演奏者の立場に立って、ショパンとバッハのピアノ曲のいずれを弾くのがむつかしいだろうかと考えるとき、技巧的なことでは前者になろうけれど、その深遠さを掘り起こす意味では、後者、バッハが手強い。という意見はよく聞くところですが、そんな安易なことは言えないと私は思うのですね。楽譜を見れば、バッハはその整然と並ぶ音符に、むしろ「なめんなよ!」というオーラを発しているのが感じられて、距離を見極めやすいというのか、ピアニストも覚悟を決めてかかる姿勢もできそうに思う。
けれども、ショパンの音楽というのは、一見、楽譜の上にお膳立ての揃った、至れりつくせりのようなものに見えます。技巧的には確かに厄介なのですが、熟達した腕前で、少々の情熱を加味して弾きあげれば、体裁よくできそうだという。ここに、この作曲家の音楽の持つ、演奏者、強いては聴き手への陥穽があると私は思います。ショパンの詩情を、この音符の並びの誘惑に酔わず、凛と引き立たせるのは、先のバッハとの比較の話をいまひとつ進めたところで、むつかしかろうなと私は感じます。
アラウのショパンは、流麗というのではない、打鍵のひとつひとつが明るく確かな粒を具えた、晴朗とした解釈です。それでいて厚みがあり、ロマンティックな振幅も示す。夜想曲第1番の冒頭の入り、リズムを少しタメて、瞬時、音色をフワリと交替させますが、これ、酔ったピアニストがやると、鼻持ちならないものになるでしょうね。有名な遺作20番の甘いメロディにしても。バッハでも気高い音楽を聴かせましたが、果たしてそのアラウにあってこそ、このショパンであろうなと想わせるものがあります。
ときどき、若いピアニストのリサイタルを私は聴きに出かけますが、バッハ、あるいは独墺の古典派やロマン派の作品では、その奏者なりの個性的な工夫の凝らされたおもしろいものであっても、ショパンを弾くと、「充分にピアニスティックだけれど、その枠から超えて出てくるもんがないんやな。そういうもんなんやという限りのなかで華麗に舞うショパンやな」と、残念に思うことがあります。複雑なまといを持つものから、それに溺れず、ピュアな詩心を汲み取るのは、むつかしいことだと思いますね。
●参考CD
○ショパン:夜想曲集
・アラウ(ピアノ)(PHILIPS)(1枚物 選集) →♪amazon.co.jp
・アラウ(ピアノ)(PHILIPS)(2枚組 全集) →♪amazon.co.jp
○J.S.バッハ:パルティータ第1〜3、5番
・アラウ(ピアノ)(PHILIPS) →♪amazon.co.jp