●No.540 J.S.バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ(全6曲)(メルクス(vn)、ドレフェス(hrps))。(2004/01/10)

 いまは消してしまったけれど、4年前の秋に「ゆらのあな」に書いた話。「ヴァイオリンとは、あらっぽい言いかたをすれば、湾曲した木製の胴体に棹が伸び、その4本の弦を弓に張られた毛で擦りながら音を鳴らす、原理としてはさほど凝ったものではない楽器のように思える。しかしその一丁をもって、バッハはこの崇高な『無伴奏』を書き、優れた奏者たちが、深く彫り込まれた様々な思念の錯綜する有機的な世界をここに構築する。それは、マーラーの大交響曲の表現するものにさえ劣らない。」

 このころ私は調子がよくなかったらしく、つづけて「『鬱』が来て『ああ、生きて何の意味があろうか』と沈むとき、私はこのバッハの『無伴奏』のヴァイオリンを思い出す。単純なその楽器さえ、あれだけ雄弁な表現の術を具えている。しかし、私は『人間』というもっと巧妙で複雑な楽器を与えられていながら、何を奏でようとしたであろうか。」などと、シンミリと高尚なことを書いています。いまのお気楽な「ゆらのあな」とはずいぶんと違う。うな垂れる自分を叱咤し、奮い立たせようとしていたのでしょう。

 しかし、そういう時期にあっては、チェンバロのオブリガート(助奏)のついたものを聴くのがよいとも、いまの私なら思いますね。深遠な世界に誘う、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ(全6曲)は、音楽史上の最高の遺産であることは誰しも疑うところではありません。それに比べると、チェンバロ付きのものは、助奏者を得て、打ち解けた気軽さが感じられます。それでいて、サロンに供するのみの安直な機会音楽ではなく、柔らかな哀愁をもって聴く者に寄り添う、優しさを漂わせます。

 新年の初めから、少し神妙な話になりました。でも、明るい気分で年を越したひとばかりでもありますまい。世間の慶賀の雰囲気との対比が際立ち、ますます気の沈むひともいるでしょう。まあ、無理に自身を鼓舞させようとしなくてもいいではないですか。助奏が自立を損なうものではなし、否、むしろそうして初めて輝く−それは助奏者にとっても−新たな自分のおもしろさが見つかるのではないかしら。大バッハのこのソナタ集のように。堅牢なメルクス盤、甘美さのあるコーガン盤を取りましょうか。

●参考CD

○J.S.バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ BWV1014−1019(全6曲)
・メルクス(ヴァイオリン)、ドレフュス(チェンバロ)(日ユニバーサル POCA-3083/4 原盤:ARCHIV) →♪amazon.co.jp
・コーガン(ヴァイオリン)、リヒター(チェンバロ)(日コロムビア COCO-70541-2 2枚組)  →♪amazon.co.jp

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バッハ:VNソナタ全集
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バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ全集 [LIMITED EDITION]
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