ぜいたくは敵だ

スローガン「ぜいたくは敵だ」   精神総動員委員会は、昭和14年(1939) 8月1日に、「ぜいたくは敵だ」という

スローガンを発表。立て看板を東京市内の目抜きの場所に、15.000本を立てた。

遊興営業時間の短縮、ネオンの全廃、中元・歳暮の贈答禁止、学生の長髪禁止、パーマネントの廃止 が叫ばれた。

このような運動の一つとして、14年9月1日から開始された 「興亜奉公日」というのがあった。これは 「毎月1日は、待合、バー、

料理屋では酒を売らない」というもので、多くの小、中学校は、この日を ”日の丸弁当” の日と定めた。つまり、おかずなしで、

飯の真ん中に梅干一つ のものだった。

この 「ぜいたくは敵だ」 に関連して、世相の変化は、芸能界、スポーツ界などにも及んだ。

昭和15年(1940)3月に、芸能界では、内務省が芸能人に技芸証を発行。その交付を受けた第一号は、新宿にあった軽演劇ムーラン・ルージュ

外崎恵美子(戦後、新国劇、新派に所属)である。また 「外人とまぎらわしい芸名、不敬にあたる芸名は改めよ」と、歌手のディックミネ、

漫才のミス・ワカナ、映画俳優の藤原釜足たちに改名を指示した。

こうした時代の趨勢は、日本野球連盟が、監督、選手、マネージャー などの名称を、「教師、戦士、秘書」などと改めた。

敵性語はいけないと、野球界では、ストライキは 「いい球」、ボールは 「わるい球」、と言うようになった。

煙草の名称も、15年10月から、ゴールデンバット が 「金鵄」、チェリー が 「桜」 に改まった。

歌舞伎に対しては、内務省は、「河内山宗俊」は悪の礼賛、「六歌仙」も、上演禁止となった。

 

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