感想
チカノ(chinano)という言葉があります。メキシコ系アメリカ人という意味で、もともとは差別的な語感をもっていた らしいのですが、いまではかれら自身が誇りをこめて自らをチカノと呼び、チカノ・アート、チカノ文学というジャンル が商業的にも成立するようになっているといいます。本書はそのチカノ文学の父と呼ばれる作家の処女作です。
本書の舞台はニューメキシコ州のグアダルーペ周辺の田舎町。グアダルーペは合衆国の地図ではサンタ・ローザと表記さ れます。スペイン語を話す住民の方が多いという土地柄で、本国メキシコシティの「グアダルーペのマリア」から取ったこ の呼び名の方がチカノ社会では一般的なのですね。もちろん行ったことはないので単なる想像ですが、たとえばサム・ペキ ンパーの映画「ワイルド・バンチ」や「ガルシアの首」などで出てきた風景や人々の風貌などを思い描けばいいのかも知れ ません。
小説の時代は、第2次世界大戦で日本が敗北する前後の数年間。ひとりの少年がいくつかの暴力的な死や宗教上の疑問と いう試練のなかで成長して行く姿が、かれの祖母ウルティマとの交流を軸にじっくりと描かれています。
ただし正直なところ、ぼく自身読んでいる間はあまり面白い小説とは思いませんでした。目を見張るような表現があるわ けでもないし、手に汗握るような筋書きがあるわけでもないのです。そういう意味では、「これ面白いよ!」と誰にでも勧 めるたぐいの本ではありません。ただ、何故でしょうか、不思議なことに、読み終えたあとで、いつまでも妙に心に残るも のがあるのです。
本書を読むまで、このメキシコ系の人々のことは、よくて善良なお人よし、悪くすると悪徳代官のメキシコ人版程度の浅 薄な見方(なにかというと大げさな仕草で、アミーゴ!なんて叫ぶ太っちょ、ね)しかしていなかったことにあらためて気 づきます。しかしながら、当然かれらの民族的なアイデンティティは複雑で、主人公アントニオの家系がそれを、あますこ となく示しています。
まず父方のマレス家(「海」という意味)は遥かな海を渡って新大陸にやってきたスペインの冒険者、征服者 の末裔であることをなにより誇りにしている一族です。ヌエ ボメヒコ(ニューメキシコ)の大草原を風のように駆けぬけるカウボーイであるバケーロを一族の生業とし、自由と荒々 しい男の矜持がその持ち味です。
一方で、母方のルナ家(意味はもちろん「月」)は、おそらくは、原住民の血を身体に取りこんだという意識から大地に 根ざし自然と共生しようという農夫の生き方を選んでいるんですね。
しかし、哀しいことにバンケーロの生き方はニューメキシコ州が合衆国のものになった昔からすでに敗北者の生き方に なっています。アントニオの父は、自由なバンケーロ時代のみを追想する酒浸りの工事人夫として町に住むようになる。 それはもちろん、ルナ家の妻が定住と子供たちの合衆国での公教育を望んだことに応えたものではあるのですが、この設定 には、男としてつくづくやりきれないものを感じざるを得ません。
アントニオは、この両親のまったく相反した価値観、いやもう少し踏み込んで言うと「血」そのものによって引き裂かれ ています。しかし、さらに面白いのはここに信仰が絡んでくるからなんですね。というのは、カソリックというのはもちろ んヨーロッパから海を越えてやって来たものですが、それが頑迷なまでに染みついているのは農夫の生き方を選んでいるル ナ家の方なんですね。アントニオの母親の最大の夢はかれがカソリック教会の神父になることです。
反対にマレス家の人々にとってはカソリックというのは、まあ一応尊重はするけれど、それが全てではないと思っていま す。むしろ反対にマレス家の守護神ともいうべきアントニオの祖母ウルティマは、土着の精霊と意識を通わせ、善なる存在 として人間の悪と戦う呪術師、魔法使いなのです。
つまり、すこし乱暴に単純化すると、征服者は一緒に持ってきたカソリックという宗教を原住民に強制しそれに成功しな がら、逆にかれら自身は土着の神々を信じるようになったわけですね。ここにある「ねじれ」はかれらチカノの自己規定に おそらく大きな示唆を与えているように思います。
アントニオからみるとカソリックというのはあまりに偽善的で、ときに無力です。善が悪に打ち勝つべきと少年は思って も、現実には神はいったいどこにいるのか、と思うような出来事が襲いかかる。そのなかで、大地の精霊と一体になって人間の尊厳 を守り抜こうとする祖母ウルティマがなにを少年に与えてくれたのか。
たぶん、引き裂かれた自己をふたたび取り戻すことためには、征服者と被征服者の両方を自分のなかで再び生かす方法を 見つけることが必要なのだよ、ということなのでしょう。
民族的な征服という非人間的な行為を歴史の傍観者として糾弾するような気楽な立場にチカノたちがいないことは明白で す。おそらく何千年前、何万年前と繰り返されてきた人類の書き記されていない歴史をかれらはいまも生きているのだと いう気がしてなりません。