"Frei aber froh." ブラームスが若いころからモットーに唱えていたことばとして知られているものですが、この"aber"という接続詞が私にはよくわからずにいました。「自由に、しかし、喜びをもって」あるいは「自由に、しかし、楽しく」などと訳されていますが、なぜ"aber"という逆接なのか、これでは文意がつながらないではないか、と思ったわけですね。自由であってなお、ベートーヴェンの第9のテノール独唱のごとく、"Froh! Froh!"と歌いたくなるわけだから、ここは"und"でいいではないかと。
aber、しかし、ウェブを検索していて「心のままに、しかし、豊かに」と訳されている文を見つけ、なるほどなという思いがしました。ブラームスというひとは、不用意な言葉で平気でひとを傷つけることがあり、また、無神論者であって厭世的な哲学に惹かれるところもあったようですから、「心のままに」おいておけば、自然、ネガティヴに志向してしまう意識が、自身にあったのではないでしょうか。だから、「しかし」豊かに楽しく喜びをもって…と導かれるのではないかなと、これは私の憶測ですけれど。
交響曲第3番の第1楽章の冒頭、第1主題はこのモットーに基づいた「F-Ab-F」というモチーフに始まります。本来、ヘ長調であるところが、初っ端からヘ短調に揺れているあたりが、なんとなく上の私見に交えて意味深く思われるのですが、そこまで書けば穿ち過ぎですか。マッケラス指揮、スコットランド室内管による、当時の演奏スタイルに拠った、声部のすっきり澄んで見える解釈を、いま聴いていました。ことに木管群の重なりの聞こえが清々しく、スコアを透かしてみるふうな爽快さがあります。
「世の中がどう動こうと、私の知ったことではない。だが、自分が付き合いづらい人間だと思い知らされることが、あまりに多すぎる。その結果に耐えることに、私は馴れつつある」と、ブラームスは語ったといいます。開き直りの弁なのか、否、それを持て余す自身への諦観をみるべきなのでしょうか。ただ、4つの交響曲のなかでは韜晦さのあるこの3番に、晩年のヴィオラ・ソナタなどに聴く孤高な明るさを重ねると、"Frei aber froh."の意味が、ほんの少しだけれど私にはわかるような気もします。
●参考CD
○ブラームス:交響曲全集、交響曲第1番第2楽章の初稿、大学祝典序曲、ハイドンの主題による変奏曲
・マッケラス指揮、スコットランド室内管(米TELARC 3枚組) →♪amazon.co.jp
※全集単位で持っておいていい優れた盤だと思います。交響曲第1番第2楽章の初稿、というのも貴重です。
※「世の中が〜」の一節は、ショーンバーグ著、亀井旭・玉木裕共訳「大作曲家の生涯」(共同通信社)より。