W.その他の地域被災状況

横浜市では、18,149戸の倒壊家屋を出し、大激震と同時に火災も発生して、全市の

総面積の約80パーセントが焼失した。被害は東京を上回り、死者も多かった。

港湾都市の横浜は、外国人関係の建物も多く、官庁関係建物43のうち33が焼失、326の

銀行会社のうち残ったのは僅かの17だけ、約3000の工場も90パーセントが焼失した。

丘陵にかこまれた市内は、崖崩れで人家が埋没、橋は墜落または焼失、海に面した

岸壁は40パーセントが崩壊した。

人々は、火につつまれて焼死し、川の中で溺死した。

殊に、中村町の揮発物貯蔵庫に火災発生、大爆発を起こした。避難者は、逃げ惑い、

海や川に飛び込んだが、水面に浮遊する重油に引火数千名が死亡した。

横浜公園には数万の避難者が流れ込んだが、たちまち公園は火炎に包まれた。

水道管は破裂、園内は噴出する水におおわれ、低い部分では腰まで水に浸かった。

電信電話は壊滅、警察はじめ、各官庁の連絡は皆無の状況におかれた。

       

   震災前の上野駅と下は瓦礫の原と化した             変わり果てた銀座

 上野駅周辺

       

   上は震災前の新橋駅と猛威の後の姿     かつての浅草仲見世と震災後の姿

                        観音様は無事だった。

九月三日にようやく鎮火

9月1日の大火災は翌2日にわたって、なおやまず、全市の火災は9月3日午後2時に至り

ようやく鎮火した。人々が避難を求めた主な場所は、二重橋前、日比谷公園、靖国神社、

向島の土手、芝離宮、上野公園、谷中墓地 そのほかやけ残りの学校などで、罹災者は

恐怖と飢餓に襲われ、市中の混乱はその絶頂に達した。9月2日午後、東京府と神奈川県に

戒厳令がしかれた。

被害状況

 

区分 当時の人口 死者 行方不明 罹災者 全焼 全壊 半壊
東京府 4,050,600  59,593  10,904 1,555,778  311,962 16,684  20,123
東京市 2,265,300  58,104  10,556 1,383,849  300,924   4,222   6,336
その他 1,785,300   1,498      348   171,929    11,038  12,462  13,786
神奈川県 1,379,000  29,614   2,245   781,493    68,634  46,719  52,857
横浜市   442,600  21,384   1,951   328,615    62,608    9,800  10,732
その他   936,400   8,230     294   452,877      6,036  36,919  42,127
千葉県 1,347,200   1,373       47    96,620        478  12,894    6,204
埼玉県 1,353,800     280       36    50,312       -   4,562    4,348
静岡県 1,626,300     450       42    46,974         16   2,241    5,226

X. 地震・災害時の用意