かわうそ亭読書日記
2004年


3月2日(火)

『高貴なる敗北』アイヴァン・モリス/斎藤和明訳(中央公論社/1981)を読む。副題「日本史の悲劇の英雄たち」。著者は戦争中イギリス将校として米海軍の日本語学校にて日本語を習得。ハーヴァード卒業後、ロンドン大学で『源氏物語』の研究。三島由紀夫、大岡昇平の翻訳などで知られる。1960年以来、ドナルド・キーンとともにコロンビア大学において日本研究の拠点を築いた人物。(1976年死去)
本書は十章よりなる。各章ごとに九人の日本史上の英雄(日本武尊、捕鳥部万(ととりべのよろず)、有馬皇子、菅原道真、源義経、楠木正成、天草四郎、大塩平八郎、西郷隆盛)が編年風に取り上げられ、最後に「カミカゼ特攻の戦士たち」という本書の中でも一番長い異色の章が置かれる。おそらく著者の意図は最終章にあるだろう。本書はあくまでも英米の読書人を念頭に書かれたものだ。特攻という非合理で、しかも実際上の戦果もない戦術に対して、クレージーの一言で片付けるのが勝者の側の一般的な見方だろうが、著者は日本人の歴史を丹念にたどり、戦争指導者はともかく、ひとりひとりの若い特攻隊員にとっては、それが病的な狂信や暗愚によるものではなく、日本人の古来からの美意識や気性にもとづくものであり、高貴なる精神の発露であったことを解明している。もちろん、これを過剰な美化だと非難することはたやすいが、ぼくは最終章にいたって、泣けてしかたがなかった。
ちなみに昨年末に見た映画
「ラスト・サムライ」のエドワード・ズウィック監督も本書に大きな影響を受けたと取材で語っている。かれはコロンビアの大学院で日本研究の専攻だったらしいが、年齢からみて(1952年生まれ)もしかして、モリスに直接教えを受けたことがあるのかしら。

翌日記す。
エドワード・ズウィックはハーバードの東洋学科で日本学を学んだ。故マリウス・ジャンセン博士(プリンストン大学名誉教授、主著は
『明治維新と坂本龍馬』)の孫弟子。
JMMの冷泉彰彦さんの記事(2003年12月6日)に基づく。


3月3日(水)

『玉砕戦の孤島に大義はなかった』舩坂弘(光人社/1977)を読む。
太平洋戦争末期、激戦のパラオ諸島ガラゴン島への斬込隊長であった高垣勘ニ少尉という人物に焦点をあててその謎の死を追った記録。高垣勘ニ少尉は宇都宮商業高校を首席で卒業後、満州電力入社、召集を受け宇都宮第十四師団(通称「照」)に所属した。この経歴からわかるように、軍のエリートとして育成された高級将校ではなく、戦時下のにわか将校の一人と言ってよい。しかしこうした人物が、職業軍人たる参謀などよりはるかに武人としての節を全うしたということは大いにあり得ることだろう。満腔の敬意を表したい。
本書の著者のことは、掲示板で、伊58さんに教えていただいた。
『英霊の絶叫 玉砕島アンガウル戦記』『ペリリュー島玉砕戦 南海の小島七十日の血戦』の二冊を紹介いただいたのだが、残念ながら大阪図書館は所蔵していなかった。ゆっくり探してみることにしよう。

3月5日(金)

『一茶句集』金子兜太(岩波書店/1996)を読む。
一茶の持つ土臭さ、業俳のしたたかさを大胆な文体でなぞる。たとえば――

 三度くふ旅もつたいな時雨雲

 三食食べながらの旅なんて、もったいねぇ話よ。時雨の雲がどんよりしていて、空きっ腹がいよいよ冷えるが、芭蕉さんをおもって、ここは我慢といくしかねえや。


3月9日(火)

『小さな世界――アカデミック・ロマンス』デイヴィッド・ロッジ/高儀進訳(白水社/1986)を読む。
『交換教授』から10年後の1979年が舞台。文学と批評をめぐって、語り手の視点は地球という惑星上をぐるぐる駆けまわる。登場人物もジェット機で都市から都市への優雅な旅。学会は現代の巡礼である。しかし、ところを地球規模で変えながら、公然と議論をふっかけたり、こっそり足を引っ張ったり、地位や業績上の取引をしたり、情事にふけったりという人間関係は、いつも同じ顔ぶれ、小さな世界、というわけ。
本書単独でも文句なしに面白いだろうが、フィリップ・スワローやモリス・ザップはもちろんのこと
、『交換教授』の登場人物がたくさん出てくるので、やはり前作を読んでいたほうが楽しめるだろう。例によって最後の数頁でドタバタとみんなハッピーエンドに向うのだが、若い主人公パース・マグリガルの「聖杯」だけがほんの少しだけオープンエンドにしてあって、しかし、それとても時間の問題であることは明白なので、後味がじつによろしい。

3月10日(水)

『暗い森』アーロン・エルキンズ/青木久恵訳(ハヤカワ文庫/1991)を読む。
本書の中にヤヒ族のイシの話が出てくる。1860年代に入植者や金鉱捜しの連中に殺されて絶滅したと思われていた部族の最後の生き残りで1911年に発見された。イシはヤヒ族の言葉で「人」を意味する。かれは結局死ぬまで自分の名前は白人には明かさなかった。名前は魂の宿るもっとも大切なものだからだ――というところで、ぼくはなんとなく、ル=グウィンの
『ゲド戦記』を連想した。本書にも、この名前を明かすことをめぐっての印象深いシーンがある。
ところでインターネットでこのイシのことを調べて驚いた。イシについては
『イシ―北米最後の野生インディアン』(岩波書店)という本があり、これによって世界的に知られることになったらしいのだが、かれの世話をし、名前を明かさないためにイシと命名し、友人となった文化人類学者アルフレッド・クローバーの妻シオドーラ・クローバーが、この本の著者である。そして、なんとアーシュラ・K・ル=グウィンはこのふたりの娘なのだった。

3月13日(土)

『イシ 北米最後の野生インディアン』シオドーラ・クローバー/行方昭夫訳(岩波現代文庫/2003)を読む。
本書の前半は19世紀末から20世紀初頭のヤヒ族の滅亡についての記述。当時の新聞記事や、後年の回想録などに基づいて、この間におこったと思われる出来事を再現している。一次資料は当然すべて白人側の記録である。よいインディアンは死んだインディアンだけさ、と笑い飛ばし、たとえ赤ん坊でも容赦するな、シラミの卵は放っていけばまたシラミになるからな、と集団虐殺を繰り返したことがわかっている。こうして侵略者たちは独自の言語と文化をもった(そしてそこに住む権利を正当にもっていた)ひとつの民族を根絶やしにし、地上から消し去ってしまったのだ。もちろん、カルフォルニアの白人すべてがそうであったわけではないだろう。しかしこの本を読んでいると、文明と野蛮についての日頃の思い込みが鮮やかに逆転する。
本書の後半はサンフランシスコでのイシの四年あまりの生活。結局、免疫のない肺結核でかれは生涯を終えた。最後の言葉は「あなたは居なさい。ぼくは行く。」だった。

3月15日(月)

『黒い天使』 アントニオ・タブッキ/堤康徳訳(青土社/1998)を読む。
「何とは言えない何かによって運ばれる声」 「夜、海あるいは距離」 「ふるいにかけろ」 「ニューヨークの蝶の羽のはばたきは北京に台風を起こすことができるか?」 「石のあいだを跳ねる鱒はあなたの人生をわたしに思い出させる」 「新年」の六つの物語。ただし、これらを物語として読もうとすると少しもどかしい。あまりに断片的で、不鮮明な印象なのだ。だが、もともと現実というのはそういうものなのかも知れない。ぼくらの見聞はすべて世界の断片である。いや、それどころか自分という意識そのものが、始まりも終わりもわからない断片なのではないか。
もっとも、率直に言って、本書はよくわからないというのが正直なところではあるのだけれど。

3月16日(火)

『鑑賞・現代短歌 七 塚本邦雄』坂井修一(本阿弥書店/1996)を読む。

  き菊の主題をおきて待つわれにかへり來よ海の底まで秋
  天使魚の瑠璃のしかばねさるにても彼奴より先に死んでたまるか

前者は、もちろん雨月物語、菊花の契を踏まえて男の情を詠んだ歌。当時失踪中だった岡井隆への呼びかけの歌として読まれて来た。後者、彼奴(きやつ)が誰であるか、「盟友でありライバルである歌人岡井隆を指すであろうというのが一般的な見方である」

気に入った歌を三首ばかり。

  あはれ知命の命知らざれば束の閧フ秋銀箔のごとく満ちたり
  散文の文字や目に零るK霞いつの日雨の近江に果てむ
  壯年の崖けむりつつ烏蛇孵る このうるはしき隣人  


3月17日(水)

『いのちの童女人形』竹原淑恵(講談社/2004)を読む。
竹原淑恵(しゅくけい)さんは1908年生まれ。四十三歳のときに初孫のためにと作ったのがきっかけとなって人形作りを始める。主婦の友社の手芸展一等、朝日新聞社の現代人形美術展で朝日新聞社賞など。
本書は、やさしげな日本の童女、童子の人形をおつくりになる竹原さんの回想録。京都でお生まれになり、小浜市、岩国市、東京、奈良、などで暮らしてこられ、現在は八ヶ岳南麓にお住いである。
本書の口絵写真に愛らしい人形が多数掲載されているが、お孫さんのHPでもその一部を見ることができる。
http://www.geocities.co.jp/Milano-Kotto/1945/

3月19日(金)

『白い犬とワルツを』テリー・ケイ/兼武進訳(新潮文庫/1998)を読む。
デイビッドリンチが監督した映画
「ストレートストーリー」を連想させるな。無骨だがあたたかく、自分の分をわきまえた南部の人々の雰囲気がよく出ている。

3月21日(日)

『漢詩 美の在りか』松浦友久(岩波新書/2002)を読む。
日本人にとって文語定型詩は和歌、短歌、俳句である。ところが漢詩は、視覚的には原詩の定型性を観念的に保ちつつ、音声的・聴覚的には「和文詩歌としての自由律リズム」で読んでいる、という著者の指摘は目からウロコ。

  国破山河在  こく・は・さん・が・ざい      guo2po4 shan1he2 zai4
  
城春草木深  じょう・しゅん・そう・もく・しん  cheng2chun1 caomu4 shen4

と一度読んで、次に訓読で吟ずる。

  国破れて  山河在り
  城春にして 草木深し

つまり訓読漢詩は古来よりじつは文語自由詩であったというのだ。そうかもしれない。


3月23日(火)

『平畑静塔対談俳句史』(永田書房/1990)を読む。
新興俳句運動や京大俳句事件など昭和の俳句史の動きについては以前から関心があるのだが、本書はその中心にいた平畑静塔本人にいろいろな人が当時のことを聞き出そうという内容なのでじつに興味深い。
対談相手とその対談の初出を書き写しておく。なかなか豪勢な顔触れである。

へんな対談        西東三鬼  1949.7、8「天狼」
新興俳句運動の興亡    楠本憲吉  1960.8「俳句」
季節と境涯の間      草間時彦  1972.7「俳句」
老いの価値        中村草田男 1979.3「萬緑」
人間・昭和俳句史     金子兜太  1987.2、3「海程」

奈良日吉館のこと(講演)       1982.6「鬼怒」俳句大会


3月24日(水)

『巡礼者たち』エリザス・ギルバート/岩本正恵訳(新潮社/1999)を読む。
巡礼者たち、エルクの言葉、東へ向うアリス、撃たれた鳥、トール・フォークス、着地、あのばかな子たちを捕まえろ、デニー・ブラウン(十五歳)の知らなかったこと、花の名前と女の子の名前、ブロンクス中央青果市場にて、華麗なる奇術師、最高の妻、の十二の短編。
カバーの見返しに著者の写真がある。セシル・カットのきれいな女性だ。知的で都会的で、しかしやさしげな表情がいかにも上品な感じ。ところが(というのも変な言い方だが)作品を読むと、中西部のカウボーイやらニューヨークの青果市場のタフな組合員の世界があったり、ストリッパーや不良少女や酒場の女主人なんかが主人公で「あれれ」となる。しかも、これが焦点深度の深いフィルムのような描写で、なかなか硬い仕上り。短く、乾いた文体でちょっとヘミングウェイの初期の短編を思わせる。しかし、ヘミングウェイとは違って、語りの底には登場人物たちへのあたたかい励ましのようなものがある。それを甘さとは言いたくない。体質なのだと思う。
この本のことは、ぎんこさんのBBSで知った。

3月26日(金)

『英霊の絶叫 玉砕島アンガウル戦記』舩坂弘(光人社NF文庫/1996)を読む。
序文を三島由紀夫が書いている。
「しかし、はつきり言へることは、近代戦のもつとも凄壮な様相が如実に描かれてゐる点で、又、ただ僥倖としか思へない事情で生き長らへた証人によつて、人間の「滅盡争」Vernichteter Kampfがはつきり描かれてゐる点で、これは世界に類のない本だといふことである。この本は実にありえないような偶然(すなわち証人の生存)によつて書かれたものであるから、これ以上の文學的贅沢を求めるのはまったく無意味である。」

3月28日(日)

『ザッカリー・ビーヴァーが町に来た日』キンバリー・ウィルス・ホルト/河野万里子訳(白水社/2003)を読む。
テレビからはヴェトナム戦争の報道、ラジオからはカーペンターズの歌声が流れる時代。なんの刺激もないアントラーというしけたテキサスの田舎町。13歳の少年の一夏が情感ゆたかに描かれる。見世物としてやって来た世界一太った子供ザッカリー・ビーヴァーがなぜか気になってならないトビーとキャルはついにザッカリーの秘密の願いをかなえてやることに・・・
後半ある出来事からトビーとキャルという親友同士の少年たちが仲たがいをする。そこから物語りは一気に走り始めて、それまで配置されていた登場人物がいきいきと動き始めるのだが、このあたりから電車のなかで涙がとまらず往生した。
本書はすみ&にえさんのサイトで教えてもらった本である。1999年度全米図書賞受賞作品。ちなみに作者は女性。

3月30日(火)

『俳人漱石』坪内稔典(岩波新書/2003)を読む。漱石・子規・稔典の架空鼎談。漱石の句を時系列に百句抽出し、それを見開き2頁で三人が膝を突き合せて話し合うという愉快な構成。読んでいるうちに、ほんとうに子規と漱石がこんな言葉を交わしたことがあるような錯覚がおこる。漱石が一番熱心に俳句をつくっていたのは、句稿を子規のもとに送り選を請うた松山時代と熊本時代。この子規と漱石の手紙による作句と批評は、ふたりだけの句会ともいうべきものだった。
坪内さんが好きな漱石の句は、以下のようなものだという。

 菫程な小さき人に生まれたし
 草山に馬放ちけり秋の空
 秋の川真白な石を拾いけり


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