刻苦七十年を往く










旧信越本線横川〜軽井沢間。今ならばまだ知らない鉄道愛好家はいない事であろう。碓氷峠と言う響きに「くるもの」を感じる人も多いと思う。1893年、アプト式鉄道として開通した鉄路は、1963年に粘着運転方式で改良され、1997年にその使命を北陸新幹線というまったく別の路線に譲り、その長き歴史に幕を下ろした。
ヨコカル、碓氷線などともいわれるこの区間が何故これほどまでに人を引き付けるのだろうか。それはこの路線がある種鉄道の限界に挑む姿にあるのではないだろうか。およそ8kmの区間に渡って連続する66.7‰(パーミル)の急勾配の克服。このために様々な苦労を重ねてきた。施設一つとってもそうである。ここにあるものすべてが挑戦(challenge)の結果と言える。
急勾配を上るためにラックレールを用いるAbt(アプト)式(横川区では「アブト」と読んだ。英語読みとドイツ語読みの違い。)鉄道で始まり、そしてEF63というまったく碓氷峠専用の機関車を用いて上る粘着運転で幕を閉じた。アプト式鉄道では輸送力で大きなネックとなっていた。そのため高度経済成長期に合わせるかのように峠の使者「ろくさん」が登場した。すべての機能がこの碓氷線、横軽間専用に設計された機関車であり、これほどまでに頼もしい機関車もこれが最初で最後であろう。特急列車から貨物列車まで、すべての列車がこの横軽においてはEF63の助けを借りる。横軽間においては特急列車の乗務員であろうとハンドルは握らない。この峠路においてEF63がすべてを司る。
峠を上るのも大変なのだが、それ以上に下るのも容易な事ではない。いや下る方がはるかにきついことであろう。しかし心配は要らない。われらが「ろくさん」がいつもサポートしてくれた。このあまりにダイナミックすぎる躍動がいつまでも止まらないように…。

碓氷峠関連のホームぺージ(ウェブサイト)は、やはり数多く存在し、そのなかで非常にくわしく紹介されている。したがって、詳しくはそれらの優秀なサイトに譲るとして、少々の貧弱な写真とともに、題して「刻苦七十年を往く」。今の姿を一部だが簡単な写真で見ていこうと思う。

碓氷の使者

丸山(信)付近

アプトの頃

熊ノ平


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2000/04/07 作成