| 目次 |
|---|
| ◎ジョナサン・スウィフトの生涯 |
| ・生い立ち |
| ・テンプルの秘書となる |
| ・聖職者の資格を得る,執筆開始 |
| ・ガリヴァー旅行記を執筆する |
| ・死去 |
| ・スウィフトの立場 |
| ◎『ガリヴァー旅行記』 |
| ・著者(?)ガリヴァー |
| ・旅行記の構成 |
◎ジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift, 1667-1745)の生涯
・テンプルの秘書となる
スウィフトは,1667年11月30日,アイルランドのダブリンで,アイルランドに移り住んだイングランド人(Anglo-Irish)の両親のもとに生まれました。 スウィフトの父ジョナサン(我らがスウィフトと同名)は,息子のジョナサン(我らがスウィフト)が生まれる数ヶ月前に亡くなり,母親は息子を産んでまもなく,息子を残してイングランドへ戻ってしまいます。そのため彼は,伯父に引き取られ,養育されました*注1。
1673年(6才)になるとキルケニー・グラマースクール(Kilkenny Grammar School)に入学し,1682年(15才)にはダブリンのトリニティー・カレッジに進み,1686年(19才),文学士(B.A.)の学位をとって卒業します*注2。
・聖職者の資格を得る,執筆開始
1688年(21才),名誉革命が起こり,政治的な不安から,スウィフトはイングランドに渡ります。1689年(22才),母の遠縁にあたるサー・ウィリアム・テンプル*注3の秘書(実質的には居候だったとか)となります。 1690年(23才),健康上の理由(激しいめまいに襲われます。めまいの発作は彼をその後も苦しめます)でいったんアイルランドに帰りますが,翌1691年(24才),再びイングランドのウィリアム・テンプルのもとに戻って,1692年(25才),オクスフォード大学で修士号を獲得します。
・ガリヴァー旅行記を執筆する
1694年(27才),テンプルのもとを去ってアイルランドに戻り,イギリス国教会の聖職者の道を歩み始めます(主として生活のためであったようです)。 1696年(29才),イングランドのテンプルのもとに戻って,『桶物語り(A Tale of a Tub)』を執筆(出版は1704年)します。この時,エスター・ジョンソン(愛称ステラ)*注4と再会します。翌1697年(30才),『書物の戦争(The Battle of the Books)』を執筆。1699年(32才),テンプル死去。
1702年(35才),ダブリン大学から神学博士号を受け,ステラをアイルランドに呼び寄せます。1704年(37才),『桶物語』を匿名で出版。この間,たびたびイングランドにわたり,リクルート活動を行いますが,ことごとく失敗。また,政治に首を突っ込み,トーリー党の肩をもった政治的パンフレット多数を書いています。
1710年(43才),ダブリンのセント・パトリック教会の主任司祭(dean)となります。このころホイッグ党が失脚してトーリー党が進出し,また,多くの文人と交わって,スウィフトは政界,社交界の花形となりますが,1714年,アン女王が亡くなり,ホイッグ党の天下となって,スウィフトはアイルランドに引っ込むことになります。このころから,持病(メニエール症候群とされる)のめまいと耳鳴りがひどくなっていきます。
・死去
1720年(53才),前年にデフォーが『ロビンソン・クルーソー』を出版して好評を得たこと(スウィフトはデフォーを軽蔑していたといわれます。デフォーの成功に対抗心を燃やしたのでしょう)をきっかけに,『ガリヴァー旅行記』を書き始めます。1723年(56才),10年ほど前からスウィフトと交際のあったヴァネッサ死去*注5。1726年(59才),ロンドンの出版社から匿名で『ガリヴァー旅行記』が出版されます。
・スウィフトの立場
1728年(61才),ステラ死去。1729年(62才),『貧家の子女を社会的に有用ならしめる方法についての私案』を執筆。1735年(68才),持病がますます悪化。精神的に不安定になり始めます。1740年(73才)以降,ほとんど錯乱ないし痴呆状態になったと言われています。1745年(78才)10月19日,死去。当時としてはかなりの長寿でした。
スウィフトのおかれていた立場はなかなか微妙なものであったといえます。彼はアイルランドに住んではいましたが,もともとはイングランド系であり,カトリックの強いアイルランドでイギリス国教会の牧師をしていました。政治的には彼はトーリー党の側に立っていましたが,晩年はホイッグ党の天下になっていました*注6。彼は様々な面で,マイノリティの立場に立たされていたと考えることができます。そうしてそのことが,彼の作品にも大きな影響を及ぼすことになります。 かの夏目漱石が東大時代の講義ノートを後にまとめて刊行した『文学評論』*注7では,第4編に「スヰフトと厭世文学」という章を設け,かなりのスペースを割いて論評していますが,その中でスウィフトの立場を希望がない,救われようがない,免れようがない,不満足と表現しています。そうしてその結果として,
彼の諷刺は噴火口から迸しる水の様なものである。非常に猛烈であるけれども,非常に冷たい。人を動かす為の不平でもなければ,自ら免れる為の不平でもない。どうしたって世界のあらん限りつづく,不平の為の不平だから,スヰフト自身は嘗て激して居ない。冷然平然としている。何だかスヰフトなるものが重たい石の様に英国の真中に転がってゐる様な心持ちがする。さうして此石が一つある為に,左右前後は無論,全世界に蠢動する人間と名のつくものが悉く石に変化した様に思はれる。(『漱石全集』19巻,203-4頁)と言っています。なかなか鋭い指摘だと思います。
・旅行記の構成
『ガリヴァー旅行記』は実在のレミュエル・ガリヴァー(Lemuel Gulliver, 1660-)という人物が書いたもの,という形式をとって出版されました。 ガリヴァーは1660年にイギリスのノッティンガムシアに5人兄弟の3番目(三男)として生まれ,14才でケンブリッジ大学に入学し,3年ほど学びますが,学費の負担が大きく,医師のもとで見習いとして働きはじめます。ついで1681年から3年弱の間オランダのライデンで医学を学んだ後,船医として三年半過ごします。その後,独立して開業しますが,まもなく経営が思わしくなくなり,再び船医として航海に加わります。ところが,船が難破したり,嵐で漂着したり,海賊に襲われたり,船員の反乱がおこったりした結果,見知らぬ世界での4度にわたる冒険に巻き込まれることとなります。1715年にフウイヌムから帰国後は,ノッチンガムシアのニューアーク近くに隠棲した,という設定になっています。『ガリヴァー旅行記』の巻末には,「ガリヴァー船長より従兄シンプソンへ宛てた手紙」「出版者(=シンプソン)より読者へ」が付け加えられています。
しかし,実は,これはすべてスウィフトのでっちあげなのです。「ガリヴァー(Gulliver)」という名前も,「愚か者」(gull:だまされやすい人,gullible:だまされやすい)の意味の造語です。スウィフトはかなり手の込んだ芝居を打って,いかにもガリヴァーという人物が実在するかのように装っているのです。
スウィフトはどうしてこんなことをしたのでしょうか。一つには,内容が「危険」であったからです。『ガリヴァー旅行記』でスウィフトは当時の有力者たちを,明らかにそれと分かる形で登場させ,皮肉っています。それを本名で公表するのは政治的にも宗教的にも危険すぎたのです。もう一つには,このスタイルを他の人から真似たということもあるようです。架空の著者による見知らぬ世界の冒険譚の形式をとって社会批判を行うというスタイルは,すでに『ガリヴァー旅行記』の200年ほど前に出版されたトマス・モアの『ユートピア』(1516年刊)*注8に見られます。これはスウィフトの愛読書でもあったといわれています。『ユートピア』はヒスロディ(Hythlodaye,モアがギリシア語から作ったuthlos「下らぬおしゃべり」daios「巧みなもの」の意の造語)という船乗りからの聞き書きの体裁をとっており,スウィフトもそれを参考にしたものと思われます。
こうした架空の冒険譚は,可能な部分では事実にのっとっていないと,いかにもうそ臭くなってしまいます。そこで,部分的には極めてリアルな描写を行うことで,全体の信憑性を高める,という手法が用いられます。『ガリヴァー旅行記』も,現実の航海日誌や,当時分かっていたアジアからオセアニアにかけての地理(地図)を巧みに利用しつつ,臨場感(リアリティといってもいいでしょう)を高めることに苦心しています。
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『ガリヴァー旅行記』は4部からなっています。「リリパット(Lilliput)国渡航記」,「ブロブディンナグ(Brobdingnag)国渡航記」,「ラピュータ(Laputa),バルニバービ(Barnibarbi),ラグナグ(Luggnagg),グラブダドリップ(Glubbdubdrib)および日本への渡航記」,「フウイヌム(Houyhnhnm)国渡航記」です。 リリパット国はいわゆる小人国です。身長6インチ(15センチ)ほどの人の住む国で,海を隔てたブレフスキュ(Blefuscu)国と,卵を食べるときとがった方から先に食べるか否かで,対立している。後に詳しく見ていきますが,リリパット国はイギリス,ブレフスキュ国はフランスを暗に指しており,この部分では当時のイギリスの政治(特に戦争,奴隷制度,植民地主義など)を皮肉っているのです。
ブロブディンナグ国は巨人国です。リリパットとは逆に,人間の12倍の身長の巨人の住む国です。この国は農業国で平和が保たれ,スウィフトはおおむね好意的に描いています。
ラピュータは空飛ぶ島(宮崎駿のアニメーション映画「天空の城ラピュタ」の名はこれに由来します)。ラピュータには支配者が住み,その下の陸地がバルニバービと呼ばれています。この箇所では,科学者たちの奇妙な研究が揶揄され,科学技術とか進歩といった考え方(啓蒙主義)がやり玉に挙げられています。
フウイヌム国は理性を持ったフイヌムが支配する国で,人間によく似たヤフー(インターネットで有名なYahooはここからとった名前)と呼ばれる動物が登場します。ヤフーは人間に似た姿ですが,野蛮で下品な下等動物として描かれています。一方,フイヌムは馬の姿をしており,この国におかれたガリヴァーは何が正常で,何が異常なのか,かなり混乱してしまいます。この4つの国をめぐるガリヴァーの冒険をひもときながら,スウィフトの生きた時代を覗いていこうと思います。