
日本犬
日本犬 にほんけん 立ち耳、巻き尾の日本在来の犬の総称。1万年近く前までさかのぼる日本人の生活に密着した歴史をもち、
獣猟犬として生活していた当時の姿態をたもっている。洋犬種のように人為的な改良がくわえられず、原種性(人為がくわえられる以前の形質)、
原始性(形態や性格の単純、素朴、明確さ)、野性という、犬の原型ともいえる体型と性質を、ほとんどかわらずに今につたえていることなど、
世界的にみても貴重な犬種だといえる。
日本犬の定義
現存する日本犬は、大型の秋田犬、中型の紀州犬、四国犬、北海道犬、中型と小型の中間に属する甲斐犬、小型の柴犬の6犬種にわけられる。
さらに柴犬には、信州系、山陰系などの系統がある。いずれも、三角形でやや前にかたむいた耳、目尻(めじり)のあがった三角形の眼、
力強く巻いた尾、二重被毛の筋肉質で頑健な体といった共通の特徴をもつ。性格は豪胆、素朴で、飼い主に忠実である。
これら6犬種はそれぞれ、純度の高い在来種を文化財として保存するため、昭和初期に国の天然記念物に指定されている。
日本犬保存会のほかに、各犬種ごとに保存会が組織され、よりよい形質の固定、保存、育成をはかっている。
狆、土佐闘犬、日本スピッツ、日本テリアなども日本でつくられた犬だが、外来種との間に人為的に作出された跡が強いので、
これらが日本犬とよばれることはない。
日本犬のルーツ
日本犬の先祖は、骨の比較研究などから、人間の移住とともに日本列島に渡来したのであって、ニホンオオカミから家畜化されたものではないと
いわれている。南方からはいった縄文犬を基礎犬とし、弥生時代以降、朝鮮半島経由ではいった大陸系の犬がくわわってできたものと
考えられている。
日本の遺跡から家犬の骨が発掘されるのは縄文時代早期で、それ以後は縄文時代全体を通じて東日本から多数出土している。
関東地方を中心に分布していたものが、時代をへるにしたがって東北や中部地方へ広範囲に広がっている。また縄文後期には、
北海道周辺にかなりの数の中型犬の骨が出土している。こうした犬は、丁重に埋葬されていることが多いので、人間の狩猟のパートナー
または番犬として大切にされていたことがわかる。
地中海沿岸から中近東、東南アジア一帯に半野生状態で分布するパリア犬は、日本犬とよく似た立ち耳、巻き尾の犬で、オーストラリアの
ディンゴとならんで犬の原型をとどめるものといわれる。おそらくこのパリア犬と日本犬は、同じ系統のものだと考えられる。
保存と現状
江戸末期から多くの洋犬種が移入されるようになると、在来種との雑化がいちじるしくなった。さらに明治時代にはいると闘犬が盛んになり、
より強く大きな犬をつくるため、急速に雑化がすすんだ。なかでも秋田犬は、マタギ犬(→ マタギ)から闘犬にもちいられるようになり、
洋犬種との交配によって大型化されていった。このように、めずらしい洋犬種に注目があつまるようになるにつれて、
純度の高い日本犬は次々と姿をけしていった。
こうした風潮を危惧した学者や愛好家が、全国の山間部をたずね、わずかにのこっていた純粋の在来種を保存する運動をはじめた。
1928年(昭和3)に日本犬保存会が創立され、犬籍登録がはじめられた。さらに、日本犬の基準である「日本犬標準」が制定され、
不純な血統を除去し、純粋の日本犬をつくり固定する努力がおこなわれた。
かつて日本には、各地にその土地名がついた犬が存在した。たとえば、国の天然記念物に指定された日本犬の中には、
北陸地方の「越(こし)の犬」がいたが、第2次世界大戦中に絶滅してしまった。戦争中は食糧難と犬の供出により、日本の犬の保存と作出は
中断を余儀なくされ、ほかにも津軽犬、高安犬、越後柴犬、安房(あわ)犬、薩摩犬などが姿をけしている。
敗戦後、のこされたごく少数の犬を基礎として、ふたたび純化への取り組みがはじまった。計画的な交配によって、「日本犬標準」に近い
体型と性質の日本犬が数をふやしていった。現在では日本犬の年間頭数は安定し、よほどのことがないかぎり絶滅の恐れはない。
世界の日本犬
日本犬は、原種性、原始性、野性という、犬の原型ともいえる体型と性質を今につたえており、その素朴さは日本はもとより海外でも熱心な
愛好家をもっている。第2次世界大戦後、秋田犬はアメリカにわたって愛好家をふやした。近年では、小型の柴犬が海外で普及し、
中華民国育犬協会、米国柴犬愛好会、コロニアル柴クラブなどが組織され、日本犬保存会からも外国展覧会に審査員を派遣している。
秋田犬 あきたけん 秋田県原産の大型の日本犬。日本犬を代表する犬種として、日本ばかりでなく海外での人気も高い。
また、JR渋谷駅前にたつ「忠犬ハチ公」像のモデルとしても知られる。
体高57〜70cm、体重38〜45kg。たった耳、背中の上でまいた太い尾、堂々とした体形をしている。毛色は赤、虎(とら)、
胡麻(ごま:黒に白のいりまじった毛色)、白など。
秋田犬のルーツと歩み
秋田犬のルーツは、東北地方で狩猟につかわれていた中型のマタギ犬といわれる。江戸時代に秋田の佐竹藩主が闘犬を奨励したことから、
武士や豪農がきそって、より大きくて力の強い犬をつくるようになった。さらに明治時代にはいると、マスチフなどといった大型の洋犬との交配が
おこなわれた結果、耳がたたなかったり、尾がまかない犬が生まれ、体形的に一定しなくなった。
そこで、日本犬としての血統を保存、育成しようという声が高まり、1927年(昭和2)に秋田県大館市に秋田犬保存会が設立。
31年には日本犬としてはじめて国の天然記念物に指定された。
第2次世界大戦中は、食糧事情の悪化で成人並みの量を食べる大型犬をかうことは非国民とみられた。そのうえ、犬の毛皮の献納命令のため、
秋田犬は次々に姿をけしてしまい、戦後のこったのは、わずか十数頭だったといわれる。しかし、保存会をはじめとする人々の努力により
再興がはかられ、今日にいたっている。
戦後ふたたび秋田犬の人気が高まると、シェパードなどと混血したものも秋田犬を名のるようになった。また、アメリカ占領軍の兵士が母国に
秋田犬をつれかえったことから、アメリカで人気をよび、日本犬としてははじめて、Akitaとしてアメリカ・ケンネル・クラブから公認された。
しかし、これは日本の本来の秋田犬とは、性質、体形、毛色などに違いが生じている。

秋田犬 日本を代表する大型犬種である秋田犬は、クマやイノシシの猟につかわれていた
秋田マタギ犬を祖先として、秋田でつくられた。第2次世界大戦後アメリカでも人気が出て、世界じゅうで
かわれるようになった。ただし、今日欧米でかわれている秋田犬は、日本のものとは体型が多少ことなる。
死んだ主人の帰りをじっとまっていた「忠犬ハチ公」の話をはじめとして、この犬の飼い主に対する忠実さは
よく知られている。
紀州犬
紀州犬 きしゅうけん 現在の和歌山県および三重県を中心とする紀伊半島の山岳地帯で、シカやイノシシなどの大型獣の猟犬として
つかわれていた中型の日本犬。
体高43〜55cm、体重15〜20kg。かつては地域によって、太地犬、熊野犬などの名称でよばれ、大内山系、那智の市系、日高系といった系統に
わかれていた。1934年(昭和9)に国の天然記念物に指定されている。
現在は白毛が圧倒的
現在、紀州犬は白毛のものが多いが、もともとは赤、虎(とら)、胡麻(ごま:黒に白のいりまじった毛色)などの犬のほうが多かった。
骨太でがっしりとした頭部、胸部の発達した締まった体。ふだんはおとなしく、少々のことではほえないが、いったん山にはいってイノシシと
であうと勇猛果敢にむかっていく。茫洋(ぼうよう)とした風貌のなかにひめられた野性的で豪胆な気性は、姿と猟芸のバランスのとれた
日本犬として根強いファンをもつ。

猟犬としてつかわれていた中型の日本犬。体高43〜55cm、体重15〜20kg。もともとは赤、虎(とら)、
胡麻(ごま:黒に白のいりまじった毛色)など有色の犬のほうが多かったが、現在は白毛のものが圧倒的に
多い。骨太でがっしりとした頭部、胸部の発達した締まった体。姿と猟芸のバランスのとれた日本犬として
根強いファンをもつ。
北海道犬
北海道犬 ほっかいどうけん 北海道原産の中型の日本犬で、かつてはアイヌ犬ともよばれた。
先祖は、東北地方の中型のマタギ犬(→ マタギ)が、アイヌ民族とともに北海道に北上したものと考えられている。狩猟生活をいとなむアイヌの
人々の猟犬として、ヒグマやエゾジカ(→ ニホンジカ)の猟にもちいられた。
厚くかたい被毛
体高45〜52cm、体重15〜20kg。骨格の太い、がっしりとした体。きびしい寒さから身をまもるため、あつくてかたい被毛が密生している。
毛色は、赤、白、黒、虎(とら)、胡麻(ごま:黒に白のいりまじった毛色)、褐色など。地域別に、千歳系、阿寒系、日高系、岩見沢系などに
わけられた。1937年(昭和12)に国の天然記念物に指定され、51年には天然記念物北海道犬保存会が創立された。
我慢強さと勇猛さ
北海道犬は、寒冷地での粗食や寒さにたえる我慢強さと、猟犬としての性質をうけつぐ。高鼻といって空中に高く鼻をかかげて獣の体臭を
とらえ、ヒグマなどの北海道特有の大型獣にも猛然とたちむかう。飼い主には従順だが、みしらぬ人には警戒して、むやみに尾をふることはない。

体高45〜52cm、体重15〜20kg。骨格の太い、がっしりとした体。きびしい寒さから身を
まもるため、厚くてかたい被毛が密生している。毛色は、赤、白、黒、虎(とら)、
胡麻(ごま:黒に白のいりまじった毛色)、褐色など。寒冷地での粗食や寒さにたえる
我慢強さと、猟犬としての性質をうけつぎ、ヒグマなどの北海道特有の大型獣にも
猛然とたちむかう。
樺太犬 からふとけん 樺太(サハリン)原産のそり犬。シベリアン・ハスキー、アラスカン・マラミュート、エスキモー犬などと同じ北方系の犬種。
系統繁殖による純粋種ではなく、酷寒の雪原で長時間にわたって、そりをひく重労働にたえる強靱(きょうじん)な犬だけがのこされたもの。
氷点下の酷寒にたえる長い毛におおわれ、毛色は黒、茶、白などさまざまで、明確な規定はない。
1912年(明治45)、白瀬南極探検隊(白瀬矗)が引き揚げの際、樺太犬21頭を現地に置き去りにしたが、6頭が生還したことで注目される。
大正時代には、陸軍の軍用犬研究のためや、荷役犬として使用された。
南極観測隊とともに
1956年(昭和31)、南極観測隊越冬隊長の西堀栄三郎の依頼で、北海道大学教授の犬飼哲夫らが樺太犬をあつめて、
そり引き訓練をおこなってのち、樺太犬は日本の南極観測には欠かせない存在となった。
タロとジロ
なかでも1959年(昭和34)、悪天候のため前年に南極の昭和基地(南極観測)に置き去りにされた樺太犬15頭のうち、タロとジロの2頭が
奇跡的に生きて発見されたことは有名である。タロとジロの剥製(はくせい)は、それぞれ北大植物園内の博物館と上野の国立科学博物館に
展示されている。また、港区の東京タワーの下に南極観測で活躍した15頭の記念像があるほか、日本の犬ぞり発祥の地とされる北海道の
稚内市には、南極観測樺太犬訓練記念碑とならんで樺太犬の供養塔がたっている。

樺太犬 樺太(サハリン)原産のそり犬。氷点下の酷寒にたえる長い毛におおわれ、毛色は黒、茶、白など
さまざま。南極の昭和基地に置き去りにされながら、翌年生還したタロとジロをはじめ、
日本の南極観測には欠かせない存在だった。
甲斐犬
甲斐犬 かいけん 山梨県(甲斐の国)の赤石山脈(南アルプス)へとつづく山麓(さんろく)地帯の村で、猟犬として活躍していた中型の日本犬。
1931年(昭和6)に甲斐犬愛護会が創立され、その後、国の天然記念物に指定されている。
甲斐虎
体高39〜52cm、体重12〜18kg。甲斐虎(とら)ともよばれ、かたく密生した虎毛におおわれているのが特徴で、黒毛が多いものを黒虎、
茶褐色の多いものを赤虎という。虎毛は、猟場において保護色の役目をはたすといわれる。沖縄には、甲斐犬とよく似た琉球犬とよばれる
虎毛の犬がおり、台湾の高山族は虎毛の犬でイノシシ猟をおこなっていることから、虎毛の犬の渡来経路になんらかの関係があるのでは
ないかとも考えられている。
甲斐犬の尾は、付け根からたちあがり途中でまがっている差し尾が多く、背中の上で巻いた尾もある。中型だが、他の中型日本犬よりは
小さく、柴犬よりは大きい。クマ猟には、オスよりも小ぶりで身の軽いメス犬がむいている。
闘争心旺盛で野生的
古くから、けわしい山間部でシカやクマやイノシシなどの大型獣の猟犬として、人と共同生活をおくってきた闘争心旺盛で野性的な犬である。
主人には忠実でよく服従し、以心伝心で飼い主の気持ちをくみとって行動するが、他人に対しては警戒心が強い。そのため現在では、
頼りになる家族のパートナー、番犬としてもちいられることが多い。日本犬の中では、もっとも登録数が少ない。

甲斐犬 山梨県(甲斐(かい)の国)の山麓(さんろく)地帯の村で、猟犬として活躍していた中型の
日本犬。体高39〜52cm、体重12〜18kg。甲斐虎(かいとら)ともよばれ、かたく密生した虎毛に
おおわれているのが特徴で、黒毛が多いものを黒虎、茶褐色の多いものを赤虎という。尾は、
付け根からたちあがり途中でまがっている差し尾が多く、背中の上でまいた尾もある。
日本犬の中では、もっとも登録数が少ない。
四国犬 しこくけん 四国のけわしい山間部で、イノシシ猟などにもちいられていた中型の日本犬。1937年(昭和12)に国の天然記念物に
指定されている。かつては、土佐犬や高知犬とよばれていたが、これにマスチフやブルドッグなどの外来犬種を交配してつくられた土佐闘犬と
区別するため、四国犬の名称に統一された。
オオカミを思わせる精悍な顔
体高46〜55cm、体重15kg前後。毛色は胡麻(ごま:黒に白がいりまじった毛色)が多く、そのほかに赤、黒、虎(とら)など。
長さ5〜6cmのかたい毛の下に柔らかな綿毛が密生している。均整のとれた筋肉質の体で、動きは俊敏。耳はピンとたち、目は三角形で
目尻がつりあがり、両目の間のくぼみは浅め。日本犬の中でもオオカミ(→ ニホンオオカミ)によく似た精悍(せいかん)でするどい容貌をもつ。
闘争心旺盛で、妥協をしない古武士のような気性の激しさで、飼い主以外には心をゆるさない傾向がある。野性味あふれる日本犬として、
昔から熱心な愛好家が多い。
四国犬
四国のけわしい山間部で、イノシシ猟などにもちいられていた中型の日本犬。
体高46〜55cm、体重15kg前後。毛色は胡麻(ごま:黒に白のいりまじった毛色)が多く、そのほかに赤、
黒、虎(とら)など。長さ5〜6cmのかたい毛の下にやわらかな綿毛が密生している。均整のとれた筋肉質の
体で、動きは俊敏。耳はピンとたち、目は三角形で目尻がつりあがる。日本犬の中でもオオカミによく似た
精悍(せいかん)でするどい容貌(ようぼう)をもつ。野性味あふれる日本犬として、
昔から熱心な愛好家が多い。
柴犬 しばいぬ 縄文時代の昔から、おもに狩猟犬として飼育されてきた小型の日本犬。かつては地域によって、長野の信州柴、
岐阜の美濃柴、島根の石州犬、群馬の十石犬、木曽犬などとよばれ、体型もことなっていた。明治時代以降、北海道から九州にわたって
全国的に分布するようになり、均一化した。
体高35〜41cm、体重7〜10kg。毛色は、赤、ごま(黒に白がいりまじった毛色)、黒、白。立ち耳、巻き尾。がっしりとした骨格とひきしまった
筋肉をもつ均整のとれた小型犬として、1993年(平成5)にはアメリカ・ケンネル・クラブの公認犬種となり、海外でも人気がある。
祖先は小型の狩犬
長い間、人為的な改良がくわえられず、狩猟犬として自然繁殖の状態にあった日本犬だが、鎌倉時代以降、外国から移入された犬との
混血によって、垂れ耳、長毛のものが多くなり、多様化した。江戸時代に博物学者シーボルトは、当時の日本の犬を、(1)雑種化した町の犬、
(2)現在の柴犬の祖先にあたる狩犬(地犬)、(3)座敷犬の狆の3種類にわけている。
柴犬の保存と再興
明治以後、外来種の移入が急増し、日本犬との混血がいちじるしくすすんだ。とくに、けわしい山間部で大型獣を追う中型の日本犬よりも、
集落近くで鳥猟にもちいられていた小型の狩犬、すなわち柴犬がいちはやく雑種化の波をかぶり、こうして生まれた雑種は「カメ」とよばれた。
なお、小型の狩犬を柴犬とよぶようになったのは大正時代ころからといわれ、その名の由来は柴(小雑木)に毛色が似るからとも、
柴をくぐって獲物を追うからともいわれている。
1928年(昭和3)、日本犬を保存しようという声が高まり、日本犬保存会が設立、柴犬も36年に国の天然記念物に指定されて保存活動が
おこなわれた。しかし、第2次世界大戦がおこり、犬の供出や食糧難のため、数が激減。戦後は、わずかにのこっていた犬を基礎にして
純粋種として再興され、現在では、日本でもっとも多く飼われている日本犬種となっている。

体高35〜41cm、体重7〜10kg。毛色は、赤、ごま(黒に白がいりまじった毛色)、黒、白。立ち耳、
巻き尾。がっしりとした骨格とひきしまった筋肉をもつ均整のとれた小型犬。現在では、
日本犬の中ではもっとも多く飼われている。アメリカをはじめ、海外でも人気がある。
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