プロローグ
I 祭り とは
神や祖先の霊をよびむかえ、水や酒食の供物をささげ、歌舞などの芸能を演じてこれをな
ぐさめることをいう。「まつり」という語は、服従する意味の「まつらふ」と同根で、祭
りの本質は、神や祖先の霊の要求や命令に服従することにある。すなわち、祭りはまつら
れるものとまつる者との間の意思疎通が成立することに意義がある。
また、仏教行事の法会(ほうえ)も祭りと同義でもちいられることがあり、大嘗祭を大嘗
会、祇園祭を祇園会とよぶこともある。
II 祭りの主宰者と祭場
祭りは、家から国家にいたるまでのさまざまな社会集団でおこなわれる。当初は祭りの主
宰者は各集団の長がなったが、のちに神職が職業として成立すると、しだいに神職の手に
ゆだねられるようになった。しかし神職の手によらず、集落内の特定集団が順番に神事行
事を主宰したり神主をつとめたりする頭屋(とうや)や年番神主の制度が今日でものこって
いる。また、祭りの主役である祭司は古くは女性がつとめていたが、のち男性にかわっ
た。集団の長とかかわりの深い一族の女性の中からえらばれた巫女は、神託をつたえる役
割としてのちのちまでもちいられ、やがて職業化した。
神霊をよびむかえる祭場は、清浄であることが条件である。伊勢神宮の20年に1度の式年
遷宮の年におこなわれる御白石持(おしろいしもち)行事は、神体が新神殿にうつるにあた
り、その周囲を氏子たちが白い石をもちよって敷きつめるものだが、これも清浄な場とす
るためである。まつる者も清浄をたもたなければならず、このために身体をあらいきよめ
る潔斎や、日常もちいる火とは別に火をおこして煮たきする別火精進、してはならないこ
とや食べてはならない物をまもる禁忌、精神統一をはかる鎮魂などをおこなう。この条件
づくりの期間を物忌(ものいみ)という。まつられるものの地位が高いほど物忌は入念にお
こなわれ、期間も長くなる。
III
神霊の送迎
祭りは神霊が来臨してはじめて成立する。祭場にはそのための標示として、柱や旗、幟
(のぼり)を高くかかげる。標示物は神霊がよりつくとされることから依代とよばれ、もと
は自然の樹木をたてた。祭礼にひく山車の名は、屋台の中心をなす鉾(ほこ)の上にでた飾
りの「出し」に由来するが、この「出し」も依代である。
神霊は暗やみに来臨すると信じられている。このため祭りでもっとも重視されたのは、今
日では祭りの前夜祭のようにあつかわれている宵宮(よみや)であった。神霊が来臨する
と、供物と歌舞で供応し、ともに食事をすることが祭りの古い姿といわれる。また、神霊
からのメッセージを知るために、占いや託宣がおこなわれる。占いは綱引きや相撲など競
技の形でおこなわれるものが多い。託宣は巫女の口をかりてつたえられた。神霊の送迎
は、のちに神輿渡御や山車によって居住地域をめぐる風習を生んだ。
IV ふえる夏祭り
古代の氏神祭りは、春は2月または4月、秋は11月におこなわれていた。これは村の祭りが
稲作の生産過程と密接に関連していたことをしめしている。春に豊作を神に祈願する予祝
祭と、秋に収穫を神に感謝する収穫祭とが重要な祭りとされていた。また、それは神とそ
れをまつる氏子との間の厳粛で静かな祭りであり、氏子である村人以外は祭りには関与で
きなかった。
しかし、都市生活の開始とともに、栄養や衛生状態の劣悪さの上に、飢饉(ききん)、自然
災害などが重なって流行病や疫病が頻発するようになると、とくに病気の蔓延(まんえん)
する夏季を前にしてそうした災害の原因とされた非業の死をとげた御霊や怨霊などを鎮撫
し、悪霊や穢をこの世から祓(はら)い、おくりだす祭礼がおこなわれるようになっ
た。863年(貞観5)に京都の神泉苑で最初の御霊会がおこなわれたが、これが時代とともに
さまざまな趣向や風流をこらしていき、大勢の人々の参加する華やかな祭礼となって
いった。こうして町衆や町人が経済力をますにつれて都市を中心に夏祭りが盛んになっ
た。
今日でも日本の代表的な祭礼はだいたい祇園祭や天王祭など御霊系の神を祭る夏季の祭り
に集中している。大阪の天満天神祭は夏祭りの開始をつげるものとして、7月(もとは6月)
24、25日におこなわれ、京都の祇園祭、江戸山王祭とともに日本三大祭りとされている。
これらはみな元来は旧暦6月半ばにおこなわれていた夏祭りである。東北地方ではやや時
期がおくれて、旧暦7月7日の七夕を中心に睡魔や穢をはらう夏祭りがおこなわれ、仙台の
七夕、青森のねぶた、秋田の竿灯が東北の三大祭りとされている。
V 祭儀と祝祭の違い
かつては氏子だけで神をまつり、神もまた神社に常在するのではなく、祭りのた
びごとに精進潔斎して降臨してもらうのが本来の形であった。神社に神が常在するように
信じられ、賽銭(さいせん)箱がおかれて氏子以外の人も神に祈願したり祭礼に参加したり
するようになったのはむしろ新しい形であった。
祭りや祭礼には、儀式中心の祭儀と、直会の無礼講の中で神人交歓し日常の秩序が逆転す
る祝祭という2つの過程がみられる。村の厳粛な祭りと都市の華やかな祭礼は、それぞれ
この2面性をもつが、見方によっては精進潔斎して神との回路を開く祭儀と、日常の秩序
や制約を破棄してハレの解放感の中で暴飲暴食など一切のものをつかいはたし神人交歓す
る祝祭とに対応させることもできる。
VI 冬祭りと年中行事
一方、霜月を中心とする冬祭りでは、太陽の衰弱した光を復活させて一陽来復をはかった
り、休眠中の霊魂を更新させ再活性化させるような祭りが多くみられる。旧年の罪穢や厄
災を火の力で焼却し、もろもろのものの蘇生をもたらす火祭や、夜を徹して神楽を舞う山
村の霜月神楽はその代表的なものである。
このほか、正月には予祝や年占(としうら)の祭りや行事が多く、なまはげなどの来訪神の
行事や裸の男の群れがもみあう裸祭もおこなわれる。また七草、3月節供(雛祭)、5月節供
(端午の節供)、七夕、9月節供には水辺で罪穢を祓う禊や厄よけ(→ 厄)がよくおこなわれ
るが、収穫の時期と重なる9月の9、19、29日には長崎くんちをはじめ九州西北部では大き
な祭礼がともなう。正月と盆、四季の祭り、五節供のほか、節分、初午(はつうま)、卯月
八日(うづきようか)、六月一日、八朔(はっさく)、十日夜(とうかんや)、亥子(いのこ)、
大師講、事八日(ことようか)などの季節の折目、各神社の縁日や祭礼、月待や日待など
が、各地域ごとの生産生業とくみあわされて1年の祭りと行事が構成されている。