庵野監督見直し 1
庵野監督のチャート見直しをするのに、風邪でダウンしてまして学習会から間があいてしまい、申し訳ありませんでした。m(_ _)m まだ本調子でないのですが、少しずつ始めたいと思います。すでにYamanakaさんがレクティファイを、栗丸さんも読み進まれておられますので、参考にさせて頂きながら、読みたいと思います。私の方も、Yamanakaさんがレクティファイで出された時間を元にしたチャートで読みたいなぁと思っているのですが、その前に基本的な部分は以前と同じように、ソーラーチャートで、正午生まれとして作成し、少しやってみます。それでは、よろしくお願いいたします。m(_ _)m
庵野秀明 1960.5.22 12時 山口県宇部市 として作成

2区分 男性5 女性5
3区分 活動4 不動3 柔軟3
4区分 火3 地4 風2 水1
男性、女性の比は半々でバランスが取れており、3区分のバランスも大体取れています。4区分だと、多少地の要素が強く、水の要素が少ないと読めます。
これは、感情的なものを重視するより、実質的なものを重視するような傾向を表わしているのかもしれません。ついでにディスポジターを見ましょう。根になる天体が多いことに気付きます。
火星が牡羊、金星が牡牛、水星が双子、土星が山羊。
火星はリリス、月からの流れを決定し、金星は単独で判断する傾向。水星は活発で、トランスサタニアン全てと、太陽、セレスの流れを決定する役割を持ち、土星は木星と、その他の小惑星の流れを決定。彼の中には、このような4つの動きがあるのではないか、と考えられます。
通常、根になる天体が1つであれば、何かを決定する時、その根になる天体が、決定権を持ちやすいようですが、庵野監督の場合、これが4つもあることから、何か物事を決定する時は、彼の中の全体で統合化して決めているというより、ばらばらに部分部分で、決めていくような感じを受けるのですが、いかがでしょうか。
ディスポジターをもう少し、探ってみましょう。 目立つのは、月、火星のある牡羊の付近でしょう。これは短気で、けんかっぱやい傾向を表わしますし、リリスの流れも加味すると、それが、限界値までいく感じを受けてしまいます。月と火星の牡羊同座は、インスピレーションで動く傾向があり、直観が冴えている人でしょう。多分、これがいいと言えば、彼にはそれ以外目に入らなくて、それがいいはず、なんでいいの、と聞いてもそれに理由なぞつけられない。全て、そのように月の感情と火星の行動が、染まっていくように思えます。
そして、金星が牡牛で孤立。これは金星という愛情が、女性に投影された時に、単独で決定されて、働くということで、ある意味では純粋さがあるような感じを受けます。そして多分、彼はもてる方だと思います。火星が牡羊であり、金星が牡牛であるという、両方品位のいいサインに入っていることから、そう思えるのですが、彼の金星像、つまり理想の女性は美人がいいとか、わかるような美が望まれるなどと、割合と面食いかもしれないな、ということが考えられます。
木星と土星、小惑星の流れにいきますと、これらは射手と山羊という、せまい範囲で作られているのがわかります。ここで一番、問われているのは、彼の責任感です。ベスタ、ジュノーという、小惑星からも、義務と権利が読めますので、やることはしっかりやり、主張することは主張するという姿勢が木星、土星という、社会性の天体に流れることで、社会にそのような義務を果たし責任を負い、またそのかわりに、自分の権利の主張をするという姿勢を、併せ持っているのではないか、と思われます。
最後に、水星が根になって、太陽とトランスサタニアンの流れを汲む部分ですが、それはそのまま彼の水星のカリスマ性や、トランスサタニアンから持ち込まれる非日常の意識を、太陽を通して意識化し、そのまま、水星を使って表わす方法を、示しているように思われます。 ここでは、彼の水星の才能は、生まれつきのもののような感じを受けますし、ただ好きでやっていたからこうなっている、というより何か、トランスサタニアンの意識を、水星を使って表わすことに使命を帯びて生まれたのではないか、と思えるような部分でもあります。
これは、そこに個人的感情の月や、娯楽の金星、行動の火星が関わっておらず、純粋に太陽の意識から水星に流れることから、そう感じたということです。水星で表わされるものは、アニメーションというよりは、言葉ですし、文章表現による、コミュニケーションです。彼はアニメというツールを使ってはいますが、そこに普遍的な言語をコミュニケーション手段として、早くから見い出していたのでしょう。
ディスポジターで流れをさらっと探ってみたので、次は太陽から始めてみます。
太陽は双子1.02度、双子6度の水星と合、魚3度のキロンとスクエア、乙女3度の冥王星とスクエアです。そして、パラスとサイン違いのトラインが出来ています。冥王星とキロンがオポジションで、それにTスクエアの根になる形で太陽が来ているのは、61年でみた時と変わらないですね。むしろ、太陽と冥王星のスクエアは、61年チャートよりもオーブがタイトになってきています。
双子の太陽は好奇心旺盛で知識欲があるため、学校に通いながらいろんなことを外界から知識として仕入れる年代、いわゆる水星の年齢域の時に、非常にいきいきとしているのではないか、と思う部分があります。水星を当てはめられる、ヘルメス=マーキュリーは、神話では少年で描かれていますし、生まれてすぐ、アポロンの牛を盗み出す程、ずるがしこいといいますか、利発(^_^?)な面が伝えられています。
太陽と水星の合は、のちにアポロンとヘルメスの仲直りを意味するかのようです。もともと水星は太陽からあまり離れませんが、合の場合、それは特に太陽の意志を反映するような方向に水星が働くのではないか、と思えます。双子サインという、水星の本来のサインを考えると、庵野監督の水星は非常に強く働く力があるのではないか、と思えます。それも、自分の意志にのっとって、水星を生かすことに長けているのではないでしょうか。
しかし、ソフトアスペクトがなく、ハードアスペクトだけの水星は、神経過敏でささいな事で落ち込んだりという、神経の細さも併せ持っているように感じます。 そして、水星も太陽と一緒になり、冥王星とキロンのオポにTスクエアとして関わってきますので、彼が太陽の意志を水星で発現しようとすると、冥王星とキロンのオポも、発動するような形になってしまいます。
キロンが伴うものは、痛みであり、自ら痛みながら相手を癒すというものです。冥王星がそこにオポジションで来ている、世代的な影響は、ある意味で稀な部分ではないかと思います。オポジションというアスペクト自体、互いの正反対に自分を見い出すとする効果があるとすれば、彼らの世代は、乙女の冥王星という徹底した観察力、個の世界を完成させる最後のサインの中で、個にこだわり、その場所にある冥王星は、その個体の完成を根底の意志として、持っているのではないか。そしてそれを実現させる具体的な相手として、対向にキロンを選んできている。
キロンは土星と天王星の間を回っている時発見された、とされますが、土星と天王星の間の確執というものは、ギリシャ神話で天王星で象徴されるウラヌスが、子供が父親を倒すという予言を怖れて、生まれてくる子供を次々と飲み込んでしまった...その子供の1人、土星に象徴されるクロノスが、母親から頼まれてウラヌスを倒す、そんなことから始まっているように思えます。
クロノスにとって、ウラヌスは倒すべき敵でありましたが、ウラヌスがいまわの際に、クロノスに「おまえも私と同じ目に合うようになる」といったことから、クロノスはウラヌスと同じ行動を、つまり生まれてくる子供を、次々と飲み込んでしまう、ということを反復してしまうのです。クロノスはそこから、影の怖れを表わすようになってしまいましたが、同時に、母親から頼まれた義務もきちんと果たしていた訳ですね。
ちょっとそれましたが、キロンがこの土星と天王星の間で発見されたということは、伝統への回帰と、伝統を打ち破るその狭間を意味するものではないか、と思います。その狭間で冥王星の意志を発現しようとするのが、乙女冥王星−魚キロンのオポの世代ではないかと思えるのです。乙女冥王星がシステマティックに、個体としての完成を願うものであれば、魚キロンは、形のないものであり、実際に痛む何かを、その個体の中に反映させようとします。それは、外側からは見えませんが、心というものでしょうし、その心というものを個体の中に反映させようとして、うまくいかなかったり、またいろいろと痛むのです。
魚キロンはいうなれば精神世界的な事柄であり、オウムとこの世代のシンクロというものも、無視できないのではないかと思えます。エヴァンゲリオンとオウムとの関連性というものも、あちこちで書かれていたりしますが、そのような関連性をあえて言うとすれば、根底となるのは、世代的な影響を与える冥王星−キロン、の組み合わせではないか、と思えます。
ぶっとびますと、天王星の集団意識としての電波「超意識」を、形のある肉体・土星の管轄の個体にどう反映させるのか、ということにキロンは、存在します。それは痛みを伴いながら、折り合っていくなの部分ですが、キロンが冥王星と関わりを持つため、徹底してその問題を追求したり、関わってくる...と、このアスペクト世代の人々は、ここのアスペクトを読めるのではないかとも思います。
この辺りは1月の学習会で、栗丸さんが説明をちらっとして下さっていたように思えますが、キロンを使い、冥王星の意志を発現させる、基本はこれに尽きると思います。そこに庵野監督の場合、ディスポジターで根になる水星と、太陽がTスクエアでかかってくるのだから、大変です。個人的な天体として、最も重要であるとされる太陽、太陽の流れを受ける水星は、この冥王星−キロンにTスクエアで関わることにより、いらぬ言葉で自らが傷つくようになったり、また、その多少細い神経のためにわざと自分を傷つけたり、極限状態に置いてみたり、といろいろとやってみるのではないか。
彼が自分の存在意義を問うこと、それを水星で表現することは、このアスペクトからですと、ますます彼を傷つけていく方向に向かいます。しょっ中、何か神経が苛立っているような感じをここからは受けます。
太陽と水星の合が根になった形で、世代的な冥王星−キロンとをそこに組み合わせてできるTスクエアを、彼が持っている所まで書きました。 つけ加えるとすると、この双子1.02度という太陽は、その度数の若さゆえに、純粋なのですが、ストレートに走るためにしばし、コントロールを失いかけるような感じがあります。
彼の場合、双子のルーラーの水星も、オーブは5度ですが、太陽と合になっていますので、その突っ走り傾向は強まるように思われます。 火星でないので実際に突っ走るというよりも、水星で精神が先に突っ走っているのです。精神でなければ、言葉が先に走る。いいかえれば、人よりいろんな事に気が回るので、精神的に先ゆく人、ある意味でイっちゃってる人(^^?)、というのが当てはまるのかもしれません。
流行を作るのは海王星ですが、山羊の終わりにしばらくいたトランシットの海王星は、庵野監督のネイタルのパラスの位置と合になり、この太陽とトラインという関係を、ここの所ずっと作っていました。サイン違いのトラインだったのですが、彼の持っている太陽の傷は、エヴァンゲリオン、あのようなアニメーションとして、公開されてしまいました。
自分の傷をカムフラージュして出したものとすれば、海王星はあまりにも「アニメーション」=空想、夢の世界であり、あてはまりすぎます。しかしこれは、どちらかというと、劇場版で生かされた感じが強いです。 エヴァのテレビ放映時、トランシットの海王星と彼のパラスは、まだオーブが5度位あり、それほどの影響はなかったと思えるのに、テレビが終わってから騒がれるのと並行して、海王星は彼のパラスにどんどん接近してくるので、彼がパラスに救いを求めていたとすれば、それはエヴァがテレビで終了してからの方が強かったのでは、と思えるのです。
以前も書いたのですが、ぐずぐずして冴えない主人公が、自問自問しつつも、こんな自分でも生きていけるのだと、最後には見ている人にそう思わせたかった、という部分は、パラス=アテナが掲げる、自分の戦いでもあるかのようです。自分は戦う、という、意志みたいものを、太陽とパラスのアスペクトからは感じます。
しかしそれはトラインなので、その自分との戦いは、常に回りに迎合するか、おとなしく周囲に丸めこまれるかで、楽な方に逃げてしまうのです。活動サイン終わりのパラスと、柔軟サイン頭の太陽なので、いろいろ動いてはいるのだけれど、それが結果的にふらふらしてるように見えてしまう。おまけに、もともと太陽はハードの方が強いので、すぐ悲観的になるわでシンジを見ていると、「言いたいことはもっとはっきり言いなさいよ!!」とアスカでなくても、怒鳴ってしまいたくなる部分がありますね。(^^;)
楽しいことばかりを数珠のようにつないで生きていけるはずがないんだよ、特に僕のようなタイプはね...と、戦わず、内的な心の中、まやかしの平和の中に逃げるシンジを、徹底して現実に引き戻すのが、キロン−冥王星のオポなのでしょう。しかし、太陽とトラインというパラスがもたらす作用は、傷ついた太陽の、唯一の避難場所であったようにも思えます。 その底には、庵野監督が現代のアニメファンは好きではない、と絶望していながらも、その中に切り込んでいくような、世直し願望のようなものを感じます。
自分との戦い=アニメオタクそれぞれに、このままでいいのかと自分との戦いを喚起させるもの、庵野監督は、エヴァンゲリオンがもたらす福音については、そう思っていたのではないでしょうか。そのために、まず、自分の傷を相手にさらけだした。それが、彼の世代の冥王星−キロンのオポを伴ったものとして、大衆には「このアニメ一体なんなんだ、ロボットものだったのが、だんだん傷だらけになって主人公の内面がおかしくなりかけて、そこから立ち直って補完が終わりなんて、まるで最後は精神世界になってしまったみたいだ」という具合に、認識されたのですが、彼がここで救いを求めたかったのは、それこそトラインでかかってきていた、T海王星ではなかったかと思いますし、自身の持つパラスの対象となる、女性に関係する純粋な愛情ではなかっただろうか、とも思える部分です。
海王星と女性から連想するのは、海、生命の源というイメージで、結局、庵野さんは胎内回帰願望とまではいわずとも、アニメーションの中で、生命の源を作り出したかったのではないでしょうか。出来損ないの群体となってしまった人類を、一気にまとめて作り直すという補完計画は、それはそのまま庵野さん自身が憂いていた、アニメファンの立て直しも意図されていたのではないかと...。
もちろん、トランシットの冥王星が、彼のこの太陽の対向に、ばっちり来ていた時の、エヴァのブレイク時を忘れることはできません。それこそ、逃げちゃだめだ、といいつつ、彼の太陽は逃げられなくなってしまった。その過程、崩壊していく様子が伺えてしまうのが、エヴァンゲリオンのすごい所でもあります。
そしてもう一つ、同時に起こった天王星の水瓶入り。1996年1月、テレビ放映も、あと半分を残す頃です。そろそろ、2年以上前から、描きためていた放映分のストックがなくなってきて、焦り始める辺りです。とにかく、間に合わせなければならない、とあの手この手で、セル画を減らしたり、以前のものを使い回したり、止め、という技法を使ったり、また学生時代に学んだ紙のアニメーションを取り入れたりと、いろいろと工夫の跡が、テレビ版の25.26話には見られます。そうとう追い詰められていたのでしょう。
多分、彼は、事前にこのアニメーションで言いたいことがちゃんとあって、先走っていた。けれど時間がなくなって、丁寧に説明できなくなってしまった、その結果...見る側にとって、??という状態で、テレビ版を終わらせざるを得なかった。 トランシットの冥王星は、重いプレッシャーを与えることでしょうし、それこそ、死ぬ思いで作っていたのかもしれないです。実際、彼は放映終了後、死にたくなってしまった、らしいですし...(^_^;)
もともとネイタルで持っていた、冥王星−キロンを、自身の太陽と水星で代弁していたら、トランシットで、太陽の向かいに冥王星が来るわ、トラインの位置に天王星が来るわで、意識化してやってたはいいけれど、精神的にひどく消耗して疲れてしまった、という感じでしょうか。 冥王星は、また、徹底して関わる天体の引き出す力を持っているので、対向に来られた庵野さんの太陽は、冥王星に、これでもかといわんばかりに、おまえのやりたいことはなんだ、生きている目的はなんだ、とやられた気がします。それはそのまま、エヴァのシンジのセリフとなって、出てきているのです。
トランシット天王星の、太陽へトラインは、彼に一種、奇抜で個性的なものを与えていたかもしれないですが、もともとハードアスペクトの強い彼の太陽は、そのトラインよりももっと何倍も、トランシット冥王星の重さを感じていたのではないかと思います。