月探査 アポロ計画

アポロ計画 飛行実績

アポロ計画では11回の有人飛行が行なわれ、アポロ7号からアポロ17号までの名称が付けられている。打上げは全てフロリダ州の

ケネディ宇宙センターで行なわれ、有人飛行の管制はテキサス州ヒューストン南端のジョンソン宇宙センターで行われた。

アポロ4号からアポロ6号までは無人でのテスト飛行であった(公式にはアポロ2号とアポロ3号は存在しない)。アポロ1号の名称は最初の

有人飛行として計画されていた飛行に対して遡って命名された。この飛行の乗員となっていた飛行士3名は1967年1月に発射台でのテスト中の

火災によって死亡した。

アポロ計画最初の有人飛行はサターンIB型ロケットで行なわれた。これ以外の飛行は全てサターンV型ロケットが使われている。

全飛行のうち2回(アポロ7号とアポロ9号)が地球周回軌道でのミッション、2回(アポロ8号とアポロ10号)が月周回軌道でのミッションで、

残りの7回が月着陸ミッションであった(ただしうち1回、アポロ13号は事故のため着陸していない)。

アポロ7号は地球軌道上で司令船および機械船の試験を行なった。アポロ8号は月軌道で司令・機械船の試験を行なった。

アポロ9号は地球軌道で月着陸船の試験を行なった。アポロ10号は月軌道で月着陸船の試験を行なった。

アポロ11号では初めて人間を月に着陸させることに成功した。月への第一歩を刻んだアポロ11号のニール・アームストロング船長の言葉 

"That's one small step for a man, one giant leap for mankind."(これは一人の人間には小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ。)は

あまりにも有名である。このとき記念すべき第一歩を記したのは左足である。アポロ11号が着陸した「静かの海」には、鏡100枚で作られた

一辺が約46cmのレーザー反射鏡が設置された。この反射鏡は地球から発射されたレーザーを反射させて地球と月の距離を測定するために

利用されている。地球と月の距離は約38万kmであり、年に3.8cmずつ距離が増えているという。アポロ12号では計画通りの地点に正確に

着陸することに初めて成功した。

アポロ13号は飛行中の爆発事故のために月着陸を行なうことができなかったが、乗員を安全に地球に帰還させることができた。

この事故はトム・ハンクス主演『アポロ13』として映画化されている。

アポロ14号で月探査計画が再開され、アポロ15号では新たに長時間滞在用の月着陸船と月面車が使用された。

アポロ14号が着陸した「フラ・マウロ高地」、アポロ15号が着陸した「雨の海/ハドリー谷」にもレーザー反射鏡が設置された。

アポロ16号では初めて月面の高地に着陸した。最後のミッションとなったアポロ17号では、科学者を初めて飛行士として送り込み、

また初めて夜間に打ち上げを行なった。

アポロ17号を最後に計画は打ち切られ、スカイラブ計画に移行したが、1975年に冷戦の雪解けを象徴する「アポロ・ソユーズテスト計画」に

おいてアポロ宇宙船「アポロ18号」はふたたび軌道上を飛び、ソユーズ宇宙船とのドッキングをはじめ、

長く宇宙開発の競争相手であったソ連との共同実験を行っている。

アポロ応用計画

アポロ計画を提唱した演説でケネディは、アメリカの宇宙に対する野心に対してこれほど大きな影響を与える計画はこれ以外にないと宣言した。

アポロ計画の成功に続いて、NASAと主な開発企業はアポロのハードウェアを活用できる月探査後の応用プランについて調査を行なった。

この「アポロ拡張シリーズ (Apollo Extension Series)」、後に「アポロ応用計画 (Apollo Applications Program)」と呼ばれる計画では、

少なくとも10回の飛行が提案された。これらの飛行の多くは、サターンロケットで月着陸船が占めていた空間に科学研究用装置を搭載すると

いうものだった。

いくつかのプランの中には、サターンIBロケットでアポロの司令・機械船を様々な低軌道に打ち上げ、45日以内のミッションを行なうというものも

あった。また、2つの司令・機械船をドッキングさせて供給物資の受け渡しを行なうというものもあった。

さらにサターンVロケットを極軌道太陽同期軌道に打ち上げたり(これらの軌道に有人宇宙船を送り込んだ例はいまだにない)、

静止軌道に打ち上げて、正確な静止軌道からずれていた通信衛星シンコム3の元へ到達するという計画すらあった。

これらの中で最終的には2つの計画のみが実行された。スカイラブ宇宙ステーション(1973年5月 - 1974年2月)とアポロ・ソユーズテスト計画1975年

7月)である。

計画の最後

アポロ計画の当初のプランでは、アポロ18号からアポロ20号まであと3回の月着陸ミッションが計画されていた。しかし NASA の予算が大きく

削減され、サターンVロケットを再び製造しないという決定が出されたことによってこれらのミッションは中止された。

資金はスペースシャトルの開発に回され、アポロ宇宙船とサターンVロケットはスカイラブ計画に利用された。実際にスカイラブで使われた

サターンVは1機のみで、残りは博物館に展示されている。

アポロ計画は少なくとも部分的には感情的・政治的な動機に基づいていた。それはスプートニク・ショック以来、宇宙技術の分野で米国が

ソ連に対してずっと抱いていた劣等感に応えるものであり、また冷戦宇宙開発競争の延長線上にあるものだった。

このような視点で見ると、計画は輝かしい成功を収めたと言える。実際、有人宇宙飛行でのアメリカ人の優越感は最初のアポロの飛行よりも

前のジェミニ計画の時点で既に得られていた。

アポロ計画は多くの技術分野を活性化させた。月着陸船と司令船に使われた飛行コンピュータであるアポロ誘導コンピュータ設計は

ミニットマンミサイルシステムと同様のもので、集積回路の初期の研究の原動力となった。

アポロ計画で開発された燃料電池は初めて実用化された燃料電池だった。コンピュータ制御工作機械 (CNC) はアポロの部品加工で

いち早く使われた。

アポロ計画陰謀論(捏造説・隠蔽説)

アポロ計画は捏造で、実際には人類は月には行っていない』という説(Moon Hoax、「月のでっち上げ」の意)がある。

この捏造説は、進化論否定などにも見られるキリスト教根本主義思想の影響を受けて生まれた説であり、

欧米ではFlat Earth Society(大地平面協会:地球は球ではなく聖書にあるとおり平らであると主張する団体)などが最初、

1970年代に唱えたものである。キリスト教文化がそれほど浸透していない日本では、反米主義や科学技術への懐疑と関連して

唱えられることが多い。

日本においては、アポロ11号着陸の翌年に草川隆がSF小説として『アポロは月に行かなかった』を発表したりしているが、

メジャーになることは少なかった。日本で捏造説が広まったのは、テレビ朝日によってアメリカのFOXテレビが放送したのを模倣した番組を

放送した、2002年以降のこととされる。

その他、「飛行士が月面で宇宙人と遭遇したが、それをNASAは隠蔽している」と言う主張もある。日本のオカルト業界においては、

捏造説が普及するまでは広くこの説が唱えられてきていた。

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