オウムが棲んだ杜


 


  「『電話じゃなんだから、とにかくすぐうちに来てくれ』
  前々日の三月十八日の夜、私の自宅に会社の上司からこんな内容の電話がかかってきた。
  いったい何が起きたというのだ。電話ではすまない内容なのか。土曜日の夜だというのに……・
  渋々、上司の家を訪ねた。
『どうも二〇日、オウムに強制捜査が入るらしい』……」
 
  1995年3月20日、山梨県上九一色村で、「強制捜査」を待ちわびていた著者の耳に飛び込んできたのはラジオから流れる「地下鉄サリン事件」のニュースだった――。

  日本中を震撼させたあの事件からすでに丸5年が経とうとしている。多くの謎を残したままオウムの教団施設は取り壊され、全盛期には800人の信者が生活したという上九一色村の「サティアン」、麻原教祖の出生地・熊本県にあった「シャンバラ精舎」は今では更地となってしまった。
 著者は二つの"場所"にいくつかの共通点を見出している。「オウムの施設が集中する富士ヶ嶺地区は戦後、開拓民が入植するまでは、畑ひとつない荒れ地だったというが、今では穏やかな起伏のある広大な草原が広がっている。熊本県波野村と同じく標高八〇〇メートル前後の草原だ。二つの村が似ているのはそればかりではない。一七三九人(九五年時点)と、人口も波野村とほぼ同じ。両村とも県境に位置していて、警察の捜査を撹乱するには格好の場所でもある。
  麻原教祖の出生地は熊本県八代市だが、上九一色村は山梨県西八代郡という。偶然なのか、君の悪い一致だ。……」
  また最後まで波野村の施設に残っていた元信者から当時の「修行生活」の様子を聞いている。冬には氷点下10度以下になる原野に自らの手でプレハブを建て、電気・水道を引き、子どもたちの「理想教育」をも手作りで行おうとした信者たち。失敗を繰り返しながらも厳しい自然環境の中で学んだことは大きい、と元信者は語る。
   「『大変だったけれどああいう生活っていいと思うよ。今の若いやつは恵まれすぎている。物質的に豊かになりすぎて、自分が生かされていることに気づいていない。みんなだれかに支えられて生きているのに。ここで不自由な生活をしてそれを実感することが出来たんだ』……」(本書より)
 また別の元信者はこうも語っている。
  「『今から考えれば、集団催眠にかかっていたんでしょうね『グルは一点の曇りもない鏡と思いなさい』と教えられてね。価値観の統一された中に身を投じていたんです。そしてそれが修行だと思っていた。他者からみると変でしょうが。原動力は信仰で、バックボーンがハルマゲドンだった』……」

  著者は二つの"場所"を行きつ戻りつ、ひとつひとつの光景をカメラにおさめていく。当時多くの報道陣がつめかけ、我々も目にしたはずの教団施設の映像とは一風異なる光景がそこにはある。彼らがかたむけたエネルギーの出所を「マインドコントロール」の一言で片付けることはできるのか。また彼らが本当に目指したものは何なのか。オウムの痕跡を追う旅の果てに視えてきたものは――。

古賀義章写真集『場所―オウムが棲んだ杜』(晩聲社刊)のプレスリリースより】 

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