平成14年3月1日
〒871-0111 大分県下毛郡三光村佐知462-1
真宗大谷派 大 日 寺 発行
発行者 吉元信行
(0979)43-2245
| 大日寺報 あかつき 第17号 |
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(門徒さん関係のみの記事につき省略)
お聖教のことば
念仏は無碍の一道なり。(『歎異抄』)
釈尊の遺された死への準備教育(下) 住職 吉元 信行 この後、釈尊は与えられた寿命の衝動力を放棄します。この後釈尊は、かつての様々な説法、そして、王舎城などの楽しかった場所、あるいは、赤・青・黄・白などの色に満ちた瞑想の世界など様々な回想の世界に入っていかれます。そして、惜別の思いを残して、懐かしいヴェーサーリーの地を後にするわけです。このようなところに、私は、死の告知を受けたり、あるいは、死を予知した人と同じ心境を、釈尊の中に見出すことができるように思います。 それから五〇キロほど旅をした釈尊は、パーヴァー村という寒村に到着します。そこで、釈尊はチュンダという鍛冶工の招待に応じ、食事をしますが、その食事が当たって、血が迸り出るというほどにひどい下痢を伴う致命的な重病になります。それでも、釈尊はその重病をおして、先を急ぎます。しかし、重病の釈尊は、まもなく疲れきって、ある小川近くの木の下に横になります。そして、阿難に「水を持ってきてくれ、喉が乾いた。水が飲みたい」と頼みます。しかし、阿難は、今その小川を五〇〇台の車が通ったばかりなので、水が濁っているはずだからしばらく待ってくださいと答えます。脱水症状でしょうか、それでも釈尊は水を所望します。そこで、阿難がその小川に行ってみますと、水は美しく澄んでいたとのことです。看護者は患者さんの頼みにどう答えるべきか、その答をこの経典は語ってくれています。 その水でやや元気を取り戻された釈尊は、さらに先を急ぎ、途中のカクッター川で沐浴をし、さらに五キロほど進みます。そして、もうこれ以上歩けないというところで、ヒランニャヴァティー川の畔にあるクシナガラの二本のサーラの木(沙羅双樹)の下に北を枕に横になります。おそらく、この頃釈尊はもう危篤状態と思われます。 このとき、釈尊の前で扇で扇いでいたウパヴァーナという側近の比丘をブッダは、「そこをどきなさい。私の前に立ってはいけない」と退けられたとのことです。その理由について釈尊は次のように答えたそうです。「十方の世界の神々たちが私に会うために大勢集まってきているが、威力ある比丘がその前にいてお目にかかれないと嘆いている」と。 古代の、釈尊のいらっしゃった頃、当時の人々は龍・夜叉などを含む神々や悪魔と対話・交流が自由にできた時代であったでしょう。しかし、それにもまして、現代においても、臨終の人に対する家族・知人等による面会あるいは介護のあり方にこの経典はある示唆を与えてくれるようであります。 ここで、釈尊がまもなく亡くなるということを知った阿難が、「住居に入って、戸の横木によりかかって泣いていた」という記述は感動的であります。その阿難に対して、釈尊は次のような優しい言葉を投げかけます。「やめよ、阿難よ、悲しむな、嘆くな。私はあらかじめこのように説いたではないか。すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。およそ生じ、存在し、作られ、破壊されるべきものであるのに、それが破壊しないようにということがどうしてありえようか。阿難よ、そのようなことわりは存在しない。阿難よ、長い間、お前は、慈愛ある、ためをはかる、安楽な、純一な、無量の、身体と言葉と心の行為によって、如来に仕えてくれた。阿難よ、お前は善いことをしてくれた。勤め励んで修行せよ。速やかに汚れのないものとなるであろう」と。 実に慈愛に満ちた言葉ではありませんか。阿難は、若くて美貌で、女性への迷いもあり、伝承では、なかなか悟りを得られない比丘であったといわれます。その阿難を、らに、「もし阿難が説法するならば、それを聞いた彼らは心が喜ばしくなる。もしも、阿難が沈黙しているならば、みんなは彼を見ていて、飽きることがない」と讃美さえしているのです。ターミナルケアにおける看護者やワーカーはこのようにあるべきなのでしょう。 ただ、次のような釈尊の最後の言葉だけはどうしても申し上げておかなければなりません。「さあ、比丘らよ、汝らに告げよう。諸行は壊れるはずのものである。怠ることなく励みなさい」。この言葉の意味するところは、仏教の要訣は無常を覚ることと、修行に精励することの二つに尽きるということであるとされています。この無常の教えは、釈尊が老いて死んでいかれたという事実によって、何よりも生々しく印象づけられます。 しかも、「怠ることなく励みなさい」という句の中には、釈尊全生涯の生きざまが見事に結集しています。そのことを、最後の旅路において実証されたのです。 このように、二五〇〇年前のことではありますが、人間として最後まで生き抜き、そして、ご自分の生きざまを演出して死んでいかれたその釈尊の生きざまの上に、ターミナルケアの現場において、雄々しく生き抜き、そして、その最後を輝かせて死んでいった人たちと同じ生きざまを見出すことができます。そして、釈尊はこれからのターミナルケアのあり方に多くのことを教えてくれているのです。 さらに、意識するしないに関わらず、当然死を逃れることのできない、今生きている私たちに対して、この『大パリニッバーナ経』という経典は、デス・エデュケーション(死への教育)の方法論をも提示してくれているように思われます。 |