Prologue

「この12月に南極に行く」と言うと、「寒くて死んじゃうんじゃない」とか「オーロラを見るんだね」とか、中には「シロクマに気をつけてね」などとアドバイスをしてくる人もいる。12月〜2月の南極は、現地の夏にあたり、唯一船が近づける時期である。また白夜の季節であり、暗くなることは無い。ついでに言うと、シロクマは南半球にはいない。
「南極」という所は、名前は知っていても、なかなか皆に縁の無いところなのだ。しかし、地球という天体において、南極という地域は、大気の循環などにおいて、なくてはならない役割を果たしている重要な地域でもある。また、世界で唯一どこの国の主権も及ばない(一部主権を主張している国はあるが・・・)地域であり、手つかずの自然が残る地域である。
そんな南極に行く機会を得たのは96年の年末であった。
南極は一年の半分以上が冬であり、この短い期間が夏である。私が向かう南極半島(ちょうど南米大陸の南にあたる)は、この時期気温も−5度〜+5度位であり、実際行ってみると日本のスキー場の方が寒い位だった。短い夏は、当地に住むペンギンを初めとする生き物にとっても子育てなどが行われる季節であり、生命の謳歌が聞ける時期でもある。


1996年12月28日 世界最南端の街、ウシュアイアをあとに

日本から30時間あまりの空の旅を経て、世界最南端の町ウシュアイアから1週間の船旅が始まる。目指す南極半島までは片道二日。桟橋には、真っ白な船体のアカデミック・イヨフェ号(6,231総トン)が我々を待っていた。一昔前に比べて、南極へのツアーがだいぶ安くなってきたが比較的安い費用で運行できるロシア船が利用されるようになってからのことである。このイヨフェ号も、かつてはモスクワの科学アカデミーにより極地海洋調査船として運行されていた耐氷船であり、クルーは全員ロシア人である。(ただし、スタッフはアメリカ、カナダ人などである。)医療設備等も備えており、安心して船旅が楽しめる。ただし元「調査船」である。キャビンやラウンジも快適には過ごせるが、豪華な船旅のキャビンや、レストランなどを想像しないように。もちろん、正装などは全く必要ない。

今回は総乗客70名の多国籍ツアーである。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、アフリカなどからツアー客が集まっている。今回は日本からのツアー客が17名と最大勢力となっている。また現地ウシュアイアでの旅行会社で申し込んだという飛び込み日本人夫婦もいた。出港午後6時、長い汽笛とともに、船はゆっくりとビーグル水道を進み出す。緯度の関係もあり、まだ日は高い。船内では、さっそくオリエンテーションが始まる。スタッフの紹介、船内設備の説明などが行われ、救命胴衣を着けての緊急訓練も行われる。またグループ分けも行われる。一日2回の上陸はこのグループごとにゾディアックという小型ゴムボートで行われることになる。
船内の全ての説明、放送、レクチャーは全て英語で行われるので是非英語は勉強しておきたい。かく言う私もレクチャーなど分からないところだらけで、残念であった。・・・もっとも日本からツアーで参加する場合は事前に日本語の各種案内がもらえるだろう・・・ただ、南極の地誌等については学習しておきたいところだ。また「英語は駄目」という方も動物の名前だけは英語で覚えておくことをお薦めする。時々ガイドが遠くを指さして「×××!!」と叫んで動物の所在を教えてくれるが、分からないと結構寂しいものであった。(もっとも後半になると慣れてくるのだが。。。)デッキ見学

 船はビーグル海峡をゆっくり進んでいく。浅瀬も多い所であり、船は慎重に進んでいく。時折、座礁したまま放置されている船も見える。デッキの空気もピンと張りつめている。
ツアー中船のデッキは24時間オープンにされており、いつでもデッキに上がり、ナビゲーション機器や海図を見ることができる。クルーは全員ロシア人なので、キャビンに飛び交う言葉はロシア語である。しかし船長のニコライ・アペクティン氏をはじめ、士官級の人は英語が堪能であり、機関室いろいろな質問に答えてもくれる。操船を邪魔しない程度にしたい。操舵手はじめの人々は英語が分からないようで無口にしているが、挨拶くらいはロシア語で話しかけてみると楽しいものだ。


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