東北三大祭

☆ねぶた  

 

 8月(昔は旧暦7月)1日〜7日に、青森県津軽地方でおこな

 われる七夕の行事。ネムリナガシ、ネムッタナガシとよ 

 ばれる行事が、東北各地でおこなわれているが、いずれ

 も収穫の秋を前に仕事のさまたげになる睡魔をおくりだ

 す習俗からきたものであろう。 青森や弘前のものはとく

に有名で、夏の観光行事として全国に知られる。ねぶた(弘前ではねぷた)とよばれる、木

や竹でつくった枠に紙をはった巨大な灯籠(とうろう)に灯(ひ)をともし、市中をひきまわ

したあと、海や川にながす。ねぶたには金魚形の金魚ねぶた、扇型の扇ねぶた、人物を形

どった組みねぶたなど、さまざまな種類や大きさがある。ねぶたにえがかれる絵は、武者

や歴史上の人物などがこのまれる。 青森のねぶたは、50名前後の若者によってかつが

れ、その前には太鼓や笛、ハネトとよばれる踊子たち100名前後が一団となってとびある

く勇壮なもの。

 
竿灯 かんとう 

秋田市で8月(元は旧暦7月)47日におこなわれる七夕行事で、青森市のねぶたや仙台市の

七夕とともに夏の東北三大祭りのひとつである。


東北では、七夕が夏と秋の季節の変わり目で、これ以後にかつては夜なべ仕事がはじまっ

た。この日は全国各地で「豆の葉はとまれ、ねむの葉はながれろ」ととなえながら睡魔を

はらいながす行事がおこなわれるが、この竿灯も俗に「ねぶり流し」とよばれ、元来はね

ぶたと同じく七夕の睡魔流しの行事の一種であった。


また竿灯は、盆の精霊をむかえるために門前にたてた高灯籠をもちはこべる形にしたもの

が始まりともいわれる。その後、豊作祈願とむすびついて、提灯は米俵に、竿灯全体は大

きな稲穂の形にみなされるようになり、五穀豊穣をいのる行事ともされた。竿灯が盛大に

なったのは、佐竹義和が藩主だった江戸後期ごろからとされ、今日では冬のかまくらとと

もに、秋田の夏の観光行事として大きなにぎわいをみせている。

 各組で競演  

竿灯は、大きな竹竿(たけざお)に数本の横竿をくくりつけて、そこに数十個の提灯をぶら

さげたもので、大若、中若、小若、幼若の4種がある。もっとも大きな大若は、高さ約8m

の竹竿に9本の横竿をつけて46個または48個の提灯をさげる。現今ではさらに竹をつぎた

して、花傘や勇み人形をかざることもある。


印半纏(しるしばんてん)を着て、鉢巻をしめた若者がこの竿灯を手に持ち、笛太鼓や鉦

(かね)の乱調子にあわせて肩、額、腰、手などへ巧みにすりうつしたり、流し太鼓にあわ

せて「オウエタサッ」とか「ドウドッコイショ」といった掛け声をかけながら町内をねり

あるく。夜になると、各町内の竿灯が提灯の明かりをともして主会場の山王通りに続々と

あつまってきて、各組がそれぞれの技や芸をきそいあう。

  

 東北三大祭りのひとつとして知られる秋田の七夕行事。毎年84

 7日におこなわれる。もともとは「眠り流し」とよばれ、睡魔をはらって

 活力をとりもどすための習わしだったが、しだいに五穀豊穣(ほうじょ

 う)の祈願と合体し、現在では大規模な観光行事となっている。9

 式の竹竿(たけざお)に4648個の高張提灯をつるして稲穂にみた

            て、肩や腰などにのせてねりあるく。

 

 

☆仙台七夕

商店会など、観光・商業とむすびついた豪華な七夕祭は、

夏になると日本各地で開かれる。なかでも宮城県仙台市

の七夕祭は、青森ねぶた、秋田竿灯とともに東北三大祭

りのひとつとして全国にその名が知られている。ほかに神

奈川県平塚市や東京都杉並区阿佐ヶ谷の七夕祭も有名

である。

 

七夕  たなばた 旧暦7月7日の星祭り。現在は新暦の7月7日や月遅れの8月7日におこな

う所もある。織女星(こと座のベガ)と牽牛(けんぎゅう)星(わし座のアルタイル)を主人公

とする中国の星の伝説に由来する年中行事。 伝説によれば、天の川の東で機織りにはげ

む女がいた。天帝がこの女をめでて西側にいる牽牛と夫婦にしたが、新生活の楽しさに機

をおらなくなったので、おこった天帝は彼女を天の川の東においかえし、年に1度だけの

逢瀬をゆるした。この夜、カササギが天の川にかける橋をわたって、織女は牽牛と再会す

る。中国のこの伝説にはいろいろ異型があるが、古くは「詩経」の大東詩にうたわれ、後

漢の時代には一般化して、やがて女たちが星に針仕事の上達をねがう乞巧奠(きっこうて

ん)の行事となった。 この伝説は朝鮮や日本につたわり、日本では七夕の信仰と行事にな

った。「万葉集」には七夕をよんだ歌が130首以上もあり、牽牛を彦(男)星、織女を「た

なばたつめ」(棚機をおる女)とか「たなばた」とうたっている。日本では川をわたるのが

男になり、彼らの出会いをわがことのようにうたう歌が多いのは、当時は夫が妻の家にか

よう妻問婚が一般的だったことによるのであろう。奈良時代には乞巧奠の行事もつたわ

り、朝廷の節会(せちえ)のひとつになった。七夕行事につかわれた針道具が正倉院にのこ

っている。平安時代には織部司(おりべのつかさ)が織女祭をおこなった。人々は鴨(賀茂)

川で身をきよめ、琴を奏して七夕にたてまつり、歌会などをひらいた。江戸時代には幕府

が五節句のひとつとした。織女は「織り姫さま」とあがめられた。 伝統的な日本の七夕

の行事には、季節の節目にあたって悪霊や疫病をはらい、水で身をきよめる思想や、当日

の降雨の有無でその年の作柄の豊凶をうらなう民俗、祖霊をむかえる盆(盂蘭盆)の信仰な

どがまじりあっていた。長野県の松本地方では七夕人形を軒につるし、これにうつした厄

を風にはらってもらうという。出雲地方ではこの日、ネムの葉と豆の葉を一束にして川に

ながし「ネム(眠気)はながれよ、マメ(健康)の葉はとまれ」ととなえる。7月7日は、祖先

の霊をむかえる準備をし、墓掃除や仏壇をあらいきよめる七日盆(なぬかぼん)の日でもあ

る。 現在も、子供や女性が技芸や学問の願い事を五色の短冊に書き、笹竹にかざる風習

が各地にみられる。仙台市の七夕祭は東北三大祭りのひとつとして有名だが、これが現在

のように豪華になったのは第2次世界大戦以後である。

 

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