庵野監督見直し 3


●空白の4年間について

 庵野監督の年表を眺めていて感じたことなどを書こうと思うのですが、まず先に監督の年表のおおまかな流れをおさらいしてみます。

 監督は、1980年に大学に入ってアニメ製作に本格的に取り組むようになり、また宮崎監督との出会いから「ナウシカ」の巨神兵を担当したことで一躍その名を知られるようになる。 その大学で出会った仲間達と「王立宇宙軍・オネアミスの翼」の企画に携わることになり、ガイナックスという会社が誕生、そこへメカ監督として参加。ガイナックスのスタッフは総力を結集して良質の大作アニメの製作を進める。

 庵野監督はガイナックス設立当時はまだ24才という若さですから、ここまではとんとん拍子といえる状態で進んでいるように見えます。天体の年齢域でいうと土GTとからむ金星の年齢域の期間ですね。

 ところが出生図でTスクエアにからむ、太陽の年齢域に突入後に製作をスタートし1987年に公開となった「王立宇宙軍・オネアミスの翼」の劇場アニメ作品は、一部マニアには高い評価を受けながらも、興行的には大失敗。会社は大変な負債を抱え、庵野監督もこの失敗にはかなり「打ちのめされ」ることになります。 そして「アニメファンは良質の作品など求めていない。要するにロボットとメカと裸の姉ちゃんが出てればいいんだろ」的な、半ば開き直りの気持から製作されたのが、1988年の「トップをねらえ!」というVTRのアニメシリーズだったとか。

 そのあと1990年4月から1991年4月にNHKでTV放映された「不思議の海のナディア」という作品以降は、しばし沈黙の期間となり、再び1995年10月のTV東京放映の「新世紀エヴァンゲリオン」が始まるまでのこの4年間は、庵野監督にとってかなり問題のあるスランプ状態の期間となっていたようです。

 とんとん拍子できたのが「王立宇宙軍・オネアミスの翼」の失敗で大きく挫折し、(海王星n合冥王星t?)その経験の開き直りから製作したという「トップをねらえ!」と「不思議の海のナディア」の2作品の後に、庵野監督の心境には一体どんな変化が生じていたのでしょうか。

 この4年間は庵野監督の言葉によると、「4年間壊れたまま何もできなかった、4年間逃げ出したまま、ただ死んでいないだけだった」というような状態であり、そんな自分の状況から「逃げちゃだめだ」という思いから、再び取り組み始めた作品が「新世紀エヴァンゲリオン」であり、「自分の気分をフィルムに定着させてみたい」という動機から考えだされた作品なのだそうです。

 そういったことからこの「空白の4年間」と呼ばれる期間を、星の配置からどう読むことができるのかが、庵野監督のチャート理解およびエヴァの作品理解に重要な要素になるかもしれないなと考えました。何で壊れ、また何から逃げだしていたのかも、情報不足でわからないのですが、この意味深なこのセリフを頼りに、ちょっと長くなってしまったのですが、その4年間の期間を順を追って栗丸流に推理&推測&想像しながらつらつらと書きだしてみました。

●空白の4年間について:2

 まず目についたのは庵野監督監督のリリスnに、リリスtが合をする9年周期の始まりとなる以下の3つの時期でした。

1:1978/03/13 高校2年の春(地元の仲間とアニメ製作グループを結成したというのは、この頃なのでしょうか?)
2:1987/02/14 「王立宇宙軍・オネアミスの翼」公開直前
3:1995/10/23 「新世紀エヴァンゲリオン」TV放映直後

 なぜこれらが目についたかというと、監督にとっての何か切り替えの時期にリリスの回帰がピッタリとシンクロしているように思えたからです。これは仮出生時間での監督の出生リリスnがMC合となることとも影響し合ってているのでしょうか。また推測するに、このリリス回帰の期間1と2の間というのは、金星の年齢域にあたりますので、この時期は庵野監督にとって「才能開花」の楽しく充実した、やる気いっぱいの時期であったことだろうなぁと思えるのですが、それに対して期間2と3の間は、シンドクつらそうな冥王星/太陽&水星/キローンのTスクエアを伴った太陽の年齢域とも重なる時期となっています。これを前提に頭に入れつつ、4年間の流れをじっくり見ていきたいと思います。

 「不思議の海のナディア」放映中の1990年8月には、まず進行の月pがTスクエアの一角の太陽nに合。翌1991年2月にも同じく進行の月pがTスクエア上の水星nに合をします。すでにここから何かが「始動」し始めているような感じがしました。進行の月pですから、現実上で何かが起こったという訳ではないのでしょうが、内面的な気分・感情の上で、冥王星nによっていずれ折られるかもしれない自分のエゴ、その恐れ、前ぶれをここで感じてしまっていたのではないか?と思うのです。

 またもうひとつ、「トップをねらえ!」の時代には、月pは自分の快楽原則に正直な牡牛座の期間であり、思う存分自分の才能を発揮できたのが、「ナディア」では放映開始後の夏に、進行の月pがそんな自分を一歩引いて醒めた目で冷静に見つめ直したいという意識の双子座へとイングレスをしています。感情・気分の上で、大きな切り替わり時期と重なって、そのためにもストレスを感じさせられる作品となったのではないでしょうか。

 放送終了後の4月から5月にかけて、監督の4室IC木星nにリリスが合。続いて監督のMCとリリスnにリリスtがオポとなります。ナディアの放映終了後、様々な制約からの解放感とは裏腹に、なにかそれまで目指していた社会的な成功や安定とか、自分の足場を固めるために頑張ってやってきた事に、疑問が浮かんだり、またはなにか虚しいような反動的な「感情」が湧き上がってきたのでしょうか。

 8月には土星nにドラゴンヘッドtの合。ここではテイルtの側が10室となり、公的な職業生活上の場にいることに「消耗」を感じてしまうようになったのでしょうか。土星nは土のGTの座相を持つのですが、4室側ということで、ヘッドtによって、監督は自分の個人的な生活に引きこもることで自分の活力を保ち、安定化を計りたいということになったのでしょうか? 気分としては「仕事はもう当分いい。自分のやりたいことをじっとしていたい」という感じなのでしょうか。10月にはその土星nにリリスtが合となります。ここらあたりで、浮世離れがまたぐっと進む傾向となったのかもしれません。

 1992年1月には金星nに冥王星tがオポ。ちょっとやそっとのじゃない、常軌を逸するくらいとことんやらなくちゃ済まされない配置のこの金・冥の180度はなんだか怪しい感じがいたします。というのも、ここは土のGTからみだとカイトの位置。また金星nは天王星nともともと90度なので、前の年の10月から天王星nとも90度でハマルことで、Tスクエア化が続いている状態です。

 これが、アニメという今までの表現方法に対しての「創造&破壊」欲求として高まったのか、実際に何らかの恋愛事件としてそれが生じ、現実上で何かが具体的に「壊れて」しまったたのか、どちらなのかはわかりませんが、どちらにしても金星がらみで起きたかなりハードな状況だったのでは? ムリヤリ恋愛事件として想像するなら、年上の女性との生きるの死ぬのの大騒ぎな熾烈な極限的な騒動などという不届きなことを考えてしまいます。芸術表現としてなら、今までやってきたやり方や手法に対する欲求不満が、ここにきて一気に吹き出てきて荒れ狂って「壊れ」ていくというような様相を想像してしまいます。

 そして1992年前半には、そこそこの社会的安定と堅実さをもたらしてくれていた土GTの一角の土星nに海王星tと天王星tが交互に合をします。これは天海合の前ぶれでもあり、ここで外惑星の影響力の洗礼をもろにかぶることになる訳ですが、海王星は曖昧なまま溺れていたい感覚、また天王星はそれじゃダメだ、目を覚ませ!シャープな感覚を保て!というように、2つの相反する両極の要素を表わしますから、監督にとっては社会生活上の安定の象徴であるこの土星nに、大きな混乱と分裂を交互にもたらすこととなったのかもしれません。

 また春には出生図のASCに進行の冥王星pが合となりました。これは今まで12室を進行してきた冥王星pがASCを通過して1室に入ってきた訳ですから、今まで隠してこれたものがもう曖昧にはしておられず、はっきり回りにも見える形で表わされてきてしまいます。身近な環境において高圧的に横暴なくらいにはっきりと、自己の意志や欲求を押しだしてしまわずにはいられないようになってきたのではないでしょうか。つまり、売れ線であっても制約の多い安定路線の作品製作はもうできないし、もう絶対やりたくもない!というような気分となってきたのではと思います。

 1992年後半は秋口にASCと木星tの合があるのですが、言い換えると進行の冥王星pとも合をしている事となりますので、冥王星p合木星tでは、強情でかたくなな気分がさらに強まっていくこととなり、心情としては「荒れる暴君」状態だったのかもしれません。そこへ立て続けに冥王星/太陽&水星/キローンのTスクエアの一角の魚座キローンにリリスtが合となります。「心の傷/癒し」に「自我の影」が重なる...ドキドキする展開の時期です。このあたりから、傷口がぱっくりと開き初めてしまった時期となったのでは?と思います。

●空白の4年間について:3

 1992年暮れから明けて1993年初頭まで海王星tと天王星tの土星nとの合は続き、そして1993年は天海合が土星nの直後オーブ2度以内の範囲で都合3度生じました。これは庵野監督の土GT金星/土星/ドラゴンヘッドの一角で生じた合ですから、かなり重要なポイントだと思います。ドラゴンテイルnも入れるとカイトの位置となります。天海合の「曖昧さとシャープさ」、「理想と改革」という相反する意識が土星nの「現実という社会的な安定の場所」に揺さぶりをかけてきます。このヘッド/テイルラインで、最初に意識されるのはやはりどうしてもテイル側の意識となるでしょうから、「神秘思想、悟り、超越体験」の象意の側が、キツイ現実からの「逃避」にひと役買って、利用されることにもなったのかもしれません。

 この1993年4月には進行の太陽pと進行の月pが蟹座2度で合。ネイタルのMCリリス合の直前の位置でプログレス上の新月が生じたことで、もう昨年から続く庵野監督のTスクエアからみの懊悩が、この位置を新しい出発点として選択する以外に道はないというほどに、なんともうまくお膳立てが進むようにも見えてしまいます。

 このP新月の蟹座サビアンは「シャギーディアを連れている毛皮に身を包んだ男」で、困難な状況に直面する象意。しかもその苦労と忍耐とその停滞を、独りで乗り越えなくてはならない、という状況でスタートするP新月です。またこの時実は同時に、金星pもそのプログレス上の新月にタイトな合となっています。金星pのサビアンは「鼠と議論する猫」という、自己正当化の試みと言われる度数にあたっています。どちらにしてもシンドイ象意ですが、なかなかに意味深いものがありますね。

 このキツイ位置を新しいサイクルの出発点として選ぶとするとそれはどういったものになるのでしょうか。良質の作品を製作しても「売れない」、でも反対に「売れ線」的な作品を作ることや「NHK」的な制約の多い作品を製作することのどちらももう我慢ができない。ならばそういった太陽p/エゴと月p/感情と金星p/愛情による「情感の再生」のキツイ過程そのままを、リリスnという「自我の影」ごとそっくり、監督曰くの「フィルム」に焼きつけてしまおう、という選択だったのではないでしょうか。でもこの結論に行き着くまでには、まだまだトランシットの天体の様々な影響を浴びねばならなかったのではないかと思います。

 このプログレス上の新月は、3度の天海合の1度めの2月から2度めとなる8月の合間の時期に起きたのですが、2度めの8月から3度めの10月の間には火星nにリリスtの合も起りますす。対人関係の中で自分の嫌な見たくない部分がむき出しになるようなトラブルも生じたのでしょうか。またはそれによって、自分の存在に対して、「僕はここに居ていいような人間なんだろうか?」という自身喪失の状態となってしまったのでしょうか。この間にはTスクエア一角に、今度はキローンtが合します。冥王星nとキローンtの合ですから、これは一体どんな感じだったのでしょうか。精神の限界状況、宗教的な自己変革、自己啓発への衝動が高まったのでしょうか。なんとかして今の状態を変えて自分を変えたい。逃げていてはダメだ。そんな切迫した気分、状況となるような事件もあったのでしょうか。

 いつごろから「エヴァンゲリオン」のTVアニメの企画・製作がスタートしたのかが情報がなくて見当がつかないのですが、以前シーガルさんの書き込みにシリーズの全26話の前半分は、2年かけて製作したという話もありましたので、だいたいの見当でいうとこの1993年の秋頃には企画・製作はもう立ち上がっていたのでしょう。

 1994年の明けて1月、太陽nに対してのドラゴンヘッドtの180度は、ちょっと劇的なものに見えてしまいます。これは確かに出生Tスクエアに対しては柔軟のグランドクロスを作る位置ですが、エヴァのTV放映中に冥王星tが作るグランドクロスとは受ける印象が大きく違う気がします。その違いには、このヘッドtが「進むべき道」を監督に指し示すことにもなったのではないか?と思えることです。テイルtは太陽nと合ですが、逆にヘッドtの側をみると、そこでは集合的なアストラル・エネルギー、活力の補給ができる場となります。それは、蠍座の確執から抜け出して自由を取り戻すという「戦い」の場を表わし、闘うことによって自由を得る、自分を再び奮い立たせることができる、という気づきになったのではないでしょうか。この直後に、月nに合したリリスtが、その闘いにもうひとつの独特の濃い色づけをしたのかな?ともつい想像してしまいました。これはノーアスペクトの月nに、本来非公認の意識、感覚を持つリリスtの合ですから、この時期に受けた刺激は強烈な刷り込みとなったのでは?

 そしてその後春にかけては、Tスクエアの一角魚座キローンnに土星tが合。やっとなんとかこのTスクエアのもたらしてきた痛みにも、作品として生みだすべき「形」ようやくが見え、できかかってきたのでしょうか。 この頃には実際にもうエヴァのアニメ製作は進行していたのでしょう。1994年の前半にはまたキローンtがTスクエアの冥王星nに再度合をします。夏には海王星nとのオポにリリスt。これは火星nと水星nの60度の真ん中の位置にリリスtがすっぽり収るのでセミYODの位置です。エヴァのストーリーの、「少年/バトル/リリス」の3題話が完成という感じでしょうか。ここでやっと意図が完全に定まりました。

 また、このリリスTの牡牛座7度は前に図にした、出生図でのグランドセクスタイルが完成するためのブランクのポイントにもあたります。ここでダビデの星をついに完成してしまった、ということでしょうか。それがリリスtによって、というのがなんとも庵野監督らしいという気が....します。(^_^;)

●空白の4年間について:4

 1994年秋のドラゴンヘッドnとキローンtとの合を見ると、多少ほっとします。ここは出生図の土のGTのヘッド側の位置。健康的な実際性というか、実務能力の発達へとエネルギーが流れ始める、「癒し」へと向かう兆しに見えるからです。

 が、しかし。明けて1995年1月17日、冥王星tが射手座へとイングレスしたと同時の神戸の大震災。「形ある人間の営み全てが壊れている」そのTV映像の生々しいショックを、庵野監督はどのようにその目に捉らえたのでしょうか。興奮もさめやらぬそのすぐ2週間後にはTスクエア一角太陽nにリリスtが到達してしまい、合となっています。

 春には海王星nにドラゴンヘッドtが合。これまでの時代の流れごと、ヘッドは監督のYOD海王星に貼りつき、直後に太陽pは「踏切で列車にぶつかった車」のサビアンの出生図MCに合。このサビアンの象意は「社会との衝突、挫折とその軌道修正」がテーマとなる位置。同じ日にはドラゴンヘッドnにキローンtが再度合。そしてそのすぐ2日後の3/20に地下鉄サリン事件。そしてオウム真理教への強制捜査が開始されます。この辺りの流れは現実とのシンクロをしつつ、まるで何かドラマを見ているような、スリルのある展開をしていくようにみえます。

 4月には天王星t水瓶座イングレス、冥王星tの蠍座への逆行とともに、一気に世間の関心はオウム事件へと突入していきました。この春からエヴァのTV放映開始時にかけての半年間は、多分製作現場は追い込みで修羅場化していく時期となるでしょうから、庵野監督がぼーっとお昼のワイドショーでのオウム幹部のインタビューや麻原彰晃の逮捕の模様を眺めていたというようなことはもちろんありえないと思うのですが、その時代の空気を背景として真っ只中での追い込み作業は進行していきます。

 5月に庵野監督のドラゴンテイルnに土星tが合。テイルの魚座側はしっかりと土星tによって断ち切られます。庵野監督の中でこの4年間続いていた「揺れ動き」のツラ〜イ「過去にひっぱられる」流れはここで終わったのでしょうか。7月にはヘッドnに再度キローンtが3度めの正直の合。8月には2年半近く続いた月pの進行の蟹座の期間もようやく終わり、月pは獅子座にイングレスし、思う存分に「自己表現/エンターテイメント」の世界へと気分も興味も向かい集中し始めます。で、再度テイルnに土星tが合をして固めた後に、やっと10月のエヴァのTV放映開始となる......

 という以上が、ずいぶん長くなってしまいましたが、庵野監督の「空白の4年間」を時期表片手に追いかけつつ、勝手にあれこれ想像&推測してみた「ストーリー」です。このTV放映直後にもまだ興味深い座相がたっぷりありますので、また改めて気合いを入れ直して見てみたいと思います。あと太陽回帰図なども見てみたいです。


インデックスに戻る