大正時代私の子供の頃
六本木 ・ 麻布十番 ・ 縁日とお祭りの屋台
私の育ったのは上野で動物園の近くの桜木町でした。ここで関東大震災にあうのですが、この時の状況は
別項で記述してありますのでここでは省略します。
尋常小学校の入学は、谷中にある谷中尋常小学校で、この小学校には一年しか在学しなかった。
やっと皆の名前を覚えたと思ったら、私の住居が麻布宮村町(現在元麻布三丁目)に移ったため翌年の四月に
何故か宮村町から離れた市兵衛町(現在港区麻布台)の麻布尋常小学校の二年に転校した。近所の子供は殆ど笄小学校だった。
この麻布小学校までは宮村町から子供の足で30分はかかる距離で、卒業するまでこの学校に通った。
近くに東洋英和高等女学院があり、六本木に近く、閑静な土地柄だった。
私の頭に残る六本木
麻布に住んでいたことがある私にとって六本木と聞けばとても懐かしく思う土地である。
今のような近代的な感覚でなく、住まいが近くであったことと、大変古い話で恐縮だが、昭和の初めに
「砂絵呪縛」すなえしばり という坂東妻三郎主演の映画が大流行で、この映画に六本木の米吉という
目明かしが出て、どうしても六本木の名前が出ると、速、米吉の名前を思い比べたものである。
それに、小さいながらに「六本の木があったので」六本木かなと思ったりした。
最近になってこの疑問を解き明かすべく辞書を開いてみた。
「地名の由来については、上杉、朽木(くつき)、高木、青木、片桐(かたぎり)、一柳という、木にちなむ
姓をもつ6大名の中屋敷があったため、ともいわれるが」とあった。
麻布十番
麻布十番といえば、宮村町に私の住居があったので、毎日十番通りを突き抜けて、鳥居坂を上がって
麻布尋常小学校に通学しました。
10の日に開かれる縁日にはかかさず遊びに行きました。
神社で催されるお神楽を見たり、神社の境内で、お神楽の、「ピーヒョロ ピーヒョロ」の笛、太鼓も、縁日
気分を盛り立て、特に夏は、浴衣に団扇の姿で、夕涼みがてらの ぶらぶら歩きで、一汗も二汗もかいて、
十番通りの「三芳野」でかき氷で、涼を癒したのをいまもなお 強烈な印象として残っている。
それは楽しかった思い出があります。
この神社の近くに「末広座」という芝居小屋がありました。
この末広座は当時 梶原華嬢という女剣戟の役者がの座長で、一等席が九十九銭、夏になると本水使用とうたって、
本水がながれる舞台で大立ち回りを演じたものでした。
その頃の世代に合った 「ピストル強盗 大西性次郎」 「殺人鬼 鬼熊」 「説教強盗 妻木松吉」といった演目で喝采を
浴びていた記憶があります。
この人は女剣戟の創始者ともいうべき役者でした。因みにその後の女剣戟で大江美智子、不二洋子という役者が出現、
前者は宝塚出身の美貌と、後者は剣道何段かの腕前で華麗な立ち回りで人気を博していた。
浅香光代はこの後に出、現在も活躍しています。
最近になって、この十番が懐かしく、心躍る思いで尋ねてみたが、正直期待外れといったところでした。
様変わりは当然のことで、小学校は元の場所から移動して新築され、十番通りの道幅は昔どおりではあるが、10の日に
開かれた縁日で見た神社のお神楽は、神社そのものが移転してそこに無く、その隣当たりにあった
「末広座」もなくなって、十番商店街振興組合事務所 (十番会館) の人にその話をしても全然ご存知なく、
唯々昔日の感一入といったところでした。
2005.1.10 追記
「末広稲荷」は慶長年間に創建され戦前は現在の「ハラストア−」の場所にあった。社前に一本の柳の樹があったので、
はじめ社号を「青柳神社」と称した。再校江戸砂子によると「この柳樹枝葉さがりて梢の繁茂しているところより、
村民だれ言うとなく末広の木と呼び、末広稲荷と呼ぶようになった。」とある。明治6年7月5日村社に指定され明治24年4月、
建物を権現造りに改め、社号を末広稲荷神社とした。
祭神は倉稲魂命、市杵島姫命、湍津姫命、日本武尊で大祭は9/17、9/18であった。関東大震災後の復興記念として東郷平八郎が
直筆の社号軸を奉納し、昭和21年の空襲で社屋は全焼したがこの掛け軸は現存する。
十番稲荷神社は「末広稲荷」と、永坂にあった「竹長稲荷」が戦災により合併して出来た神社。
ただ懐かしかったのは昔の場所で商売を続けている「豆源」があったことです。
いろいろな豆を原料にした豆菓子で、なつかしの余り、
いろいろ買って見ましたが、美味しい菓子が溢れている昨今では
いまいちといったとこでした。
この通りで、「鶴屋」という酒屋を見つけて、尋ねてみました。
昔の場所とは変っていましたが、
昔の「鶴屋酒店」でした。この店の二階に「麻布十番倶楽部」という寄席があって、小学生の私は
父に連れられてよく立ち寄ったものでした。
その寄席は今は無く、十番会館の二階で、土日に時折寄席が開かれるとか、鶴屋の何代目かの
息子に聞きました。
この通りの「宮川」という、うなぎ屋をみつけ 宮川ならと、立ち寄り一番安いうな丼を食しましたが、
どんぶりのご飯がなんとも不味く、折角のうなぎが台無しでした。
この日ばっかりが 炊き方に失敗があったのでしょうが、これでは 「宮川」の看板が泣きますよ。
麻布というところは、坂の多い街で、思いうかべるだけで、
永坂、鳥居坂、くらやみ坂、たぬき坂、七面坂、大黒坂、一本松坂、木下坂、北条坂、仙台坂、
芋洗坂と、数多くありますが、これもそれぞれが由来があることだろうが、これは後日の楽しみに
しておきましょう。
2005.1.9追加 麻布の坂に関するホームページを見つけました。
「坂で見る麻布」http://homepage.mac.com/azbskn/saka/
それに各国の大使館がこの地に集まっている。昔の閑静な土地柄がそうさせたのだろう。
中国、オーストリア、スイス、バキスタン、マダカスカル、カタール、アルゼンチン、ノルウェー、
ドイツ、フランス、フィンランド、大韓民国、がそれである。
十番通りはなんといっても懐かしく、昔を偲ぶ縁はなくなりましたが、商店も二代目、三代目となって
昔を語る人も数少なくなっています。
話を元に戻しましょう。
縁日とお祭りの屋台
縁日とお祭りの時の夜店は欠かせない風物詩です。
ドンドン焼き(お好み焼き)、電気飴(綿菓子)、新粉細工でいろいろな動物や人形を手際よく練ったのを黒蜜をつけて
食べたり、ベッコウ飴細工で旨く形を舐め残すと、ご褒美にもう一串くれたり、炒り豆、水飴、金太郎飴、
ステッキ飴、ネジリ飴、カルメ焼、寒天、アンコ巻、焼きいか、おでん、焼きそば、味噌おでん、今川焼き、
夏に出店になる金魚すくい、
それに、直径1.6mmの針金を切り・曲げ・よじり自由自在にペンチを踊らせ三輪車(可動)・鉄砲・飛行機を作り上げる
針金細工はオモチャの原点とも言えようし、などなどと多種多様だった。
欠かせないのが売り声のバナナの叩き売りと七味の口上だ。