神社
神社建築 じんじゃけんちく 日本固有の神(→ 神道)に対し、各種の祭儀をおこなうためにもうけられた施設。
神の住居である本殿、礼拝のための拝殿、神への捧物(ほうもつ)である幣帛(へいはく)を供するための幣殿、
それらをとりかこむ瑞垣(みずがき)、鳥居、楼門などがあり、大規模な神社になると、さらに神の食事である神饌を調進する
ための贄殿(にえどの)、酒殿などもある。
縄文時代の遺跡からも祭祀(さいし)にもちいられたと推定される施設の跡が発見されているので、古来から神に対する祭祀が
実施されていたことがわかる。しかし、7世紀以降に建設された神社本殿に先行する建築は、いまだ確認されていない。
神明造と大社造
神社の本殿の存在が確認されるもっとも古いものは、7世紀後期に第1回目の式年遷宮(しきねんせんぐう)をおこなった
伊勢神宮である。伊勢神宮ではこの後、20年ごとの式年遷宮が恒例となり、現在にいたっている。
神明造とよばれる形式で、掘立柱(ほったてばしら)、高床、切妻屋根(→ 屋根)、棟が正面と平行な平入(ひらいり)、
などの特徴をもち、当時の倉の建築をデザイン化したものと想像されている。また出雲大社もこのころ、現在の本殿の祖型が
できあがったと想定されている。大社造とよばれる形式で、掘立柱、切妻屋根、棟が正面と直角な妻入り、などの形をとるが、
床が高くはられるのが大きな特徴である。かつては現在の2倍ほどの高さであったと推定されている。
各地方の一宮など創立の古い大社は、本殿がなかったり、独特の形式の本殿をもったり、
それぞれ固有の特徴をもつことが少なくない。これは、本殿がそれぞれの神社の事情にしたがって徐々に成立してきたものであり、
全国的にそれを統制するような規範がなかったことを意味する。
現在でも、諏訪大社上社本宮(長野県)、大神神社(奈良県)などは本殿をもたない。また日吉大社(滋賀県)では、
本殿背面の屋根の庇がない、という個性的な形態をとる。

伊勢神宮--神明造 出雲大社--大社造 大社造
流造と春日造
このような独特の形式に対し、もっとも広く普及したのが、流造(ながれづくり)、春日造(かすがづくり)とよばれる形式の
本殿である。この形式では、まず4本の木材を井形にくみ、その交点の上に柱をたて、切妻屋根の建物をつくる。そして、
棟に平行な平側から礼拝するように屋根をのばして向拝(ごはい:庇のある礼拝所、またはその庇)としたものが流造であり、
妻側からの向拝を付設したものが春日造である。
伊勢神宮、出雲大社の本殿はいずれも柱を地中にうめる掘立柱であって常設的な建築であったが、流造、春日造では、
井形をもちあげれば容易にうごかすことができる。伊勢神宮の成立以前、原始集落では祭礼のたびに神をむかえ、
れがおわれば神をおくったという。すなわち神のやどる施設は臨時にもうけられたもので、可動性のものであった可能性がある。
この流造、春日造はそのような時代の痕跡をとどめていると考えられている。
8世紀ごろから各地の神社は本殿をもつようになったようだが、このとき、流造、春日造は代表的な神社形式として定着した。
春日造は奈良の春日大社の本殿に採用され、また流造は京都賀茂神社などの本殿形式となった。

春日大社--春日造
住吉造と八幡造
このほかの本殿形式として、住吉大社本殿の住吉造、宇佐神宮本殿を代表とする八幡造などがある。住吉造は切妻屋根、妻入り、
八幡造は切妻屋根、平入り。いずれも本殿内部が2室にわかれるが、八幡造は2棟の建物が前後に接続した外観をとっている。
八幡造
独立した二つの棟が前後に結合して一つの社殿になったもので、正面3間、側面2間の後殿と側面1間の前殿とが並びその間に
「相の間」を設けて前後殿をつなぎます。それぞれ、切妻造、平入りで両殿の間に大きな樋(とい)をわたし雨水を受けるような
形式です。代表的な八幡造の神社は、 石清水八幡宮 (京都府)・
柞原八幡宮 (大分市)・ 伊佐爾波神社 (愛媛県)などが有名です。
住吉大社建築様式


本殿 縦並びの配置
第一本宮〜第三本宮まで縦に、第四本宮は第三本宮の横に並ぶ縦並びの配置は、全国的にもたいへん珍しく、
住吉大社だけの建築配置です。あたかも大海原をゆく船団のように立ちならび、「三社の縦に進むは魚鱗の備え
一社のひらくは鶴翼の構えあり よって八陣の法をあらわす」とも言い伝えられます。

3つの特徴からなります。
| 1) | 柱・垂木・破風板は丹塗り、 羽目板壁は白胡粉塗り |
| 2) | 屋根は桧皮葺で切妻の力強い直線 |
| 3) | 出入り口が直線型妻入式 |

住吉大社(大阪) 住吉大社建築様式はこのホームページより
霊廟ほか
神をまつる神社のほかに、御霊(みたま)など人物の霊をまつる霊廟(れいびょう)としての神社がある。
配所で無念のうちに世をさった菅原道真をまつる北野天満宮は、道真の霊をまつる本殿、前方の拝殿、それをつなぐ
「石の間」からなる特有の形態をもっていた。のちに豊臣秀吉が死に際して、みずからを神格化するために墓所として
豊国(ほうこく)廟を計画し、北野天満宮の形態を引用した。これを徳川家康も踏襲し、日光東照宮の建築形式が誕生した。
また八坂神社本殿は仏教建築とみまちがえるほどよく似た形態をとっているが、
これは神仏習合色の強い性格のためと考えられている。