感想
たとえば、夏の昼下がり。
あなたは、とりあえず夕方まで何もすることががない。
昼寝にもあきてしまった。縁側の外に目をやると夏の陽射しが庭にやけにくっきりとした影を落とし、沸き返るような蝉時雨が庭の木立に響き、それがかえって広大な屋敷の静けさを意識させる。
いつもは、くだらない仕事なんかさっさと引退し、読書三昧の日々を送りたいものだ、なんぞと言いふらしている割に、いざ半日の閑が実際に手に入ると、実は何にも読みたくなかったりすることに気づいて、なにか約束がかなえられなかったような不満が胸のうちに膨らんでくるのをどうすることもできないのだった。
さて、そういうシチュエーション(どんな奴だ、そいつは。笑)であえて読む本といえば、まず池波正太郎以外にないと思うのだけれど、どうだろう。
読書にもいろんな喜びがある。読むことが一つの力比べのような気力と根気を要求し、読み終えたときに大きな達成感をもたらしてくれる本も人生には絶対に必要だ。
しかし池波正太郎の娯楽小説は、ちょうどこういう本の対極にあると言ってもいいだろう。
いつも実に短い最初の一行を読みだした瞬間から、もうぼくらは文字を追ってはいない。頭の中に安永年間の江戸の町が広がり、秋山小兵衛の行くところ、悪党どもは「どこをどうされたか」わからぬうちに橋の上から大川に放り出されたり、腕が飛んだりしてしまう、いやその快感といったら・・・。
あっというまに、『剣客商売』は読み終わり、ええい、もう何度目になるだろう、などとぶつぶつ言いながら、あなたは『辻斬り』、『陽炎の男』まで取り出してしまうのである。
鬼熊酒場の親父や、まゆ墨の金ちゃんに「やあ、しばらく」と声をかけ、うなぎ屋の又六、元長のおもと、四谷の御用聞き弥七なんぞは、まるで古い馴染みの友人同様である。根深汁を秋山大冶郎とふうふうすすり、貝柱のかき揚げをのせた熱いてんぷら蕎麦の油の玉に、思わず生唾し、不逞の浪人の悪巧みに、「へっ、秋山の大先生の方が一枚上手さね」とすっかり百姓気分になってつぶやいたりするのだ。これが読書の愉しみでなければ、なんだというのだ。
こういう本を数多く残してくれた池波正太郎には感謝する他ない。
ありがとうございました、本当に。