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ケベック・インターナショナル・サマー・フェスティバルはカナダのケベックに夏の訪れを告げる巨大なイベントだ。地元カナダを初めアフリカ、ヨーロッパ、アメリカなどから数多くのアーティストが集まり、街のあちこちでライヴを繰り広げる。アーティストと同様世界中から観光客もこの時期を目指して集まってくる。8カナダ・ドル(日本円で約7百円)のマカロンと呼ばれるバッチの形をした入場券をつけていると、期間中どのライヴにも自由に入ることができる。世界遺産となった石畳の素晴らしい町並みと世界中から集まる一流のアーティストのパフォーマンスを楽しめる絶好の機会なのだ。今年は7月の5~15日にかけて開かれた。そして僕は12日から最後の日まで参加することになった。
僕を招いてくれたのは映画「男と女」で有名な詩人であり歌手であるピエール・バルーだ。彼がメインのコンサートなのだが、今年は少し違った意味合いを持つものになった。彼の長年の朋友であり彼を象徴することになった「サンバ・サラヴァー」の作者でもあるギタリスト、バーデン・パウエルが去年9月に亡くなったからだ。ピエールにとってバーデンは特別 な存在だった。ブラジルとの繋がりを作ってくれた恩人でもあるからだ。バーデンを偲ぶコンサートとしてピエールはブラジルからバーデンの遺児フィリップとルイ・マルセルの兄弟、そして日本から僕を招いたのだ。
ブラジル最高のギタリストの一人、バーデン・パウエル。憂いに満ちた音色と、強烈にドライヴするリズム、インストゥルメンタルでありながら肉声で歌っているような濃密な音楽空間は世界中のファンに愛され支持された。ボサ・ノヴァのギタリストという認識が一般 的な彼だが、そういったジャンル分けが無意味なほど彼の演奏スタイルは独特の個性に溢れていた。僕自身も彼の演奏を聞いたのがこの世界に入るきっかけになっているので、ピエールの呼びかけはとても嬉しかった。
ケベックに着いたのは11日の夜中だった。雨が降っていて夏とは思えないほど肌寒かった。迎えの車に乗って坂道の多い市街に入っていくと、セーターやジャケットを着て歩いている人の姿はまるで冬の街角のように見えた。でもどこか溌剌とした活気があり、僕はすぐにその街が気に入った。
翌朝ピエールの電話で起こされた。一緒に食事をしよう、という誘いだった。僕が降りて行くとピエールはもうコーヒーを飲みながら待っていた。半年振りの再会だった。トレード・マークの無精ヒゲをそり、こざっぱりとした格好をした彼は以前より若く見えた。日本からの旅がどうだったか、よく眠ったか、と聞いてくれた。あまりに慌しく出てきたので歯ブラシを忘れたと答えると、自分もバンクーヴァーからの飛行機のなかに歯ブラシを置いてきてしまった、と笑った。自分はテレビの取材で忙しいけどバーデン兄弟も昨日着いているから後で連絡して少し打ち合わせをしておいてくれ、と言って彼らの部屋番号を教えてくれた。
食事のあとピエールと別 れ、細かな買い物を済ませ部屋に帰った。ピエールの教えてくれた番号に電話をかけようとした時ノックの音がし、そのバーデン兄弟が立っていた。弟のルイは6月に僕がプロデュースした企画CDのレコーディングのためにリオで会ったばっかりだったが、兄のフィリップは初対面だった。二人とも父親の面 影を持っていたけど、兄の方がより似ているように思った。
クラレンドンで寛ぐピエール メイン会場のプラサ・メトロ 舞台裏でフィリップとジョーク 「間違えた!ごめん」(ピエール) クラレンドンでのリハ風景 最後のステージ
ルイが僕と兄を紹介し、短い挨拶を済ませた後早速リハーサルが始まった。バーデンのレパートリーを中心に、ということでお互いに知っている曲を弾きながら、コードの確認などをした。リオの時も感心したがルイは父親とまったく同じように弾くことができる。父親の血を受け直々にレッスンを受けているので、当たり前かも知れないが、まるでバーデンその人がそこにいるようだった。ただ僕が知っていて彼らが知らない曲もあった。僕に何度か繰り返し弾いてくれと頼んだ後「その曲はまだ教わらなかった…」といった時のルイの表情が寂しそうだった。彼はまだ十代なのだ。僕がギターを始めるきっかけなったバーデン、結局彼とは直説話をする機会はなかったが、その息子達と演奏しているのがなにか不思議な気分だった。セッションでやる曲を決め、ピエールが歌うレパートリーを確認して彼らは帰っていった。そして次はもう本番のステージだった。
街中に点々とある会場の中で、僕らが演奏したのはクラレンドンというホテルのカフェとメイン会場のプラサ・メトロという巨大な野外ステージの二箇所だった。ライヴの初回はそのクラレンドンだった。古い石畳の街角に立つ素晴らしいホテルの中の重厚な内装が美しいカフェだ。サウンド・チェックの時からなんとなく人が取り巻き始めた。その中でルイはずっと指慣らしのスケールを繰り返しながらピエールと話していた。フランス語なのでよくは分からなかったが、ピエールはルイが生まれる遥か前の若かりし頃、そしてルイは父親としてのバーデンの姿を語っているようだった。
本番の時には会場は立錐の余地もないほど人が溢れ、ロビーで聴いている人たちのためにドアは開け放された。大したリハも打ち合わせもないままピエールが「サンバ・サラヴァー」を歌い始めライヴは始まった。その時点でもう会場は大きな盛り上がりに飲み込まれていた。歌の中で短く僕らのことを紹介してすぐその後僕との共作の「出会い」を二人で歌った。僕とピエールの出会いがそのまま歌になっているので、観客は日本人の僕がどうしてそこにいるのかを理解してくれたようだ。そして彼自身が詞を書いている「おいしい水」のフランス語ヴァージョンを歌い終わると、僕に「何か演奏してくれよ…」と言いながら彼はステージを降りた。そこからはそれぞれのソロのコーナーになった。僕は何をやったか覚えてないがバーデンがライヴでやっていたレパートリーの曲を演奏し、観客の拍手は温かく僕を歓迎してくれた。そしてルイにバトンタッチする。ルイは父親譲りの「黒いオルフェ」「悲しみのサンバ」「スコットランドのマーチ」の3曲を演奏した。それはもっともバーデンその人が蘇る瞬間だった。「黒いオルフェ」「悲しみのサンバ」のバロック的な対位法とサンバの融合は今なお新鮮だった。そして「マーチ」の打楽器的なアプローチは観客の目を釘付けにした。彼のソロのレパートリーだけは期間中不動だった。ルイがフィリップを呼び今度は二人で「ワン・ノート・サンバ」を凄まじい勢いで演奏する。リズムが鋭角的に変化するのだが、さすがに二人の息はぴったりあっている。ルイが降りフィリップがソロで「イパネマの娘」とバイヨンの「盲人アデラルド」を演奏する。彼はピアニストだが、バーデンの演奏をそのままピアノに置き換えたような激しい演奏だ。「盲人アデラルド」の雄大な荒野を連想させるバイヨンのリズムに人々は魅せられ、会場にさわやかな風が吹き抜けた。そしてルイと僕が再び参加し三人でアフロ・サンバの名曲でミステリアスなメロディを持つ「オサーニャの歌」を演奏する。ブラジルの一 を象徴するアフリカの呪術的な世界を持つ曲だ。黒く重い渦が会場を取り込んでしまう。曲が終わった瞬間人々は夢から覚めたように小さくため息をついた。そしてまたピエールの登場だ。ピエールとフィリップがマイクでバーデンの思い出を語りあう。普段は口数の多いルイはステージ上ではまったくと言っていいほど口を開かず、代わりに兄がよくしゃべった。そして「プレリュードのサンバ」が始まる。ゆったりとしたテンポのサンバ・カンソン。最初僕がピエールのところで録音した「いつか君に」で歌った日本語ヴァージョンで始める。日本語が観客にはエキゾチックに聞えるらしく、熱心に聞き入ってくれる。フィリップが歌うポルトガル語のセカンド・メロディがそれに続く。そして最後にはピエールも加わってくる。強烈な失恋の歌で普通は男女のデュエットの形式で演奏するのだが、ピエールが少し手を加えて友を失った悲しみの歌に仕上げている。急に場面が変わり名作「ビリンバウ」が始まる。バーデンの最大のヒット曲。兄弟二人のリズムは最高に盛り上がっていく。バーデンが見せてくれた、素晴らしく激しい世界そのものがそこに展開していく。最初のうちは僕もピエールも参加しているが、後半より激しさを増すと、ピエールと僕はただ呆然と二人の演奏に聞きいってしまった。独特のパーカッシブなフレーズを繰り返し曲が終わった瞬間、流れが変わり最後の「サンバ・サラヴァー」につながっていく。オープニングとは違いゆったりと長めにピエールが語りを交えながら歌う。ブラジルの偉大な音楽家達を讃え、このコンサートに参加した僕たちを讃え、そして集まってくれた観客も讃える。サラヴァー(祝福あれ)という言葉をピエールが口にするたびに会場全体から同じようにサラヴァーという言葉が返ってくる。
いつまでも鳴り止まない拍手の中僕らは肩を組み観客に応えた。
翌日街を歩いていると様々なところで声をかけられ握手を求められた。大抵はフランス語なのではっきりとは理解できなかったが、前日のライヴを褒めてくれていた。一人ブラジルに住んだことのあるという老人は、ポルトガル語で話すのは久しぶりです、と言いながら嬉しそうに話しかけてくれた。反応が素直に伝わってくるのは素晴らしい体験だった。
細かく曲は変わったが大筋は同じ構成で5回のステージをこなした。最後はメイン会場のプラサ・メトロで、フェスティバル全体の最後のステージでもあった。夜の9時から始まった街の中心にある巨大な野外ステージでのライヴは、寒さにも関わらず熱心に聴いてくれる人たちのお陰で温かい雰囲気のものになった。様々なコートやセーターを着た観客の姿がステージ上からはカラフルに見えた。前日のライヴに来てくれた人たちが手を振って応援してくれていた。ライヴが終わった時、寒さのせいもあったが僕らはより強くお互いの肩を抱き合って観客に応えた。僕らの演奏とフェスティバルの終わりを惜しむように拍手はいつまでも続いた。
サラヴァー、ピエール! サラヴァー、バーデン!
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