俺の顔

初出 2004. 5.16  最終更新 2009. 9.23

大宅壮一は「男の顔は履歴書である」と書き、「男は40歳過ぎたら自分の顔に責任を持て」と言われますが、私はとても責任取れません。確かに、その人の生き方は顔に出てくると思いますが、例外の無い原則は無いのです。自分の顔に誇りを持てるようになりたいとは思うのですが。まあ自分を見直す意味で、折々の顔をピックアップしてみます。

我が家の年賀状一覧

白洋社幼稚園児か。倉敷市戎町で親父が白洋社という印刷会社を経営していた。数年前に倉敷の叔父さんを訪ねた際にもらった写真。まったく覚えていない。記憶というのは、実際に覚えていなくて、写真を見ながらこうだったああだったと言われることによって形成されるのかも。老松小左が為房で、右が俺。昔のアルバムを引っ張り出した。40数年前になるんだなあ。
西中女友達数人と瀬戸内海へ海水浴。意外にもてたのだけれど、詳細は覚えていない。西中2パスを出す俺。土のグランド、運動靴、長ズボンを切ったパンツ、体操服の上着。分からないだろうなあ、当時は貧しさがそれほど苦にならなかった。
この大会で、県体三位。キャプテンで得点王だったんだよね。
マジですぜ。24歳頃かなあ。サラリーマンは向かないので、会社を辞めて教師になろうと思ってました。これは確か社会人教師に応募した時の写真。
色々あって会社生活は既に28年も続いていますが、それなりに自分を鍛えてくれました。
爆破「何とかの狼」という三菱重工爆破の余波で、それまでは守衛も居なかったのですが、東レもカードで入館チェックしました。数年間だけですが。
タイムカードも無いし、自由闊達で良い雰囲気の会社だったのですけどねえ。
私です若かりし頃、35歳ほどの私です。CIの仕事の一環で、東レサードレーシングチームを企画運営しました。レースは楽しいです。(インターナショナル鈴鹿1000kmレース)フラッグアド・エンジニアーズ・オブ・トーキョーの富田さんと、社員クラブで飲み、話し、写真を渡した上で描いてもらいました。初めて見たとき、なんて特徴をつかむのが上手いんだろうと感心しました。顔やデフォルムも上手いし、チェッカーフラッグも嬉しい。好きな絵です。アフター6の名刺などに使わせてもらってます。
天使アイコン元東レの天野まゆみさんが作ってくれました。彼女は落語家の桂出丸さんの嫁さんで、デザイナーさんです。1986年当時、天野さんには東レサードレーシングチームのキャンギャルの仕事もやってもらったなあ。あの頃の写真はどこに行っただろう。探してみよう。51H会私が昭和51年に入社した時の課のメンバーと毎年飲んでいます。もう半数はリタイアですが、皆元気。これは昨年の忘年会の写真ですが、28年経っても当然私はいつも最年少。右端の白シャツが私ですけれど、歳取りました。
千社札千社札の作成ソフトがあるんですねえ。作ってみました。ダムダンあざらしさんの主催する阿波踊りのダムダン連を応援します。mixiでもお付き合いしています。