


追悼集は、亮の文章と、知人が寄せて下さったお手紙や文、また、お墓に備えているノートからのメッセージ等から引用させてもらい、本の形にしました。以下は本に載させて頂いたもののなかからの抜粋です。
八向へ 芝浦工業大学柏高校教諭 K・N 先生
私にとって八向亮は、とても存在感の大きい生徒であった。それは彼がわずか17歳という短い人生でこの世を去ったと言うことだけではない。本音でぶつかり合えた生徒であったからであろう。
彼が二年生になったとき、わたしは彼の担任となった。自由奔放な彼は、クラスでも目立つ存在で、私の目にもすぐにとまった。あれは確か、二年生も始まったばかりの四月末のことである。
彼が、耳にピアスをつけているのを見て私は、彼を職員室に呼んだ。私は彼に、
「制服にピアスは似合わないぞ。何も今ピアスをしなくても、高校を卒業してからでも遅くないだろう。」
と言うと、彼は「高校を卒業してからはピアスなんてつけないよ。今つけたいんだ。」と答えたのである。
結局この日は、ピアスが高校生にふさわしいか、ふさわしくないか、必要なのか、不必要であるかを、八向自身が自分でもっと考える、ということで話は終わった。彼と二人で真剣に話をしたのはこれが最初であった。この日のことは今でも鮮明に記憶している。私にとっての彼の印象は「常に自分を見つめ、人に流されず、今やりたいことを求めている。」少し誉めすぎかもしれないが、そのように私には映っていた。また、話せばわかる男であるが、じっくり話をしないと彼によさは理解できないと感じていた。
その後も私は、何度となく彼を呼び出し話をした。勉強のこと、バイクのこと、いろいろな話をした。二年次の二学期、下級生の自転車が壊されたことがあったが、この時も、彼は私に本音で話をしてくれた。話をすればするほど、私は彼のことが理解できるようになっていった。そして、私のことも理解してもらおうとした。
ある時、I先生(芝柏の先生)が私にこんな事を言った。「八向くんって、N先生に似ているわよね。」私はすかさず「それって、どう言う意味ですか。」答えたが、いやな気はしなかった。おそらく、彼のキャラクターを気に入っていたからであろう。
ある日、こんなことがあった。私が研究日に、彼女(今の妻)を新柏の駅まで車で迎えに行き、駅で待っていると、そこへ偶然、八向が通りかかった。彼は私に「先生、こんな所で何してるの?。わかった、彼女待っているんでしょ。」と言い、にやにやした顔つきで私を見た。私は図星であったため、「うるせえなあ。早く帰れよ。」と言い、追い返そうと思ったちょうどその時、私の彼女が来てしまった。彼は、いきなり私の彼女に向かって「はじめまして、八向です。N先生とはいつ結婚するの。」これにはさすがの私もびっくりした。
翌日、私は八向に「いきなり、なんて事を言うんだよ。」と言うと、八向は「先生、早く結婚しなよ。結婚式には行くからさあ」と笑って答えたのを覚えている。
八向との最後の会話は、芝浦工業大学の大学見学で、田町に行った時である。昼に大学に集合となっていたのであるが、彼は多少遅れて来た。私が廊下で一服していると、彼が現れた。私が「八向、遅いじゃないか、どうした。」と言うと、彼は「電車を間違えたんだよ。京浜東北線は田町に停まらないと思って途中で電車から降りたら、遅くなっちゃった。それより先生、そのカバンいいね。」といつものように答えた。遅刻ではあったが、この日の彼は少し違っていた。珍しくネクタイを締めていたのである。私がうまそうに煙草を吹かしている姿を見るなり、胸のポケットから煙草を出すふりをして吸う真似をし、「おっといけない、高校生はたばこを吸っちゃいけないんだよね。」と私に言った。やはり、いつもの八向であった。
大学見学も一通り終わり、大学の中庭で解散となった後、また彼と会った。彼は大学の中庭にいた女子大生を見て、私に「あそこにいる子、可愛いジャン、先生声かけて来てよ。」と言い、私が「何馬鹿な事言ってるんだ、俺がそんな事出来るかよ。」と言うと、彼は「それじゃあ、俺が声をかけてくるよ。」と言い、女子大生の方へ行こうとした。私は「そういうことは、大学生になってからにしろ。」と言い、笑いながら彼と別れた。
これが私と八向との最後の会話であった。
翌日も数学の授業では、彼は妙に元気がなく、一時間ずっと眠そうにしていた。それ以外、私は覚えていない。そしてその翌日、この日から彼は私たちの前から姿を消してしまったのである。
忘れもしない六月一日の土曜日である。この日、私は、千葉マリンスタジアムへ彼女とナイターを観に行く予定であった。彼女には「三時半には家に帰るから、うちで待っていて。」と言ってあったため、放課後はそさくさと、家へ帰ろうとしていた。そして、あれは確か二時すぎであったと思う。一本の電話が私に入った。八向の死の知らせであった。その電話を受けたときの心の動揺は今まで味わったことのないものであった。
私はその後すぐに家に帰り、彼女に「八向が死んだ。悪いけど、野球は見に行けない。今から、政安を連れて八向の家に行ってくる。」と言うと、彼女は「わかった。早く行ってあげて」と言ってくれた。
今思うと、当時、彼女が会ったことのある私の生徒は、彼だけであったのである。そして、彼のことをはっきりと覚えていたようである。この時、私は前、新柏の駅で八向と会ったことをいきなり思い出し、「先生、早く結婚しなよ。結婚式には行くからさあ」と言った彼の言葉が頭から離れなかった。
八向はいつでも私に「今やりたいんだよ。今じゃなきゃだめなんだよ。」と言っていた気がする。
これが彼の生き方の基本であったのだろう。自分の感情を抑える事が下手で、自分に正直に生きてきたように思う。彼が私と意見が食い違い、食ってかかってきたことや、遅刻をして叱ったこと、授業中に一人でコンビニに行った時に怒鳴ったこと、文化祭で張りきって参加していた姿や、笑いながら私をからかっていた顔は忘れることが出来ない。彼から学んだことも大きいし、彼の死を無駄にしたくない。
私のこれからの教師としての人生の中で、八向はいつまでも、かけがえのない教え子の一人として生き続けるであろう。
八向君へ M.O.さん (高校時代の友達)
もう、何から書いていいのかわかんないけど、心の中の事メチャクチャかもしれないけど書きたいです。
一番最後に話した言葉、何だったんだろうね。このごろ話してなかったから、全然思い出せないよ。すごく悲しい。
一番嬉しかったことはね、高一の春にみんなでスキーに行った時、リフト券のことで一緒にムキになってくれたこと、超嬉しくって忘れません。
なんか、いつも危険と隣合わせて頑張ってたって感じだよ。私の中では・・・・・。
だから今回の事故にもつながっちゃったのカナ?詳しいこととか聞かせてもらってないから何もわかんないけどね。私のママも八向くんのことで泣いてたぞ。
それにしても本当に友達の多い人だね。すごくうらやましいよ。そんな友達のことは、ずっとずっと忘れないでね。もちろん私のことも。
ママが「おれのそうしきには来てね」っていう八向君の言葉に、「行ってやんない」って言ってたんだってね。現実になっちゃったって、悲しがってた。すごくね。
八向君の顔は見に来ることができなくっても、きっと今は頭から離れないと思う。なんかもう、笑って話せない話になっちゃったね。もう バカ*****
八向君と知り合えてヨカッタです。
絶対に絶対に忘れないでね。
それから、八向君の小さい頃の写真もらいました。
ずっと大切にするね。すごくかわいい。
今日でもう一年も経ち、とても早い月日を感じます。 T.N. 君
八向と出会ったのは、高二の冬だった。あのときオレらはゼロヨンにはまってて、そのときKがつれてきたのが八向だった。
はじめて会った時からオレはお前のことがスゲー気に入って、学校でKに会う度に「八向どうしてる?」「八向なにやってる?」と、いつも聞いてたよ。それぐらいお前のことが大好きだった。
だから、去年あの日、オレはダチから聞いた言葉が信じられなくて、でもそれが事実だと頭で認めたとき、オレは本当に悲しくて悲しくて、つらくて、電話口でボロボロになりながら泣いてたよ。
今でも現場に行く度に、お前の顔がよぎってきて、その度に本当に死んでしまったのか、本当はどこかにいるんじゃないのかって思ってしまうよ。本当に死んでしまっているのなら、幽霊でもなんでもいいからオレの前に来てまたいっしょに単車で遊ぼーぜ。今でもお前のことが本当に好きだからな。またな!
・・・短歌・・・
尊敬している脚本家の高木良子先生の短歌集「水の韻律」に、亮の歌を四首詠んで頂いた。
「ガンジスを聴いて魂ゆさぶられ 長淵歌うは 原点回帰」
「長淵の魂の叫び支えとし 亮くん逝きし 十七の夏」
「八向家の 並ぶ椅子空き長淵の 家族という舟群れると信ず」
「遺稿集読みて謳歌した人生よ 亮君は今宇宙(そら)に飛翔せし」

