「ゆらむぼ」こと由良博英の兄、由良繁久と申します。 心ならずも、今日は皆様に悲しいお知らせをお伝えしなければなりません。 弟、「ゆらむぼ」は去る11月19日夕方、バイクを運転中、突然襲ってきた「くも膜下出血」により意識を失いました。転倒しているところを近隣の小学生に見つけ られ、すぐさま救急車にて隣町の病院に搬送されましたが、5時間に及ぶ手術の甲斐なく、21日午前0時過ぎ、この世を去りました。 当サイトにアップされている、ショルティのブラームス1番のコメントが絶筆となりました。 救急車で搬送される途中、弟がうすれてゆく意識の中で父に語った最期の言葉は「自分が死んだら、ベートーヴェンをかけて欲しい・・・」というものでした。 音楽の好きな弟らしい言葉でしたが、今となってはそれが何という曲かはわかりません。しかし、数日前から、私との会話の中で、四重奏曲についての話題が上ることがしばしばあったので、その後期作品の緩叙楽章のいずれかだったのかもしれません。 |
当HPで、「ゆらむぼ」こと由良博英の告別式のお知らせをしましたところ、ご多忙中にもかかわらず、遠路はるばる多くの方々にご参列をいただき、家族一同、本当に感謝の意に耐えません。 また当掲示板に、こころ暖まる数々の追悼のお言葉をお寄せいただいた皆様、たいへんありがとうございました。 さらに、ネット葬に寄せられた弔辞も膨大な数に及び、何とお礼を申しあげてよいやら言葉もございません。 本来なら、お一人お一人にお礼を申しあげなければならないところですが、このような形でお礼を申しあげる失礼をお許し下さい。 告別式は、救急車の中で語った博英の最期の言葉、「死んだらベートーヴェンをかけて欲しい・・・」という遺志により、安らかで清浄なものをと考え、虚礼を廃して、家族、近親者とごく親しい友人、そして音楽を通じてご懇意にしていただいた方々に見送っていただけたら・・・という家族の願いを込めた形式で行いました。 弟、博英の願っていた楽曲が、ベートーヴェンの何という曲だったのかは分かりませんが、私は弦楽四重奏曲第13番のカヴァティーナ、第16番のレント・アッサイ、そして最後のピアノソナタのアリエッタのいずれかではなかったかと推察し、その3曲を流すことにしました。 演奏は死の数日前、弟が「これが一番好き」と言っていたグァルネリ四重奏団と以前弟に薦められたことのあるジョン・リルを選びました。 博英の45年の生涯は、今の社会の価値観で言えば、確かに華々しいものではなかったかもしれません。 しかし、不器用で、数多くの「お金にならない」文章を書き続けた博英を家族親族全員、誇りに思っています。 ことに、好きだったドボルジャーク(ドボルザークと書かないのがこだわりでした)については、日本国内でも、こんなに多くのCD録音を聴き込み、コメントを書いた者は他にいないでしょう。 また、先入観を捨て、巨匠と言われる人も無名に近い演奏者も同等に「ゆらこめ」で取り上げていました。 火葬場を去る車中で、「『棺を蓋いて事定まる』(人の真の評価は、死後はじめて決まる)と言うけど、ほんまやのう。」と語った父の言葉が、印象的でした。 戒名は異例ではありますが、和尚様に頼む前に、父と下の弟が相談して、「響楽博英居士」と決めました。 最後の書評では「私もうつ病だ。」と書いておりますが、社会という枠組みに適応できない自分に悩んでいたというのが、本当のところではなかったかと考えています。(この見解については、私も父も博英の生前から一致しておりました) そうでなければ、これほど多くの文章を書き続けられるものではないからです。 最後のふた月ほどは、実家の栗園の仕事を手伝ったり、よく声を上げて笑っていました。 くも膜下出血に倒れる数時間前に書いた、No.628の「ゆらこめ」もなんと平明な文章でしょう。 そのカラリとした明るさに、私はかえって涙を禁じえません。 弟と父と私がよく通っていた「薬草風呂」でも、弟は年配の常連さんたちによく話をするので、とても可愛がられていました。 倒れる2日前には、博英の提案により、下の弟と3人で居酒屋で夜遅くまで飲みました。 そのときの弟の無邪気な笑い声を、わたしは生涯忘れることが出来ないでしょう。 弟の遺品となった、おそらくは数万枚はあるであろうと思われるCDは、私が時間をかけて整理し、聴いていきたいと思っています。 なお、このHPは今後しばらくは継続したいと思っておりますので、皆様が音楽を楽しむ一助としていただければ幸いに存じます。 また、「ゆらこめ」については、弟の遺した貯金で何とか自費出版できないものかと考えております。 その編集に際しましては、同好の皆様よりご助言など頂ければ、幸甚に存じます。 皆様、本当にありがとうございました。 由良繁久(「ゆらむぼ」こと由良博英の兄) |