タオの日記
ジョン太の夫が書く日記。
夫婦で一緒に居ても、思うことはそれぞれ。
同じこと考えてたり、なかったり、そんな普通な毎日です。
今朝、新聞で面白い記事を読んだ。
左右逆に映らない鏡を考案した人がいるという。
実用新案を取得したと記事には書いてあった。
鏡は左右逆に映るものという常識をくつがえす発明だ。
そんなことができるのかと驚いたが、それ以上に驚いたのが、仕組みがとても
簡単なことだった。子どもが偶然発見しても不思議じゃないくらい。
なぜ今まで誰も気がつかなかったんだろう。
「正映鏡」というその鏡(ネーミングは今イチ)は、2枚の鏡と1枚の透明ガラスを
組み合わせた三角柱。2枚の鏡は直角に組み合わせ、残り一辺が透明ガラスで
これが正面になる。その三角柱の中に水を入れるのがポイントで、そうすることで
鏡のつなぎ目を消し、くっきりと左右正常な姿を映すことができるのだそうだ。
発明というよりは、どちらかといえば工作に近い感じだ。
誰でも出来る、でも今まで誰もヒラメかなかった。
その事実が、私の想像を刺激する。
人類の歴史は、発明の歴史でもある。私達の暮らしは、その積み重ねの上にある。
最新のテクノロジーは、過去にヒラメいた発明を応用して、発展させてきた結果だ。
もし最初に発明した人がヒラメかなかったら、現代はどうなっていただろうか?
きっとその発明は、遅れて他の誰かが到達できるのだろう。
しかし、もしかしたらそのまま誰も気づかないままかもしれない。
もしそうならば、人間は必ずしも正統な進化をしてないと考えることだってできる。
本来ならば何百年前に発明されていておかしくないものが、まだ誰も気づかないまま
残っているかもしれない。進化の過程で発明されるべきものを、先人は残さず
発明できたのだろうか?そうではないと考えるほうが自然のような気がする。
世の中はどんどん高度化していくけれども、進化の途中でヒラメかなかった発明が
まだどこかに残っていて、それが出てきた時、世の中は大きく変わるかもしれない。
今の技術の延長ではなく、全く違った発想で「誰でも分かる、でも今まで誰もヒラメか
なかった」ことを、いつか誰かがひらめく時が来るだろう。
そんなことを想像すると気持ちが大らかになる。
未来に夢を持てるような気がするのだ。
最近ジョン太のテンションは下がっている。
先日、手伝いで来ていたお義母さんが帰り、平日の昼間は一人でユースケの
世話をしなければならなくなった。育児をしながら、家事もする必要がある。
単純に考えれば、やるべきことが倍に増えている。実際は同時にしなければ
いけないこともあるから、きっとそれ以上に大変だろう。
最近ユースケはよく泣く。生まれたばかりの時は、なぜ泣くか分かりやすかった。
お腹がへったか、オムツを替えてほしいかどちらかで泣いていた。
最近はそれに加えて、眠れなくてグズって泣くのと、抱っこしてほしくて泣くという
パターンが出てきた。
これが困りものなのだ。キリがないからである。
ミルクを飲ませるとか、オムツを替えるといった解決手段はなく、
ただ抱っこするしかない。抱っこすると不思議と泣き止む。
眠るまで抱っこしなければならないことも多く、それだけでかなり疲れてしまう。
3時間おきにミルクを飲むので、それもまた大変だ。ミルクを飲むサイクルと、
眠りのサイクルは同じではないので、タイミングによっては、けっこうきつい時が
ある。例えば、ミルクを飲ませた後もずっと起きてて、布団に寝かしつけると
泣き出して、仕方がないので抱っこして、そのまま寝なくて、3時間後にはまた
ミルクを飲ませるといった具合である。その間は何も出来ない。
ほぼ3時間おきにミルクを欲しがるので、24時間体制となる。夜中に1〜2回は
ミルクを飲ませなければいけない。これもかなり疲れる。赤ちゃんのことを考えると
いつでも心配なので、自然に眠りも浅くなり、寝不足にもなる。ただ、今のところ
夜中にあまり泣かないのは救いではある。
ユースケも生まれてもうすぐ1ヵ月になる。考えてみればこの時期の育児が一番
つらいのかもしれない。体力的に疲れることもあるけど、いろいろ制限が多いこと
もつらい。首が座るまでは外出もままならないし、家にずっと居れば、ストレスも
たまる。しかし一番つらいのは、赤ちゃんの反応がまだ少ないことだと思う。
愛情を注いでも、それが返ってくることはない。声を出して笑ったり、喜んだり、
そんな反応を見せるのはもう少し先の話だ。可愛いのだが、今はまだミルクや
オムツや抱っこを、泣いて要求するばかりである。自分のことを親だと分かって、
反応するようになってくれれば、うれしくて疲れも吹っ飛んでしまうような気がする。
もう少し長い目でこの子を見ていきたい。
例えるなら、今はまだ「種」の時期といえる。毎日水やりしても何も変化は
見えない。だけど見えないところで、どんどん成長しているはずだ。
水やりするからこそ、やがて「芽」が出て、将来「花」も咲く。
それを楽しみに、今は水をやり続けることにしよう。
もうすぐ目に見える変化があるよ。
Fくんの結婚式に出席した。Fくんは大学時代のサークルの後輩である。
サークルでは宴会の切り込み隊長として、よくみんなを笑わせてくれた。
顔に似合わずちょっとボンボンなところもあり、素朴で、人柄の良さを
感じさせる人物でもある。
さて、今回の披露宴は福岡の大きなホテルで行なわれた。
広すぎて迷子になりそうなほどである。あちこちに披露宴の出席者らしき人がいる。
新郎新婦が何組か、目の前を忙しそうに歩くのを見かけたりした。
掲示板には披露宴の予定がびっしりと分刻みで書いてあった。
ホテルの人に聞いてみると、なんと今日は21組の挙式があるらしい。
そりゃもう大騒ぎってなもんである。
大きなホールをいくつかに区切って、時間を多少ずらしながら、それぞれの披露宴が
進行されている。もちろん配慮は十分されていて、隣の音が聞こえるわけではなく、
気にならないし、ふつうは気がつかない。しかし、すぐ隣でも同じように披露宴が
行なわれていることを考えるとちょっと不思議な感じだ。
ていうか、実際私は披露宴会場を間違えてしまったのだった。
披露宴も中盤、お色直しで新郎新婦が退場したので、私も席を立ち、トイレに行った。
戻ってみると新郎新婦はすでに席に着いている。しまった!再入場の場面を
見逃してしまったかと、急いで席に戻ろうとしたが、なんか雰囲気が違う。
宴もたけなわといった感じなのである。ステージを見るとカラオケを歌おうと
してる女の人がいる。あれ?と思いながらもテーブルに戻ろうとしたら、
そこには見知らぬ人たちが??そして高砂を見ると、そこには見知らぬ
新郎新婦が??ようやく会場を間違えたことに気がつき、あわててそこを出た。
かなり恥ずかしい出来事だった。
もうひとつエピソード。新婦が、両親への手紙を読む場面でのこと。
両親への感謝の言葉を綴った手紙を読む、あれである。
ステージに両家の両親がいて、その対面の高砂から降りたところに新郎新婦がいる。
新婦が、ステージの両親に向かって手紙を読み上げる。
感動のシーンである。うんうん、良い話だなとみんなうなずきながら聞いていた。
新婦が手紙を読み上げ、次は両親への花束贈呈となる。
これからフィナーレだと誰もが思ったその時、なんと新郎が泣いていたのである。
新婦の手紙で、新郎が泣いていた。目頭押さえて、男泣き。
お・ま・えが泣くなー!!会場は大爆笑。
ぐっとなごやかな雰囲気になったのは言うまでもない。
そしてラストエピソード。新郎の挨拶。
「これまでにも話が出てきました通り、私たち2人は趣味が全く合いませんが・・」
ここでまた感極まって泣いてしまう。(泣くな、F〜!)とみんなから声援。
ようやく振り絞って出た言葉は「どうも、ありがとうございました!」
いきなり締めの言葉かい!途中ぶっ飛んでるし。気になるだろ。
先行き不安な言葉を残して、新郎の挨拶は終わった。
そんなわけで、途中笑わせてくれる場面もあったが、
それもFくんの人柄を感じさせる、楽しい披露宴であった。
得意先でいつもお世話になっている人の義理の母(奥さんのお母さん)が
亡くなったということで、先日そのお葬式に出席した。
私の親戚筋ではなく、会社関係としてお葬式に出るので、故人のことは
何も知らない。お寺に着くまで、亡くなった人の名前も分からないまま
だったという、このテイタラクである。
亡くなられた方は高齢だったため、葬儀に参列する人たちもお年寄りが多い。
こういうお葬式というのは正直少しだけホッとする。やはり天寿をまっとうするに
勝るものはない。悲しいことではあるが、それが運命だったと、みんなが素直に
受けとめている雰囲気を、感じることができるからだ。
喪主の挨拶で、故人の生い立ちが語られるのを聞いて、故人の一生を思い、
冥福を祈った。
葬儀が終わり、出棺すると、集まっていた参列者は三々五々散らばってゆく。
その中で、2人のお爺さんが、私の記憶に強く残った。
一人のお爺さんが、もう一人のお爺さんに手を差し出し、
「元気でな!また逢おう」と言い、力強く握手をして別れた。
「ああ、かっこいいな」と私はそのとき思ってしまった。
きっと今の私なら照れて出来ないことだが、いつか気負わずに
こんな言葉が自然に言えたらいいなと思う。
友とのつかの間の再会を喜び、そして無事を祈る。気持ちの良い光景だった。
そしてそう思うと同時に、おそらくはこういった機会にしか再会できない
皮肉さに、しばし思いを寄せて寂しい気持ちにもなった。
春の風がこころなしか強い、そんな午後のことだった。
先日まで寒の戻りで冷え込んでいたが、今日はようやく春の兆しも見え始めた。
そんな天気の良い午後、出生届を提出した。
命名に関しては、今年になってからずっと考えていた。
「呼びやすい名前」で「易しくて読み間違えられない名前」をポイントにして、
名前の候補が挙げられた。しかし、お互い気に入る名前というのは少なくて、
いろんな名前が浮かんでは消えていった。そんな中、最初から候補として挙げられ、
最後まで残った名前がひとつだけあった。私たちはその名前に決めることにした。
無理にあれこれ考えるよりも、自然に気に入った名前を付けるほうが良いのだろう。
子供が産まれて数日後、彼女が「名前どうする?」と聞いてきたので、
「やっぱりあれかな」と私が答えて、名前が決まった。あれだけ悩んでいたのに、
名前が決まる瞬間というのは、驚くほどあっけなかったりする。
でもそのことがとても自然な成り行きのように思えた。
名前を決めるに当たり、私は母に、私の名前が命名された時のことを聞いてみた。
名前の由来は知っていたが、母は今回こんなエピソードを教えてくれた。
私の名前は、父が自分で決めて、誰にも相談せず、出生届を出してきたらしいのだ。
私の兄の時は、母と祖母が名前を考えたので、私のときはどうしても父が
自分で名前を付けたかったようで、届けを出してから、みんなに名前を披露したのだ。
「あの人は、時々みんながびっくりするような大胆なことする人だったからねえ」と
母は、当時を振りかえり懐かしそうに言った。母の驚く顔や、父の行動を想像すると
とてもおかしい。そしてなんだかとても嬉しい。自分の名前を誇りに思う。
「祐介(ゆうすけ)」これが私たち初めての子供に付けた名前だ。
将来この子が大きくなった時に、気に入ってくれると嬉しい。
そしてこの名前の、この子が、これからどんな人生を送るのか、
私たちはずっと見守っていきたい。
この子の人生はここから始まる。
子供が生まれて、初めての週末を、親子3人でゆっくり過ごした。
ジョン太の入院してる病院は、日中は赤ちゃんと一緒に過ごし、夜は新生児室で
預かってもらう半同室のシステムである。しかしジョン太は出産後の筋肉痛が
ひどく、動くのもままならない状態だったので、昨日まではずっと新生児室で
赤ちゃんを預かってもらっていた。そして、今日初めて赤ちゃんを部屋に入れた。
私が病院に行くと、ジョン太と赤ちゃんが部屋にいた。ミルクも初めて自分で
飲ませてあげたそうだ。赤ちゃんはぐっすり眠っていた。「抱いてみる?」と
言われたが、ちゃんと抱けるか心配で、そのときは赤ちゃんの頭や指に触るのが、
精一杯だった。
赤ちゃんを見ていると全然退屈しない。たぶん自分の子どもだからなのだと思う。
手足を動かしたり、あくびをしたり、しゃっくりしたり、表情もくるくる変わる。
顔はどちらに似てるかまだまだ分からないけど、それでもかわいく感じる。
どうやら、もう親バカなようだ。
赤ちゃんが目を覚ましてミルクの時間になると、ジョン太が抱っこして飲ませた。
元気にミルクを飲んでいる。なんだか安心した。そこでようやく私も抱っこして
みたくなり、ジョン太から赤ちゃんを受け取った。初だっこの瞬間である。
感動しました。
予定日を過ぎたため、私たちは、陣痛促進剤で誘発分娩することに決めた。
結婚記念日の翌日、病院に行き、無事に赤ちゃんが産まれた。
なぜ結婚記念日ではなく、その翌日だったのか、そのことについて書きたいと思う。
そもそも出産予定日は2月22日だった。しかし何の兆候もないまま、
その日は過ぎてしまった。彼女はとてもがっかりしていた。
彼女は優良妊婦だったと言ってもいい。やや貧血気味と病院から診断されたぐらいで、
あとは何も問題なかった。食生活に気をつけ、毎日運動もしていた。
こんなに節制したのは、今まで一度もなかったらしい。予定日を目標に、
彼女は頑張っていた。それだけに予定日を過ぎたのは、ショックだったようだ。
彼女の理想は、予定日ぐらいに子供が産まれ、1週間後の退院の日がちょうど
結婚記念日と重なり、親子3人でその記念日を祝うというものだった。
しかし、その願いは叶えられなかった。予定日がだめなら、結婚記念日に
産まれたらいいなと、その時彼女は言った。私もそれは同じだった。
初産は遅れることが多いとは聞いていた。だから予定日が過ぎても、私は
けっこうのんびりしていた。だけど、彼女の事情は私とはちょっと違っていた。
予定日を過ぎると、いろんなところから「もう産まれた?まだ?」と聞かれる。
それがプレッシャーになるらしい。赤ちゃんが産まれるのを、みんな楽しみにして
くれて、それは嬉しいのだが、産まれる気配もないのを申し訳なく感じてしまうようだ。
しかしこればかりは自分が努力すれば、必ず早く産まれるというものでもない。
そしてお腹の子供はその間も着実に大きくなっている。当然、体にも負担が掛かる。
精神的にも肉体的にも、キツイみたいだった。
予定日を過ぎた後の検診で、先生は「赤ちゃんの体はもう出来あがってるので、
出産に問題はないですよ」と言ってくれた。お腹の中ではもう準備は出来てるらしい。
しかし予定日を過ぎても、お腹の子供は相変らず元気に動いてる。出産が近くなると
胎動は少なくなるらしいのだが、いっこうにそんな様子もない。のんきにお腹の
中で動きまわってる。親の心、子知らずとはこのことか?などと、まだ産まれても
ないのに、もうそんなことを考えたりしていた。
結婚記念日を目前に控えた日曜日の夕方。一緒に散歩した帰り道、彼女から、
もう産もうよと言われた。結婚記念日に産みたいと。
そのとき初めて自分が、自然に産まれるのを望んでいることに気が付いた。
出産というのは神聖なもので、薬を使わずに、自然に産まれて欲しいと願ってる
自分がいた。ただ、予定日が過ぎて2週間しても産まれないと胎児が危険に
なってくるので、その場合は誘発分娩や帝王切開をしなければいけない。
それでも、それまでは自然に産まれるのを、私は待ちたかったのかもしれない。
陣痛が始まったら、急いで病院に連れていかなければと当然のように考えていた。
ドラマみたいなことを期待してるんじゃないの?と彼女から聞かれて、ショックを受けた。
確かに心のどこかでそれを期待していたような気がする。新しい命が生まれるのに、
何も起こらないはずがない、それにふさわしい出来事がきっと起こるはずだと。
でもそれは私の単なるエゴに過ぎない。
産むのは私ではなく、彼女なのだ。日中は家に一人で居て、いつ始まるか
分からない陣痛を待たなければいけない彼女なのだ。そんな不安や危険を強いる
権利は私にはない。医者は出産に問題はないと言ってるし、彼女ももう産みたいと
言っている。どうすることが、彼女とお腹の子と私にとって良いことなのか、それを思い悩んだ。
私は彼女の言う通り、陣痛促進剤で誘発分娩することに決めた。
ただ結婚記念日にそれをしたくはなかった。もしかしたら、お腹の赤ちゃんは
結婚記念日に産まれようとしてるのかもしれない。もしそうだとしたら、それに気づかず、
陣痛促進剤を使って産んでしまうことになる。私はお腹の赤ちゃんを信じて
その日だけは待ってあげたいと思った。私も結婚記念日に産まれて欲しいと思う。
ただそれに縛られる必要はない。もしその日に産まれなければそれでも良いのではないか?
夫婦の記念日と子供の誕生日は別々にお祝いすればいい。そう考えた。
私は結婚記念日の朝、彼女に話した。
今日一日待ってみて、産まれなければ明日病院に行こうと。
彼女もそれを分かってくれた。
結局、結婚記念日には子供は産まれず、何の兆候も現れないままだった。
そうなれば、それ以上もう待つ理由はない。私たちは結婚記念日の翌日、
病院に行き、無事赤ちゃんを産むことができた。これで良かったのだと思う。
これからも悩みながら、子供と一緒に成長していきたい。