戦 後

玉音放送から一週間のドキュメント

昭和20年8月15日

      玉音放送は終わった。情報局総裁下村 広は内幸町

  の放送会館を出ると、車を皇居前広場へと走らせ

  た。車を降りて二重橋へと足を進めたが、その眼に映ったのは、そこここで嗚咽号泣の

  声が広場に渦巻いている光景だつた。

 

  空襲で本館だけ残った首相官邸で、午後2時30分閣議が開かれた。陸相阿南惟幾の席

  だけが空席だった。下村総裁が玉音放送修了について報告し、つついて鈴木貫太郎首相

  が発言した。

  ニ、ニ六事件で奇跡的に死を免れた七十九才の首相は、8月9、14日の午前会議で、

  意見対立し、ニ度まで天皇の裁断をわずらわせたことに対し、恐懼に絶えぬと述べ、

  「それで辞表を奉呈することにしました。終戦となるからは、内閣も切り替えねばなら

  ないが、

  --------どうも、この際よりほかには、今後の終戦の始末をつけるべきけじめがないと

  思います。ご了承下さい」

  といった。それから姿勢をあらためると、阿南陸相の自決を報告した。

  陸相阿南は

      大君の深き恵みにあひし身は

            いい残すべき片言もなし

  の辞世を残し、臨時陸相官邸で割腹自決した。

 

  海軍302空司令 小園安名大佐は、玉音放送修了の五分後に、つぎの声明文を全国の

  海軍部隊に打電した。

  「次ぎに来るべき停戦命令、或いは武装解除令は天皇を滅し奉る大逆無道の命令なり

   ------必勝の信念を失い、かかる大逆の命令を発する中央当局及び上級司令部は、既

   に吾人に対する命令権を喪失せるものと認む。

   よって自今如何なる命令といえども、一切これを拒否することを声明す。日本は神国

   なり、絶対不敗なり-------」

   連合艦隊はすでに潰滅していた。司令長官小沢冶三郎中将はこの電文に驚き、怒り、

   直ちに全海軍に向け 「翻訳禁止」の命令を出した。

   厚木の航空隊では、小園の決起に対し、ガリ版ずりのビラつくりが進められていた。

   「国民諸氏に告ぐ 日本の天皇は絶対のお方なり、絶対に降伏なし 天皇の軍人には

   降伏なし 我等航空隊の者は絶対に必勝の確信あり--------

   いまこそ一億総決起のときなり--------」

   午後四時ビラを積んだ一番機が飛んだ。

 

   玉音放送の録音レコードを入手するため、近衛第一師団畑中少佐らは師団長森赳中将

   を射殺、午前零時過ぎ皇居に乱入した。東部軍司令官田中静壱大将は単身これを説

   得。占拠を解かせた。

   天皇は

  「今朝の軍司令官の処置はまことに適切で、深く感謝する。今日の時局は真に重大で、

   いろいろな

   事件の起きることは、もとより覚悟している。--------

   田中 このうえともしっかりやってくれ」

   と感謝の言葉ほ述べた。

   「誓って聖旨にそい奉ります」と答えた田中は、すでに死を覚悟していたが、

   あふれる涙を拭おうともしなかった。

 

   鈴木内閣は、午後四時四十分、総辞職した。

   内大臣木戸幸一と平沼枢相は協議の末、東久邇宮稔彦を後継首班に推すことを上奏、

   しかし東久邇は「自分は政治家ではないし、政治に関しては何等の経験もない。それ

   から、皇族は政治に関係しない方がよいという考えを持っている。」と固辞した。

   しかし、使者の松平秘書官は、14日夜半から15日朝にかけての皇居占拠事件を説

   明し、

  「幸い両陛下とも安泰にあらせられます-----何時又、いかなる事件が突発するかわかり

   ません

   こうした状態なので、組閣を急ぎ、是非東久邇宮に出ていただきたいと、木戸内大臣

   からの伝言であります」と、たたみかけた。じつと考えた末。

  「------誰もいないというなら、甚だ不適任ではあるが、成敗を顧みず、総理就任を考

   えてもよい」と、答えられた。

  

   午後七時三十分、首相鈴木は、マイクで 「大命を拝して」と題して放送した。

  「----証書の通り挙国一致となり、不屈不撓、最大限の努力により、一日も早く世界に

   おける帝国の地位を、その正当なるところに還すべきである」と結んだ。

玉音放送

朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、茲に忠良なる爾臣民に告ぐ。

朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し、其の共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり。
抑々、帝国臣民の康寧を図り万邦共栄の楽を偕にするは、皇祖皇宗の遺範にして朕の拳々措かざる所、曩に米英二国に 宣戦せる所以も、亦実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾するに出て他国の主権を排し、領土を侵すが如きは固より朕が 志にあらず。然るに交戦已に四歳を閲し朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公各々最善を尽く せるに拘らず、戦局必ずしも好転せず。世界の大勢、亦我に利あらず、加之敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻りに無辜 を殺傷し惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。而も尚、交戦を継続せむか、終に我が民族の滅亡を招来するのみな らず、延て人類の文明をも破却すべし。斯の如くむば、朕何を以てか億兆の赤子を保し皇祖皇宗の神霊に謝せむや。是れ、 朕が帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり。
 朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。帝国臣民にして戦陣に死し、職 域に殉し、非命に斃れたる者、及び其の遺族に想を致せば五内為に裂く。且、戦傷を負ひ、災禍を蒙り家業を失ひたる者 の厚生に至りては、朕の深く軫念する所なり。惟ふに今後、帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず。爾臣民の衷情も、 朕善く之を知る。然れども、朕は時運の趨く所、堪へ難きを堪へ、忍ひ難きを忍ひ、以て万世の為に太平を開かむと欲す。
 朕は茲に国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し、常に爾臣民と共に在り。若し夫れ、情の激する所、濫に 事端を滋くし、或は同胞排擠互に時局を乱り為に大道を誤り、信義を世界に失ふが如きは、朕最も之を戒む。宜しく挙国 一家子孫相伝へ、確く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念ひ、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし志操を鞏く し誓って国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらむことを期すべし。爾臣民其れ克く朕が意を体せよ。

御名御璽
昭和二十年八月十四日

 続いて昭和20年8月16日