呉服店もの語り

 

                   呉服店から百貨店へ  東京編

          デパートと言うと、近代の文明開化がもたらした産物と思われがちですが、実はその商法は

         江戸時代に始まったものでした。もちろん現代のデパートとはだいぶ変わるところが多いですが、

         越後屋は江戸でも随一の呉服店に発展し、明治になると「三井家の越後屋」という意味を込めて

         「三越」となりました。今にまで続く老舗百貨店の誕生です。大正ロマンの頃には

        「今日は三越、明日は帝劇」  というコマーシャルコピーでも知られています。

        また江戸には、特に日本橋周辺には有力な呉服店が多く軒を連ねていましたが、それらは今でも

        百貨店として存続しているものが多くあります。越後屋と日本橋を挟んで相対して建っていたのが

       名水の井戸でも知られている「白木屋呉服店」(のちに東急百貨店日本橋店となり、

       平成11年1月末日に閉店)や日本橋大伝馬町に建てられていた「大丸呉服店」(現在の大丸百貨店)、

       上野の下谷広小路に建てられていた「松坂屋呉服店」(現在の松坂屋百貨店)などがそれです。

       日本の老舗一流百貨店の大半は江戸時代に成功した有力呉服店から続いている店なのです。

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     日本の近代にとって決して見過ごしてはならない大きな転換期だったのが大正時代。われわれ日本人

     のものの考え方や生き方が、急速に新しくなり始めた時代でした。大正ベルエポック、大正リベラリズム、

     大正デモクラシー、大正フェミニズムなどといった呼称は、ちょっと歴史を紐解けば、すぐに出会える

     言葉として残っています。

   大正時代はそれまでの時代に比べると非常に豊かな時代でした。明治38年に日露戦争が終結し、

    戦勝国として思いがけない好景気がやってきて、いわゆる“成金”と呼ばれるにわかブルジョワ層が

    誕生したのです。

  さらに大正3年には第一次世界大戦が始まります。日本は、連合国向け軍需品の基地化やアジア市場

   への進出などによって国際収益の黒字が増大し、“日本は黄金の時代”だと世界の羨望を浴びるほどでした。

 そんな好況の反動としてインフレによる物価高騰があり、大正7年には“米騒動”が拡がり、加えて

   大正12年には“関東大震災”に見舞われます。しかし、これらの混乱も、内在していた豊かな経済力

   によって克服されていったのが大正という時代だったのです。

 都市化は一層進み、それなりの定収入を得ることができる中産階級が、大衆社会の形成を加速させます。

  そして彼らはいわゆる“文化的な生活”を営み始めたのです。人々の目は一斉に西欧に向けられました。

  思想的にも芸術的にも、そして生活の向こうにも、いつも西欧文化が見えており、

  それを一時も早く手繰り寄せようとする人々。“婦人解放運動”によって生まれた“新しい女”もまた、

  その外形は“断髪”であり、“洋装”であり、そのファッションは大正末からの“モガ”(モダンガール)たちに

  よって大衆化されていくのです。

 そのような豊かで西欧志向の時代風潮をバックに登場してきたのが、旧来からの和洋折衷の呉服店から

  脱却した百貨店です。百貨店は、ハイカラな先端情報を発信する基地として、時代のニーズに対応し始め

  ていきます。

       そこで、いくつかの百貨店に就いて、述べてみましょう。

白木屋 1662 寛文2年   三越1673 延宝元年    
大丸1717 享保2年 高島屋1831 天保2年
松屋1869 明治元年 伊勢丹1886  明治18年
松坂屋1910  明治42年

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