1.スウィフトと『ガリヴァー旅行記』 注

注1
 母がイングランドに戻ってしまった後,スウィフトは,自分が乳母によってイングランドの自分の実家に連れて行かれ,そこで3年間養育された,と自伝で述べていますが,この記事の信憑性はあまり高くないようです。
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注2
 学生時代のスウィフトは成績が悪く,お情けで卒業させてもらった,というのが定説となっています(夏目漱石『文学評論』[『漱石全集』第19巻所収]208頁,中野好夫『スウィフト考』[岩波新書,1969年]5頁)が,それは必ずしも真実ではないようです。富山太佳夫『ガリヴァー旅行記を読む』(岩波セミナーブックス79,岩波書店,2000年3月)15-19頁参照。
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注3
 外交官で著述家。テンプルとスウィフトの母親との関係はよく分かりません。一説によると,ウィリアムの父ジョンは実はスウィフトの本当の父親だ,ということですが,真実の程は分かりません。興味のある人は阿刀田高『あなたの知らないガリバー旅行記』(新潮文庫)186ページを読んでみましょう。
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注4
 14才年下の少女で,テンプル家で養育されていた。スウィフトは以前テンプルのもとに居た頃,ステラに読み書きなどを教えたこともあった。スウィフトとステラの関係は,彼女が亡くなるまでの約30年間続きます。スウィフトがステラに送った書簡は相当数にのぼり,スウィフトの死後,「ステラへの消息」(Journal tp Stella)として出版されています。
ただし,二人の関係は今ひとつはっきりしないところがあります。そのため,兄妹的なものだったと見る説もあるようですが,恋愛関係にあったとの見方が有力のようです。後年,二人は婚姻届けも出していますが,形だけのものであった可能性は否定できないようです。
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注5
 本名エスタ・ヴァナミリー(Hester Vanhomrigh)。ヴァネッサはスウィフトを追ってアイルランドにやってきます。ヴァネッサはスウィフトとステラの関係をよく知らなかったようです。で,ステラにスウィフトとの関係を問いただす手紙を出します。ステラは自分はスウィフトの妻だと公言し,ヴァネッサの手紙をスウィフトのもとに送ります。スウィフトはヴァネッサの軽はずみな行動(あくまでも,スウィフトから見て,です)に怒り,その手紙をヴァネッサに突きつけます。すべてを悟ったヴァネッサは失望し,まもなく死んでしまいます。自殺だったとの説もあるようです。
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注6
 このあたりの政治的,宗教的な背景については,「スウィフトと政治」,「スウィフトと宗教」をご覧ください。
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注7
 漱石は,イギリス留学から帰国した後,東大で英文学を講ずることになります。彼の前任者は,かの小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)でした。漱石は,学生に人気のあった八雲を追い出す形で講師となったことと,八雲に比べて固い授業内容であったことから,当初は学生の人気がなく,悩んだりしたようです。
 『文学評論』については,「8.文献ガイド」を参照してください。
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注8
 イギリスでおこった囲い込み運動を批判して書かれた本で,「羊が人間を食い殺す」という有名な言葉で知られています。岩波文庫に邦訳が収められています。

 トマス・モア著,平井正穂訳『ユートピア』岩波文庫,赤202-1,1957年10月

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