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EXILE2 その2
「……な……」
 血の気が引いた。頭の中が真っ白だ。
「何……」
「ふむ」
 両手に擬装の枝を持ったザフエルが、顔だけはまじめなまま、一心不乱に声の方向を見ている。
「お楽しみの真っ最中だったとは」
「お、お楽しみっ」
 ニコルの顔色が真っ赤、真っ青、真っ白とにめまぐるしく変わっていく。
「まままま真っ最中っ……ああああ」
「閣下は見てはいけません。お子さまには目の毒です」
「ど。ど。毒ーーっ!?」
 もう顔色だけではすまない。訳の分からない妄想やらいけない想像やらが、笛吹ケトルのようにぴーっと噴出して、頭の中をぐるぐる暴走し出す。
 瞬く間にかぁっと頬が赤くなった。じたばた悶えている。ほっぺたが熱い。心臓がはじけそうだ。
(ば、馬鹿っそれどころじゃ……!)

「嫌だと言ってもやめるわけにはいかないな」
 物陰にひそむ覗き屋たちの焦燥には全く気付かないまま、チェシーは余裕たっぷりに含み笑っている。
「まるで子供のように恥ずかしがって、頬を染める君を目の前にして。可憐でいて、妖艶だ。声を聞けば聞くほど、君が欲しくなる。……くちびるを私にゆるしてくれるね? 男を酔わせて、焦らせて……その気にさせる。まるで恋の魔女だ、君は」
「ぁ、ぁん……サリスヴァールさま……そんな……恥ずかしい……っ」

「だ、だ、だめーーーーっ!」
 あまりのことにニコルは取り乱し、隠れていたことも忘れて、頭に葉っぱをくっつけ、両手にニンジンとカブを持った素っ頓狂な格好で飛び出した。
「それ以上はだめーーーーーっ!!!」
「し、師団長っ!」
 サリスヴァールに半分、というかほとんど脱がされかけていた女性兵士が悲鳴を上げて跳ね起きた。細腕の一本や二本ではとても隠しきれない豊かな胸をかき抱いてあとずさり、青ざめる。
 ザフエルのしかめっ面が、たぷんたぷん揺れる胸の谷間にぐぐぅと吸い寄せられた。
「こらーーっ!」
 ニコルは思い切りザフエルの耳を引っ張った。
「どこ見てるんです!」
「あ、あんたらこそ何やってるんだそこで」
 さすがに驚いたのか呆然としているサリスヴァールを後目に、ニコルは女性兵士につかつかと歩み寄った。
「それはこっちのセリフです! ……フェリシア上等兵」
 いきなり呼びつける。女性兵士が涙に濡れた眼をすくませた。
「は、はい」
「もっと自分を大事にしなくちゃだめじゃないですか! こんな奴の口車に乗せられたりなんかして」
「申し訳ございません……!」
 女性兵士はそこらじゅうに散らばった服を拾い集め、あわてふためいて逃げていった。
「あんたもさっさと服を着ろっ!」
 ニコルは後ろを向いたまま真っ赤な顔で怒鳴った。
「いいところだったのに」
「悪いところだらけじゃないですか!」
「覗き魔の分際で何を言うか」
 苦笑しながら、サリスヴァールはベンチに放り投げていたゾディアックの軍装に腕を通した。
「フェリシアというのか。良い名だ。それに」
 にやりと唇に指を触れ、狼のように舌なめずりして含み笑う。
「……なかなかセクシーだ。いずれ改めてお相手を願うとしよう」
 野性味あふれた目つきだった。思わずぞくりとする。
 ニコルは青ざめた。
 危険だ。あまりにも危険すぎる。ちょっとでも目を離せばこの男、それこそ師団中の女性という女性を片っ端から口説いてしまいかねない。羊の群に餓えた狼を放つようなものだ。いたいけな美少女兵士たち(注:怪力自慢の”元”美少女も含まれます)が次々サリスヴァールの毒牙にかかる(注:かどうかは定かではありませんが)などということになったら。

 ……想像するだに怖ろしい。まさに悪夢だ……!

「だめ! 却下! 許可しません! 差し戻し!」
 頭がまだ、熱気に圧されてくらくらとしている。ニコルは必死に平静を取り繕いながら反撃した。
「だいたい何で勝手にウロウロしてるんですか。自室で待機って言ったでしょう」
「そんなに怒るな。別にいいだろ。しゃれた大人の会話を楽しむぐらい」
 チェシーはまたにやりとした。
「恋の駆け引きは騎士として当然のたしなみだ」
「だからってどうしていきなり駆け引きになるんです」
 ニコルはうがーっとばかりにかみついた。
「どうせ名前も聞かず出会い頭に痴れ言かましたんでしょう。『君に出会えたのはきっと神の導きにちがいない私は神など信じないが今この瞬間だけは美と愛の女神に感謝しなければな』とか言って」
「ぐっ」
 どうやら図星だったようだ。ニコルは勢いに乗って続けた。
「少しは自制して下さいこの女たらし。すけべ。嘘つき」
「やかましい」
 矢継ぎ早に言われカチンときたのか、チェシーは腹立たしげに言い返した。
「いくら私に落ち度があったとはいえ、謂われなき誹りまで受ける筋合いはない。女たらしやスケベはともかくとして」
 ……否定しないのもどうかと思うが……。
「嘘つきとは聞き捨てならないな。どういうことだ。聞かせてもらおうか。私がいつ嘘をついた。それとも」
 精悍な眼がにやりと光り出す。悪辣な笑い方だった。
「まさか君、妬いてるんじゃあるまいな」
「ぅぇっ」
 突飛すぎる指摘にニコルは虚をつかれ、あからさまにうろたえた。
「ど、ど、どうして僕が貴方なんかにやきもちやき、やきゃ、やかないといけないんでですか」
「何ですと『閣下サリスヴァールに嫉妬中か!?』」
 すかさずザフエルがポケットからいつもの「ニコルマル秘メモ」を取り出し、何やら書き込もうとする。
「誤解されるようなことを書くな」
 チェシーはザフエルの手からすばやくメモを取り上げた。ぺらぺらとめくる。
「こりゃ凄い。だがまあ、私のことじゃないからいいか」
 そう言いつつ、最後のページだけをびりっと破り取って丸め、後ろへ放り投げる。
「そういう問題じゃないでしょう!」
「そう言う問題なんだよ」
「チェシーさんの場合は遊びすぎなんですよ。もう少し反省したらどうなんですか!」
「大は小を兼ねるというぞ」
「過ぎたるは猶及ばざる如しの間違いでしょ」
「だが食うだけなら犬でも食うんだ」
 チェシーは開き直った。
「人生はスリルだ。人妻だ。未亡人も捨て難いが」
 チェシーは爽やかにうそぶいた。
「何というか情熱的だ。この間なんていきなり」

「いきなり、何です」
 ニコルはひくく言った。手が震えている。
「あ、いや」
 チェシーはまじまじとニコルを見下ろし、やや気まずそうに口ごもった。
「これは失言だった」
「いい加減にして下さい!」
 ふいに虚しい怒りがこみ上げた。
「人妻話でも何でも勝手にしてればいいでしょう」
 突き放したニコルの声に、さすがのチェシーも笑みを引っ込めた。
「ニコル」
「こんな脱走まがいの騒ぎを起こしておいて。どれほど皆が心配したと思ってるんですか。僕だって」
 冷静に言い放ったつもりが、語尾が甲高くふるえ、途切れた。声がのどにつまる。
 ニコルはいきなり顔をそむけた。
「ザフエルさん。出かけます。馬を用意しといてください」
 言い捨てると、ニコルはザフエルの返答すら待たず、まるで逃げ出すかのように駆け去っていった。

「やれやれ」
 チェシーはため息をついた。
「本気で怒ってるな、あれは」
 消えていくニコルの背中を、どこか眈々と見送る。ザフエルが静かに応じた。
「笑い事では済みませんな」
「ああ」
 油断していたとはいえ、いつの間にかザフエルに背後を取られている。
 チェシー・サリスヴァールは振り向けないまま、わずかにくちびるを苦々しい笑いの形につりあげた。
「……あんたの、その殺気もな」

 ザフエルは答えない。ただ腰の黒剣にのみ手を這わせ、底知れぬ無情の眼で低く身構えている。
 チェシー・サリスヴァールは大儀そうに手を上げ、頭の後ろで組んだ。
「確かに浅慮だった。それは詫びる」
 総毛立つ戦慄を巧妙に塗り隠し、笑う。
「だが他意はなかった。フェリシアとかいう女性もゾディアックとは無関係だ。それだけは信じてくれ」

 薄ら寒い風が、首筋をざわりとかすめていく。

「……後でニコルにも詫びを入れに行く。それでいいだろう」
 返事はない。
 振り向いたそこにはもう、誰の姿もなかった。いつのまに消えたのかも分からない。
 チェシーは気をゆるめ、安堵の短い吐息をもらした。本来なら《栄光のティワズ》を二連装備しているはずの手首を、感慨深げに握り押さえる。

 ふたたび、さあっと風が巻きおこった。
 夢みがちに揺れていた白い花房が、一斉に横方向へ吹き流された。無数の花びらが音もなく舞い散ってゆく。
「……風が強いな」
 チェシーは目の前にぶら下がった花の実を乱暴に引きむしった。濃い紫色の実が、ばらばらと指の隙間からこぼれ落ちる。
「ザフエル・フォン・ホーラダイン、か」
 ――この世界で唯一、《破壊》のルーンを手にする人物。
 地面にちらばる花の実を、含みありげにながめて。
「なるほどな」
 無造作にブーツで踏みにじる。黒い汁がにじんだ。
 チェシーは不敵な眼差しをもたげ、つぶやいた。
「さては、見透かされたかな」



 ニコルは執務室に飛び込んで扉を乱暴に閉めた。
 そのまま壁にもたれ、額を押さえて大きく息を吐き出す。
 分からない。
 チェシーの取った態度。傲慢で、横柄で。本当にむかむかと腹が立って、許せなくて仕方がないのに。

 涙が出そうだった。

「……師団長ーっ!」
 突然、ばたばたと甲高い声が近づいた。
「お出かけの準備はお済みですかっ!?」
 ニコルは驚いて壁から身を浮かせ、我知らず浮かんでいた涙をぎゅっと拭った。
 従卒のアンシュベルがリュックを手に駆け寄ってくる。従卒といっても軍務にはつかず、ニコルの身の回りを世話して――引っかき回してくれるともいう――十五になったばかりの子だ。
「ご、ごめん、寝ちゃってたよ」
 わざと大あくびの真似をし、目をごしごしと両手でこすってごまかす。

「それはいけませんですうっ! 急がなくっちゃだめじゃないですかホラぱんつサンにはぶらしサンにそれからえっとー」
 アンシュベルは、ニコルの様子に気付かないまま、こまねずみのように部屋から出たり入ったり、ぐるぐると走り回った。あれでよく目が回らないものだ。
「アンシュベル、そんなに急がなくても大丈夫……」

「えうっ!」
 言いかけたとき、いきなり何もないところでアンシュベルは盛大にずっこけた。
 手に持っていた着替えやら小物やらを、ものの見事にばらまく。
「きゃーーーっ!」
「うわあっ」
 起きあがろうにも何をどうすればこんなことになるのか、スカートが頭の上でぐるぐるにからまって、酸欠の金魚みたいに床でじたばたしている。
「起きれないですっ! どうなってるですーーっ!」
「……それよりこのパンツどうにかして……」
 降ってきたピンクのしましまトランクスをあみだに被ったニコルが情けなく訴えた、そのとき。

「ニコル、邪魔するぞ」
 いきなり部屋のドアが開いた。ノックもせずにチェシーが顔を覗かせる。
「謝りに来た。さっきは悪かっ……」

 時間が凍りつく。チェシーはドアノブに手を掛けたままの状態で動かなくなった。

「……あ、あの」
 おそるおそる声をかける。
「……チェシーさん?」
 返事がない。
 汗がたらたら流れ出した。
「ええとですね、これにはその、いろいろと訳があって……」
「ニコル」
 チェシーは押し殺した声をあげた。
「……は、はい」
 何を言われるかと身を固くしたニコルの目の前で。
「邪魔して悪かった」
 チェシーはいきなりドアをばたりと閉めた。

「チェシーさん!」
 ニコルは悲鳴にちかい叫びをあげて、閉まりゆくドアにすがりついた。
「変な誤解しないでください!」
「パンツ被る趣味があったとはな」
 くっくっと皮肉に笑う声が聞こえた。
「これはもう、ホーラダイン中将に教えるしかないな」
「うえっ」
 絶句する。
「彼の秘密メモは相当ヤバイぞ。間違いなく全面ぶち抜きで書かれるな。『ニコル師団長、変態趣味発覚!』」
「な、な、何……」
 ふらふらとよろめく。
 あの男ならやるかもしれない。いいや、絶対やる。それこそ鬼の首を取ったような勢いでゴシップ怪文書をばらまいて歩くに違いない。
「うあああああ……」

 これは悪夢だ。
 悪夢に違いない。
 悪夢であって欲しい……!

「それが嫌なら先ほどのあれを取り消せ」
 わずかにドアが開く。薄暗い隙間からチェシーの目だけがにやにやと凶悪に光っていた。
「さもなくば永遠に誤解し続けてやる」
「チェシーさん」
 ニコルは低く呻いた。
「あなたって人は……!」
「何とでも言えコスプレマニア」
「マニアって言うなあっ!」
「じゃあもっと言ってやる。変態。悪趣味」
「あうっ」
 言葉がぐさりと胸に突き刺さる。
「チョビヒゲ。覗き魔。金魚フェチ」
「うぐっ」
「……やきもち焼き」
「妬いてません! 妬いてないってば!」
「ほほう」
 喜色満面、まさに悪魔の笑みだった。
「……そっちの気か。第一面差し替えだな。『ニコル師団長ホモ疑惑!』 だが私にだけは惚れるなよ。ホーラダイン中将が待っている」
「違う違うちがあああああーーーう!」

 かくてニコルの悲痛な叫びは、魔王のごときチェシーの高笑いと幾重にも重なり合い響きあって、「またかよ…」という兵士たちの嘆息を引き起こしつつ、城塞じゅうにいつまでも、いつまでもこだましていくのであった……。

……対チェシー戦。本日も惨敗なり……。

【第2話 終】
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