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数年前、そのお客様が最初にいらしたのは、丁度今頃の初夏でした。
私がお冷とメニューをお出しすると、「冷えてないビール」と・・・。
無い事をお詫びすると、「温めてください」とおっしゃる。父に相談し、
御燗をして、ぬるいというより温かいビールを、おそるおそるお出し
しました。お客様は「あと2,3本温めておいて」とおっしゃいました。
それからというもの、そのお客様は週に3度程おみえになり、熱燗の
ビールと、ハヤシライスを3時間程かけて召し上がるようになりました。
父はそのお客様がおみえになると、「あ、熱燗のおとうさんが来た」
と私に言うようになり、冷えた小瓶のビールを数本、食器洗浄機に入れ、
すすぎボタンを押し、熱燗の手間を省くようになりました。栓を抜く私は
いつもどきどきでした。
熱燗のおとうさんの特徴はそれ以外にもありました。野菜サラダです。
さすがに温めたりしたりはしないのですが、お出しすると味見もせずに
「塩」とおっしゃり、大量に振りかけて召し上がるのです。変な所で職人
カタギな父は数回は我慢したものの、ついに耐え切れず、サラダに、
予め塩を振って、私が止めるのを振り切って、自分で出しました。しかも
塩をそえて・・・。熱燗のお父さんはいつもの様に、大量の塩を振って
一口お召しになりましたが、顔色が曇りました。父はそれを陰からひっそり
見ていました。そして一言、「やった」と呟きました。パパって馬鹿だ。
と思いました。それでも熱燗のお父さんは、めげずに、薬味のらっきょうの
つゆを、その塩っからいサラダに入れ、全部召し上がって行かれました。
熱燗のお父さんと、父のバトルは1年程続きましたが、何時の間にか
姿を見なくなりました。父は「糖尿か高血圧になったんだろ」と言います。
その時は、ちょっと困ったお客様だなぁと思っていましたが、いざ姿が見え
なくなると、ちょっと寂しい気持ちになります。
今も、どこかで元気にビールの熱燗をお飲みになっている事を願います。