりインターネット書評のあり方というものに関心があるからだ。ぼくの立場は最後まで読んでいただけば明らかになるだろう。
 まず二人の喧嘩だが、くわしいことは本を読んでもらうとして、簡単にまとめるとこういう事件である。(この説明部分のみ煩雑なれば敬称を略す)


「たはっ、オモチロイね」てな事件でありますが、お二人に何の義理もないぼくが見るところでは、おおむね坪内さんの方が優勢という感じがする。まあ、こういうのは、一種の情報戦で人気のバロメータみたいなところもあるから、いま「右肩上がり」の坪内さんの方が有利だという面もあるだろう。

さてbk1である。
坪内さんの批判は安原さん個人のキャラクターに対するものを除くと(そこは一番面白いところだが、じつはあまり重要ではない)インターネット書評というものが果たして読むに値するものなのかという本質的な問いを投げかけている点で重要だと思う。坪内さんのインターネットに対する見方はこうだ。文章を引く。

「先に私は、インターネットは「書き散らし」のメディアだという話を聞いたことがある、と書いた。私自身の狭い見聞でも、インターネットの文体に、ある特有のにおいを感じる。偉そうだったり、単なる自己語り的だったり、要するに「他者」がいないのである。「読者」の視線が不在なのだ。だから言葉が一方的になってしまう。」
(『文学を探せ』p.230)

たしかに当たっていると思うところもあるし、ちょっと残念だな、そういう文体ばかりでもないと思うけどなぁ、という気もする。

 ぼくはbk1を本屋として利用したことはいままでない。そもそもあまりアクセスしたことがなかった。じつはブックマークに登録したのはつい最近である。
 ここからは少し書きにくい話になるのだが、ぼくがひかかるのは、このサイトの書評が「識者」と「読者」というカテゴリーをもっていることなのだ。なぜ、書きにくいかと言えば、この「識者」に知っているだけで三人の知り合いがいるからなのである。
 ここでいわずもがなのことであるが、これら「識者」の書評は大半は良心的なものだと思う。「ブックナビゲーター」という呼称にふさわしく、山登りに優秀な登山ガイドがいるように本の豊かな世界に導いてくれる懇切な書評が読めるのは確かである。
 ただし、ことがインターネットの世界であれば、ぼくはこういう一種の階層化には好感が持てない。書きたい人が自由に書評を書いて、それが「識者」のものか「読者」のものかなんて関係ないじゃんと単純に思ってしまう。

 たぶん坪内さんは、権威のある「正統」にはそれだけの元手や時間、才能や覚悟がかかっているんだ、インターネットの書きっぱなしの「書評」では駄目だよと言っているのだと思う。これに対して、bk1は、いやそうじゃないんだ、読者を導く目利きは「識者」という別格としてちゃんとあつかうんだという仕組みで、基本的にはこの坪内さんの不信に「同意」しているのだとぼくは思うんだなあ。だが、ここを実は坪内さんは鋭く突いて、そういう不透明なやり方が情実や贈答的な書評、あるいは意に染まない著者の個人攻撃として出てくる恣意的な書評の温床になるんだ、というふうに批判しているのである。

 だが、ぼくはどちらにも与しない。ぼくはインターネット書評が必ずしも坪内さんの軽蔑するような「他者」のいない一方的なものだとは思わない。それは、なかには結構上手い人だっているよ、というレベルの話ではなくて、ハイパーリンクという仕組みによって人と人が、本と本が結びついて行くそのダイナミズムは、従来の権威的な書評を読むだけでは味わうことができない魅力的な読書生活につながることを「事実として」知っているからなのだ。

 最後におまけのはなし。
 じつは、ぼくはbk1に大いに期待している。それは「識者」ではなくて「読者」の書評のなかにとてもいいものを発見したからなのである。小田中直樹という評者、単にbk1のリサーチ不足なのか、それともこの人物の選択なのか、それはわからないけれど、こういう書評が普通の人の感想と並んで読めるのならこのサイトは面白いものになるとぼくは思い始めている。