グリークのピアノ協奏曲は、北欧の抒情的な旋律に溢れた親しみやすい作品ですが、音楽の持っていきかたというのか、それが先立ってあるシューマンの同じ調性の協奏曲によく似ているために、芳しくない評のされるのをよく見かけます。たとえば、吉田秀和さんの「LP300選」(新潮文庫)では「私たちはもう彼の『ピアノ協奏曲』も、卒業してよいころではあるまいか?これはシューマンのそれにならったもので、別にわるい作品とはいわないが、いかにも亜流だ」と、ずいぶんと手厳しく書かれています。
旋律の断片に似たフレーズが出るという皮相的な類ではなく、むしろ旋律そのものは似たものはなくて、ドラマ仕立ての方法をシューマンのそのままに換骨奪胎し、グリークが自身の旋律を嵌め込んでいったという趣きが、この協奏曲にはあります。それが、確信的に行われているという印象も免れないところでしょう。無作為に影響された部分の類似より、構造をそっくり拝借してきたところに、より罪深さを思わせるのかもしれませんね。でも、亜流とまで言うのは、少し穏やかではないと私は感じます。
自己流を形成していく過程で、換骨奪胎を試みるのも、また、エクササイズの方法のひとつでしょう。結果として、グリークはミニチュアリストとして知られる作曲家とはなったけれど−ヴァイオリンやチェロのソナタ群も聴き落とせません−、ピアノ協奏曲で得た手法も、自身に還っていることでしょうし、理屈は抜いて、実際、この曲も充分に魅力的な作品ではないですか。己の願(がん)さえしっかり見据えていれば、時に先人の真似ごとをやってみるなかにも、きっと得られることはあるのだと思いますワ。
CDも、シューマンの協奏曲と併録されたものが、圧倒的に多いですね。私の好んで聴くのは、ルプー/プレヴィン/ロンドン響と、ペライア/C.デイヴィス/バイエルン放送響あたりです。いずれも、独奏、オーケストラともに冷涼な抒情を大切にした、清楚で明晰な味わいのある演奏。シューマンも、よし。ヴァイオリン・ソナタ(全3曲)も、デュメイ/ピリスの盤をあげておきましょう。ううん、しかし、こうして書く話題が同工異曲、自分自身の持っていきかたの亜流を重ねる憾みもあるけど……まあ、それもいいか。
●参考CD
○シューマン:ピアノ協奏曲イ短調作品54、グリーク:同イ短調作品16
・ルプー(ピアノ)、プレヴィン指揮、ロンドン響(Decca) →♪amazon.co.jp
・ペライア(ピアノ)、C.デイヴィス指揮、バイエルン放送響(SONY) →♪amazon.co.jp or →♪amazon.co.jp
○グリーク:ヴァイオリン・ソナタ全集(全3曲)
・デュメイ(ヴァイオリン)、ピリス(ピアノ)(Deutche Grammophon) →♪amazon.co.jp