書誌データ(私の読んだ版)

百年の孤独
G・ガルシア=マルケス
鼓直訳
新潮社(新潮現代世界の文学)
初版1972年(15刷 1983年)


 感想

 初めてこの小説を読んだとき、面白がって人物相関図を菓子箱の裏蓋の厚紙に作ったことがある。残念ながら、どこかへやってしまったけれど、この相関図は実に重宝した。読んだことがある人は知っているように、登場人物はアウレリャーノ・ブエンディーア、アルカディオ・ブエンディーア、アマランタ・ウルスラといった日本人には舌を噛みそうな名前ばかりだし、代々自分の子供にも同じ名前をつけていくために同じ名前をもった別の人物が際限なく出てくるのですね。この相関図というか家系図がこの作品の一種の見取り図になったわけ。

 こういうと、「げっ、そんなややこしいハナシはパスだな」などと思われるといけないのであわてて言っておくけれど、本当はそんな人物相関図(ぼくがつくったのは結局その厚紙いっぱいになった)は全然必要ないのだ。読んで行けば(というより、読みはじめてしまえば、あまりの面白さにぐいぐい引きずられて行くと言った方が正確だが)自然に誰のことかが分かる。ああ、これはおじいさんのアウレリャーノだな、とか親父の方だなとかね。ちょうど歌舞伎ファンが役者の話をするときみたいなもんでしょうか。それぞれ独特の性格とエピソードをもっている連中なので、いやでもそれが誰を指しているかは歴然とわかるという仕組みになっているのであります。

 この小説は、現代の洗練された小説技法からすると、実際シンプル極まりない。時間の流れは過去から未来へ直線的に流れていて、現在と過去と未来が渾然と交じり合って読者を途方にくれさせるようなひどくつかれる文体はここにはない。そういう意味では、とてもわかりやすい小説なのね。
 ただ、ここに展開される物語は、描写そのものは単純で現実的なのに、総体としてはとんでもなく非現実的で大法螺で、哄笑と絶望が渦を巻きながらいっぺんに押し寄せてくるような圧倒的な存在感があるのだった。
 マコンドという取るにたらない村が、ブエンディーア一家によって発展し、そして蜃気楼のごとく消え去ってしまう、その百年間の中にコロンビアの、いや、おそらくは中南米の歴史が様々な形で凝縮していることは間違いなく、こういうかたちでしか自分たちの歴史を語る方法がないというのがこの作家のとった方法論ではないかと思うのですね。
 ただ、告白すれば、ぼくはつくづく中南米の国に生まれなくてよかったと、これを読みながら思ったのだった。彼らの血のなんとまあ濃いこと、とことん限界まで行ってしまう魂のなんと孤独であること、男も女も中庸ということばを嘲笑うような過激さは、素晴らしい人間の精神のひとつのありかたであることは認めても、どうか遠い異国の物語であって欲しいというのが、本音であります。
 ただし、腑抜けのように全員が中流意識で精紳の弛緩しきった(ぼくも含めて)国の人間は、ときどきこういう凄まじい哄笑と絶望に触れる必要があるんじゃないかとぼくは思ったりするのだった。

 ところで、イアン・マクドナルドの『火星夜想曲』(ハヤカワ文庫)という本がありまして、これは古沢嘉通さんの素晴らしい翻訳で読めるのですが、じつは『百年の孤独』がベースとなっていることは歴然としています。読み比べてみるのも一興かと思います。