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〔作曲者〕Domenico Cimarosa
     ドメニコ チマローザ
〔編 曲〕Jiro Nakano
     中野二郎
     
1749年12月17日ナポリ近郊アヴェルナに生まれ、1801年1月11日ヴェネツィアに逝いたイタリアの作曲家。
22才の時から書き始めたオペラの数は70近くあり、とくに喜歌劇に名が高い。
特に機知が溢れた生き生きとした性格、豊かな旋律、陽気さ、これらがチマローザの最大の魅力である。
彼のオペラの序曲でマンドリン合奏に編曲されたものは、
 
Gli Orazi i Curiazi / G.F.Poli 及 V.Billi
Il Matrimonio Segreto / G.F Poli
Le Trame Deluse / B.Mastelli
La Astuzie Femminili / B.Mastelli
 
があって、中でもオラツィオ兄弟とクリアッツィオ兄弟序曲は管弦楽で演奏されることは極めて稀で、ポーリによって編曲されたマンドリンオーケストラ曲が恰(あたか)もオリジナル曲ほどに我邦では歓迎されている。
彼が作曲する時は常に周りの友人たちに喧(やかま)しく話しかけながら作曲したと伝えられ、かのオラッツィ兄弟や秘密の結婚等はこうして作られたオペラであることが逸話の中にある。
 
 
〔曲 名〕Penelope
     ペネロペ序曲
〔曲 種〕Sinfonia
 
ホメロスの大叙事詩の主人公オデュッセウスは、トロイア戦争の時ギリシャ軍の大将の一人として、その勇気と知謀により重きをなした。
トロイア落城後、ギリシャの諸将はそれぞれ凱旋して故郷に帰るが、彼は部下を率いて帰国の途次、キコネス族を襲い、敗れて海上を漂い、キュプロス族の地、アイオロス王の島、喰人種ライトリュゴネス族の地、妖女キルケの島、ハイデスの支配する冥界を経て、更にセイレネス及びスキュルとカリュブディスの難を遁れ、トリナキア島に着くが、飢えに迫られて神牛を殺した罰として一切の従者を失い、唯一人で女神カリュプソの島に着く。
女神が彼を恋して7年間留めたが、遂にゼウスの命で彼を帰し、オデュッセウスはトロイア陥落10年後に故郷イタカに帰り、妻ペネロペの求婚者たちを斃(たお)して再び家庭生活に入った。
夫がトロイア遠征で留守中ペネロペは忠実に空閨を守った。
しかし求婚者の一人を選ぶことを強制されたので、彼女はオデュッセウスの父ラエルテスの屍衣を織らねばならないという口実を設け、これを昼に織り、夜にほどいたが、侍女に裏切られたので完成を余儀なくされた。
トロイア陥落後10年、夫出発後20年目に途方にくれた彼女はアテネの忠言で、求婚者の中で夫の弓を引きしぼることの出来る者と結婚するという条件を出したが、誰もこれを引くことが出来なかった時、乞食に変装したオデュッセウスがこの弓を引きしぼり、求婚者たちをことごとく射殺した。
チマローザのこの二幕のオペラが上演されたのは1759年で、緩徐な短い序奏に極めて速いチマローザ調が続く典型的なイタリア序曲のスタイルである。
 
 
〔曲 名〕Il Maestro di Cappella
     教会楽長
〔曲 種〕Ouverture
     序曲
 
作曲年不明の同名の歌とピアノの間奏曲があるが、ずっと後世になってM.Zanonによって校正されたものが1949年に初めて上演された。
 
 
〔曲 名〕Il Matrimonio per Rggiro
     縺(もつ)れた結婚
〔曲 種〕Sinfonia
     序曲
 
比較的初期のオペラでの1779年ローマで初演されている。
奇妙なことにこの序曲はそれより17年後に上演されたオペラ「オラツィオ兄弟とクリアッツィオ兄弟」序曲と酷似して居り、序奏は全く異なっているが、アレグロ以降は調は異なっているが畧(ほぼ)同じである。
多作のオペラ作家には上演の期日が迫ると、序曲は最後に書く場合が多いので間に合わせる為に以前書いたものを流用することが間々あり、若(も)しそうとすればオラッツィ兄弟序曲の原型ということになる。
 
 
マンドリン古典合奏曲集29集より